県警幹部の天下りに違和感

(2月26日)

 有効期限切れが迫ったので、秋田市の運転免許センターに更新に行くと、講習の講師は若い頃に取材した退任警察官だった。能代山本で起きた交通事故の現場調査や処理をしていた姿を思い出した。
 無事故無違反の証しで、買い物などで割引の特典が得られるSDカードを、同じ建物にある自動車安全運転センターで求めると、事務所にも顔見知りの元警察官がいた。
 まるで警察OB村である。しかし、彼らが定年退職後に、運転免許にかかわる仕事に就くのは、経験を生かすことからしても適任と受け止めた。
 秋田市の商業ビルで「久しぶり」と声を掛けられた。県警本部の元部長で店内を見回っていた。いろいろな客がいてさまざまなトラブルがあるから、防犯・警備に彼の知識と指導力が求められたのだと思ったが、彼の先輩警察官も以前、定年後に勤めていたから、幹部順送りの天下り先の一つと思い知った。
 秋田県の警察官の退職後の働き口が、民間サラリーマンに比べて多いか少ないかは把握していないが、困りごとといった行政の各種相談機関、病院、生保・損保の支店などに迎え入れられた人もおり、案外多様かもしれない。それと交通安全協会のような警察関連団体の事務局もある。
 激務から解放されてゆっくりしたいと考えたのか、そのままリタイアした名刑事もいるが、本部の部長を歴任した幹部には、関連団体の専務理事などのポストが回ってくる。国の省庁、秋田県庁とも同じ幹部厚遇の天下りの構図にも見える。
 暴力団壊滅県民会議は、わが社も賛助会員の県警所管の第三セクター。その専務理事は刑事部長経験者らが歴代就いているが、副署長・署長時代に部下へパワーハラスメントを繰り返し、因果関係は認めるに至らないとの結論であるものの自殺者まで出て、昨年2月に本部長訓戒処分を受けて退職した元交通部長が新たになる見通しという。
 経緯と背景はまだ藪(やぶ)の中。県民会議の理事長は「再チャレンジと機会を与える」と言っているらしい。しかし、大きな違和感を覚える。推薦する組織と受ける本人に「なぜ」と問いたい。(八)


 

「したけし」とあきれられぬように

(2月22日)

 温厚で笑顔を絶やさない人が、「したけし、たものだ」と強い口調で話した。何でも抱えているトラブルに対し、知人がさも訳知りにあることないこと言い放っているらしく、それに憤慨して「したけし」を使ったのだ。
 先月の小欄「モラハラと方言の罵詈雑言」で登場した、妻に「ほいど」と言ってしまって少し悔やんだ先輩はぶっきらぼうで、「ひやみごき」「きだふり」「よくだがれ」など非難の言葉をよく使い、「したけし」も出てくる。しかし、穏やかな人柄で日常は標準語を使う方が多い彼からその言葉を聞くとは意外だった。よほどのことなのだろう。
 「したけし」は、「困った奴」のことを指すと理解するが、そればかりの意味ではないだろうし、語源はというと、浮かばなかった。そこで各種方言辞典を調べたが、「したけし」では一発で見つからなかった。
 「読む方言辞典・能代山本編」(工藤泰二著)には「した(っ)た=すた(廃)った。駄目になった・衰えた→『最低の』『困り者の』『とんでもない』の意に」があった。使用例は「シタタおどごつれできたもんだ」(とんでもない男をつれてきたもんだ)を紹介。
 さらに、「したりけ(きゃ)し=廃りけし、何もできない人、役に立たない人。廃りきった人を罵る言」も。「けし」については「…の性質をおびる」「…のさまである」の意を表す接尾語であるとの考察を付記している。
 県教委の「秋田のことば」では、「したれけねぁ、したれけし、しられしけねぁ」があり、「だらしない」の意味だとしている、「廃り甲斐がない」「廃り返し」が由来とみている。
 能代山本の場合、「だらしない」ではなく「最低な人」「困った奴」がぴんとくる。そして、「したり」の「り」が抜けた「したけし」が広がっていると思われる。付け加えると「したりばが=とんでもない大変なバカ」の言い方もある。
 何にしても、家庭で職場で地域で「したけし」と陰口をたたかれたり、あきれ返えられる人が少なくない。そうならないように日々反省したいものだが、さて。(八)

 


 

メダカ博士の企画展案内が届く

(2月17日)

 少年期にお世話になった県南に住む70代男性から手紙が届いた。開けると、名古屋大学博物館で17日から企画展「めだかの学校」が始まる案内パンフレットが入っていた。副題は「メダカ先生(山本時男)と名古屋大学のメダカ研究」。
 5月9日までの開催で、期間中は「山本時男備忘録と蓑虫山人」「宇宙を旅した日本のメダカ」などの特別講演会が5回、ほかにふるさとの四季を歌うコンサートやギャラリートークもあるというから、だいぶ力が入っているとの印象を抱いた。
 パンフの送り主は、「山本時男の生家は能代市富根にあります。能代生まれの『メダカ博士』の歩みを学ぶことも現代の子供達の教育指針にでもなればという思いがあります。秋田地方からその企画展に行くのは極めて難しいように思います。能代出身の世界的な研究者の企画展が催されることを記事にしてみてはと思い、資料を同封しました」と。
 富根出身の山本氏が「メダカ博士」と呼ばれたことは知っていたた。しかし、郷土が生んだ偉大な学者として小中高を通じて学んだ記憶はないし、記者生活をしていても紹介する取材の機会もなかったので、恥ずかしながら詳しい業績も人となりも語れるものはほとんどない。
 山本氏(1909〜1977年)は、東京帝大理学部動物学科を卒業、助手を経て、1942年に名古屋帝大の生物科創設時に赴任、メダカの研究と系統の確立などに没頭したという。メダカは世界中でさまざまな実験に用いられる「モデル生物」。それを使って生命現象の解明に取り組み、戦前から受精の研究を始め、性ホルモンによる性転換実験に世界で初めて成功するなどの成果を上げたそうだ。
 身近で、昔の子どもは誰もが飼ったメダカ。その研究が人類の生命にどのうに役立つかを、直接聞けたらどれほどの郷土の誇りであっただろうか。
 ふと思う。郷土の偉人の企画展示がもっとあってもいいのではないか、と。今年逝去した旧山本町出身の日本画家・信太金昌氏の作品、旧八森町出身で病原ウイルス研究の権威にして文化勲章受章者の日沼賴夫氏の業績を振り返りつつ。(八)

 


 

先輩が遺(のこ)した能代火力のコラム

(2月12日)

 再び東北電力能代石炭火力発電所3号機の建設について。今は亡き先輩記者が21年前に書いたコラムを思い出した。
 彼は能代火力の構想段階から1、2号機の建設・完成までを精力的に取材した。タイトルは『「すったもんだ」より「元気」』。その一部を紹介する。
              ◇  ◇  ◇
 建設工事費が1、2号機あわせて3000億円にのぼった能代火力。工事従事者は12月の2号機運転開始で、ほとんど能代を離れた。
 工事期間中、火力絡みの話題が事欠かなかった。「飲み代を踏み倒されて。請求したらその業者の雇用者に実在していないんだから」「○○の店の女性が能代からいなくなった。工事関係者と一緒に能代を離れたようだ」などなど。
 火力の恩恵に浴したところがある半面、営業活動もしないで「恩恵?そんなもの全くなかった」と吐き捨てる一部業者もいた。ことしの流行語ではないが、「すったもんだがいろいろありました」といったところ。
              ◇  ◇  ◇
 7年前に夜の社交場を畳んだ元ママさんの述懐は「火力の頃は本当に凄(すご)かった。毎日県外からのお客さんが来てくれた。いい時代だったね」と。華やかな中に、客を喜ばせる巧みな話術と接待。彼女を中心とした店全体の商売上手があった。
 しかし、先輩のコラムは、大勢の人がやってくればいろいろなことが起こり、また経済効果を期待しても、人の心をつかむ「お・も・て・な・し」がなければ寄りつかない現実を教える。
 それは、飲食業だけに限らない。さまざまな業種業態でチャンスをどう活かすかが問われる。20年も過ぎれば、「火力景気」を忘れがちであるが、過去に学び、良好な波及効果を地域に広げたいものだ。
 先輩は、プラントメーカーや工事業者から、能代の印象や提言も聞いていた。その中から一つ。「人口が多いか少ないかは二の次。そこに暮らしている人たちの表情が明るくはつらつとしているか、街に元気があるかどうかがポイント」。
 「元気な人」がいて「元気な街」であることが、火力効果を相乗させる。その準備はできるだろうか。(八) 
 


 

望郷の替え歌「能代平野」

(2月7日)

 4日夜の「のしろ飲み歩きフェス」で、居酒屋やスナックを5軒巡った知人グループは、飲み足りなかったか、「お楽しみはこれから」と勇んだのか、カラオケのある店に入って行った。何を歌っただろうか。
 わが友がいれば、こんな場合、吉幾三の『酒よ』だろう。〽ひとり酒手酌酒演歌を聞きながら/ホロリ酒そんな夜もたまにゃなぁいいさ…と情感を込めて歌い上げるはずだ。
 津軽の女性を歌っているのだから、五所川原市金木出身の吉幾三の作品とばかり思っていたが、実は違うと分かった新沼謙治がしっとりと歌う『津軽恋女』(作詞・久仁京介、作曲・大倉百人)は今の季節にぴったり。「津軽の海よ竜飛岬は吹雪に凍えるよ」から始まるが、次の繰り返しの部分が心にしみてくる。
 〽降り積もる雪雪雪また雪よ/津軽には七つの雪が降るとか/こな雪つぶ雪わた雪ざらめ雪/みず雪かた雪春待つ氷雪…。そろそろ「春待つ氷雪」になるのか、逆に寒波が戻って「つぶ雪」か。
 雪の歌といえば、角館美人の藤あや子の『雪深深』(作詞・石本美由起、作曲・桧原さとし)もいい。〽しんしんしん雪が降る降る/しんしんしんしん命が凍る…。別れた女の切ない思いが悲しく響く。「秋田の冬のご当地ソング」で十八番(おはこ)にしようとしてきたが、いまだに調子ぱずれ。
 吉幾三には『津軽平野』という名曲もある。出稼ぎの父を慕い、帰りを待ちわびる子の思いが切々と歌い綴られ、心に響く。この『津軽平野』の替え歌を作り、『能代平野』を口ずさむ人がいた。
 導入部の「津軽平野に雪降る頃はよ」を「能代平野」に、2番の「十三みなとは西風強くて」を「能代みなとは」に、3番は途中から終わりを「いつも七夕大きな声で/親父(おどう)唸(うな)って汽車から降りる/米代川よ見えたか親父」としている。
 能代市出身で福島県在住の70代男性。「高校を卒業してから50年以上、定年後10年以上。まさしく『光陰矢の如(ごと)し』であります。能代は今日も雪でしょうか…。望郷の念がますます強くなる昨今です」と添え書き。
 冬、雪。故郷を思う人がいる。たまにゃ帰えって、と願う。(八)
 


冬の風の松原を歩いて

(2月4日)

 近場での初心者向け登山に誘ってくれる後輩が、「冬の風の松原を歩いてみませんか」と誘ってきた。
 「風の松原」の散策は、メタボ解消にと数年前に早朝に行った。最初は毎日懸命であったが、やがて雨が降ったり、不節制で起きれなかったりで、おっくうになり、止(や)めてしまった。「継続は力なり」と周りに説いているのにである。
 「冬に歩く」─寒さなお厳しく、雪もあるのに「なんでなのぉ」とためらったが、新年に「健康第一」を誓ったのに、だらだらした生活を送って、雪かき以外に運動らしい運動をほとんどしていないと気付き、気分転換も兼ねてと誘いに乗った。
 前日の好天から、冬に逆戻りの日。もう1人の仲間と3人で防寒をばっちり決めて、ウオーキング開始。沿岸部の能代は雪が深くないので長靴スタイルで。いきなり犬ではない足跡を見つけた。ウサギだと後輩は説明。続いて小鳥がささやくように鳴き、林間に導いた。先輩は「あれはシジュウカラ」と。似たような野鳥にも出合ったが、それはヤマガラ、と。動物も鳥類も冬に懸命に生きていた。
 雪と黒松でモノクロームのような林は、息を呑むほどの美しさ。風が強くなっているのだろう潮騒の音も、樹木の揺れも大きくなってきたが、林間はひっそり。3人の雪を踏みしめる音が広がった。
 防火線の道から、林内へ。薮化(やぶか)が激しくなっているはずだが、今は雪に覆われすいすいと通り抜けられる。普段は歩かない所を進めるのも、冬のウオーキングの面白さと知った。
 体も次第にぽかぽか。1時間半、無理のない冬の戸外での健康づくりも、案外いいものだと思った。
 一方で、風の松原の現状に不安を抱いた。
 樹齢100年以上はある立派な太い黒松が何本も伐られていた。強風や雪の重みで倒木する恐れのある危険木だそうだが、やむを得ないとしても見るに忍びない。松くい虫の被害にあった黒松も相当数伐採され、さらに倒されるを待つ木にテープが巻かれていた。
 先人が遺した風の松原の冬の景色に見とれながら、課題の一つひとつの着実な解決を願った。(八)