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2018.記者メモ

2017.記者メモ

 

「ポツンと一軒」

 

 テレビ朝日系で毎週日曜日夜に放送される「ポツンと一軒家」の視聴率が上昇しているという。衛星写真から探し当てた一軒家を訪ねて、そこで暮らす理由、住んでいる人の生活を紹介するドキュメントタッチのバラエティー番組。
 つい引き込まれて見てしまうのは、孤独だろう、不便なはずだと思われるのに、しっかりとした人生観を持ってたくましく生きていることに対し、敬意を表せざるを得なくなり、「幸せとは何か」を考えさせられるからだ。
 その番組に8月、見知った顔が出ていてびっくり。能代市二ツ井町窓山の60代男性のNさんだった。窓山は二ツ井の種梅地区を北上して最も奥にあり、車で行くにはかなりきつい。藤里町の米田地区から入った方が便利。彼の家には10年ぐらい前に仲間と訪ね、バーベキューを楽しんだ。
 かつては3軒ほどの集落、訪ねた頃は里山再生を夢見る人がたまに別荘のように使っている以外、彼の家族だけで、長らく「ポツンと一軒」状態だった。山菜のミズが敷いたようにあって少し頂いてきたこと、蛍(ほたる)ショーに歓喜したことを思い出す。
 11月、紅葉見物に二ツ井地区の南の奥まった所に出掛けた。もはや人は住んでおらず廃屋だけの集落があった。32年前に取材に訪れた際、住民のほとんどがもてなしてくれた集落は10軒ほどあったのが空き家が目立ち、住宅地図で調べると住んでいるのは3軒だった。別の所には「ポツンと一軒」が。
 食事処(どころ)に先日行くと、隣の席は三種町のグループ。元気よく新年会を楽しんでいたが、「能代ごし、したのか」という言葉が聞こえてきた。隣の集落の話題になったようだが、そこに住む一人が近頃、能代市内に引っ越ししたらしく、そのことに驚き、「能代越し」と言って寂しさを表したらしい。
 その能代も旧市街地、農村部を問わず急速に空き家が増え、更地もあちこちに。
 さまざまな施策は打ち出されているが、出生数の回復は難しく、急速な人口減は待ったなしである。県全体も能代山本も。悲観せずにどう明日を生きていくのか、事業所も地域も覚悟を迫られた令和元年の年の瀬である。

(2019.12.31 八代 保)


 

 

「厳しさ」を疑う

 

 今年3月上旬に掲載した能代市の新年度当初予算案の検証記事に、市議OBから「見方が甘い。ミスリードじゃないか」と苦言をいただいた。現役時代も自治体財政に識見が高かったわが先生の指摘は、引退後も鋭さを少しも失っていなかった。
 総額272億7千万円の当初予算を市財政課は「実質的に緊縮型」と説明した。予算規模は前年度よりやや増えているのに、なぜ緊縮か、予算のどこが厳しいのかを解説した。
 記事の主なポイントは二つ。予算の編成にあたり、「市の貯金」である財政調整基金から14億7千万円を取り崩す「財調頼み」になっていること、そして借金返済額(公債費)が増えていること。新庁舎の返済が一気に膨らみ、道の駅ふたついの返済も控え、財布のひもをきつくせざるを得ないと分析した。
 これに対し、わが財政の先生は「財調基金の取り崩し額は、当初予算で大きくなったとしても、その後の補正で積み立てられ、決算ではそれなりに落ち着く。当初の大きさのみで、財政的に厳しさが増したと見るのは早計」と指摘した。
 33億円を超えた借金返済額は、4年後には38億円に膨らむ。広域圏組合の新ごみ処理場計画(事業費100億円)の負担も圧迫要因になるという見方にも、先生は冷静だった。
 新庁舎や道の駅は返済に有利な借金を活用し、減債基金にもしっかり積み立てている。公債費が増大し、負担感が増したように見えたとしても、それはあくまでも「通常予算の範囲内」。新ごみ処理場も、ある程度のやり繰りは想定済みなはずで、事業費の大きさに惑わされるべきでないとした。
 そして、財政的厳しさのアピールは、「財政運営に過度の緊張感を生み出しかねず、市民の間にも広がっていく。近年、市の説明には、何か意図的なものすら感じることがある」と。つまり、やろうとしないことの言い訳に、財政がなっていないかという視点を持て、という叱咤(しった)だった。
 確かに。先の12月議会では職員の給与と、職員、市長ら特別職、市議会議員の期末手当(ボーナス)の引き上げを決めた。「厳しい、厳しい」と言いながら、そういう金はあるのだから。

(2019.12.30 伊藤 仁)


 

平成の選挙

 

 5月1日の改元に向け、本紙は「能代山本平成史」を15回シリーズで連載した。構想では、終盤に「政治・選挙」を取り上げることにし、準備を進めた。紙面の都合でシリーズに加わることはなかったが、当時のメモを補完し、選挙の「平成史」を振り返ってみる。
 平成に能代山本で行われた市町村長選挙は49回あり、無投票当選は18回で、他はし烈な戦いが繰り広げられた。首長交代劇は、18年の合併に伴う選挙を含め17回(30年の八峰町は無投票)で、新人が現職を退け当選したケースは6回(3市町の合併首長選除く)あった。旧山本町で2回、旧二ツ井町、旧八竜町、旧峰浜村、三種町各1回だった。
 合併時の首長選は能代市が、旧市の市長に新人が挑み、三種は旧3町長の三つどもえ、八峰は旧町長と旧村長の一騎打ちと、激戦を展開した。
 私事だが、これらの首長交代劇の取材には立ち会えていなかった。平成の改元を大館で迎え、その後も延べ14年余りを鷹巣、秋田、大館勤務で過ごしていた。自ら取材した首長交代劇としては3年の鷹巣町長選、9年の県庁食糧費問題での現職辞任を受けた出直し知事選が印象深い。
 鷹巣町長選は、7選を目指す重鎮に、多選弊害を訴えた40代前半の新人が挑み、初当選を飾った。現職の組織型選挙に対し、草の根のうねりを感じた戦いだった。
 出直し知事選は、県庁刷新をと横手市長を辞した寺田典城氏と、内部からの県庁改革を唱える総務部次長だった佐竹敬久氏(現知事)ら4人が出馬、寺田氏が佐竹氏との事実上一騎打ちを制した。県政担当記者として、県民に渦巻いた県庁への「ノー」を痛感した結果だった。
 過去の選挙記事をめくり、投票率の高さに改めて目を見張った。山本郡町村の首長選は90%台が当たり前で、政争が激しいとされた南部3町では95%を超えたことも複数回あった。それが三種町となり、80%台、直近の30年は77・74%まで落ち込んだ。他自治体も投票率は低下が続く。要因には高齢化もあるだろうが、行政区が広がり、まちの政治への関心が薄れてしまったとすれば、合併がもたらした「負」の一面だ。

(2019.12.29 池端 雅彦)


 

能代発「文化財の行方」

 

 10月のある夜、国登録有形文化財の能代市議会議事堂に関する問い合わせの電話があった。福岡県のRKB毎日放送からで、新庁舎整備に伴い解体か、保存かで揺れた当時、私が取材を担当していたと知り、かけてきたのだという。
 同県では、大牟田市が同文化財の市庁舎本館を解体し、新庁舎を建設する方針。同市のホームページには、昭和11年に落成したこの建物は、「『近世式鉄筋コンクリート四階建』と呼ばれる様式で、中央に塔屋4階を配し、優美でモダン」「第二次世界大戦の戦火にも耐え、戦時中使用された高射銃の台座、防空監視哨、防火用水槽などが今も残されている」とある。
 「まちのシンボル」を解体する同市の方針に対し、市民や専門家は反発。保存、活用を求める市民団体の設立といった一連の動きは、議事堂をめぐるかつての能代市をほうふつとさせる。
 RKB毎日放送は、この問題に焦点を当てたドキュメンタリー番組を企画。11月、担当ディレクターとカメラマンの2人が取材で来能した。
 ディレクターの鑪(たたら)加奈さん(35)は、全国各地で貴重な近代建築が失われている現実を指摘。「行政が一度出した解体方針を変え、文化財が守られたケースは非常に珍しい」と、能代まで足を運んだ理由を語った。
 完成した25分の番組「市庁舎は83歳 ~登録文化財の行方~」は、今月22、23日に九州、沖縄の7県で放送された。
 後日、番組を見る機会に恵まれた。その中で、能代市は「市民の熱意が行政を動かした」として登場。「議事堂の存続・活用を求める市民の会」代表を務めた加賀繁さん(78)にインタビューし、「何とかして残したい」との強い思いを、署名活動や集会の様子などとともに紹介していた。
 鑪さんが視聴者に伝えたかったことの一つが「議論の大切さ」。近代建築の行く末をどうするのか、それは生み出した人間、今そこに住む市民に責任があり、「無関心にならず、自分たちで考え、意思を持ってほしい」と言う。
 大牟田市での議論で、能代の事例が少しでも参考になれば幸いである。

(2019.12.28 工藤 剛起)


 

山林への関心

 

 「古(いにしえ)の 人の植ゑけむ杉が枝に 霞(かすみ)たなびく 春は来ぬらし」。──昔の人が植えたであろうその杉の枝に、霞がたなびいている。春が来たらしい──。
 令和に元号が変わった今年、新元号の典拠となった日本最古の歌集・万葉集が注目された折、林業関係の会議で福原淳嗣大館市長があいさつの中で万葉集から冒頭の一首を紹介した。この作品は、万葉集が編まれた昔から日本人は杉を植えていたことを伝える。
 杉林が財産になる──と当て込んだ親世代以前の人々が各地に杉を植栽したものの、その後は手入れされた形跡もなく、痩せ細った杉が窮屈そうに立ち並ぶ林が各地に残る。せめて枝打ちぐらいしたらもっと成長するだろうに…と思う半面、何よりも重度の花粉症の身としては、杉が今のように多くなかった昔は花粉症もひどくなかっただろうし、うらやましいとも。
 と思いきや、冒頭の歌が示すように杉は昔から植栽されていた。建築材、家具材として、時には燃料材など用途に欠かなかっただろう杉は日本の歴史の中で最も身近な木の一つとされる。
 ところが今では天然秋田杉のような大径木ならまだしも、それほど大きくない杉は、林から搬出する労力に見合うほどの需要がない、需要がないから杉林への作業道も造られない、作業道がないから山の手入れもされず木が育たない──という負のスパイラルにあり、利用と再生産の循環が絶たれてしまっている。
 藤里町では、林地残材を搬出して収入につなげる木の駅事業が行われて一定の成果を生んでいるが、能代山本、秋田県全体で見れば、まだまだ足りていない。
 周知の通り、杉の断面を見ると赤身(心材)と白身(辺材)がある。赤身は成長した白身部分が活動を終えて死んでいる状態だが、上小阿仁村出身の漫画家・守村大氏は「新白河原人 ウーパ!」の中で、その特徴を「生と死が同居している」と表現した。山に囲まれるこの地に住む私たちとしては、山が痩せていては喜ばしくない。しかも杉に限らず、木の「生」を生かせるのは人間だけかもしれない。山への関心がもう少し高まることを願いたい。

(2019.12.27 岡本 泰)


 

「命の格差」

 

 原稿が説明くさく冗長になる悪癖は、いまだに直らない。大先輩記者に「くどいっ」と言われ、「ですよねー」と思い、簡潔明解明瞭を心掛けるものの。どうにも収まらず、サヨウナラした段落たち。その一つが「命の格差」。
 県医師会(小玉弘之会長)の「秋田県の医療グランドデザイン2040」は、「二次医療圏の再編による3次医療機能の配置」を提言する。小玉会長は「県北は、急性心筋梗塞の死亡率が他地域の2倍。命に直結する医療の地域間格差を解消する医療の均霑化(きんてんか)が必要との考えが背景にある」とその必要性を語った。
 急性心筋梗塞の死亡率(人口10万人対)は、県北は総じて高い。県衛生統計年鑑によると、近年の能代・山本2次医療圏の死亡率は、平成26年が51・1(県平均25・7)、27年が49・7(同22・8)、28年は46・9(同23・1)、29年は34・0(同20・0)。秋田周辺のうち秋田市は14・1~16・3、10を割る2次医療圏もある中で、全県1、2位の高さだ。
 提言では、2次医療圏は県内八つを三つに、県北は三つを一つに再編、県北と県南に救急や周産期医療など「3次医療機能」を配置し圏域内で完結するとうたう。急性期を集約化して患者がそこに集まるようにし、若い医師が経験を積めるという「魅力」を増やして定着を、との思惑もある。
 以上がカットしたパーツ。提言は、県北のどこに置くかは書いていない。ちなみに、県地域医療構想は大館・鹿角に「隣県を含めた他医療圏との広域的な連携体制の維持・強化を図りつつ、地域救命救急センターの設置を目指します」と書く。
 能代・山本2次医療圏内で完結できない疾患が急性心筋梗塞だそうで、死亡率の高さが「命の格差」を物語る。いずれ、県北は長らく三次救急の空白域だ。重篤で寸刻を争う事態を想定すれば、住民にとっても「魅力」だ。
 だが、しかし。2次医療圏内の「格差」が引っ掛かっている。例えば藤里町と八峰町は常在医0人。藤里は能代市内の総合病院まで路線バスで片道約2時間かかる地区もあり、市内に前泊する人もいるやに聞く。超高度な医療を唱えるのもいいが、身近な医療へのアクセスも容易でない状態を…ああ、また収まらない──

(2019.12.26 渡部 祐木子)


 

「イージス」の今後

 

 今月11日、政府が地上配備型迎撃ミサイルシステム「イージス・アショア」について、陸上自衛隊新屋演習場(秋田市)への配備計画を見直す方向で調整に入ったと複数のメディアが報じた。菅義偉官房長官はそうした事実はないと打ち消したが、報道の裏には必ずタネがある。本県における「イージス問題」は、大きな転換点を迎えたと言っていい。
 防衛省から新屋演習場がイージスの唯一の適地とする調査報告書が出されたのは5月下旬。思えばこの頃はまだ、県や地元秋田市は新屋配備に対し強い拒否感は打ち出しておらず、自らを国防の増強論者と公言する佐竹知事にはむしろ、是認の可能性を探っているような節さえあった。
 しかし直後に発覚した報告書データのずさんさや、地元説明会での同省職員の「居眠り」で状況は一変。参院選では、新屋配備反対を掲げた野党統一候補が自民現職に勝利した。演習場が住宅地に近いことへの懸念は与党の国会議員も指摘し始め、知事からは「新屋は無理がある」との発言が繰り返されるようになる中、菅官房長官は11月、「住宅地からの距離は重要な考慮要素」になると、新屋が候補地から真っ先に除外されかねない「条件」を口にした。
 冒頭の新屋見直し報道を含め、政府側はここに来てようやく、新屋配備断念への布石を打ち出したのだと思う。そこに追い込まれた最大の要因=ミスは、安全保障は国の専権事項と大上段に構え、不安を訴える住民の声と向き合おうとしなかった「地元軽視」の姿勢だ。決定打は、再調査はゼロベースで進めると言いつつ、「青森、山形の国有地は予備的位置付け」との同省審議官の正直過ぎる一言か。ずさんなのはデータだけでなかった、と言わざるを得ない。
 防衛省による再調査の結果は来春にも公表される見通し。対象は秋田、青森、山形の18の国有地と陸自弘前演習場の計19カ所で、能代市の風の松原も含まれるが、5月の報告書では全てを「配備不適」と結論付けている。
 ありきとまで言われた新屋を除外し、他を候補地に選ぶのか。その場合、最初の調査との整合性は。問題をめぐる動静を、引き続き注視していきたい。

(2019.12.25 平川 貢)


 

 

洋上風力の効果

 

 今年も洋上風力発電の説明会を何度も取材した。少し前までは参加者の姿はまばらだったが、最近は多くの人で会場が埋まるようになった。市民グループも発足し、景観や騒音、漁業への影響を懸念する声が大きくなってきた。市民感情も変わってきたように見える。 
 国は新法に基づき洋上風力の促進区域を年度内に指定する方針で、能代市・三種町・男鹿市沖はその前提となる有望区域に選ばれている。26日に2市1町沖の法定協議会が秋田市で開催予定で、議論の行方が注目される。
 洋上風力を推進する能代市は経済効果を強調するが、根拠が判然としない。定例議会で議員から経済効果を具体的数字で示すよう求められても「事業者が決まっていないので答えられない」の一点張り。だが、事業者が決まっている能代港の洋上風力計画は着工間近でも経済効果は公表されていない。
 事業者は間違いなく事業効果を試算している。市は事業者から説明を受けるなり、自ら試算したりできないものか。数字の独り歩きを恐れて公表を控えているのかもしれないが、型通りの役所的な対応ではないか。市民は経済効果が1億円なのか1千億円なのか分からない。例えば能代火力発電所の建設に比べ何倍の経済効果があるかなど示すことができればイメージが湧き、議論も深まるのではないか。
 洋上風力は先行事例がないためメリットを具体的に示しにくく、騒音などのデメリットにばかり焦点が当たっているように見える。だが反対の根拠も明確には言えないのが現状だ。風車近くの漁業者は「自治会役員でもあるが風車の影響で体調を悪くしたという話は聞いた事がない。反対派の人は住民に聞き実態を知ってほしい」と言う。ハタハタ漁でも稼いでいるが「漁業への影響は正直分からない。ただ洋上風力の話があったので能代港の整備構想が生まれた。地元が元気になるなら洋上風力もありでは」。
 能代山本は人口減少が進み疲弊している。本当に地元の将来を考えるなら、何もしないことこそがリスクになるいう発想も必要ではないか。未来を担う若い世代こそ、いま地元で起きている動きに敏感であってほしい。

(2019.12.24 若狭 基)


 

 

ふれあいで課題解消

 

 師走の三種町内を、タクシー同様に車の屋根の上に黄色い表示灯を載せたワゴン車が走っている。町が10月から8地区ごとに運行を始めた「ふれあいバス」だ。ハンドルを握っているのは地元のお父さんたち。自治体全域の交通網を確保するため、住民共助で有償運送を行う県内初の取り組みとして注目されている。
 利用者減少で路線バスの維持が厳しさを増す一方で、公共交通空白地域が全集落の3割に上るという課題に対応するため、町は公共交通の再編に踏み切った。4路線あった民間路線バスを能代︱八竜線に集約し、代わりに8地区ごとに住民団体などが運行を担うふれあいバスと、町内の主要施設を結ぶ巡回バスを平日運行している。
 ふれあいバスは地区によって1日に4~7便運行し、ドライバーには手当が出る。登録しているのは60~70代の町民43人(町職員を含め55人)。住民共助と言えば聞こえはいいが、交通網確保の大部分を町民に任せる大胆な発想。地域の公共交通に詳しい識者からは「無謀ではないか」との声も聞かれた。
 運転者講習を受けており、運転前にはアルコールチェックも行うとはいえ、安全運転に対する意識を徹底できるのか、利用者に対する接遇は…。そんな不安をよそに、ふれあいバスは地区によって利用状況に偏りはあるものの、まずは順調に走り出した。
 年金の足しになればと運転手を引き受けた浜口地区の男性(69)は「乗った人は必ずありがとうと言ってくれるから、こちらもどうもありがとうと返す」と話し、乗客との対話を楽しんでいる。「ステップが付いていない車両だと、這うようにしてようやく乗ることができるお年寄りもいる。気の毒だから踏み台を使って乗ってもらう」とも。
 各地区に担い手がいたからこそ走り出せた事業であり、この男性に限らず「地域貢献したい」という思いを持った住民が多いことに気付き、頼もしさを感じた。
 町の高齢化率は4月1日現在で42・1%。公共交通のニーズは今後さらに増す。雪道での運転にはくれぐれも気を付けながら、文字通りに触れ合いを運んでほしい。

(2019.12.23 菊地 健太郎)


 

地元で働く意義

 

 毎月1回掲載の「後継者の肖像」を担当し、30、40代の経営者や経済人の熱意、信念に触れて刺激を受けている。一方、取材するたび、商工業界の厳しい現状も実感する。企業の後継者たちが共通して頭を悩ませているのが「人材確保難」だ。
 ここ10年ほど、能代市内の高校を卒業して民間企業に就職した生徒のうち、地元を選んだ生徒は3~4割にとどまり、半分を超えた年はない。将来の担い手となるべき若い世代の流出をどう食い止めるか。業種を問わず、深刻な課題となっている。
 建設業のある男性後継者は「地域に必要とされる仕事であることをしっかりアピールしていかなければならない」と語った。能代山本で働く意義を共有できなければ、若い世代は会社に目を向けてくれない。そんな危機感がにじんだ。
 人材確保難に直面しているのは、本紙報道部も同様だ。そこで、この地域で記者として働くことの意義を、自分なりに挙げてみたい。毎日発行される紙面を使って地域のニュースを速く、正確に伝えることはもちろん、「その時々の能代山本の姿を記録に残すこと」も大切な役割だと考えている。
 新聞は、翌日になればニュースを伝える手段としては「過去のもの」になってしまうが、紙面に記された「記録」の蓄積は、能代山本という地域が将来に続いていく限り、必要とされ続けるものだと信じている。
 記者の仕事は、製造業や建設業のように形に残る「モノ」を生み出すことはできないかもしれない。さまざまな業種の企業後継者を取材する中で、インフラ整備やモノづくりなど、それぞれの仕事を熱っぽく語る彼らの姿がまぶしく映ることもあった。
 ただ、その焼きもちにも似た感情が、この地域で記者として働く意義を改めて考えさせてくれたように思う。「あなたの仕事のやりがいは」と問われたなら、「愛着のある故郷の姿を1日1日紙面に刻むこの仕事は意味があるし、今まで以上に大切に感じている」と胸を張りたい。
 能代山本で暮らす中高生をはじめとした若い世代に、その思いが伝わるような仕事をしていきたい。

(2019.12.22 川尻 昭吾)


 

ネギの〝香り〟もっと

 

 ネギ483、キャベツ98、ミョウガ67──。パソコンの検索機能を使って調べた自分の記事と写真の数で、青果物の中ではネギが断トツで紙面に取り上げられている。
 JAあきた白神の「白神ねぎ」の販売額は毎年10億円を超え、JA秋田やまもとも2億円。他の品目が高齢化で縮小する中、ネギだけは順調に拡大しており、デスクから「ネギの話題が多過ぎないか」と言われつつ、「秋冬物の出荷ピーク」や「販売額10億円突破」などさまざまな記事を出稿。農福連携も園芸団地化も議論の中心はネギで、ネギ花火の打ち上げやマスコットキャラ・白神ねぎのんのデビューもあった。
 取材時にネギを頂く機会もあり、「1箱丸々」のときは歓喜。秋冬ネギの甘さと、とろける食感は感動的で、みそ汁に入れたりジャッと炒めたり白だしで漬けたり。余裕で1箱食べ切った。
 ただ、10億円を超える品目のわりに、もったいない気もしている。白神ねぎやねぎ課を有する能代市で、「ネギの香り」があまり感じられないからだ。
 実際の“ネギ臭”の話ではなく、特産ということをPRし切れているかということ。「ネギ」という文字を見ることが少なく、ネギを生かした商品開発も一部。同JAがラー油や生ふりかけ、ねぎっこ村がネギパウダーのソフトクリームを販売しているが、「白神ねぎ鍋」「ネギせんべい」「ネギ大福」「ねぎカクテル」など、さまざまな試行錯誤があってほしい。観光客が普段から収穫体験できる圃場があっても良い。
 大館市では関係機関が研究会を組織し、「えだまめのまち大館」としてSNS(インターネット交流サイト)での情報発信や収穫体験イベントの開催に取り組む一方で、市内菓子店が枝豆スイーツを開発・販売したり、飲食店がお通しに枝豆を出すフェアを行ったりと民間の動きも活発。担当者は「市やJA単体だと動きが鈍くなる。PRする組織があるからこそ取り組みができる」と話す。
 同市の枝豆の昨年度販売額は2億円余り。当方のネギの方がずっと多い。JA頼みではなく、飲食や観光、商業の各団体やねぎ課など、官民の連携で〝ネギかまり〟を強めたい。

(2019.12.21 山谷 俊平)


 

商店街の挑戦

 

 シリアルコーンの上にソフトクリームが乗った「ミュクレ」が大好きだった。二ツ井駅通りの宝来町(三千刈)にいとくがあった頃、3階にはファミリーレストランがあった。斜め向かいにはCDショップ、少し歩けば、文具店。確かパン屋もあったはず。当時の面影が徐々に薄れてゆく街並みに、年々寂しさを感じざるを得ない。
 それは二ツ井地域に限ったことではなく、能代市中心部でも三種町でも八峰町でも藤里町でも同じこと。人口減少と超高齢化社会の中、地方の衰退はこの国の課題だ。
 そのような中、今年は二ツ井地域の商店街に明るい兆しの見える出来事が多かったように思う。
 7月には生鮮食品を販売する商店が移転リニューアルし、初日は600人を超える買い物客が足を運んだ。10月は空き店舗の一角に犬のトリミングサロンがオープン。12月には同町飛根の男性が軽トラックの移動スーパーを開業した。
 このうち、生鮮食品を販売する商店は1人暮らし世帯の増加を受け、手作りの総菜を始めた。移動スーパーの男性も対面販売の強みを生かして高齢者の見守り活動を行っている。商品の販売に留まらず、地域の実情やニーズに即したサービスは、今や不可欠なことだと改めて実感した。
 商店街のにぎわい創出も諦めてはいない。地元商店会が秋田よしもとの協力を得て、初めてお笑いライブを開催。また、町商工会は、年間100万人超が訪れる「道の駅ふたつい」の立ち寄り客を1%でも商店街に回遊させようと検討を重ねており、年度内にも具体的な取り組みに着手する方針だ。
 二ツ井今泉道路の区間に建設される小繋トンネルの工事が本格化し、いよいよ日本海沿岸東北自動車道の開通が見えてきた。数年後には人とモノの動きが大きく変わり、二ツ井地域の景色は様変わりするかもしれない。
 住民の生活を守りながらも、外からお金が入ってくる仕組みづくりは必須で、官民一体となった地域再生への本気度がこれまで以上に試される。
 かつての活気を知っているからこそ、商店街の挑戦や苦悩を丁寧に伝え続けていくのが地元紙の役目と背筋を伸ばす。

(2019.12.20 大柄 沙織)


 

豊かな海に感謝

 

 今の季節、ハタハタを味わうことに幸せを感じる。地元の海で地元の漁師が水揚げし、食卓に上がるハタハタは、やはり「県魚」だ。
 令和に向け、平成を振り返る企画では、ハタハタ漁にも焦点を当てた。昭和40年代に年間の漁獲量が2万㌧を超える豊漁の時代があったが、その後の漁獲量は年々減り、平成4年から3年間の自主禁漁に踏み切った本県漁業の苦渋の決断は今も語り継がれる。
 取材を通し、ハタハタは豊富な資源量があって多くの県民に親しまれてきたと実感するとともに、資源量の下支えには稚魚の生き残りが重要と改めて考えさせられた。
 9月に本県で初めて開催された全国豊かな海づくり大会・あきた大会に合わせ、八峰町内の漁師や加工業者からも話を聞かせてもらった。取材は時に漁船の中、漁協の一室などで、常に海の存在があった。
 東京都内での暮らしに区切りを付けて帰郷し、沖合底引き網船に乗った男性は操業開始当時、「こんなにも魚が獲れるのか」と資源に感心したという。船長となった現在は「魚が獲れるか、獲れないかは船長の腕に懸かっている」と日々観察力を養い、経験を積むことの大切さを胸に刻んでいた。
 海藻のアカモク(ギバサ)やハタハタ寿司(ずし)を製造・販売する一方で、夏場はアワビの素潜り漁に取り組む男性は「恵まれた水が海藻や魚介類の生育環境を支えている」と地元の山や川、そして海を誇りに思っていた。
 また、ギバサの増殖事業に携わる男性は「増殖事業をしたからと言って、目に見えてギバサは増えない。だが、今は将来につながる取り組みをしなければならない。可能な範囲で細くても長く続ける必要がある」と活動の意義を説き、次代を見詰めていた。
 平成30年調査の漁業センサスによると、能代山本の経営体(個人、団体)は120で、5年前から10減少した。漁業就業者が減少している実態が浮かび上がった。
 しかし、浜を訪ねると、地域の産業、食を支える人たちのたくましさに触れることができた。漁業を通して資源や自然環境、人の営みを感じた。今日も感謝して味わう。

(2019.12.19 宮腰 友治)


 

子育て、支えられ

 

 一昨年の冬に長男、今年の春に次男を出産した。2人分の産休、育休を続けて取り、今月約2年ぶりに復帰したばかり。また、よろしくお願いします。
 子育ての大変さは想像以上だった。授乳や離乳食、おむつ交換、お風呂、寝かしつけなど身の回りの世話に加え、昼はイヤイヤ期の2歳児と走り回り、夜も0歳児の夜泣き対応が続く。24時間子どもと一緒の生活で、体重は10㌔以上落ちた。
 保育園が決まった時、子どもと離れる寂しさはあったが、信頼できる保育のプロに任せ、常に小さな命を守らなければいけない重圧から解放されたことで肩の力が抜けた。
 こうした育児の大変さは、出産して子育てするまでは全くわからなかったし、以前は子育て分野の取材は苦手だった。乳幼児がいる親の話を聞いて想像はできても、気持ちに寄り添うことはできていなかったように思う。経験していないことも取材して記事にするのが仕事だが、親子が集う場ではどこか肩身が狭かった。
 そんな私が育休で得た最大の成果は、地域で子育てに奮闘するママや、子育て世代を支えてくれる人たちと仕事抜きでたくさん関われたことだ。
 乳幼児が集まる子育て支援センターの行事をはじめ、おやこ劇場や図書館のおはなし会、育児サークルや幼稚園・保育園の園開放と、とにかく子連れで参加できる行事があるとスケジュール帳に書き込んでは出掛けた。
 人見知りの私でもママ友と呼べる友達ができ、保育士やスタッフの方にも相談に乗ってもらった。「お座りがうまくできない」「まだ歩かない」など、周りに比べてわが子の成長がゆっくりに感じられた時、「うちも同じだよ」というママ友の言葉に救われ、先輩ママから薦められた育児グッズにも助けられた。
 取材する側からは見えなかった部分を実際に身を持って経験したことで、親の気持ちがわかるようになり、サポート制度の有り難さも実感している。
 子育てに正解はなく悩みは尽きないが、能代山本には気持ちを分かり合える人や場がある。子育てで悩んでいる人、これからママになる人に役立つ情報を発信し、読んでもらえる記事を書いていきたい。  

(2019.12.18 成田 結子)


 

ラグビー熱つなげて

 

 今秋のラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会で、日本代表が史上初の決勝トーナメント進出を果たし、ベスト8に入った。能代山本でも桜の戦士たちに声援を送り、新語・流行語大賞の年間大賞に輝いた「ONE TEAM」の活躍に興奮、感動した住民は多かったに違いない。
 1月の新年号で、能代山本の競技経験者3人によるラグビー談議を取り上げた。玄人ならではの視点でリズム良く展開される熱いトークは、〝展開ラグビー〟を得意とする早稲田大の選手たちも舌を巻くだろう。
 楽しく話を聞きながら、4年に1度のビッグイベントに向けた勉強もさせていただいた。ダンディーな皆さま、改めてありがとうございました。
 3月には、トップリーグ・NTTコミュニケーションズシャイニングアークスに入団した八峰町出身の齊藤剣選手(23)を紹介した。
 明治大4年で、能代山本出身者として初めて大学日本一を経験した齊藤選手を取材したいという願いがかなった。体格の良さはもちろん、はきはきとした口調にも驚かされた。2季目の開幕戦は、来年1月12日。今季も能代から応援します。
 W杯期間中の10月は、部員不足に悩む能代工高ラグビー部に〝助っ人〟で入部した、軟式野球部前主将の落合和真君(3年)を取材。落合君はW杯をテレビで見ながらルールや技術を学び、練習も熱心で、「部員が少なくて困っている友人のために」という思いに男気を感じた。残りわずかの高校生活を存分に楽しんでください。
 このほか、能代市二ツ井町出身で新日鉄釜石の黄金時代を築いた元日本代表の石山次郎さん(62)は、岩手県釜石市で行われたW杯の試合に尽力。能代山本では、元トップリーガーの大山大地さん(31)が母校の第四小で子どもたちに競技の魅力を伝えた。
 〝にわかファン〟も含めて人気は高まりを見せた一方、能代工への影響はどうだろう。3年生が引退し、部員はわずか3人に。能代山本は競技に親しむ機会が極めて少なく、底辺拡大は難しい。「われこそは」と思う在学生や中学3年生は、ぜひトライしてみてはいかがでしょうか。

(2019.12.17 山田 直弥)


 

自然災害に備えて

 

 令和元年を振り返ると、全国各地で自然災害が多かった。特に10月の台風19号は関東、甲信、東北などで甚大な被害をもたらし、能代山本ではけが人や建物への浸水などの被害こそなかったものの、事前の備えや有事の対応について改めて考えさせられた。
 台風19号の被害を受け、本県からは被災地の宮城県丸森町に緊急消防援助隊228人が派遣された。能代山本広域市町村圏組合消防本部からも第1次、2次派遣隊として計20人が現地に赴き、10月13日から17日にかけて住民の避難や行方不明者の捜索といった各種活動に当たった。
 私自身は被災地に赴いたわけではないが、帰還した隊員たちに現地の状況について取材した。道路の周囲が水に沈んでいたり、中州のような場所に取り残されていた住民を救助したこと、水が引いた後も泥があちこちに堆積していたことなど凄惨(せいさん)な状況を聞いた。写真も拝見させてもらい、被害の大きさを思い知らされた。
 また、逃げ遅れや避難を呼び掛けたのにもかかわらず自宅から離れない住民が目立ったという話もあった。災害時に命を守るためには事前の備えと情報確認、早めの行動が重要というが、自分が被害に遭うことはないだろうと油断していたのかもしれない。
 能代山本ではここ数年、人が亡くなるほどの大きな自然災害はないものの、この状況に慣れてしまうことで、油断につながってしまうのではないかと思う時がある。
 今回の台風19号もたまたま運が良かっただけで、隣県で甚大な被害が出ているのだから、いつ自分たちの身に振り掛かってきてもおかしくない。自主防災組織の立ち上げが進み、日頃から訓練や研修を重ねているとは思うが、この機会に有事の動きを改めて確認し、住民同士の協力態勢を整えてほしい。
 14日には落雷で能代山本の119番通報が不通となった。災害はいつ起きるか分からない。私も今回の台風を教訓として、ハザードマップによる危険箇所の確認、水や非常食の確保など事前の備えを徹底することを心掛け、万が一の時は自助・共助の精神を持って行動できるように気を引き締めていきたい。 

(2019.12.16 小林 佑斗)


 

学びやへの感謝

 

 4月から社会教育、文化分野に加え、学校教育も担当している。振り返ればこの9カ月で能代市内のほぼすべての小中学校と高校、支援学校を取材し、そのたびに子どもたちの笑顔に元気をもらいながら日々の仕事をこなしている。
 4月の始業式・入学式に始まり、運動会や総体、学校行事などさまざまな出来事を取り上げてきたが、特に心に残っているのは来年3月で閉校する同市朴瀬、竹生、常盤の3小学校の閉校記念式典。世話になった学びやへの感謝を伝え、これまで学んできたことを胸に新天地でも活躍する意気を見せる子どもたちのたくましさに胸が打たれた。
 各校の「児童代表のことば」を振り返ると、歌い親しんできた校歌の歌詞に触れて三熊健太君(朴瀬6年)は「僕たちに『誇り』と『力』、『恵み』、『望み』をくれた朴瀬小学校ありがとう」。大谷香乃さん(竹生同)は「新たな学校でも一生懸命頑張ります。地域の皆さん、これからも私たちを見守っていてください」と地域住民への感謝を伝えた。
 また、大倉悠君(常盤同)は「思いやりの心と地域の人たちの優しさを胸に、どんな困難でも乗り越えていきます」と〝常盤っ子〟としての誇りを示した。
 代表児童1人ひとりの言葉はもちろん、閉校記念アトラクションでの全校児童の熱演、記念碑除幕式で自然と校歌を口ずさんだ低学年の子どもたちの姿を通じて、自分が育った学校や地域を心の底から大好きであることが伝わってきた。「おらほの学校のために」「子どもたちは地域の宝。皆で育てよう」といった地域の人びとの優しさと教育活動への積極的な協力を長年にわたって続けてきたおかげだと思った。
 私も小学5年生の時に渟一小の閉校を経験した。いまだに忘れられないのは、当時在職していた先生方が作り、全校で披露した記念ソング「明日への宝物」。このうちサビの歌詞を紹介したい。「大切なものは 心の中で ずっとずっと宝物 たくさんの人の気持ちと たくさんの思い出に ありがとう」。
 子どもたちが学校の「宝物」や「思い出」を胸に、希望を持って新しい学校でも活躍されることを心から願う。 

(2019.12.15 藤田 侑樹)