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2016記者メモ

2015記者メモ

 

ある葉書と短歌

 

 この1年の世相を表す「今年の漢字」は「北」。それを意識したのか、気の置けない仲間との忘年会のカラオケタイムで、トップバッターは「北の旅人」を歌った。
 青春時代の北海道での仕事と恋が懐かしく切ないからか、単なる十八番(おはこ)だからか。歌い方はわが道を行く一本調子。やっぱり石原裕次郎のしみじみとして渋い方がいいと思った。
 そこから、9月2日付で能代市内の読者の女性から葉書(はがき)が届いたことを思い出した。
 コラムに北海道小樽市の石原裕次郎記念館が8月31日に26年の歴史に幕を閉じて閉館したことと、自分の周囲の人々の裕次郎への思い、記念館に立ち寄った体験を記し、4年前に72歳で亡くなった能代出身の知人が裕次郎の歌をこよなく愛し「覚えてくれ」と話したことと名曲「わが人生に悔いなし」に触れた。
 それについての感想だった。葉書の主は、亡き夫と重ね合わせたようで、夫のことを思い出し胸がいっぱいになったと綴(つづ)っていた。
 自分のことを「惜秋」と言っていた優しかったご主人は裕次郎のファンで、「惜秋の世界」というCDを編集、裕次郎の歌を中心に好きな曲を入れ、よく聞いていたという。
 「年明けに帰省の子らとの卓に沸くわれにかかわるひとつの記事に」
 3月の文化欄に掲載されたある短歌会の1月例会の作品の一首。
 作者の独り暮らしの高齢女性とはひょんなことで知り合い、年末に訪ねた折のを送る準と軒に吊(つ)るされていた干し柿の風景を、コラムに少し載せたのだが、それを帰省した子どもたちに見せ、楽しい語らいがあったことを作歌したよう。団欒(だんらん)の情景が浮かんできた。
 葉書と短歌から、小紙を実に丁寧に細かいところまで読んでいる読者がいることを改めて教えられた。事実関係はもちろん、文章、言葉の一つ一つもおろそかにできないと自戒した。同時に、人は誰かに何かを伝えたいと思っているものだとも知らされた。
 地域紙としてどのようなニュース、情報、コラムを提供していくべきか、そして読者とのキャッチボールはどうあるべきか、をIT時代だからこそ問い続ける。

(2017.12.31 八代 保)


 

生徒に学んだこと

 

 弊社報道部は今年、新聞を学校教育に活用してもらう「NIE」の一環で、八峰中学校で取材体験講座を開設したほか、9月の学校祭で展示する学級新聞作りのお手伝いをさせてもらった。生徒たちと一緒に記事について話し合い、悩んだりした3日間は、日々の紙面作りを考える上で貴重な経験となった。八峰中の生徒の皆さん、先生ありがとうございます。
 各世代に読まれる新聞を作り、親子で話題になるような紙面の充実を図りたいと、弊紙は日々のニュース面のほかに、スポーツ特集面(原則月4回)、教育・子育て特集面(月2回)、バラエティー面(月1回)、経済特集面(月1回)を設け、今年で3年目になる。
 八峰中の取材体験講座の模様は8月3日付の教育・子育て特集面に載せ、9月14日付の同特集面は、生徒たちが作った学級新聞から記事6本をピックアップして「八峰中新報」のタイトルで編集、掲載した。
 学級新聞では、各クラスとも授業の態度や給食準備のマナーなどについて生徒が話し合ったことをトップ記事にしていた。授業中の私語を慎み、まぶたが重くならないようにするためにはどうしたらいいか、なぜ給食の準備がいつも遅く改善の余地はないのかを探ったものだ。
 あまりに学級新聞っぽいテーマに最初はピンとこなかったが、改善を促すための罰則の是非に話が及んだり、内容的には、なかなか面白い。まるで等身大の生徒たちが浮かび上がってくるようだった。私たちの紙面作りにも、ありのままの姿、等身大の何かが浮かび上がるような工夫が必要と教えられた気がした。
 そういえばスポーツ特集面では、大会成績にかかわらず各中学校の部活のキャプテンにスポットを当てた企画に、読者から好評価を頂いたことがある。以来、いろんなバージョンでこの手法を試している。読み手の関心を引く紙面作りには、作り手の目線の自由、発想の柔軟さが欠かせないと改めて考えさせられた。
 ところで、能代山本の各校の皆さん。私たちと新聞作りや取材体験をしてみませんか。記者たちと一緒に学び合いましょう。

(2017.12.30 伊藤 仁)


 

見えない有権者

 

 一昨年のこの欄で、国政選挙や知事選のいち早い「当確」は、編集作業に携わる者にとって拍子抜けの感があると書いた。デスクを担当し6年半、今春の知事選、それまで各2回の衆院、参院選は開票作業開始直後の午後8時すぎ、遅くても8時30分ごろには「当確」が打たれた。
 各記者は全体記事、解説、「バンザイ」の様子、敗戦の弁などを書き上げ、デスクはそれらに見出しを付けてレイアウト、あとは市町村ごとの開票結果の表などを淡々と「埋めていく」ことになる。
 今秋、突如の衆院解散を受けた総選挙は、そういかなかった。秋田2区は大臣経験者の前職と新人候補が競り合い、情勢は混とんとした。県内の他の選挙区をはじめ、テレビは次々と「当確」を伝える。しかし、2区は順次発表される市町村の開票結果を計算しても激しい接戦で、記事や見出しを「両にらみ」しながら構成を考えた。
 「当確」が出たのは10時すぎ。久々の刻々とした選挙紙面作りだった。編集フロアにも緊張感が漂い、開票即時「当確」に慣れた若手・中堅記者にはいい経験となった。
 今回の選挙は、全国的に自民党が圧勝し、秋田2区でも終始、自民前職リードの見方で進んでいた。首相をはじめ大物が続々と応援入り、そのたびに大勢の有権者が集まった。組織型で、遊説には市町村長、県議が同行、盤石の態勢だった。
 一方の新人候補は、遊説しても応援に出る人は数えるほど。結果的に前職と互角の戦いとなったが、それを裏付ける「風」が吹いているとは感じなかった。
 運動最終日、本社前を通った前職の選挙カーに乗り込んだ県議は、「大館は人が出てこなかった」と苦戦を口にしていたが、言葉通り、大館市は新人が前職に3千票以上の差でトップの得票だった。
 選挙では支持を定めていない「浮動票」で左右されるといわれる。さらに、集会にも遊説にも出ない有権者は多い。集会や街頭演説に顔を出すのは全体からすれば一部だ。この「不動層」の、思いを託した一票が、今回の接戦につながったとみる。
 来年は市町長・議員選。立候補予定者は「人出」に一喜一憂せず、「見えない有権者」の心に届く訴えを。

(2017.12.29 池端 雅彦)


 

「正月」への繁忙

 

 一年を締めくくる記事が紙面を飾るようになる師走。新聞社の慌ただしさは一層増す。日々の取材、紙面制作の繁忙に加え、元日に出す「新年号」への作業が佳境を迎えるからだ。
 新聞各社の新年号は、ご存知の通り、郵便受けに入り切れないほどのボリュームで各家々へと配達される。本紙の場合、通常の1週間分に相当する量となる。これに、世の中が休み、原稿量が減る年明け直後の紙面をカバーする記事の取材もある。かなりハードではあるが、乗り切らなければ「正月は来ない」。
 「年中行事」「師走の風物詩」ともいえる、この特別な作業に着手するのに当たって編集局は、毎年11月に入ると、報道部と整理部による会議を開く。今年は10日に記者が一堂に会した。
 「2018年」は、干支(えと)が戌(いぬ)、平成が終わろうとし、明治維新から150年に当たり、冬季五輪も開かれる。藤里を除く3市町の首長と議会議員が改選期を迎え、白神山地は世界自然遺産登録25周年、新道の駅ふたついがオープンする予定だ。新年号の企画は、能代山本はもちろん、国内外の情勢、来る一年を見通した上で練り上げる。
 会議では、「1面をどう飾るか」──。この話し合いにいつも以上の時間を費やした。元日のトップ記事は、新聞社としての問題意識や、その年の方向性、やる気、覚悟が問われるだけに「こだわりたい」というのが記者の一致した気持ち。内容は明かせないが、紙面を楽しみにしていてほしい。
 ほかに選挙情勢、恒例の市民アンケート調査の結果、東部、南部、北部担当記者が各地域を掘り下げ取材した「ニュースの風」も。硬い記事ばかりだと正月気分に水をさすので、スポーツや子どもに光を当てた特集、ゆったりと楽しんでいただきたいクイズなど、硬軟織り交ぜてお届けする。
 クリスマスが終わり、巷(ちまた)には年越しムードが漂う。忙しく過ごした師走も残りわずか。編集局内はラストスパートに入った。最後まで緩むことなく一年の仕事を終えたい。「いい正月」のため。そして読者に喜ばれるように。

(2017.12.28 工藤 剛起)


 

移住・定住の本気度

 

 9月に県あきた未来創造移住・定住推進課が主催する移住相談員・定住サポーター養成研修会を取材する機会があり、多くのことを考えさせられた。
 講師は、徳島県佐那河内村職員で、移住交流支援を担当する安富圭司さん。同村は、空き家を利活用した地域による移住者の受け入れに実績があるという。講話の中で、空き家を活用するとはいっても所有者と借り手の調整など簡単でないこと、さらにそこに住む、移住するという「人」が関わるだけに難しいことを学べた。
 特に印象的だったのは、「実際に1人を受け入れるのに10カ月ぐらいかかる。この間が重要で、コミュニケーションを図ることで地域とのマッチングができる」という言葉。
 準備段階で移住希望者は不動産業者を介して空き家所有者と契約し、建築士に改修を依頼し、必要な場合は金融機関と融資交渉するなど、細かなステップを一つずつクリアする必要がある。村の行政支援センターも関わるが、あくまで主役は移住希望者。覚悟がないと「煩雑な準備の段階で(移住話が)自然消滅する」といい、逆にこの期間が移住者をスクリーニング(選別)する場になる。
 「移住者を選別する」という言葉は穏やかではないが、移住後の「定住」を重視して取り組むことで、本人にとっても地域にとっても望ましい結果を得られるのだと解釈した。行政と地域、移住希望者が一緒に煩雑な準備段階を共有することで、「本気の移住」が成功する、と。
 では秋田は、能代山本の移住・定住の現状はどうか。移住定住窓口を設置し、担当者を配置し、実際に移住につながったことも少なくないが、せっかく移住してもさまざまな事情でその地を離れるケースもある。あるいは、行政が採用した地域応援サポーターの何人が、任期終了後にもこの地にとどまっているだろうか。
 移住者を獲得することに満足するのではなく、その地への定着に重きを置くのが肝心ではないか。「移住」と「移住後の定住」。視点を少し変えるだけで、促進のためにできることがまだまだ多いことを示唆するようにも思う。具体的にどんなことができるのか、いま一度考えたい。

(2017.12.27 岡本 泰)


 

高齢者人口の減少

 

 人口減少といえば、若い人が出ていくから、生まれる子どもが少ないから、と考える。高齢化が進むといえば、高齢者が増えているからと考えがちだ。ところがどっこい、高齢者の人数も減っている、という新局面を迎えている。それを教えてくれたのは藤里町だが、藤里だけではない。「平成の大合併」のおかげで目立たないが。
 勤務する二ツ井支局は、旧二ツ井町と藤里町を担当する。いまさらとの指摘はあろうが、市町村合併前の8市町村の単位で、12、17、22、27年の国勢調査から65歳以上の人口を拾ってみた。
 17年は、12年比減となった市町村はなかった。22年は17年比で藤里37人減、八森15人減、二ツ井8人減。27年は22年に比べ二ツ井66人減、藤里42人減、八森15人減。団塊の世代が高齢者になり、2期連続でのマイナスは「高齢者人口が減る」という局面が現れたといっていいだろう。
 さらに75歳以上に限ると、22年は17年比で8市町村とも増加したが、27年は22年比で、藤里は28人、八森は20人それぞれ減少した。二ツ井は118人増なので、長寿化の一方で前期高齢者(65~74歳)が減ったことが分かる。
 65歳以上人口に戻ろう。合併の相手方を見ると、能代は22年比1045人増なので、現在の能代市にすると高齢者が増え続けている状況に変わりはなく、二ツ井のマイナス66は陰に隠れてしまう。峰浜は22年が7人増、27年は122人増で、八峰町としては8人減、107人増となり、推移を見たい。4市町の中で、人口減少の新局面を迎えているのは藤里が唯一、となる。
 3市町は「まだ関係ない」と言うだろうか。旧市町村は新市町を構成する地域。一つの自治体として溶け合うことと、その地域の実情に即することは、相反するものではない。差異が生じているのなら、なおのこと、一つひとつをつぶさに見る必要がある。と、思う。
 ちなみに、27年国調の高齢化率。合併前の全県69市町村中、3位二ツ井44・7%、5位藤里43・6%、7位八森41・9%、8位琴丘41・8%、13位峰浜41・4%、20位山本40・4%、36位八竜36・9%、42位能代36・5%。1位は阿仁町52・2%であった。

(2017.12.26 渡部 祐木子)


 

市議にもっと注目を

 

 来年の新年号で報じる恒例の「市民アンケート」の集計・執筆の真っただ中にいる。今回は549人の方から回答をいただいた。この欄を借りて感謝申し上げるとともに、そんな作業の中で引っ掛かったことを今年の「メモ」のお題に。
 というのも「市議会議員の仕事ぶりの評価」の設問で、「仕事が見えない」「何をやっているか分からない」と書く人の多いこと。しかし、市議たちは仕事をしていないどころか、市民生活に密着した大変重い仕事を担っている、と言えます。
 一番の仕事は、議会への出席。市議たちは今年、3、6、9、12月の4回、通算79日間(休会日を含む)開かれた定例会に臨み、市長から提出された議案の審議や、議員に認められた「一般質問」という発言の機会を行使し、市長・教育長と直接、能代の将来をめぐって政策論議を戦わせました。
 そして市議には、市長にもない力が一つ。それが「議決権」であり、市長はどんな事業、政策を進めるにも、議会を通らなければできません。この1年で市議会は115本もの当局提出議案を精査し、全会一致または賛成多数で全て認めるという判断をしました。
 今年1月に供用した新庁舎など総額49億円をかけた庁舎整備事業、現在建設中の新しい道の駅ふたついのほか、長年市民の心を二分した東能代への「イオン」進出も、9月議会で関連予算案を議員の多数が「よし」としたから今があります。能代の明日を決める、それが市議の仕事です。
 市議会には今年2月、超会派で議会改革を話し合う「検討会」が設置され、検討会からの提案をきっかけに来春の市議選の定数の在り方を全会派で協議する場や、議会基本条例を策定する特別委員会の設置が実現。現在は政務活動費の透明性確保などを議論のテーマに据える。これらはまさに、アンケートの回答にあるような議会・議員に対する「不信」を払しょくせんがために進められている。
 自ら変わろうとする議会に、われわれ有権者は敏感でありたい。来春以降の市議会は現行より定数が2減ることが決まり、議員の仕事はより重みを増す。能代の明日の行方は、市民の皆さんの1票1票が鍵を握っています。

(2017.12.25 平川 貢)


 

マイナンバー奥深く

 

 曲にまつわるエピソードをいろんな世代に語ってもらう本紙企画「思い出のマイナンバー(私の一曲)」が、昨年元日の開始から今月で丸2年を迎えた。能代山本の約30人にインタビューしてきたが、世相を反映した味のある話が多く、あらがいがたく魅了された。
 マイナンバー制度導入にかこつけて始めた企画で、毎月第2木曜日のバラエティー面に掲載してきた。一つの曲を介することで心のガードが下がり、初対面の人でも深い話をしてくれた。記憶をたどって話すうち意識の底に沈んでいた感情が頭をもたげ、涙を流す人がいた。家族も知らないドラマを語ってくれる人もいた。これぞ音楽の魔力なり。
 話を聞いたのは10代から80代の男女。内容は都会生活の寄る辺なさ、密かに抱く恋心、心無い差別、親の死、子どもの誕生など千差万別。曲のジャンルも歌謡曲、演歌、賛美歌など多様だった。
 取材に際して、美談などの固定化された図式をできるだけ外そうと心掛けた。困難があっても、周囲の愛に助けられてハッピーエンドを迎える─。多分世界はそんな風には動いていない。灰色の部分のない世界などどこにもない。自分の卑小さやエゴ、周囲の無関心、世の中の理不尽さにうんざりすることだって当然あるのだから。
 語られる話の一つひとつは、必ずしも金ぴかに飾り立てられたものではなかったが、ゴツゴツとして確かな手触りがあった。喜びや悔恨があり、矛盾やジレンマがあった。いわく言い難い微妙な話もあった。
 原稿を仕上げてから本人に掲載を断られたこともあった。思いも寄らないショッキングな体験談や、世界規模のスケールの大きな話だっただけに、ボツにするのは身を切られる思いがした。逆に赤裸々な告白に「本人の生活に影響が及ぶのでは」と心配になり、活字にするのを〝自主規制〟したこともある。
 新聞では通常特別な人を紹介するが、マイナンバー企画の登場人物は皆この地域でごく普通に暮らす人たちだ。それでも退屈と感じる話は一つもなかった。人間は奥が深いなと改めて感心させられた。取材に協力してくれた人々に心から感謝したい。

(2017.12.24 若狭 基)


 

地域に根差す熱意

 

 「紅(くれない)だ〜!」──。真夏の青空が広がる八峰町峰浜沼田のポンポコ山公園に、石川集落のメンバー5人によるコピーバンド「X─ISHIKAWA」の叫びが響いた。正直、コピーのレベルには期待していなかっただけに、息を切らしながらもハードロックナンバーを歌い、演奏し切ったメンバーの熱いパフォーマンスに度肝を抜かれた。思わず、携帯電話を取り出して動画を記録しておくほどに。
 8月下旬に開かれたポンポコ山音楽祭。髪を逆立てた厚化粧のXメンバーは、観客席から響く「パパー!」のかわいらしい声援に応える熱演を披露した。彼らは、石川地区駒踊りや地元の消防団、草野球でも中心的存在であるという。続いて登場したゆずのコピーバンド「ゆずシャーベット」も石川地区ゆかりの2人組。その豊かなハーモニーに聞きほれた。
 県内でもとりわけ少子高齢化や人口減が進む八峰町にあって、若者の活躍は元気を振りまいた。
 八森の岩館海岸では、農業と大工の同級生2人が今年も木製の休憩所を運営した。海の家で使われていた資材を再利用して昨年から開設しており、忙しい仕事の合間を縫って組み立てに玉の汗を流したのは「海岸に往時のにぎわいを取り戻したい」との思いからだ。
 かやぶき屋根の古民家が徐々に姿を消し、かつて「桃源郷」とうたわれた景観の維持が危ぶまれる峰浜水沢の手這坂集落では、家族3人で古民家に暮らす農業男性が、集落の保全を目的にNPO法人を立ち上げた。精力的に体験交流事業を企画しており、将来的には農家民宿の運営も視野に入れている。移住ツアーの企画運営などに奮闘してきた町の地域おこし協力隊員は、木工職人とものづくりユニットを組み、八森の空き事務所を簡易宿泊所に改修して観光客を呼び込むプロジェクトを始動させた。
 振り返れば、仲間とともに目の前の暮らしを前向きに楽しみ、ここで暮らしていくために新たな一歩を踏み出そうという気概を持った若者を、取材を通じて何人も見てきたと気付く。まだまだいるはずのそんな人たちを、来年も応援したいという思いを強くしている。 

(2017.12.23 菊地 健太郎)


 

チャンプに教え請う

 

 ここ数年、運動不足を解消したくて簡単な筋力トレーニングを日課としている。夏から、有酸素運動の効果を期待できるシャドーボクシングもメニューに加えた。
 へっぴり腰から繰り出される拙い「ワン、ツー」に家族はあきれ顏だが、一つだけ自慢がある。それは、手ほどきしてくれたのが三種町出身の世界ボクシング評議会(WBC)スーパーフェザー級元王者、三浦隆司さん(33)であること。
 三浦さんがボクシングの本場米国での初リングに立った27年から取材を担当し、世界タイトル戦後の帰郷時などに何度かインタビューできた。「シャドーボクシングで体を鍛えたい」と考えるようになったのも、三浦さんのひたむきさと実直な人柄にひかれ、ファンになったからだ。
 今年7月、3度目となる米国のリングで王座返り咲きがかなわず、現役引退を表明した三浦さんを翌月の帰郷中に取材し、14年間のプロボクサー人生への思いを聞いた。
 ボクシングと真正面から向き合い続けた日々を振り返る表情には「夢に命を懸け、力を尽くし切った男」がにじませる充実感と誇りがあった。熱さにほだされ、写真撮影を終えた後、「パンチの打ち方を教えてください」と口走ってしまった。
 唐突な申し出を奇異に感じただろう。三浦さんが一瞬浮かべたけげんそうな表情に、大きな後悔が襲った。世界王座を4度防衛、「ボンバーレフト」と称される左の強打で、本場米国のファンをも沸かせた孤高のボクサーに、何と間抜けなお願いをしたものか…。
 しかし、それは無用の心配だった。すっと立ち上がった三浦さんは「ジャブは速く。足の踏み出しに乗せるように」「ストレートは腰の回転で力が増す。体の軸を意識して」と丁寧に教えてくれた。指導(と思っているのは多分私だけ…)を反すうしながら、今もシャドーに励んでいる。
 三浦さんは来春、東京から家族とともに故郷に戻り、新たな人生を踏み出す。後援会や親族によると、本県のスポーツ振興に携わるという。世界の頂点に立った心の強さと誰に対しても誠実な人柄で、地域にたくさんのことを伝えてくれるはずだ。 

(2017.12.22 川尻 昭吾)


 

映画のロケ地

 

 服装は普通だったし、身長も高くはなかった。それでも、体全体から矜持(きょうじ)とオーラが漂っていた。武骨な髭(ひげ)の俳優、山田孝之さんが目の前にいた。
 11月に三種町などで撮影が行われた映画「デイアンドナイト」(来年公開予定)。主演は俳優の阿部進之介さんで、山田さんはプロデューサーとして裏方に徹している。
 同月2日に鹿角市で開かれた制作発表記者会見に加わったが、山田さんや報道各社の雰囲気に押され、質問できなかった。
 悔しくて、22日にホームの三種町で開かれた会見で奮起。プロデューサーの役割や作品への思い、ロケ中の美味(おい)しかった物を聞いた。山田さんは丁寧に応じ、住民ボランティアの炊き出しに「どんな大作映画より贅沢(ぜいたく)」という言葉を聞くことができた。
 ロケ現場も新鮮だった。緊張感が漂い、スタッフやキャストの真剣なまなざしに圧倒された。ボランティアやエキストラの住民も同じ気持ちを抱いたと思うし、撮影が無事終了したことには、町が事務局を務める制作支援実行委員会も安堵(あんど)していることだろう。
 しかし、全ての町民が、今回の映画制作の在り方を全面的に肯定しているわけではない。
 9月定例議会で、町は映画制作支援事業補助金550万円を計上した。スタッフの宿泊費などにも使われる予算で、議員から「税金を使うべきではない」と減額の修正動議が発議。ロケ地を巡る交流人口の増加など、町が期待する経済効果にも疑問の声が上がった。
 動議は否決され、補正予算案は可決。しかし、議員によると映画に金を掛けるより、クマのおりを買い足した方がよいとの声も聞かれたという。
 実行委は新年度、ロケ地マップ作りや俳優・斎藤工さんの移動映画館の誘致、制作関係者の学校でのワークショップなどに取り組む。また、映画のホームページからアクセスして町内の農産物を買えるようにする考えで、産直施設などと打ち合わせを進めている。
 映画をやって良かったかは、成果の有無で判断できる。「楽しかった」だけで終わらせることは想像したくない。一つずつ着実に、丁寧に進めることを願う。

(2017.12.21 山谷 俊平)


 

「えい、やぁ!」と

 

 実は用心深くて、人見知り。気の進まない取材に直面すると、幼少の頃の性格が突如として現れる。それでも仕事と割り切り、「えい、やぁ!」と飛び込む。振り返れば、これまで何度、この掛け声を心の中で叫んだか。
 気の進まない取材ではなくても、飛び込むことに躊躇(ちゅうちょ)することがある。例えば、今年の稲刈り。9月中旬から刈り取り作業が始まったものの、週末を中心に不安定な天気が続いた。農家はさぞかし、やきもきしただろう。
 そのような状況でのつかの間の晴れ間。車を走らせ、急いで田園地帯に向かうと、前日までシートが掛けられていたコンバインが縦横に動き回っている。
 コンバインに向かって大きく手を振る。「お疲れさまです!」。自分の存在には気付いてもらえているようだが、コンバインは止まらない。もう一度、手を振り、声を掛ける。コンバインは…止まらない。
 農家にとっても、この貴重な晴れ間を逃すわけにはいかないのだろう。取材に答える余裕なんてないのか。ここに立っていること自体が迷惑なのか。あらゆることを想像し、もう一度。声のトーンが明らかに最初よりも小さくなる。諦めて次を当たろうか──と思った矢先、コンバインのエンジンが止まった。
 こういう場合、躊躇していた時間を悔やみたくなるほど、要領を得ない質問にもほとんどの人が丁寧に答えてくれる。限られた時間の中でも現場の声に耳を傾けることで、今まで見えていなかった実情が浮かび上がる。
 農業は転換期を迎えている。行政による生産数量目標の配分が今年産で終了し、減反に伴う農家への直接支払い交付金も廃止される。主食用米の需要は年々減少し、県は拡大する業務用米への対応や海外市場の開拓、新品種のデビューなどに乗り出す方針だ。
 一方で、管内はJAあきた白神の「白神ねぎ」が3年連続で販売額10億円を突破。JA秋田やまもとではネギやミニトマトが急成長し、菌床シイタケも10億円産地に向けて歩みを進めるなど、明るい兆しもある。躊躇している場合ではないのだ。目まぐるしく変化する農業情勢に乗り遅れることがないよう、来年も勢いよく「えい、やぁ!」と飛び込みたい。


(2017.12.20 大柄 沙織)


 

100万人割った県人口

 

 11月上旬、所用で都内に出掛けた時のこと。乗り込んだタクシーの男性運転手が、私が手にしていたスーツケースを見て、「どこか地方からですか」と聞いてきた。「秋田からです」と答えると、50代とみられる運転手は「秋田と言えば、日本で最も人口減少が進んでいる県ですよね」と返してきた。
 本県の10月1日現在の人口は99万5374人。前年からの人口減少率は1・41%で、他の都道府県の先を行く。
 運転手はこうも言った。「私は鹿児島の離島の生まれ。東京に住んで30年以上経(た)ちます。地元に働き場所があればね…」と。
 県人口は4月1日現在で100万人を割った。本県の人口が100万人を下回るのは昭和5年以来、87年ぶり。ピークは昭和31年の約135万人だったが、若年層の県外流出などを背景に、人口減少に歯止めがかからないのが実情だ。
 県政記者会に所属している身であり、常日頃、佐竹敬久知事の言動は意識している。
 「100万人を割るのは長い年月のさまざまな原因があろうとも、為政者として忸怩(じくじ)たる思いがある」。県外への進学や就職などで社会減が増える春、佐竹知事はそう話した。
 県は、産業振興による雇用の創出や移住・定住の促進といった施策を展開するが、減少の一途をたどる流れを食い止めることは容易ではない。
 佐竹知事が県人口の大台割り込みにあたり、「為政者」という言葉を持ち出して自らの感情を表現したのは、県政を担う責任の大きさを物語る。だが、佐竹知事は県職員から県都・秋田市の市長2期を経て、今春の知事選で3選を果たした、言わば“行政のプロ”だ。その知事からの「長い年月のさまざまな原因があろうとも…」という発言には、どこか現実との隔たりを感じた。過去ではなく、目の前、そして先の時代と向き合った取り組みがどれだけ本腰を入れて展開されていたのか、とも思う。
 本県の人口減少は全国で周知の事実。しかし、この土地に根を張り、暮らす人がいるのは確かなことで、地域の活力維持に欠いてはならない存在だ。私たち住民の役割とは──。地域を思えば、考えは尽きない。


(2017.12.19 宮腰 友治)


 

小規模校、命運見詰め

 

 一つの区切りを迎える瞬間というのは、こんなに静かなものなのか。10月、能代市二ツ井町庁舎で開かれた市教育委員会定例会で、複式学級を有する小規模小学校5校の統合年度が示され承認された。保護者の意向を最優先に出された結論であり、異論もなく淡々と進んだ。5校の命運を会議室の端で見詰めていた。
 文科省による「公立小中学校の適正規模・適正配置等に関する手引き」(27年1月)をきっかけに始まった同市の統合をめぐる協議。5校が検討対象となり、鶴形、崇徳は31年4月に第五へ、朴瀬、竹生、常盤はその翌年4月に向能代へ統合することとなった。
 県教委がまとめた県内学校の新設・統廃合等のデータ(27年5月~28年5月)によると、17小学校、5中学校、3高校で統廃合が行われ、6小学校、3中学校、1高校を新設。25校がなくなり、10校に再編されるなどした。「適正規模」という名の下で、姿を消した学校の多さに唖然とした。
 複式学級の小学校が5校というのは、県内市町村で秋田市に並んで1番多い。学校林活動や特産品の製造・販売体験、奉仕活動や交流活動など、住民との距離感が近い小規模校ならではの学習環境は唯一無二の教育を生み出し、子どもたちの感性や自主性を磨いている。教職員の工夫や地域住民らの努力がそれを実現し、継続させてきた。
 統合方針と年度の目安が明らかになった後の第2回地域懇談会は、会場に多くの地域住民の姿があった。それが、統合年度は「保護者の意向を最優先に」となった3回目の懇談会は、保護者以外の住民の姿はごくわずかとなり、淡々と統合へと向けて意見交換する場となった。
 地域の学校として、子どもたちの教育活動に関わることを楽しみにし、生きがいとしてきた住民たちは、統合を受け入れることも子どもたちのためと納得したということなのだろうか。
 統合によって学区が広がることは、子どもたちがお互いの地区を知る機会にもなる。これまで小規模校を支えた住民の思いがおいてけぼりにならないような学習活動の在り方が、統合校でも築かれることを望む。

(2017.12.18佐藤 詩織)


 

敗戦を糧にして

 

 10月に福島県で開かれた第70回秋季東北地区高校野球大会。勝てば来春の全国選抜高校野球大会出場が有力となる準決勝の舞台に、「小さなエース」を擁する本県第1代表の能代松陽ナインが立った。能代勢初の〝センバツ〟出場なるか──。記者席でワクワク、ドキドキしながらプレーボールを待った。
 能代勢は能代と能代商が過去に夏の甲子園を経験しているが、春の甲子園を戦ったことはない。決勝進出、そしてセンバツ出場〝当確〟を懸けた一戦の相手は、甲子園常連校の福島第1代表・聖光学院。真っ向勝負を挑んだ能代松陽の中心に、エース左腕の佐藤開陸君(2年)がいた。
 初回から身長165㌢の体を大きく使って投じる渾身(こんしん)の一球が強打者ぞろいの聖光学院打線にことごとく打ち返され、3回までに0─8と大量リードを許した。
 いきなり劣勢に立たされたものの、マウンドで踏ん張り続けて4回以降は聖光学院のスコアボードに「0」を並べた。冷静かつ力強い投球を見せるエースの姿に、「もしかしたら…」という期待感を抱いた。
 2─8で迎えた最終回は、疲労から球速が落ちて本塁打2本を含む8失点。「体力がもう限界でした」と途中降板したが、打たれても打たれてもキャッチャーミットを目掛けて堂々と投げる姿勢に胸が熱くなった。

 甲子園常連校に2─16で敗れた直後、能代松陽ナインの表情には夏に向けた決意がにじみ、佐藤君は「チームを勝たせるため、ひと冬で磨きを掛けます」と前を向いた。
 23年夏の甲子園。能代商は快進撃でベスト16進出を成し遂げ、前年の甲子園初戦で鹿児島実に0─15の大敗を喫した悔しさを見事に晴らした。東北大会の準決勝での戦いぶりは、22年夏とだぶって見えた。
 「NOSHO」には敗戦を糧に成長する力があり、甲子園常連校とのレベルの差を痛感したナインはきっと強くなる。小さなエースも東北大会の悔しさを厳しい練習にぶつけ、大エースになってほしい。
 来月26日のセンバツ出場校選考委員会にいちるの望みを抱きつつ、来年の能代松陽の飛躍に期待したい。

(2017.12.17山田 直弥)


 

人生の大先輩に学ぶ

 

 9月の第30回全国健康福祉祭あきた大会(ねんりんピック秋田2017)に合わせ、県老人クラブ連合会が主管となって開催した「地域文化伝承館」。能代山本の老人クラブも参加したイベントであり、私は能代市老人クラブ連合会の取り組みを3月から9月にかけて何度か取材し、お年寄りの方々のパワフルさに驚かされた。
 地域文化伝承館は、お年寄りによる地域文化の伝承活動の実演や展示、体験などを行うイベントで、秋田市の秋田拠点センター・アルヴェで開催。能代市老連は、来場者に渡す記念品として県花であるフキノトウを和紙で制作したほか、細く裂いた古い布を横糸に使い、新しい縦糸と組み合わせて作品を作る技法「裂き織り」の作品展示と実演、創作舞踊のステージ発表などを行った。
 このうち、裂き織りの作品づくりは、活動拠点となる保坂福祉会館で女性会員たちが気合を入れて取り組んでいた。横糸を作る作業は、既に使わなくなった着物や反物を持ち寄り1枚1枚を手で裂いていくもので、私も少し体験したがこれがなかなか大変。次々と作業を進めていく女性会員のパワーに圧倒されるばかりだった。
 また、織り機は市老連や会員個人が所有しているもののほか、同市畠町の相澤屋から借り受け、織った後はミシンで着物の生地と縫い合わせるなど、それぞれの得意分野を生かして作業を進めた。2カ月半ほどかけ、ランチョンマットやハンドバッグ、タペストリーなど約30点を制作。完成品の取材の際に見た、会員たちの充実した表情が今でも印象に残る。
 イベント会場に足を運ぶことができなかったのは残念だが、ブース展示用の活動写真の中には私が裂き織り用の布を裂いている姿も収められ、イベントに参加した気分を少しだけ味わうことができた。さらに、市老連のブースが大盛況だったという話を後日聞かせてもらい、私自身もうれしい気持ちになった。
 お年寄りたちが一生懸命に取り組む姿からは「地域を盛り上げたい」という熱い思いが感じられ、取材をしていて楽しかった。人生の大先輩の力強さに負けないように、これからも頑張っていきたい。

(2017.12.16 小林 佑斗)


 

彼らの成長楽しみに

 

 春から中学野球を追い掛け、各大会で能代山本勢の快進撃を目の当たりにした。一つひとつのプレーに全力を注ぎ、結果に一喜一憂する選手たちに何度も胸を熱くさせられた。そんなわけで、今年の地元チームの歩みを改めて振り返りたい。
 八竜は俊足の主将を攻守の軸に据え、徹底した筋力トレーニングで戦力の底上げを図り、春季県大会決勝へ進出。21年ぶり2度目の優勝は果たせなかったが、堂々の準優勝に輝いた。
 夏季県大会準々決勝では、春の郡市代表決定戦で破った二ツ井と対戦。2点を追う終盤、1死二塁と流れは八竜に傾きかけていたが、わずかな焦りから走者が三本間で挟殺。塁上でうずくまったまましばらく動かなかった。「もし自分がアウトになっていなかったら」。敗戦後、無念そうに語る姿に勝負の世界の非情さを痛感した。
 一方の二ツ井は、サーキットトレーニングやランニングを中心とした練習メニューで体力面を鍛え上げ、鉄壁の守備を誇るチームを編成。中でもエース左腕の投げっぷりには圧倒された。
 今夏は市予選から県大会にかけて6試合47イニングを投げ、許した失点は2点のみ。鋭い直球と多彩な変化球を武器に、相手打者を次々と手玉に取っていく光景は爽快だった。最少失点で惜敗した準決勝の終了直後、悔し涙を浮かべるナインの中で1人毅然(きぜん)とした表情を浮かべていたのが忘れられない。
 好成績を残した両チームだが、3年生が引退してからは部員が9人に満たず、単独でチームが組めなくなったと聞いて驚いた。八竜は藤里と合同で、二ツ井は能代南から助っ人を借りて新人戦に臨んだものの、いずれも予選1回戦で敗退。練習環境や選手層の違いなど、さまざまな不利を短期間で跳ね返すことはやはり難しいようだ。
 とはいえ、選手個々の能力が決して低いものでないことは取材を通じて十分把握している。野球はチームスポーツだが、厳密に捉えれば個人プレーの積み重ねであり、試合の展開次第で勝機はあるといえよう。ひと冬越えて成長した彼らが来年どんな熱戦を見せてくれるのか、今から楽しみでならない。

(2017.12.15 佐藤 拓人)