「能代の張天」のある受賞

(8月29日)

 旧盆に親類を訪ね、畳の上で正座して厳かに仏前で手を合わせると、なぜか心が落ち着いた。床の間全体が醸す和の雰囲気がそうさせたのだと気付いた。
 ふと上を見ると、中央が木目紋様で、外側が通直な柾(まさ)目。「中杢(なかもく)」と呼ばれる張天井板が板と板の間に少し隙間を開けてきれいに並んでいた。
 同じような天井板をどこかで見たような気がして思い巡らすと、東北地方の温泉旅館の和室であった。部屋に着いてくつろいで、朝食後にゆっくり休んで、見上げた天井の模様や風合いを楽しみ、「能代で作られたものだろうか」と想像した記憶がよみがえった。
 木都と呼ばれたほど木材業が隆盛であった頃、能代は張天井板の一大生産地でもあった。特に親類宅にも温泉旅館で使われていた「目透(めす)かし張天井板」は全国市場を席巻した。
 そして、27年前の昭和63年、栄えある賞に輝いた。日本建築学会会長も務めた内田祥哉(よしちか)東大名誉教授の東大退官を記念して創設された内田賞の1回目で「目透かし張天井板の構法と開発」が選ばれたのである。
 東京で行われた顕彰式では、能代から送られた張天井板に受賞の赤いリボンが付けられ、内田教授はこう語った。
 「目透かし張天井板構法は、多くの関係者の知恵の集積によって完成された和風建築独特のオープンシステムで、この開発により竿縁(さおぶち)天井に代わる和風の天井が近代化社会の中で生産・流通できるようになった。わが国建築界に与えた恩恵は極めて大きいものと信ずる」。
 顕彰理由を記した資料には、張天業者だけではなく、長尺の突板製造機械や長尺合板を開発した業者の存在、輸送・流通のシステム化なども指摘、木都の総合的な技術と実績を評価している。
 能代の張天業界を牽引(けんいん)した大高多一氏が23日亡くなった。95歳。内田賞で大高氏は生産者を代表して「今後とも精進を重ね時代のニーズに応え、新しい製品づくりに励む」と受賞あいさつした。
 能代の木材業界は縮小化して、厳しい時代を漂う。しかし、英知と競争力で苦難を乗り越えてきたことを目透かし張天井板の歴史が教える。(八)


野球の夏、全国Vの朗報を待つ

(8月26日)

 栃木県の作新学院と聞いて、江川卓を思い出した。東京六大学の法政、プロ野球のジャイアンツで活躍した投手だが、昭和48年の高校3年時に甲子園に春夏出場し、怪物と呼ばれた快刀乱麻の三振奪取が今も焼き付く。
 テレビで見た記憶は残っていないが、江川の時代に、作新は昭和37年の史上初の甲子園春夏連覇を果たしたと知った。後にオリオンズで完全試合を遂げた八木沢荘六らを擁して。
 それらから作新に対しては高校野球の硬式の強豪校のイメージを強く抱いていた。しかし20年近く前、今は亡き能代の野球の審判から「軟式にも力を入れて、名門校だよ」と教えられた。その頃で既に「もう一つの甲子園」と呼ばれる全国大会で5回の優勝、平成7年には能代高校を決勝で下していたのだ。
 その作新と能代は時折、練習試合をしていると聞いていたが、それが今年、身近にあったのだから都合を付けて観戦すべきだったと今にして悔いる。
 能代高の創立90周年記念事業で6月19日、硬式と軟式の野球部の招待試合が行われた。軟式は三種町のことおかスカルパ球場で作新と羽黒(山形県)とリーグ戦。
 能代と作新との試合は、ともに5回に1点を挙げ、そのまま9回まで1─1で引き分け。どんな内容だったのかは本紙記事に詳細はないが、能代は清水、作新は福田といずれもエースが投げ抜いており、練習・交流試合にありがちな戦力の把握と調整というよりも、真っ向勝負だったと想像できる。
 紙面には「勝利を目指して声援を送る在校生」の写真説明で、立ってメガホンを振る笑顔の女生徒たちが載っている。好試合だったのだろう。
 兵庫県で熱戦が続く全国高校軟式野球選手権大会。能代はエース清水の力投と、少ないチャンスでの積極的な打撃で勝ち進み、準決勝では延長14回タイブレークの末に勝利をもぎ取り、決勝進出。その相手は3試合連続完封で勝ち上がった作新である。
 5年ぶり3回目を目指す能代に、6年ぶり9回目を狙う作新は手強いが、2015年に長く続いた能代勢の野球の夏に、全国制覇の朗報を待つ。  (八)


「げっぱな奴」と言われぬように

(8月23日)

  古希を迎えた人が「げっぱ、ってなして言わたが」と意外な質問をしてきた。
 「げっぱ」は「最下位、びり」を表す方言。運動会の徒競走の成績を聞かれ、一番遅ければ「げっぱ、だった」と小声で答え、競馬で狙った馬がびりけつに沈めば「げっぱ、かあ」と嘆く。ごく当たり前に使っているのだから、今さら語源を問われるとは想定外。
 県教委刊の「秋田のことば」によれば、「げっぱ=最後、びり」は北海道や青森、宮城、山形でも使い、群馬では「げっぴ」、徳島、愛媛では「けつべ」、「げっぽ」も全国分布しているそうだ。
 各種の秋田の方言辞典では語源に触れていないが、「どんじり」や「びりっけっつ」から推測するに、「尻」からきたものだろう。秋田では尻を「げっつ」もしくは「けっち」と言うのだから。
 ただし、古希の人のいう「げっぱ」は、運動会のびりを指すよう例ではなく、「あいつはげっぱだな」とののしる場合、あるいは己に対して「げっぱ、だあ」をあざ笑うように使う。つまり、むしゃくしゃ腹が立つ相手を「サイテー」と呼ぶ時に、自分がしでかしたまずい状態を「サイアク」と嘆く時に、「げっぱ」が何気なく出るのだ。
 「びり」を表す方言が「最低、最悪」に転じて使われるようになったと推測する。
 ところで、別の古希の人は、端から見れば自己責任の結果、厳しい事態を迎えた仲間を見て、たまにこうからかう。「あわれガッチャギ海の底」。
 ガッチャギは、方言辞典では「痔の一種」「肛門の病」「胃腸病」との説明だが、能代地方では昭和の時代、お腹の調子が悪く体がだるかったり、元気がなかったりした場合に、肛門から薬を入れる療法があった。また、市販されていた「のガッチャギの薬」の効能・効果には下痢、食あたり、吐き下し、くだり腹、軟便とあった。
 ただ、「失敗した時などに発する自嘲の言葉」の説明もあり、下痢が治らない状態が続く様から転じたものだろうか。
 「あわれ─海の底」は吐き捨ての言葉で意味はないそうだが、何にしても、最低、最悪を表す方言を言われないようしたいもの。(八)


 

当たり前になった「乾杯前の練習」

(8月19日)

 世話になった同業の仲間の転任が決まり、彼と後任者を交えて8人参加の歓送迎会を小洒落た和風の店で開いたとき。開会の午後6時半になって2人がまだ欠けていたが、彼は「とりあえず練習しましょうよ」と話し、飲み物を注文した。
 それで、こちらが音頭を取って「ひとまず、乾杯!」と。すると居合わせた皆が「カンパーイ」とグラスをカチン。生ビールをごくり、そしてお通しの枝豆をつまんだ。
 ようやく仕事が片付く部下が間もなく到着するのを待たずに、彼が飲もうと言い出したのは、蒸し暑い日で水分補給を急ぎたかったためか、時間を守れない奴には構っていられないと思ったためか。
 それも多少あるだろう。しかし、彼の仕事ぶりからして本来は慎み深く、いい加減なことをしないタイプで、全員がう前の飲み急ぎは似合わない。まして自分が主賓の送別会でもあり、控え目になるはず。それなのに「とりあえず」とは?。
 首都圏から酒の国・秋田に赴任して2年余。酒蔵の見学に歩き、多くの県人と付き合い、「東京にいた時より随分、飲みましたよ」と体重増を笑って話したことがあるから、左党が高じたのは事実だが、それよりもさまざまな酒宴で「乾杯の練習」に接し、それが気心の知れた仲間の宴席では「当然のこと」と身に付いたようだ。彼は東京の本社に戻って、秋田の「練習」を広めるだろうか。
 式典・懇談会の酒宴は予定のあらかたの人数が集まり、開会セレモニーを経て行うのがこれまでだった。ところがこのごろは、肩肘張らない集まりや町内行事、無尽講では、定刻になれば主役・来賓・長老がいてもいなくても練習と称してビールや酎ハイを飲み始めることが多くなり、「当たり前」状態にある。
 いつだったかテレビの「秘密のケンミンSHOW」のミニドラマで、秋田は宴会に皆が揃う前に飲み始める「練習」が風習というようなことを放送していたが、それが拡散してしまったのだろうか。あるいは時間に遅れても悪びれない「秋田時間」常習犯に反省を促す手段として定着したのか。
 いや、秋田県人はただの「早く一杯を」の飲み助なのだ。

(八)


 

宇宙エレベーターの夢、能代に

(8月13日)

 役七夕の「シャチ流し」の余韻に浸っていると、「よう」と声を掛けられた。少年時代に、何かと面倒をみてくれた先輩だった。
 首都圏に住む彼は去年、「天空の不夜城」の運行日に合わせて帰省したが、今年は同窓生との再会を楽しみにしながら、七つの灯籠が練り歩いた役七夕も見物したのだ。燃え尽きたシャチをじっと見詰めていた田楽の少年を指して、「俺もあんな頃があったなぁ」と懐かしそうに話した。
 てっきり、七夕の話を続けて振ってくるのかと思っていたところ、「能代はどうなるのか」とふるさとの明日・未来を聞いてきた。少子化・高齢化・地方の疲弊は何も秋田県、能代市に限らないが、年齢を重ね望郷の念が強まれば、心配は尽きないのだろう。
 現状はなかなか厳しく、元気創造も簡単ではないことを伝えると、彼は「能代は宇宙に関していろいろイベントがあって、夢があるよ」と話した。
 なるほど、昭和37年10月に東大生産技術研究所の付属施設として開設され、今は宇宙航空研究開発機構(JAXA)の能代ロケット実験場が日本の宇宙開発を下支えしてきた歴史を背景に、全国から集う大学生や高校生がロケット打ち上げ実験などを行う宇宙イベントが今年で11回目で13日から。1、2日にはモデルロケット1066機の打ち上げや宇宙科学セミナー、宇宙学校などを盛り込んだ「銀河フェスティバル」も開かれた。
 彼は「宇宙エレベーターにも関わりが出てくればいいのだが…」と続けた。宇宙にエレベーター?そんなのあり?と次々と疑問が湧いたが、地上と宇宙をケーブルでつなごうという研究があって、技術実証のチャレンジ大会が国内で開かれていることを紹介した。
 理論・仕組みの説明は簡単でないが、カーボンナノチューブという素材が日本で発見されたことで、爆発や墜落の危険を供なうロケットから、大気汚染のないエレベーターの可能性が広がったのだという。
 ヘリウム入りのバルーンを上げてケーブルを吊(つ)り下げ、昇降機が移動する広大な実験会場は、「宇宙のまち能代」にあるはずだ。夢をさらに。

(八)


 

友だちになった小5と太鼓の青年

(8月9日)

 7日夜、能代の役七夕の「シャチ流し」。能代港下浜埠頭(ふとう)の水面に柳町組の七つのシャチ灯籠が並び、点火を待つ間、陸上では7若(町内)の笛太鼓が競うように道中囃子(ばやし)を奏でていた。
 その中に、一心不乱に二本のバチを使って太鼓を打つ小柄な小学生がいた。高校生や青年に負けず劣らず。彼の仲間もバチを譲ってもらい叩(たた)き続けた。
 小5だという。今年初めて田楽担ぎで役七夕に参加、前日はうだる暑さの中を練り歩いた。休止の合間に、祭りを高揚させるように、笛は高らかに鳴らし、太鼓は力強く響かせ、一部は跳ね飛ぶ。その光景を日陰で見ていた小学生の田楽部隊に、太鼓の23歳の青年が「叩いてみないか」と誘い、ためらう児童の中で小5の彼がそれに乗った。
 ドン、ドンとバチ1本で打つのは簡単。対して、2本を手に高く構えて笛の音に合わせて振り下ろして大きく打ち、小さく刻み、また打ち続け、次第に早まるリズムに呼応して機敏に叩くのは技を要する。
 しかし、青年に手をつかまれて打っていくうち、小学生の彼はどんどんリズムに慣れ、やがて青年から離れて一人難無くバチを使い始め、どんどん上手(うま)くなっていった。ゲームセンターの「太鼓の達人」を遊んできたのか、もともと音感がいいのか。いや、子どもの感受性の良さと、大人にはない対応力があるからだろう。
 そして、「シャチ流し」の日には、堂々の打ち手に。さらに一回りも上のイケメンとじゃれ合っていた。「僕、友だちになったんだ」と青年を指差し、「来年も七夕に出たい」と笑顔を見せていた。
 青年がなぜ小学生に太鼓を教え込んだのか。打ち手を確保できず、練り歩きの6日は太鼓4つ、7日は3つだけでは寂しさを感じ、後継者育成を思い立ったのかもしれない。あるいは七夕っ子を増やしたいとの行動であったか。役七夕の関係町内の外で育った自分が、興味を覚えて太鼓打ちになり、七夕好きになったように。
 少子化、高齢化、過疎化。能代山本のどの伝統行事も岐路に立たされている。先を案ずるが、青年と少年の交流を見て、少し心が晴れた。 (八)


 

タニタ食堂の定食ルールと真逆

(8月5日)

 秋田市で開かれたNIE(教育に新聞を)全国大会に出席する直前、エリアなかいちにある「あきたタニタ食堂」でようやく初めて昼食を取った。そこで、タニタの定食ルールと、自分の食べ方がかなり違うことを知り、ちょっぴりショック。
 タニタ食堂は、体重計など計測器の大手メーカーであるタニタの「おいしくてヘルシーで栄養バランスのとれたメニュー」の社員食堂の定食が話題となり、東京丸の内に一般向けに食堂を開店させたことで注目されている。秋田店は、核店舗が撤退するなどして迷走した商業施設に誘致され昨年12月にオープン。気になる存在で、一度行ってみたいと思っていた。
 注文は「週替わり定食」750円。主菜は「サケの野菜ソース」。蒸したサケの切り身に、トマトとセロリの粗みじん切りの餡。副菜は2種あって大がサラダ(キャベツ、トマト、キュウリ、ニンジン、セロリ)、小が小松菜とワカメの胡麻和え、それに豆乳のみそ汁で具はゴボウなど。ご飯はJA新あきたの「あきたこまちの金芽米」。
 見た目は実にヘルシー。全体のカロリーは500㌔以下。それでいて結構お腹いっぱい。サラダはかなり歯応えがあった。全体にしょっぱさが足りず、秋田県民の口に合うのか疑問だが、塩分量が3㌘前後の薄味となればやむを得ない。
 あとで気付いたが、目の前のボードには①汁物②副菜③主菜④ご飯──が食べる順番とあった。「始めに汁物を摂り、体を温め、消化吸収力をアップ」して、副菜の「食物繊維を先に摂ることで、血糖値がゆるやかに上昇する」そう。そして主菜の「良質なたんぱく質が食べ過ぎ防止ホルモンを分泌」するという。
 さらに、「20分以上かけてよく噛むことで、肥満中枢が刺激されて、満足度がアップ」とも。
 しかし、自分の食事順は、ままあんべ(コメの味と炊き具合)を確かめたくなるからまずご飯。それからお楽しみのメイン料理を。そして副菜、最後に汁物で、全く逆であった。しかも、早食いで10分もかかっただろうか。
 少しは食べ方を変えてみようかと心したが、やはりご飯が先。秋田県人なのだ。 (八)