下町ロケットのメッセージ

(10月31日)

 三度目の興奮と感動がやってきた。「下町ロケット」である。池井戸潤さんの直木賞受賞作品。
 ロケット開発にかかわった研究者が実験の失敗で退職、家業の町工場を継ぎ、独自技術でロケットエンジンの部品を開発するが、大企業から特許侵害で訴えられ倒産の危機に、そうした中で別の大企業から特許買い取りの話が舞い込むという物語だ。
 最初は5年前に単行本で読み、その後、BS放送のWOWOWの連続ドラマで見た。「その部品がなければロケットは飛ばない」──開発力と高品質を作る技術とプライドを持って、大企業の横暴や銀行の貸し渋りと戦い、会社が一丸となっていく展開は痛快でありホロリとさせた。そして困難に直面している中小企業に奮い立てよと教えた。
 それが地上波で再びドラマ化。ABS秋田放送が系列外のTBSの番組を1週間遅れで25日から日曜日午後に放送を始めた。主演は阿部寛、ナレーターは松平定知。いずれギャフンとなる銀行支店長に東国原英夫、融資課長に春風亭昇太を配したところが笑える。
 この小説・ドラマにはまったのは、夢と希望を運ぶ宇宙ロケットの技術開発に焦点が当てられているためであり、そこから能代市にある宇宙航空研究開発機構(JAXA)のロケット実験場に、さらに研究者や民間の技術者の「挑戦」に思いが及ぶからである。
 そしてロケット部品ではなくても、オンリーワンの高い技術を持つ町工場と呼ばれる中小企業があり、それは県内にも能代山本にも存在すると誇りたいのだ。機械金属や木材加工などの分野で。
 先日まとまった県の地方創生の創業戦略の施策・事業に「航空機産業の振興と専門人材の育成」が盛り込まれた。航空機の需要は今後、世界で2~3倍になるのを見込んでのこと。県内は無縁に思われがちだが、何社か航空機関連に取り組んでおり、能代市でもエンジン点検時のスタンドやギアの試験装置などを受注している会社があるそうだ。
 踏ん張っている地場の中小企業を応援する──「下町ロケット」のメッセージと受け止める。      (八)


政治家を「ちらつけね」と非難

(10月27日)

 久しぶりにテレビに現れた小渕優子・元産業経済大臣を見て、「ちらつけねニャー」と非難する人がいた。
 小渕氏の関連政治団体をめぐる政治資金規正法違反事件。不正支出が常態化させて虚偽記載したり、地元支持者向けの観劇会の収入を過少申告したりで、元秘書で群馬県内の町長と会計責任者が起訴された。自身は嫌疑不十分で不起訴に。
 テレビ報道は、小渕氏側が設置した第三者委員会が「監督責任は軽微でないものの法的責任はない」などとした調査報告を発表、それを受けて20日に記者会見したものだった。
 そこで、小渕氏は「二度とこうしたことがないよう努めたい。責任がないとは全く思っていない」と頭を下げ謝罪した。しかし、冒頭の彼女は気に入らなかったらしく、「チッ」と舌打ちするのではなく、「ちらちけね」と発した。
 それはなぜか。会計も報告書も秘書まかせ。私はなにも知らなかったのだから、監督責任はあるけれど、それほど厳しく断ぜられることはないはずという気持ちが、態度と言葉から透けて見えたためだろうか。
 それとも、親から「地盤、看板、鞄」の「三バン」を受け継いだ世襲議員は、皆がちやほやしてくれるお姫様、お嬢様でプライドの高さがうかがえたのか。「説明責任」を言いながら1年近くも公式の説明がなかったことに不誠実さを感じたのか。
 「ち(つ)らつけね」は、県教委の「秋田のことば」では、「厚かましい。『面(つら)付けない』。厚顔、無恥な人に対していう。人間としての顔を備えていないから厚かましく恥ずかしげもなく振る舞えるのだろうという考えに基づく言い方」とある。
 工藤泰二著の「読む方言辞典─能代山本編」では、「厚かましい、無作法」のほかに、戸松順蔵氏の「古山命脈」から引いて「面躾(つらしつけ)。常識がない・面の皮が厚い」を紹介している。
 面の皮が多少厚くなければ政治家は務まらないかもしれない。しかし、知らぬ存ぜぬで恥を恥とも思わず、ずうずうしい厚顔であってはならない。
 われらもまた「ちらちけね」と言われぬように。     (八)


 

 

「老いるマネー」の管理を

(10月23日)

 間もなく70歳になろうとする人と、80歳近い人の仲間が会話を弾ませていた。彼・彼女らは同じ趣味の団体に属しており、会の運営やらを話してるものだと思っていたが、聞こえてくるのは「お金」の話題で、「オイルマネー」なる言葉も出てきた。
 オイルマネーとは、中東の産油国が原油の輸出や採掘の利権などで蓄えた外貨のこと。それが、どうして能代の中高年の会話に出てくるのか不思議に思い、しきりに語る人に聞いた。「それって何だすか」と。
 経理や税務に詳しいその知人は「オイル(石油)じゃなくて、『老いる』。つまり『としょりのジェンコ(銭ッコ)』のことだぁ」とお年寄りの蓄えを言い表すと教えた。
 高齢者を狙った詐欺は後を絶たない。能代山本でも、母親に息子と名乗る男から、結婚している女性を妊娠させて示談金が必要だの、株の取引を失敗してその穴埋めに会社の金に手をつけただの、と電話が入り、百万円単位で振り込んで騙(だま)し取られる被害が発生している。
 さらに、よくよく考えればそんな儲(もう)け話はないはずなのに、いかにも利殖できそうな怪しい勧誘や、高額な健康食品の売り込みなどもある。
 そのグループは、なぜそんな騙(かた)りにはまってしまうのかの心理を探り、「わたしは絶対ない。だってお金がないから」など笑い飛ばしながらも、意外に資産のある人が多いことをうらやましく思っているようだった。
 知人は付け加えた。「老いるマネーは、管理が大事だ」と。
 老後の蓄えが多い人も少ない人も、今は元気でもやがて病気になったり、認知症になったりして、ひとり暮らしや夫婦の生活が立ち行かなくなり、判断力も衰えて財産の管理がままならなくなる。その時、どうするのか。トラブルにならないためにも、管理を代行する後見制度も含めて検討すべきだと指摘するのである。
 同時に、土地建物や固定資産税など税金についても、注意を払っておくことの必要性も説いた。多くのトラブルを見てきたからだろう。
 「老いるマネー」を駄洒落(だじゃれ)に済ませずに、深く考えたい。

(八) 


 

 

県内暴力団の勢力分布と能代

(10月17日)

 今年に入って、「能代にマル暴はいるのか」などと暴力団の存在の有無の質問を何度かされた。
 「さあ、どうだろう。暴対法もあるし景気も悪いから、しのがれないのでは」と「しのぎ」という収入源が細り、厳しい状況にあるとの推測を伝えたが、実態はよく分からない。指定暴力団が活動しているとの話はとんと聞かないし、一方で逮捕・検挙事案も最近はないからだ。
 4月。秋田県警は山口組弘道会幹部で秋田市の同会系金田組の会長や組長ら6人を逮捕した。繁華街の川反・大町地区で干支の置物を無理やり買わせた恐喝容疑で、排除作戦を開始した。
 全国的には、九州で市民を巻き込んだ銃撃事件を起こした工藤会のトップらが7月、上納金をめぐって極めて異例の脱税で摘発逮捕され、頂上作戦に本腰が入った。そして国内最大の山口組が9月に分裂、県内では秋田市で弘道会(名古屋市)系と離脱した山健組(神戸市)系の勢力が拮抗し、11日には小競り合いを起こし9人の逮捕となった。
 県内外の暴力団の動きに触れて、冒頭の彼らは能代はどうなのか気になったのだろう。かつて能代にも暴力団が一定の勢力を持ち、夜の街や市民の生活を脅かした。内部抗争に殺人、発砲などの事件が相次いだ。しかし、市民社会と警察の目の鋭さと法の厳しさで、地元の暴力団は衰退した。それでもなお不安がつきまとっているのかもしれない。
 暴力団壊滅秋田県民会議から先日、機関誌が届いた。そこに興味深い資料があった。県内暴力団の勢力分布(平成26年末現在)。
 県内の暴力団は10組織約160人で、前年比1組織約20人の減少。ピーク時の昭和45年は53組織約1100人だったそうで、隔世の感のある大幅減少。
 地区別では秋田市(山口組系5団体、極東会1団体)が全体の約65%の約95人で、残り65人が4市に把握され、活動していると報告している。能代は住吉会系、大館と男鹿は稲川会系、北秋田市は極東会系とある。
 少人数でも暴力団は能代に存在する。ただ指摘されているように見分けが難しくなっているのだろう。 (八)


 

 

曳家の思い出と弘前城の曳屋

(10月14日)

 家を持ち上げたり、そのままの状態で移動させたりする「揚家(あげや)・曵家(ひきや・屋)」になぜか興味がある。滅多に見る機会がない上に、その現場に遭遇すると職人の技に必ず感動するからである。
 始まりは小学校低学年だった。木橋が老朽化、通りを一つ西にコンクリート橋が架け替えられた頃、橋と同様に幼なじみの店舗兼住宅が100㍍ぐらい運ばれてきた。
 どうやって引っ張ったのかは記憶にないが、何人もの職人が丸太か何かのコロを使って動かしていた。近所の大勢が見物、珍しい光景にわくわくした。そうして家は動かせることを幼心に知った。
 実家はジャッキで上げられた。32年前の日本海中部地震の液状化現象で、家屋がたわんだ状態となり、基礎を直さなければならなかったためだ。土台と基礎を慎重に切り離し、架台を取り付け、工事が進んだが、やがて家全体が元にきっちり収まった。業者にしてみれば当然のことだろうが、その仕事ぶりに「さすが」と感嘆した。
 曳家は、土地区画整理や道路拡幅などの場合によく行われる。知人も家がその区域であったため、道路を挟んだ斜め向かいに家を移し一部改修した。「家を曳く」情報を得て、作業を見守ったが、手際よい移動に感心、その技術が引き継がれていることをうれしく思った。
 それから四半紀も見ていない。そんなだから、隣県青森で大規模な曳屋が行われていると知って、ぜひ見たいと計画を練った。
 国の重要文化財の弘前城。本丸の石垣が膨らんで天守の真下から石垣の一部を修復することになり、天守を約80㍍移動、仮の天守台に設置する。天守の重さは400㌧。
 弘前公園に到着して本丸を目指すと、いつもは目にする天守が消えていた。作業は順調に進んでいるようで西側にあった。この日は次の移動に向けジャッキアップの準備をしていたが、多くの見学客が展望デッキから、天守が厚い木と鉄鋼で持ち上げられたままの状態を間近に見て、歴史に残る大曳屋を目に焼き付けた。
 工事の見学は、その建築物をより身近にさせる。行政も業者も注目工事の場合は一考を。(八)


 

新米が酒の肴になって思う

(10月7日)

 酒の肴(さかな)が何にもなかったら、ご飯の一粒一粒に醤油(しょうゆ)を少し付けてつまむ。それでも十分いける─今は亡き先輩が教えてくれた。食通で知られた時代小説家の池波正太郎がそうした、と何かの本で読んだと付け加えて。通人は凄(すご)いと驚いた。
 居酒屋で仲間と懇談すると、店主が突然、炊飯ジャーをテーブル近くに持ってきて、茶碗(ちゃわん)に炊きたての米を少しずつ装った。店主の友人の自慢の新米で、ぜひ食べてほしいという。皆は「まま、がぁ」とおなかが張って酒が進まないことを懸念したが、せっかくのサービスであり、箸を付けた。
 つやつやと輝き、ふっくら、ほかほか。口に入れると粘りが。「んめ〜」の感嘆の声が相次いだ。
 ごはんのお供は、中辛の塩引きサケに、昔の味の筋子、それにチョウザメに比べて20分の1以下の価格の代用キャビア。三つに区切られた小皿が出てきて、全員に配られると思い気や、3人に一皿。3等分するとほんのわずかだが、それらのお供は、あきたこまちの旨(うま)さをさらに引き出し、「まま、もうさっとこ」とお代わりをしてしまうほど。そして、ビールにも酎ハイにも合うおかずとなった。
 結果、腹が満たされたが、逆にそれが飲み過ぎ、悪酔いを抑える役目に。池波正太郎の一粒のごはんが肴とはほど遠いが、米は酒の当てに成り得ることを改めて知った。
 新米の季節。米の秋田に暮らして、収穫の秋に浸れる喜びを感じる。だまこもちもきりたんぽも、そろそろ本格的に楽しみたい。
 けれども、とも思う。今年の作柄は「やや良」で、農協が農家に支払う概算金も昨年より高くはなったものの、地域の農業、秋田の米、あきたこまちの将来はどうなるのかと不安がつきまとうからだ。
 米のブランド開発と価格競争が激しさを増す。お隣青森は「青天の霹靂(へきれき)」なる新品種を大々的に売り込む。新潟は「新之助」、宮城は「ささ結(むすび)」。対して秋田は。そしてTPP(環太平洋連携協定)が5日に大筋合意し、米の無関税輸入枠拡大が決まった。やがてその影響は広がる。
 地域の農業に自分はどんな応援ができるのかを考える。(八)


 

増える?にんべなる人

(10月3日)

 後輩が「にんべなる、という方言を知ってるスカ」と聞いてきた。どんな場面で誰が言ったのかは忘れたが、しばらく前に聞いた。しかし、今は周りではほとんど使わないし、意味も分からないのだから、当然言葉として発することはない。
 建設関連業を営み、工事現場を回る彼によれば、例えばブロックを積み上げる場合にきれいになっていないで一部がずれたり、全体が微妙に曲がったりしたりすると、「にんべなる」と言うそうだ。正確・安全を期す業界用語だろうか。
 しかし、彼が足しげく通う居酒屋の60代の女主人が使う「にんべなる」は、多少意味合いが異なるらしい。客との会話がかみ合わなかったり、酔客が何を言おうとしているのか理解不能の場合に「にんべなるニャー」とぼやくという。
 それで、当方に質問してきたのである。調べると、県教委の「秋田のことば」も工藤泰二著「読む方言辞典─能代山本編」も「にんべなる=頭が痛くなる」と素っ気ない記述で、後者の辞典では使用地区に「檜山」と能代市桧山を示しているが、詳しくは分からなかった。
 工事現場できっちりとした仕事ができないことも、店に訳の分からない客がいることも、「頭が痛くなる」であり、「にんべなる」と言いたくなる気持ちは理解する。
 頭が痛くなるではなくて、頭を抱えたくなる状態に、「やめなる」と言う人が案外いるが、これは語源が「病になる」とはっきりしているが、「にんべなる」はどこから来たものだろうか。
 広辞苑で「にべ」を探すと、「鰾(にべ)=ニベ科の海産の硬骨魚」、さらに「「鰾膠(にべにかわ)=海魚ニベの浮き袋から製する膠」、その膠の粘着力が強さから転じて他人に親密感を与えるとして「鮸膠(にべ)=愛想。愛敬。世辞」とあった。その否定語として「鮸膠も無い=愛嬌(あいきょう)もない、愛想もない、とりつきようがない」も。
 「にんべなる」は、「にべもない」の類語と推察するがどうだろう。
 それにしても、この頃はあちらでもこちらでも頭が痛くなってしまう「にんべなる」や、思いやりのない「にべもない」が多過ぎではないか。(八)