耕治人の名作に能代の女性

(4月28日)

 耕治人という小説家で詩人と能代のかかわりを知っていますか、と東京に住む後輩から便りがあった。
 その人の詩に能代が出てきたそうだ。そこで全集を借りたところ、耕氏の夫人が能代市出身で、夫人との晩年を綴った小説「そうかもしれない」が映画化されていることを知った。その驚きを伝えてきたのだ。こちらも知らず。
 その詩とは昭和13年発行の第二詩集「水中の桑」に所収。
 「橋上の商売」では、「ここは東北の能代港/川幅広き米代川の/日本海に注ぐ河口近くに架せし/長き木造の橋なり…」とあり、男2人が鶏を売り買いする様子を描いている。最後には「濁りたる米代川の/異様にどす黒き日本海に注ぐあたりに/白き鋭き波立ちぬ/その波音は聞こえざれども/凄まじき濤声は/これ等二人の背後にせまり居るなり」。厳しい冬の商いの光景が迫ってくる。
 「田舎町での活動写真館で」では、年寄りや商人、労働者、子どもらが上映を待つ場面、窓を開けると梅雨時の濁った日本海と米代川の濁流の合う河口から波の音が聞こえてくることを表現している。
 能代に足を踏み入れなければ生まれなかった詩と受け止めた。
 耕氏(1906─1988年)は熊本県八代市出身。小説「一条の光」で読売文学賞、「この世に招かれてきた客」で平林たい子賞を受賞。妻のヨシさんは能代の清助町出身で、旧姓腰山。主婦之友社で知り合った。
 耕氏死去の年に刊行された「そうかもしれない」は2005年には雪村いづみ、桂春團治主演で映画化。レンタルビデオ店に手配したものの入らないとのことで、県立図書館から本を借りたが、高齢社会の今にこそ読むべき私小説と感じた。
 平穏な日々を過ごしてきた耕夫婦だが、妻に認知症が現れ、やがて夫にガンが見つかり、特別養護老人ホームと病院で暮らす。そこから夫婦愛を見つめ直す物語で、胸に迫るものがあった。
 「天井から降る哀しい音」「どんなご縁で」とともに『命終三部作』と評される。老いをテーマにした名作に、能代の女性がいたことを教えられ、深い感慨を覚えた。(八)


 

能代の〝清水寺〟と♡スポットの旅

(4月23日)

 後輩が2月に「高岩山に行ったことがありますか」と聞き、「ない」と答えると、「自分も。じゃあ春に」と誘った。
 高岩山は能代市二ツ井町の荷上場地区から北東奥で、山頂近くの高岩神社(標高約220㍍)は地元の信仰が厚いという。藤琴川の冷たい水で体を清めた若者が参拝する小正月行事「裸参り」が毎年話題で、そこから興味を覚えたらしい。
 駆け足の春。きみまち阪公園の桜見物も兼ねたハイキングが企画されたが、その「きみまち阪」は数年ぶり。もう一人参加の先輩は、20年以上も訪れたことがない。しかも互いに頂上に行ったことがなく、地域の名所をしっかり散策していないことに気付いた。
 総合観光センターの裏から入っていきなり道に迷った。後輩がスマートフォンのGPSで方向を探り、這(は)うようにようやくコースに出て頂上へ。そこで高岩山に詳しい地元の人と合流、薮(やぶ)化した接続道を経て参道に出て神社を目指した。
 途中、沼でサンショウウオの卵を見つけ少年に戻り、突然現れたミズバショウの群落の美しさにため息、息を止めて7回回ると願いが叶(かな)うという樹齢500年以上の七廻杉(ななまわりすぎ)を1回めぐって挫折、奇岩や巨石に驚いて、いよいよ神社へ。初めての3人組は「オオッー」と歓声を上げた。
 急坂に建ち、後ろに岩窟(がんくつ)のある神社は京都の清水寺にも似て、「ここにこんな神社が…」とつぶやき、長い間その存在を知ろうとしなかった不明を恥じた。参拝し、回廊からの眺望を楽しんで、再び「きみまち阪」へ。
 第三広場近くに若い桜がほぼ満開。その先には蛇行する米代川と山々。心洗われた。
 それからは「♡の旅」。完成したばかりの「きみまちの鐘」の♡をくぐって鳴らし、恋文神社に5円を投じて手を合わせた。わが周辺の独身男女のご縁を託して。
 「きみ恋カフェ」では、テラスの木製テーブルに♡があしらわれ、♡のカップのコーヒーと♡のクッキーがセット、カレーのニンジンも♡。中年オヤジは異口同音に「オーしょし(恥ずかしい)」で苦笑であったが、きみまち阪と恋文スポットを再発見した。(八)


 

お忘れなく、議員への厳しい目

(4月19日)

 大館市議選が19日に告示。定数28に現職23人、元職3人、新人11人の37人が立候補の予定で、激戦必至という。
 それで思い出した。しばらく前の印象があるが、去年4月20日の能代市議選。こちらは定数22に現職20人、元職1人、新人9人の争い。結果は現職15人、元職1人、新人6人の当選。若手新人が上位をほぼ独占、ベテラン現職が涙をのんだ。
 1年前の能代市議選、1週間前の県議選を振り返りながら、大館市議選も世代交代の波がどっと押し寄せるのだろうかと考えていたところ、気になる新書を見つけた。
 相川俊英著「トンデモ地方議員の問題」(ディスカヴァー携書)。この1年、号泣会見、セクハラ、謎の政務活動費など地方議員のあきれる不祥事が全国で起き、議員不信が生まれたが、地方自治ジャーナリストの相川さんは「仕事をしない」「仕事ができない」議員の実体を明らかにしつつ、議会改革や議会監視の好事例や新しい動きを示している。
 その中で、神奈川県の「相模原市議会を良くする会」という市議会の傍聴を続けている市民団体(会員70人)が議員1人ひとりの議会内外での活動をチェック、市民から見た評価を「議会通信簿」として公表していることを紹介。
 その通信簿の2011年版。最高88点で「優」の議員に対しては「ときに勇み足で災いを招いたが、手短で鋭い質問は傍聴者を喜ばせる」のコメント。最低に23点で「落第」を付けられた議員には「訥弁の質問に議場全体が笑気味。不勉強・無関心で会派は機能不全に」と。
 ほかに、78点「良」は「議員の資質に欠かせない財政に強い本格議員。希少価値的存在」、52点「可」は「会派に埋もれ、鳴かず飛ばずの議員で存在感薄まる一方。期待裏切る若手」、48点「不可」は「市長方針を全面支援するハコモノ指向・開発行政の旗振り役」などと手厳しい。
 はてさて、能代市議に1票を投じた人は1年経ってどのような採点をするだろう。期待通りか、ガッカリか、まだ定まらぬ─なのか。当選したばかりの県議は来年、どんな評価を受けるのか。住民の議員への目が厳しいことをお忘れなく。(八)


 

県議選能代山本に三つの感慨

(4月14日)

 県議選が終わって、感慨にふけった。能代山本に限ってではないが、ある法則が続いていること、地域対抗が強い場合に当選の図式があること、そして「一つの時代の終わり」を予感させることの三つである。
 山本郡と能代市が別であったのが合併を機に統合された選挙区事情、また人口減で絶対有権者が減っている点、低投票率化が毎回進んだことによる当選ラインの低下など、かつての県議選とは単純に比較できない複雑さが今はある。
 しかし、それをもってしても過去の法則は生きていた。「新人が激しい戦いをすれば、現職・ベテランが埋没する」。現職の2人は組織力があり、安定していると多くの有権者が見ていたが、議長の能登祐一氏はトップを狙えたはずが前回より1000票近く減らして2位に、4期目を狙った中田潤氏は最下位の落選となり、新人が3人躍り出た。
 合併前の旧山本郡の選挙(定数2)では東部(旧二ツ井町と藤里町)、南部(三種町=旧琴丘・山本・八竜)、北部(八峰町=旧八森・峰浜)から候補者がおり、地域対抗の色合いが濃かったが、有権者数の多い東部は指定席で、それに南部が続いた。北部が勝つ場合は候補者が集票力を持つ労組に強いか、会社を通じて影響力を有す場合であった。
 今回は、南部の佐藤信喜氏と東部の高橋武浩氏がそれぞれの地盤を固め、北部で確実に集票、旧能代で一定の浸透を果たしたことが勝因となり、旧能代の候補の苦戦・落選はその裏返しであった。そこには、旧山本郡から地域代表を何としても出したいという結束があったと見てとれる。
 旧能代地区の戦後の歴史を振り返れば、当選した薄井司氏に譲った宮腰誠氏の父も、能登氏、中田氏の父も県議であった。革新の「宮腰家」と、保守の「能登家」「中田家」が繋(つな)ぐように重なるように、ライバルのごとくあったが、その潮流が今回で変わった。
 能登氏、中田氏ともに68歳。選挙が終わったばかりで非礼と思いつつ、当落を分けた2人に後継はいるのだろうかと想像する。世代交代が明確となった選挙を振り返り、次の時代をも。(八)


 

いつの日か能代公園で大観桜会

(4月10日)

 日当たりの良い近所の裏庭のウメは、白梅が満開、紅梅は3分咲きとなった。別の無人の家では白木蓮(はくもくれん)が厚ぼったい花びらを広げそう。となれば、サクラの開花が近づく。例年よりも早くに。
 わが社の編集局員が8日、「能代公園、咲き始め」なるサクラ情報を見つけた。「ピンクの顔を出し始めました」とあるそうだ。だが、風は冷たく、まだ肌寒い。「いくら何でも早過ぎる」との声が上がり、若い記者が現地調査に出掛けて確認すると、ソメイヨシノは薄紅の蕾(つぼみ)を膨らませてはいるものの、ポッと咲いた木はなかったという。
 そのやりとりを聞いて、ロートルもサクラの状況を探ろうと、街を歩いた。
 能代公園のソメイヨシノは記者の報告通り。ただ、白梅の1本は咲き始め。また、関東能代会が持ち込んで先月植樹したサクラのうち、南側斜面の河津桜と枝垂れ桜は花を付けている。それらを見誤って、サクラ情報のフライングとなったものとみた。
 それにしてもと思った。関東能代会の活動である。能代公園では今年の場所だけではなく、時計塔のある一番高い場所にも枝垂れ桜を植えている。これまでで36本。東京五輪が開催される5年後までに100本を目指すと聞いた。
 「さくら基金」を設けてふるさとに植樹を続け今年で15年。能代公園のほかに、桧山や河戸川、常盤、大柄、市内小学校などにも植樹しており、通算約180本という。
 首都圏に住む能代市出身者にとって故郷を懐かしむ時、わが家の、地域の、学校の、公園のサクラに思い出が重なるのだろうか。そして、ふるさとが少しでも元気になってほしいとの願いが、サクラの植樹につながったと理解した。
 いつの日か、望郷の念の詰まったサクラは立派に花を咲かす。少しくたびれている能代公園の風景が華やかで風情あるものとなり、またイベントがなくなり露店も数店で往時のにぎわいが消えた「さくらまつり」も、再生するかもしれないと想像した。
 帰郷する出身者と観光客、地元の人々が車座になった、大観桜会が開かれることも夢見た。(八)


 

サクラマスを待ち焦がれる

(4月5日)

 昨年4月下旬、とある店。注文しないのに焼き魚が出てきた。ピンク色。軽く塩を振ったそれは脂が乗っていて春を感じさせる何とも言えぬ味であった。
 どう見ても、サクラマスであった。「どこの?」と聞くと、口をごにょごにょ。そして「去年、釣ったんだって」と話した。なじみの客か誰かが持ち込んだらしい。
 去年にしては新鮮過ぎる。しかし、米代川のサクラマスは3~5月は禁漁。とすれば、間違って釣れたのか、はたまた密漁なのか。焼き魚を提供する人は後ろめたさを感じ、箸を付けてしまった客も後味の悪さが残った。
 釣りが趣味の後輩は、「だあぁ、こんたごどあるスカ」と昨年まで毎年のようにぼやいていた。米代川のサクラマスが、上のピークで一番美味しい頃に禁漁となることであった。それで彼は、山形県鶴岡市の赤川に出向くのだが、釣り客の多さに驚くとともに、自らの釣果ゼロを嘆き、米代川での桜の時期の遊漁を願い続けた。
 米代川水系サクラマス協議会などの働き掛けが実って、今年はサクラマス遊漁の解禁が2カ月早まって4月1日となった。後輩は「本来あるべき姿に戻った。米代川は注目されて、全国からファンが集まるはず」と話した。
 しかし、初日は雨。2日目は晴れたが、その後は雨と雪代で増水、濁りもひどく、釣りどころではない状況。しばらくはお預けとなりそうである。
 かつて、30年以上も前の昭和50年代までは、能代の観桜の時期には、市民が待ち焦がれる料理があった。川(サクラマス)の塩焼き、シラヨの踊り食い、飯の煮付け、松露の煮付け。それに山菜のシーズンが重なり、ボンナ、シドケ、ワラビ。海、川、山の食材の豊かさが、花の季節と同様に一気にあふれていたのだ。
 しかし、米代川のシラヨは不漁続き、サクラマスも少量、風の松原の松露は幻のキノコとなり、名物は消えかかっている。復活はもはやないのだろうか。その策を求めたい。食による地域おこしになるのだから。
 「シラヨ食えるべが…」と話し掛けてきた知人に、「どんだすべが」と返すしかなかった。(八)


 

谷中で見つけた能代アンテナショップ

(4月1日)

 東京は桜が満開。テレビでは上野公園に人があふれ、外国人も大勢訪れていることを報じていた。それで、上野公園から少し北の谷中(やなか)霊園も「桜の名所」であることを思い出し、周辺もにぎわい、あの店にもお客さんが寄り、60代の女性店主はにこやかに応対しているだろうと想像した。
 台東区谷中は近隣の文京区根津(ねづ)、千駄木(せんだぎ)とともに下町情緒を残し、「谷根千(やねせん)」と呼ばれ、そぞろ歩きの人気スポット。中でも谷中にある商店街「谷中銀座」は、テレビの情報・グルメ番組にしばしば取り上げられ、観光客が引きも切らない。
 その商店街を1月の上京の折にぶらついた。近くに住む能代出身者が「谷根千」案内を買って出たが、気になる店があるというのだ。
 日暮里(にっぽり)駅から谷中銀座に下る坂「夕やけだんだん」は夕焼けの絶景スポット、飼い猫や野良猫が集まっているので「夕やけニャンニャン」とも言うそうだが、石段を降りたところにその店「たまる」があった。
 甘味を提供する休憩処(どころ)で、スイートポテトに胡麻(ごま)で包んだ「ちょんまげいも」(200円)が人気。白胡麻と黒胡麻の2種類で、江戸時代の男の髪の結い方の「ちょんまげ」に似ていることから名付けられたらしいが、今では谷中名物の一つ。
 店を訪ねると窓ガラスの張り紙に「おみやげメニュー」。「能代の酒っこ」「能代の古代米」「能代の味噌(みそ)っこ」「能代の片栗うどん」。他にギバサやいぶりがっこ。店内にそれらが並んでいた
 店の右側にさまざまなポスターやチラシを張った情報コーナー。そこに「秋田県 能代もたいしたえょ~」と手書きの張り紙。すぐそばに能代七夕、風の松原(春と冬)、きりたんぼ・だまこ鍋の写真が飾られていた。
 店主に「どうして能代?」と聞くと、「能代市出身だから。出戸本町。PRして応援しなくっちゃ」とカラカラと笑いながら教えてくれた。小川真子(まさこ)さん、旧姓佐藤。商売を始めて20年、谷中の今の店は8年目という。
 ふるさとから特産を仕入れて販売、観光情報も示す。誰に頼まれるでもなく郷土愛が生んだアンテナショップ。うれしくなった。また、寄ろう。(八)