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item3

重大ニュースを問われ

 

 NHKの午後7時からの全国放送のニュースのトップに能代が出ることは、これまでにあったでしょうか──と質問をされた。昭和47年の米代川水害、58年の日本海中部地震、平成18年の小学生殺害事件などがあったような記憶があるが、「最近はない」と答えた。
 21日午前11時に能代市浅内の宇宙航空研究開発機構(JAXA)能代実験場で行われた燃焼試験。秋田市に出張で、その時間帯は能代市にいなかったが、テレビに映し出されて、現場で見学しているような気分となった。
 能代での燃焼実験は過去50年にわたって行われてきたが、NHK午後7時のトップニュースに扱われることはなかったはず。それがなぜ今なのか。異例の長い説明では、簡素にして安価な小型ロケット「イプシロン」の改良型エンジンの実験成功が、新たなる宇宙探査につながり、将来的には新興国や民間の需要が見込まれるためだった。
 小紙も翌日の1面に迫力ある写真付きで載せたが、日本テレビもニュースにしており、全国にロケット実験場のある能代を知らしめた。
 それは意義深いが、29日に知人から「能代山本の重大ニュースは何だすか」と問われて、ロケットはすぐに浮かばなかった。去年の能代市議選で彼が一生懸命応援した若い候補者が当選したことを思い出して、「世代交代の波が4月の県議選にも続いたこと」と述べると、うなずかれた。
 同じ日、別の人から「捕まった?」と聞かれた。三種町大口の一人暮らしの83歳女性宅に26日昼、男がナイフのような刃物を持って押し入り、「金を出せ」と要求、「これしかない」と手渡された2千円を奪った強盗のその後を知りたかったらしい。「まだ」と答えると、「怖いよね」と不安な表情を見せた。
 今月初めには、夜の会合で別れた中高年女性2人が「気を付けなくっちゃ」と互いに確認するように帰宅した。11月に能代市内で70代女性がひったくりに遭ってバッグを奪われた事件を教訓に警戒していると知った。
 全国的にみれば、三種の強盗も能代のひったくりも小さな事件だろう。しかし、能代山本にとっては重大。「安心・安全のまちを」と願う。

(2015.12.31 八代 保)


 

何に期待しますか

 

 11月の某夜、市内の居酒屋で報道部の若い同僚たちと地酒を味わいながら、たわいない話を楽しんでいたところ、なぜか来年の参院選の話になった。
 口火を切った30代の記者。「ひと言で言ったら『期待なき選挙』になるんじゃないでしょうか」。
 どうしてかというと、賛否に揺れた安保関連法を押し通した後、安倍政権の支持率が急落したわけでなく、安定感を保っている。秋田選挙区の自民党現職は、政治家として何をしていたのかよく分からないが、ミスがあったわけでもない。一方、野党の側は、対抗勢力としての存在感が薄く、共闘の可能性も不透明。こういう状況で、有権者は、何を期待して1票を投じるのか。期待自体がないのではないか、と。
 酔っていたので記憶もあいまいだが、ほかの同世代の記者たちも同じような感じ方だった。確かに、そういう一面はあるかもしれない。
 選挙への期待は、「ない」わけでなく「ある」と思う。どの選挙でも大半の有権者が真っ先に口にするのが「景気回復」だ。しかし、アベノミクスでやれ株価が上がった、やれ円安で輸出企業が好調といわれても、足元の地域経済は冷えきったまま。恩恵のある層、ない層の二極化が進んでいるようにみえる。いくら期待しても何も変わらないからと諦めてしまい、選挙が色あせていく。それも「期待なき選挙」と言い表したのだろう。
 でも何に注目して、何に期待するかは、やはり人それぞれ。例えば、アベノミクスについて新自由主義の大企業優先政策と受け止める人たちにとっては、はじめから期待などないのだから、恩恵がないことに諦めもない。違う視点で見ようとすれば、期待できる違う何かが見えてくるかもしれない。
 ちなみに来年の参院選で私が最初に注目したいのは、自民党の「憲法改正草案」を同党の現職がどう受け止めているかということ。「国防軍の保持」を定めたり、国民の権利や自由を「公益及び公の秩序」であからさまに制限する(私にはそうみえる)改正草案を支持するのかを聞きたい。選挙の焦点は、景気対策を隠れみのにした憲法改正だと思っていますから。

(2015.12.30 伊藤 仁)


 

「当落」の裏付け

 

 今年は4月に県議選があった。、能代市山本郡選挙区はベテラン現職2氏の勇退で「新旧交代」の色が濃く、予断を許さない激戦となった。審判の12日、4市町で午後8時から開票、それぞれ現地に張り付いた記者から刻々と状況が報告され、候補者の得票をはじいた。
 大票田の能代市の中間発表で次第に「当落」が判明し、慌ただしく選挙紙面作りが本格化していった。各選挙事務所に配置した記者との連絡、ホームページの速報作成、読者からの問い合わせ対応もあり、編集局フロアは時計をにらみながらの緊迫感が漂った。
 これが国政選挙や知事選なら、作業が一変する。各報道機関の「出口調査」を基に、都市部の投票時間終了の午後8時を待ったかのように、「○○候補当選確実」の報が流れる。まだ開票結果の一部も出ないうちにだ。
 それを受け、当選者の事務所では祝勝セレモニー、インタビューと続く。かつて、国政選挙当選者が、早々の「当確」を打たれ、インタビューで「戦いを振り返って」、「勝因は」と矢継ぎ早の質問に、「得票状況が分からない」と困惑したこともあった。
 「即時性」が求められるのは当然ながら、報道に携わる1人として正直、拍子抜けの感もある。「当落」がすぐに報じられ、その「確かめ算」的に各市町村の得票を埋めていく。全県区の参院選、知事選となれば有権者のほぼ3割を占める秋田市の開票結果待ちとなり、最終票確定は深夜に及ぶ。編集作業も、時間を気にしての緊迫というより、「まだか」のいら立ちが募ってくる。
 来年は参院選がある。対立構図はまだ固まっていないが、また開票早々の「当確」報道となるのか。「出口調査」で判断が困難となるような激戦を期待したい。そのためには、「無党派層」を含めより多くの有権者が1票を投じることだ。
 県議選能代山本区の投票率は63・68%。東日本大震災で自粛ムードがあった23年の前回(65・91%)を下回り、史上最低だった。
 参院選では選挙権年齢が18歳に引き下げられる。若年層の選挙離れは顕著だが、若者が政治参加の権利を得たことを重く受け止め、先輩世代、家族を巻き込むよう積極的な投票行動に出ることを望む。

(2015.12.29 池端 雅彦)


 

寺院の歴史と変化

 

 4月に本社勤務となり、文化欄企画の能代山本「ふるさとお寺めぐり」を担当している。昭和58年の掲載以来、実に31年ぶりの再取材となった。
 取材では多くの住職が代替わりしていたことに気付いた。とはいえ、前回同様、檀務の傍ら取材に親身になって協力してもらい、紙面を借りて感謝申し上げたい。
 掲載はこれまで30カ寺を超えた。各寺院とも過去帳や古文書などを手掛かりに寺歴を研究して細かに把握していることに改めて感心させられた。
 さらに、「能代市史」(原始・古代・中世)」(能代市史編さん委員会)、「安藤(東)実季家臣団─素材編─」(太田實著)、改訂された町史、寺院に関する本など、さまざまな文献があり、これらが出自不明だった開基者の人物像、仏事だけでない寺の役割を推測する手掛かりとなった。
 庇護(ひご)した為政者に逆らって敵の家臣をかくまった寺の威厳、北方の雄・浅利の盛衰、波瀾万丈の住職、詰め掛けた大勢のファンで庫裏の床板が落ちた、後の名横綱の人気を伝える逸話もあった。
 寺は江戸時代に本寺、末寺の系列化が進み、現在の檀家制度が形成された。お伊勢参りの通行手形の発行、檀信徒の家族構成や所有地などを把握する役所的な機能も有し、そうした中で佐竹の〝隠し田〟の推測もまた、歴史のロマンと探求心をかき立てた。
 歴史の研究は、文献や事実だけで見るのと、事実を照らし合わせて多角的に推測する手法がある。寺めぐりは後者であり、後に誤りが判明するかもしれない。釈明ではないが、歴史の解明はこうした積み重ねだと思う。
 寺院は今、少子高齢化の影響が忍び寄る。寺の跡継ぎがなくなり住職の代務や兼務も見られる。檀信徒でも墓守の高齢化と、これらに対応した寺の永代供養塔など、少しずつ変化している。
 回忌法要でも日取りを5月の連休、「おなごりフェス」など能代のイベント前後などに集中。遠方の家族が来やすいようにとの配慮も多くなった。
 今ある家族と友人、知人、そして生かされている自分など。年末の慌ただしさの中で、心静かに手を合わせて今年1年を振り返りたい。

(2015.12.28 武田 幸一)


 

校正おそるべし

 

 ほぼ1年、取材ノートにペンを走らせることがなかった今年、「記者メモ」に何を書き、伝えようか…。というのも報道部から整理部に異動した。
 整理部では、記者が書いた原稿を読み、そのニュース性に応じて大小の見出しを付け、写真を選び、紙面をレイアウトするのが仕事だ。
 現場を駆け回るイメージの記者とは違い、社内に陣取る裏方。自身初の内勤である。そこで日々感じているのが「校正おそるべし」。論語の一節、「後生畏(おそ)るべし」をもじった言葉とされる。
 ある日の校正。出稿されたのは「能代市社会協議福祉会」の活動を紹介する記事。「聞き覚えがない、新たな団体か」と思いきや、これは「能代市社会福祉協議会」の誤り。手にした赤ペンで速やかに修正する。さらに「弓道連盟主催の剣道大会が開かれた」の記事。これも正しくは「弓道大会」であり、またまた赤ペンで直す。
 こうした記者の単純な誤字や脱字は、「一校」と呼ばれる最初の校正で多い。思わず吹き出してしまうこともあるが決して油断はできない。さすがに「給料亭金有」や「風の待つ腹」、「転句鵜の不夜城」のような変換ミスが何段階ものチェックを全てすり抜けられるとは考えにくいが、それも「100%ない」とは言い切れないから恐ろしい。
 先日もJAXA能代ロケット実験場で行われたロケットモーター燃焼試験を報じる1面のトップ記事で冷や汗をかいた。「2段目の固体モーター」と付けられるはずの見出しが、「団体モーター」、「国体モーター」、「固体モーター」と二転三転し、最終の校正で正しく収まった。
 大概の誤りは、校正作業の中で防がれる。しかし見逃してしまい、読者の方々には大変申し訳ないが、しばしば訂正記事を出してしまうことがある。そのたびに「自分の目は節穴だ」と猛省している。
 間違いの中には「あの時に気が付けたはずだ」と後悔するものも多い。そうならないためにも日々丁寧な仕事を心掛けたいと思う。読者に不信感を抱かれぬよう、新聞の信頼性を保つためにも。いま一度、気持ちを引き締める。

(2015.12.27 工藤 剛起)


 

「ひと」にもらう元気

 

 今年4月、北秋田支局に移った。大館支社に転勤してずっと〝内勤生活〟だったため、外回りの記者として働くのは実に4年ぶりである。ところが、自らの不摂生がたたって、すぐに半月間の検査入院。スタートから調子が狂いっ放しで、取材先、会社の上司や同僚にも迷惑を掛けてしまった。反省しきりである。
 そんなとき、心を強く励まし、かつ戒めてくれるのは「ひと」であると、改めて感じた。
 最初に印象深かったのは、4月に現職を破って大館市長に初当選した福原淳嗣さん。その後も定例記者会見で何度か顔を合わせているが、40代ならではの頭の柔軟性と切れ味、さまざまな経歴を積んでの気配りには、少し年上の私であるが「とうてい、かなわない」。政治の世界ゆえ、あすのことは分からないが、〝長期政権〟だった市政に新風を吹き込んでいることには間違いない。
 8月に取材した北秋田市の山田市右エ門さんは、トウモロコシ作りのプロフェッショナル。「やまだのきみ」のネーミングで毎年、路上販売を続け、その味は能代山本でもファンが多いという。農園は家族経営で、トウモロコシのシーズンである7、8月は無休。「9月からは週2日は休みたい」と言ったそのエネルギーあふれる笑顔に、自分を省みて赤くなった。
 10月に会ったのは、同市の秋田内陸線鷹巣駅前の古い商店を活用してシェアスペースを開いた柳原まどかさん。旧・協和町(大仙市)出身の彼女は、芸術で街おこしをと活動するゼロダテに関わるようになり、ついには自分のオフィスを兼ねた〝にぎわいづくり空間〟をオープンさせた。さらには、北秋田の大人女子で結成した「*menoko(キラめのこ)」という団体でも中心的な役割を果たしているとのことで、たびたびメールが届く。その後は取材の機会は少ないが、彼女の内からあふれるようなエネルギーに、ただただ驚くばかりだ。
 最後になったが、弊紙の不定期掲載のコラムを読むために、そのつど支局に買いに来ていただいている某氏。感謝いたします。
 間もなく来る新年。今年出会った人たちの爪(つめ)の垢(あか)にでも、あやかれますよう。

(2015.12.26 戸田 章二)


 

まちづくりの視点

 

 今春から初めて商工業界を担当し、今まで知ってはいても、じっくり聞く・体験するのは初めてということが多かった。その一つが、能代商工会議所(中小企業相談所等)が主催する各種講演・セミナー。参加者数は多くないが、面白い内容と感心させられた。
 テーマは東京など大都市で活躍するコンサルタント等の専門家を講師に招いて店舗のディスプレーの構成だったり、大手通販業者に対抗して売り上げ増を目指すにはどうするのか──など、実際的なものが多い。その中で「なるほど」と思わせられたのが、講師がふと口にした「日本を将来的をみれば、東京の一人勝ちになるだろう」という言葉。
 人口問題研究所による将来の人口推計数値が示すように、地方の人口は減少の一途。減少傾向に歯止めが掛かる見通しはなく、地方は消えてなくなってしまうのでは…とさえ思える。だからもはや「将来は東京の一人勝ち」という言葉に腹立たしさも感じない。しかしこのままでは完全にそうした予想は現実のものになると確信できるのに、これといった解決策の端緒も思いつかないことにはいら立ちを感じる。
 いずれ、何もしないままでは消滅の憂き目は避けられない。だとすれば、突拍子のないことであっても何かあがいてもいいのでは?企業誘致はもはや新鮮味がないとしても、経済特区、カジノ誘致など、タガが外れたアイデアはどうか。だとしてもいずれも他力本願。自力で何か──となれば、市街地の再開発計画をテコに街づくりを考えてはどうか。
 市街地の再開発に関しては実際、商議所の中期行動ビジョン改訂計画の審議の中でも「なぜ再開発計画を誰も言い出さないのか?」と指摘されていたが、同感。再開発して容れ物を作ったはいいが、そこで誰が何をするかと問い返されれば言葉がないし、旧市街地の再開発でなくてもいいのだが、今ある枠組みを壊して新しいものを構築することが必要なのでは。
 どこに行っても誰もが地方創生に触れるが、思えばふるさと創生事業というのもあった。かつての二の舞いにならないように、今度こそ実り多いものを──と願う

(2015.12.25 岡本 泰)


 

戦後70年の重さ

 

 本社での内勤をほぼ2年経験し、2月に二ツ井支局に配属された。支局を拠点に、能代市二ツ井町と藤里町をぐるぐる、持ち前の要領の悪さと方向音痴をいかんなく発揮する日々だが、戦後70年の年に巡り合い、その重さを考えさせられる年でもあった。
 二ツ井を拠点に活動する演劇集団・展楽座の縦断公演「二人の長い影」を取材する機会に出合い、7月の第1回公演と10月の最終回に足を運んだ。8月には企画モノで二ツ井、藤里の戦争体験者3人に会う機会を得た。
 脚本家・山田太一が書いた「二人の長い影」は、戦後58年の設定。かつての恋人の精いっぱいの告白に「ありがとう」と言い、振り切るように抱きついてきた妻を、夫が抱きとめる。年老いた、「当事者」の2人はもとより夫の胸中やいかにと、ラストシーンの熱演にシャッターを切りながら思いを巡らせていて、気が付いた。舞台が戦後70年の「今」なら、17歳だった少女は87歳、彼と夫は90代だと。
 「記憶を語り継ぐ」の企画で取材に応じてもらった3人は、90歳を過ぎている。満州からの引き揚げ途中に幼い娘を亡くした女性。砲弾に加え飢餓やマラリアに襲われた南方の島で生き抜いた男性。話を聞くうちに、どれだけ戦争の実際を知らないか、思い知らされた。死と隣り合わせの日々を気丈に、時折笑みさえ見せ語ってくださったが、「忘れた」と言ったことの中には、きっと、話したくないこともあっただろう。
 体験者を探す中で「亡くなったからなあ」と何度となく言われ、そのたびに、もう10年早かったらと思った。が、それ以上に、悔やむことがある。新米記者時代、中国残留孤児の父親や残留婦人の祖母と一緒に来日し、能代で暮らし始めた子どもたちを取材した時期がある。その時、御本人の心にどれだけ思いを寄せたか。果たして、体験を話してもらおうとしたか。否である。忸怩、という言葉しかない。
 それにつけても、8月15日に比して12月8日の、報道における存在感の薄さよ。二度と始めないために、始めてしまった日を、その日に至るまでの「戦前」を知らなければならない。と、安保法案が「案」でなくなった年の終わりに、思う。

(2015.12.24 渡部 祐木子)


 

 

ドーム出演、成功を

 

 能代七夕「天空の不夜城」の初の県外遠征となる「ふるさと祭り東京」(来年1月8~17日・東京ドーム)の開催まであと半月。イベントがどういうものか調べようと、青森・五所川原立佞武多が出演した一昨年のふるさと祭りの様子をユーチューブで観賞した。
 立佞武多の歴史を紹介するアナウンスに続き、やぐらの上の二張りの大太鼓が祭りの開幕を合図。「ヤッテマレ、ヤッテマレ」の掛け声に合わせたにぎやかなお囃子と女性たちの踊り、そして満を持して動き出す高さ23㍍の立佞武多。観衆を楽しませる演出も随所に尽くされた約20分間の見事なショーだった。
 その空間に今回、天空の不夜城「愛季」(高さ24・1㍍)が立つ。映像のように、数万人から一斉に拍手が湧き起こり、大灯籠へカメラやスマホを向ける光景が広がれば──。当日取材に赴くが、一市民として、きっと鳥肌は抑えられないだろう。
 前回の来場者は10日間の会期で過去最多の42万1324人。今年は50万人を狙うと聞く。出展に抜群のPR効果があるというのもうなずける。
 今年1月のふるさと祭りに「石崎奉燈祭」を送り出した石川県七尾市によると、イベントでもメーンの扱いを受けたため新聞・テレビがこぞって報道。七尾市の名もバンバン露出した。例年約3万人の人出がある8月の現地の祭りに今年は約3万4千人が訪れた。「アマチュアカメラマンが目に見えて増えた。経済効果も感じた」と同市観光交流課は話す。
 今回のドーム出演は不夜城、ひいては能代の観光にとって大きな転機と言っていい。運行3年の不夜城をめぐり市民の間には依然賛否が渦巻くが、そもそも不夜城運行の目的は地域に観光客を呼び込み、多くの外貨を獲得することにある。首都圏の人々が不夜城にどんな反応を示すか、またその成否は、構想が先送りとなった観光拠点施設整備の今後を考える上での試金石にもなるはずだ。
 ところで七尾市の職員からはこんなドーム効果も耳にした。「出演に向けまちが一つとなり、絆も深まったんです」。遠征まで半月に迫った今の能代にその雰囲気は…。受話器の向こうの弾む声がうらやましく思えた。

(2015.12.23 平川 貢)


 

 

「本当の戦争」を聞く

 

 今年夏に戦後70年の終戦企画で90歳を超す戦争体験者を取材し、当時の状況や心情を正確に伝えることの困難さに直面した。高齢のため意志疎通が難しい、といった話ではない。記憶が変質していると思われたからだ。
 取材した男性の一人は、意外にもシベリア抑留体験を楽しい思い出を振り返るように語った。飢え、極寒、重労働に苦しんだはずなのに口ぶりは軽やかですらあった。立ち直るために、真につらい記憶は排除したのだろうか。
 生きていくことを阻む絶望的な状況は、具体性を失うように無意識の操作が加えられるという。極限の体験は記憶の上書きを要求する。忘却し、記憶を書き換えることが、男性が選択した生き残る道だったのかもしれない。
 別の男性は戦後長く沈黙してきた重い口を開いた。家族にも戦争の話はしたことがないと言った。戦地を経験したことのない人にリアルな惨状は伝わらない、となかば諦めているようだった。後に記事を読んだ女性から、孫に戦争体験談を聞かせてあげられないかと相談された。気さくな彼なら承諾してくれると思い意向を伝えたが、のらりくらりとかわされた。若い世代に「本当の戦争」を教えてほしいと頼んだが、首を縦に振ることはなかった。心に残る苦い澱(おり)は戦後70年たっても消えていなかった。
 一連の取材では正直迷いがあった。戦争という渾沌(こんとん)を秩序立った分かりやすいものに読み替え過ぎたのではないか。偏見を抱き、現実を見誤る典型例に陥ったのではないか。思い出したくない記憶を無理にこじ開けようとし、相手を不快にさせはしなかったか。
 戦争体験者はいったい何を思うだろうか──。最後まで核心部分には触れられなかったように思う。
 ここ数年で90歳以上の大正世代が相次いで亡くなったり、病気になったりし、取材は出征者を探す段階から困難の連続だった。体験者の生の声を聞く機会は加速度的に失われている。今年は国防政策を大転換させる安保法が成立したが、あまりに短兵急な運びだった。平和のバトンを後世につなぐためにも、まずは身近な戦争体験者の話に耳を傾けてはどうだろうか。

(2015.12.22 若狭 基)


 

 

1次産業を応援し

 

 春から農業や漁業を担当している。圃場(ほじょう)や漁港を回り、土や海とともに生きる農家や漁師の喜びや生産のこだわり、労苦の一端を知ることができた。農業は収穫ものの取材が多く、お世話になった上に「あんちゃん、持ってけ」と、丹精込めて育てた野菜をいただくこともしばしば。生産者の顔を思い出しながら、どれもおいしくいただいた。
 季節ハタハタのシーズンに入ってからは、漁港通いが続いている。普段はのどかな漁港周辺も、ひとたび接岸が始まれば夜通しで網揚げや選別、箱詰めに追われる漁師や家族らでにわかに活気づく。
 漁港内に設けられた直売所もにぎわいを見せ、変わらぬ〝ハタハタ熱〟を感じ取ることができたが、資源管理のため昨季に比べて漁獲枠は半減されており、漁師は「そこにいるのに取ることができない」と例年にも増してもどかしさを募らせている様子。全体的に水揚げ量も伸びず、取材ついでにいただくのはためらわれるほど高値が続いている。
 生産者として地域の食文化を支える「プロ」たちの姿に尊敬の念を抱き、その人たちが暮らす農山漁村空間の魅力を改めて見直すべきだとの思いを強くした一方で、それを維持していくための課題も目の当たりにした。米価や魚価は低迷、担い手の高齢化や後継者不足も深刻で、TPP(環太平洋連携協定)交渉の大筋合意も先行きに対する不安を広げている。
 それでもなお、歯を食い縛りながら「先祖から受け継いできた田んぼを守っていかないと」「代々続いてきた漁を簡単にやめることはできない」と話す生産者の思い、基幹産業を支える気概は通底していると感じた。
 今年新規就農した能代市内の農家の30代長男が「1年間、親と話し合って就農することにした。農業をやる人が減っている今が逆にチャンスだと思っているし、そこにやりがいを求めていきたい」と、黄金色の田んぼを見詰めながら話す姿は頼もしかった。
 今年の取材経験を生かしながら、来年は地域の1次産業に携わる人たちを応援する記事を1本でも多く書いていきたいと思っている。

(2015.12.21 菊地 健太郎)


 

 

チャンプ さあ前へ

 

 能代山本の地域ニュースを追い掛ける日々の中で、まさか世界一強い男に1対1でインタビューできる幸運にあずかるとは思わなかった。
 相手は三種町浜田出身のプロボクサー三浦隆司選手(31)。世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフェザー級で4度目の王座防衛を果たした5月、古里でつかの間の休息中だったところを取材できた。
 「寡黙な男」──伝え聞く人物評に緊張が高まる。対面の直前まで、頭の中で想定問答が止まらない。浮き足立っていた。記者に欠かせない道具のペンを持たないまま訪問してしまうほどに…。
 ガチガチ状態で始まったインタビュー。ボクシングの専門知識に乏しい質問は、的外れなものも多かったはず。それでも三浦選手は真っすぐ目を見て答えてくれた。
 東京でトレーニングに明け暮れるストイックな日々のこと、古里で暮らす妻子の支えへの感謝、強さへの飽くなき探求心。飾り気のない一言一言がかえって思いの深さを感じさせた。緊張と不安は、「おらほの世界チャンピオン」を誇らしく思う気持ちに変わっていった。
 25年に世界王座に就いて以降、着実に防衛を重ね、内外の評価を高めた三浦選手は11月、ボクシングの聖地・米国ラスベガスで5度目の防衛に臨んだ。
 〝最強挑戦者〟と呼ばれたフランシスコ・バルガス(メキシコ)との壮絶な打ち合いの末、9回TKO負けを喫し、2年7カ月守り続けた王座から陥落したが、その戦いぶりは見る者の心を揺さぶり、目の肥えた本場のファンをも熱くさせた。
 現地で声援を送った後援会の成田仙則会長(55)は「1万2千人で膨れ上がった会場は過去の防衛戦とは違う、異様とも言える雰囲気。その場に日本人選手として立ち、あれだけの戦いを見せてくれたことに感動した」と振り返る。
 ベルトを失ってなお、後援会関係者にボクシングへの変わらぬ熱意を伝えているという。23日には同町で報告会が開かれる。三浦選手の今後への思いが聞けるはずだ。
 「今こそ、一丸となって支えたい」。成田会長の言葉に深く共感した。

(2015.12.20 川尻 昭吾)


 

クアオルトのススメ

 

 「議員の皆さまもぜひ歩いてほしい」。三種町12月定例議会でクアオルトプロジェクトを問われ、三浦町長が答弁した。地元の新聞社にも言われたような気がし、16日にことおか中央公園のコースを歩いてみた。
 同コースでは毎朝定例ウオーキングが行われ、この日は同町や大潟村の男女10人が参集。クアオルト研究会前会長の木田章さんの案内で全長3・1㌔のコースに挑戦した。
 コイを見つけると良いことが起きる「コイ(恋)占い」の沼や笑ってリフレッシュする場「笑う門(鹿渡)には福来る」などの面白スポット、冷気を浴びる各種「風の道」、遠望を楽しむ展望台などがある。
 ご来光も拝み、頭と体への刺激がたっぷり。よくこれだけ工夫を凝らせると感心し、「毎日歩いても飽きない」、「ウオーキングで太ももに筋肉が付いた」という参加者の声にも納得した。
 ウオーキング後は「クアオルトに温泉は外せない。これも仕事だ」と、ゆめろんで入浴と朝食。ウオーキングの効果か食欲が増進。身も心もホカホカで出社した。
 一方、初体験でも存分に楽しめたクアオルトウオーキングだが、まだまだ町民に浸透してきたとは言い難い。
 町クアオルト推進室は5人態勢で各種イベントやモニタリングなどを行ってきたが、定例ウオーキングを毎日行う3コースの参加者は最大で計30人ほど。プロジェクトでは30年度に実人数で町民3200人が実践する目標を掲げるが、クアオルト効果に掲げる医療費の削減や交流人口の拡大は、遠い先にあるように思える。
 傾斜のある石倉山コースは若い人にもお薦めといい、幅広い世代への情報発信が必要だし、塩分量やカロリーなどの基準を設ける「クアオルト食」を早期に提供するのも関心を集めるだろう。官民一体の盛り上がりが不可欠だ。
 ちなみに、モニター事業では、ゆめろん試作の「クアオルト定食」をいただいた。あわび茸のサラダや風呂吹きカブの柚子味噌(ゆずみそ)添えなど美味の連続。「食べなきゃ書けないベ」と譲ってくれた研究会の戸嶋諭会長に感謝するとともに、大して遠慮しなかったことをおわびしたい。

(2015.12.19 山谷 俊平)


 

現場の声を拾って

 

 私事だが、今年で勤続10年を迎えた。後輩も増え、もはや〝若手〟ではないが、根っからのそそっかしさは相変わらず。3年目となる秋田支社でも新人並みに各方面で面倒(迷惑?)を掛けながら取材をしている。
 入社当時がつい先日のようにも感じるが、社会情勢は確実に変化している。特徴的なのが、歯止めの掛からない人口減少だ。県が毎月公表している「人口と世帯数」によると、この10年間(17年11月1日~27年10月31日)で人口は約12万6千人減った。これは、能代山本4市町と湯沢市が消滅した場合の数字に匹敵する。直近1年間では約1万3千人減少し、まさに待ったなしの状態だ。
 また、国でも「地方創生」をスローガンに、人口減少対策のための総合戦略の策定に乗り出しており、各自治体に今年度中の策定を求めている。
 秋田県版の総合戦略を見ると、「実現できるの?」と目を疑ってしまう基本目標が並ぶ。雇用創出は航空機や新エネルギー分野での企業誘致などで31年度までに1万2千人。本県への移住者は220人(26年20人)、女性が一生の間に産む子どもの数を表す「合計特殊出生率」は1・50(同1・34)─など。県はあくまでも「目標値」と説明する。
 人口減少に直結するともいわれる少子化対策では、第3子以降の誕生を人口減少克服の鍵と捉え、子ども3人以上の多子世帯を中心に、保育料や住宅リフォーム費などを手厚く支援する施策が盛り込まれている。
 しかし、子育て家庭の声に耳を傾けると、実際のニーズは他にあることが分かってきた。経済的支援はあって越したことはないが、母親たちが求めていたのは子育てしやすい環境づくり。今ある職場・地域・家庭での子育て環境は、「もう1人」と思える動機付けにはほど遠いようだ。
 「現場のニーズは、現場で声を拾わなければ見えてこない」。秋田大教育文化学部の石沢真貴教授の指摘に納得した。同時に、社会にあふれている声なき声をすくい上げるのが、新聞の役目と再確認した。人に、地域に寄り添いながら、社会が1㍉でも前進できるような紙面づくりに努力したいと10年の節目に誓う。

(2015.12.18 大柄 沙織)


 

白神とニホンジカ

 

 実物を見たことはない。と言っても、自らの目で、世界自然遺産・白神山地の周辺では見たことがないだけだ。話題はニホンジカ。白神の森は今、深刻化するニホンジカ問題に直面している。
 ニホンジカの食害は、樹木の更新を困難にしたり、土壌が流出したりして森林生態系に悪影響を及ぼすほか、甚大な農林業被害も引き起こすと指摘されている。
 これまで登った山々を振り返ると、南アルプスの仙丈ケ岳では食害を防ぐために植生保護柵が張り巡らされ、神奈川県の丹沢山地では登山者を警戒する様子もなく悠々と歩き、秩父多摩甲斐国立公園にそびえる雲取山では餌を求めて雪の上を歩いていた。
 国内では明治時代に狩猟が普及すると乱獲が起き、頭数は減少の一途をたどり、本県では昭和初期ごろに絶滅したといわれる。しかし、狩猟者の減少や中山間地域の過疎化などを背景に、ニホンジカは近年、全国各地で増殖して生息域を広げている。
 白神山地周辺も例外ではなく、今年は能代山本で6月以降、少なくとも10頭以上の目撃があり、ここ数年で最多だ。
 各地で姿が確認される中、最も懸念されていたことが現実のものとなった。関係機関で構成する白神山地世界遺産地域連絡会議は、緩衝地域に位置する青森県西目屋村の暗門の滝上流に設置したカメラが10月13日に雄のニホンジカ1頭を撮影したと発表した。世界遺産地域へのニホンジカの侵入──。わずかでもニホンジカに認識がある人は「ついに」と思っただろう。
 生息密度を過小評価してはならない。原生的な自然が広がり、人が自在に歩くことがままならない核心地域や緩衝地域内をニホンジカが行動するようになると、連綿と紡がれてきた生命の営みの変転は避けられない。保全管理は人の手に委ねられている部分が大きい。言うまでもなく対策は急務だ。
 白神山地の麓に暮らす住民として、恵まれた自然環境の恩恵を受け、親しみ続けたいと考えるのは特別なことではない。だからこそ、目の前の出来事を直視し、対応していくために関心の高まりが求められている。

(2015.12.17 宮腰 友治)


 

転換期の「今」、全力で

 

 全国優勝58回を数える能代工高バスケ部。長身の坊主頭に鍛え上げられた肉体の選手たちは、マネジャーの一声で瞬時に動きを止めて集合する。ただならぬオーラが感じられ、練習中の体育館のドアを開ける時はいまだに緊張が走る。
 初めて取材したのは、今の3年生が入学したばかりの一昨年の能代カップ。「少しお話聞きたいんですけれど、いいですか」。試合後、緊張気味に声を掛けると、振り向いた選手が泣いていた。3点差で敗れたゲームを悔しがりながらも、毅然とした態度で話してくれた。真摯な姿勢が印象に残った。
 スポーツ担当としてさまざまな競技を取材するが、「能代工高バスケ部」は一つの独立した分野といっても過言ではない。時間が許す限り体育館に足を運び、春の能代カップ、夏のインターハイ、秋の国体、冬のウインターカップと1年を通してチームを追う。「バスケの街」を支える存在への市民の期待度は高く、紙面での記事の扱いも大きくなる。
 今春、監督が交代した。思えば、バスケ素人の私が記事を書くために取り組んだことは、普段からチームを見ることだった。「いつも練習を見てるから、何を書いてもいいよ」という佐藤信長前監督の言葉を支えに、ひたすら体育館に通い詰めた。
 4月からチームを引き継いだ栄田直宏監督は、質問にとことん向き合ってくれる。「プレッシャーを感じるよりも、選手と練習することが楽しくて仕方がない」という栄田監督は、アシスタントコーチ時代からいつも選手のそばに寄り添ってきた。
 監督が代わっても伝統の「走るバスケ」は変わらない。スピードに乗ったプレーとひたむきな姿は観客をくぎ付けにし、会場を能代工の応援一色に変えるほどの力がある。
 昨冬、今夏は全国8強止まりだが、選手もファンも求めてやまないのは、19年国体以来遠ざかっている日本一。歴代のスポーツ担当の先輩記者が「必勝不敗」を語る全盛期の能代工を私は知らない。だが、長い能代工高バスケ部の歴史の中で、転換期になるかもしれない「今」を全力で伝えることが自分の使命だ。年末のウインターカップ、能代工の完全復活を楽しみにしている。

(2015.12.16 浅野 結子)


 

世界で戦う「同級生

 

 フェンシングに夢中だった同級生がアスリートになっていた。12月8日付本紙を飾った「国際大会ベスト8入り」の大きな見出し。フェンシング男子エペで活躍する能代市二ツ井町出身の伊藤心選手(25)=NEXUS=がカタールのドーハで開かれたフェンシンググランプリ大会で快進撃を見せ、改めてこれまでの偉業をたたえ、原稿を書いた。
 伊藤選手とは小中学校の同級生。実際に会場に行くことはかなわないが大会後、本人に連絡を取った。忙しい中、気さくに答えてくれることにほっとしながら、同級生の世界レベルでの活躍を取材することになるとは思ってもみないことで、感慨深いものがあった。
 中学生の時といえば、話しかけるために肩を叩こうとするとひらりとかわされることがしばしば。申し訳なさそうに「つい癖で…」と言う姿が印象に残る。当時の話をすると本人も「練習の影響だな」と笑いつつ、「フェンシングが本当に好きだったからな」と納得していた。
 伊藤選手の中で、子どもの頃からの「五輪に出る」という夢は、経験を積み、国体などで実績を残すと現実味を帯び、思いはより強くなっていった。
 昨年5月、スイスW杯で3位入賞したことを受け、地元有志らで「伊藤心選手を応援する会」を設立。同会のフェイスブックのページには206人(14日現在)から「いいね!」が集まっている。
 周囲の期待がプレッシャーにならないかという素朴な疑問を抱いたが、伊藤選手は「応援してくれる人が1人でも多い方が力になる」と語った。
 昨年のスイスW杯後、利き手の指をけがしてスランプに陥り、リハビリに専念。今年5月に大会に復帰したが世界選手権の出場権を逃し、10月からの新シーズンでやっと国際大会に出場。「勝つ」感覚を取り戻せずにいたが、着実に調子を上げ、見事にドーハで復活ぶりを見せた。
 フェンシングへの強い思いと、応援に応えたいというひた向きな努力が世界の舞台で実った。そしてそれがまた前へ進む力になっている。ならば、応援者が1人でも増えるように、私も1人の応援者として伊藤選手の活躍を報じていきたい。

(2015.12.15 佐藤 詩織)


 

「花園」へのトライ

 

 英国で9、10月に行われたW杯での日本代表の活躍で盛り上がりを見せるラグビー競技。それまでは全くと言っていいほど興味はなかったが、熱戦に感動、見事にはまった。取材で出合った能代工高ラグビー部のラガーマン17人の元気な姿に触れ、関心が深まり、「プレーしたい!」とまで思えた。
 W杯の日本代表は、〝五郎丸ポーズ〟がブームになった五郎丸歩選手らの活躍で、初の予選リーグ3勝を挙げた。それに続けと、7人制の女子日本代表(サクラセブンズ)も、男子代表とともに来年の五輪出場権を獲得。ラグビー熱が高まっている。
 W杯の快挙で盛り上がる中、能代市内の高校で唯一、ラグビー部がある能代工の活動を取材した。元気に声を掛け合って練習する部員たちの姿が印象に残っている。
 県内では、秋田中央や秋田工など中央勢4校が優勝争いを繰り広げる状況。それでも、能代工は「打倒・中央勢」を合言葉に、厳しい練習に取り組む。フィフティーンは「きついけれど楽しい」と声をそろえる。
 そんな中、工藤卓主将(2年)は「中央勢は体の大きさが全然違い、僕らはフィジカルが劣っている」と打ち明けた。
 中学校で経験した筋骨隆々のラガーマンがそろう中央地区の高校に対し、能代工の部員は全員が高校から競技を始めた初心者。今春、明治大に進学し、関東大学対抗戦に出場した斉藤剣も高校入学までは未経験だった。
 細身の選手が多く、体格は圧倒的に不利だが、高校生ラガーマンの聖地「花園」でのプレーを目標に挙げる選手もいる。「やるからには上を目指す。中央勢を倒せば全国に行けるんだ」と闘志を燃やし、苦しい練習も手を抜かず、走り込みやタックルに汗を流す。練習を終えた部員たちは、みんな爽やかな表情を浮かべる。
 真剣にラグビーと向き合う能代工。打倒中央勢に向け、まずは部員の確保が必要だろう。ラグビー人気の高まりを今後につなげてほしい。中央勢を倒して目標の花園出場をかなえ、第二の斉藤の輩出を願う。全国舞台で能代工ラグビー部の名を──。その〝トライ〟を見詰めていきたい。

(2015.12.13 山田 直弥)


 

学校統合、前を向く

 

 4月に大館支社から戻り、教育担当になった。「少子化」「小規模校」「統合」といったキーワードを耳にする機会が多く、事実、能代山本の小学校、中学校の約半数で全校児童が100人を割っている。来春には八峰町の塙川小と水沢小、八森中と峰浜中がそれぞれ統合する。
 10、11月に塙川小と八森中の閉校式を取材した。統合によって地域から学校がなくなればそれだけ子どもたちの声を聞く機会が減ることになるだろうし、とても寂しく、悲しいことだと後ろ向きにばかり考えながら取材に向かった。
 しかし、いずれの式典でも、代表の児童生徒は学校の統合を「新しい時代への大きな一歩」と捉えていた。「閉校後も校舎を見守っていきたい」「これからも地域の一員として頑張っていく」などと述べる姿には頼もしさが感じられた。
 また、統合に向けて今年は各校の活動も広がりを見せ、八森中は毎年行っている秋田市での特産品のPR活動を峰浜中と合同で実施し、八森地区だけでなく峰浜地区の特産品も同時に売り込んだ。塙川、水沢両小の6年生を学習発表会に招いている峰浜中は、八森小の児童も招待して交流を深めた。「俳句の学校」として知られる塙川小も、同じく俳句活動に積極的に取り組む水沢小との統合でいま以上に実力を伸ばしていくだろう。
 八森中出身で秋田市在住の友人(27)に話を聞いてみると、「学んだ学校がなくなるのは確かに寂しいが、いつまでも悲観的になっていてもしょうがない。これからも地域ぐるみで支えるべきだと思うし、八森地区の殻を破って良いところを伸ばしてほしい」と非常に前向きな意見が返ってきた。
 私も母校の渟二小がすでになく、同じく母校の能代工高も能代西高との統合の方向にある。今までは学校統合に対して悲観的な感情だけしか持っていなかったが、今回の取材や友人の言葉でプラスに考えることも必要なのだと感じた。
 来春の統合まで残り少ないが、残った時間の中で各校の取り組みなどを精いっぱい取材していきたい。児童生徒には統合後も未来への希望を胸に歩みを進めてほしいと願う。

(2015.12.12 小林 佑斗)


 

学童球児を追った夏

 

 今年と昨年とで変化したこと、それはスポーツ関連の取材が増えたことだ。とりわけ、野球大会の取材にちょくちょく出掛けたことが印象に残っている。自分にとってほとんど未知の分野で、当初は「果たして勤まるかどうか」と不安で仕方なかったが、「これも一皮むけるチャンスと思えば…」と腹をくくった。
 いざ取材してみると、やはり大変だったというのが率直な感想。特に今年は学童野球の地元チームが目覚ましい活躍ぶりを見せ、県大会のメーン会場となる秋田市へ何度も車を走らせた。
 球場に到着し、さあいよいよプレーボール──と同時に、誰の助けも借りられない孤独な戦いが記者席で始まる。カメラを握りしめ選手たちの一挙手一投足に注目し、何かしらのアクションが起きるたびにバシャバシャとシャッターを切る。試合の流れを左右しかねない重要な局面では、目の中に流れ込む汗を拭うこともできず、決定的瞬間を撮り逃すまいと固唾をのんで展開を見守る。
 だが本当の戦いはゲームセットが告げられてからだ。「野球取材はサイド記事を書くために行くようなもの。結果だけじゃ分からない、その裏にある物語を読者は欲している」。先輩記者の言葉を胸に、激闘を終えたばかりのナインらにコメントを求める。「敗北した原因はどこにあるか」「逆転打を許したあの場面はどんな心境だったか」。負けた試合ではきつい質問をぶつけなければならない時もあったが、悔しさをにじませる選手たちに真摯(しんし)に向き合い、飾り気のない生の声を届けようと自分なりに精いっぱい努めた。
 全部が全部大変だったかといえばそうではない。息詰まる投手戦を制した試合や、終盤に大量点を奪いサヨナラ勝ちした試合などはチームの喜びもひとしおで、こちらも思わず顔がほころぶ。劇的な場面に立ち会えるのはまさに役得だ。
 振り返れば思うようにうまくいかないこともたくさんあったが、筋書きのないドラマに心を揺り動かされたことも数え切れない。何が起こるか予想できない、それが野球取材の難しさであり、醍醐味(だいごみ)なのかもしれない。来年の夏が今から待ち遠しい。 

(2015.12.11 佐藤 拓人)