季節ハタハタ、豊漁を期待

(11月30日)

 そのうち大漁となるから慌てなくてもいいとは思ったのだが、スーパーの店頭に並ぶキガキガして新鮮な本県産のハタハタを今月半ばに買って、塩焼きと煮付けにした。
 ブリコはまだ小さく、それがかえってつるりんと飲み込みやすく、白子もまた遠慮がちな大きさでとろりとし、そのうえ身は淡白な中にも脂が乗っていて食べやすく、満足した。翌朝も味わったが、冷めても美味(おい)しいのがハタハタだ。
 気がつけば、沖合底引き漁のハタハタを好むようになった。「底引きハタハタはいける」と親しい漁師や食事処の女主人、寿司屋の大将が教え、それが頭に刷り込まれたことと、実際に食べてみてもそう感じるからである。
 26日、その底引きハタハタの味噌(みそ)鍋を囲んだ懇親会があった。器用に骨と頭を外し、ハフハフしながら身、ブリコ、白子を頬張り、汁を飲むと、混然とした旨(うま)みが広がり、体が暖まった。地場のネギもとろみがあって、我が地の「初冬の旬」を楽しんだ。
 「底引き、んめスナ」と発すると、「だども、どろめぎが足りねおなッ」と返された。底引き漁を本業とする人である。魚体全体のぬめりと、ブリコにあるどろりとしたねっぱりが今一つ不足して、ハタハタ鍋の最高とはいかないとの指摘で、寒風吹きすさび、凍てつく時期の沿岸漁の季節ハタハタこそ、その主役だという。
 彼はまた、寿司ハタハタを漬ける場合も、沖合底引き物より、沿岸季節物が適していると述べた。特にブリコの場合、沿岸底引き物はきしりと締まった状態になりにくく、見栄えの良さとポリポリした食感は沿岸季節物にかなわないとの見解を広げた。
 八森の知人は、季節ハタハタのブリコは「食うもんでね」と言う。歯が悪いせいか、どろめきを飲み込めないためか、理由はわからないが、こちらはそのブリコが何とも言えぬ味わいと思う。
 要は、11月の沖合も、12月の沿岸もハタハタはその時期によって美味しさがあり、全体としていつでも旨いということになろうか。
 サンマは2匹連続して食べるのはきついが、ハタハタは5匹でも10匹でも飽きない。豊漁を待つ。(八)

 


 

「がりっとまがなう」季節です

(11月24日)

 5人ほどの集まりであるけれど、甘いも酸っぱいも知る人生の先輩が顔を(そろ)えるので、あまりラフな格好では失礼かと思い、背広にネクタイで参加した。
 すると、昔若かった陽気なおねえさんが「わい~、あんだ、まがなってきたのぉ」と発した。気楽な会のはずなのに堅苦しい姿で現れるとは、「どうしちゃったの」と思ったらしい。それで、よけいに縮こまって懇談では控えめに終始した。
 雪がちらつき、風の冷たさも厳しくなってきて、「さびニャ~」「さびスナ」と寒さを方言で言い表す季節。60代後半の男性と女性から別々に、「がりっと、まがなわねばならね」と諭された。
 「まがなう」は、濁音の入らない「まかなう=賄う」からきたものと思われる。
 広辞苑によれば①ととのえて供する②食事をととのえて出す③取りはからう。処置する。やりくりする④(費用・物資などを)供給する。やりくりする─とあるが、ここから「まがだう=まかないたる(賄い足る)」という「十分だ、準備する」などの意味の方言が派生したと、工藤泰二著「読む方言辞典─能代山本編」は解説している。
 その「準備する」が「装うこと、正装する時、または仕事着に取り替える時、その他装いを直す時、あるいは朝服を着る時など身支度をすること」を表す方言「まがなう」になったとみている。
 「がりっと」は「ぴったりと。しっかりと」のことで、「意思を強固に持っているさまをいう語」(県教委『秋田のことば』)。つまり、「がりっとまがなう」とは、正装の場合は「きちんと着こなす」であり、冬には「防寒のために、しっかりと身支度すること」を指す。
 それでというわけでもないが、この季節、コートだけでなく、マフラー、手袋、帽子の3点セットを身に着けているのだが、「がりっとまがなえ」と声を掛けた知人は、「え(い)ちかんで」と訛(なま)った方言を付け加えた。「えちかぐ」は「結(ゆわ)える・繋(つな)ぐ」のことで、マフラーをちゃんと結びなさいのアドバイスだった。
 それにしても、高校生はどこか寒々しい。風邪など引かぬように「がりっとまがなえ」と叫びたい。(八)

 


 

 

木村伊兵衛は能代で写していたが

(11月21日)

 写真が趣味で数々のコンクールに入選、存であれば85歳の人に、そこに至るまでを聞いたことがある。すると、モノクロの時代に木村伊兵衛や土門拳の真似をして子どもや行商人などを撮ったのが始まりと教えた。
 土門拳(1909─1990年)は、戦後日本を代表する写真家で、リアリズムに立脚した報道写真、寺院や仏像などの伝統文化財を撮影、山形県酒田市にある記念館で作品を見た人もいるだろう。
 木村伊兵衛(1901─1974年)は土門と双璧をなし、戦前戦後を通じてさまざまなジャンルで傑作を生んだが、秋田県には馴染みが深い。
 1951(昭和26)年に県総合美術展の写真部門の審査員として秋田を訪れ、以来昭和46年まで県内で21回の取材を行い、清楚な秋田美人を全国・世界に発信した「秋田おばこ」をはじめ、昭和20、30、40年代の秋田の農村の暮らしや人々をライカのカメラで捉えた作品を発表した。
 戦後、能代山本でも多くの人々が憧れのカメラを手にして、写真を撮った。専門家に撮影や現像、焼き付けを教わり、引き伸ばしやトリミングのテクニックに興味を持ったりして。フォトグループ活動も盛んだった。
 そうした写真・カメラに魅せられた人が手本・参考にしたのが土門拳であり木村伊兵衛だったと、冒頭の人の言葉で理解した。
 秋田市立千秋美術館(アトリオン内)で18日から「木村伊兵衛の秋田」と題したコレクション展が始まったので、鑑賞に行った。
 モノクロの世界に懐かしい秋田があった。田植え、稲刈り、雪かき、馬橇、ささら舞い、湯治場、わら仕事、嫁入り、農夫、年寄り、子ども、母と娘。当時の農村の日々を静かに伝えながらも、次第に変わっていく様子が伝わってきた。「秋田おばこ」のはっとする美しさには感動。
 説明書きには、木村は昭和28年に旧二ツ井町、同36年に能代市を訪れているとあった。二ツ井では米代川で天然秋田杉の集荷作業を写しており、女性作業員が丸太を力強く引っ張る写真が2枚展示されていた。
 しかし、能代はなし。木村は何にレンズを向けたのだろうか。発掘してほしい。 (八)

 


 

かつて能代に材木町があった

(11月16日)

 銘木業を畳んだ知人が「寂しくなりましたねぇ」とつぶやいた。能代市川反町の製材工場が所有する大正期に建設されたレンガ造りの倉庫の解体が進んでいるとの本紙の記事から、「材木町がいよいよ消える」と感じた反応であった。
 能代港下浜ふ頭西側の浜通町から川反町、大町、万町、日吉町に通ずる米代川左岸側には戦前から木材工場がひしめき、材木町と呼ばれた。
 昭和24年の第一次能代大火から見事に復興。30数社が高度成長に乗って能代の産業発展の一翼を担い、土場に積み上がった天然杉丸太、工場の高い煙突、うなりを上げる製材機が「木都能代」を表していた。
 しかし、昭和40年代後半に入ってから、材木町は姿を変えていった。狭い敷地に限界を感じた工場が郊外移転を始める一方、経営不振による倒産・廃業。さらに団地移転に伴う跡地利用と防災機能を備えた河畔公園事業が54年から「百年の大計」で始まったからである。
 東北木材は臨海工業団地に、昭和木材は河戸川に移り、跡地には総合体育館、ホームセンターが建ち、さらには市営のプール、子ども館も開設され、とうに材木町ではなくなったが、秋田杉が貯木され、遺構とも言える倉庫が残った製材工場がわずかに面影を残していた。その工場も解体と知って、冒頭の知人は材木町の全盛期を思い出し、感慨にふけったのだった。

 少年期の自分の住所は正式町名のほかに、「材木町」が付いていた。子どもがあふれていた時代。ガキ大将に従って工場の大きな風呂に入りに行ったり、丸太の上を跳ねたり飛んだり、廃工場を探検に行ったり。懐かしい思い出が残る。
 自転車でバスで鉄道で近隣から大勢の労働者が通っていた。夕方の酒屋は立ち飲みの「盛(も)っ切り酒」を楽しむ人であふれていた。始業・休憩・終業のサイレンがあちこちから聞こえた。そこから子ども心に能代の力強さを感じた。
 今や木材の町を感ずるとするなら河戸川地区や内陸木材団地・臨海工業団地などとなった。時代の流れであるが、かつて木都の象徴として材木町があったことを忘れない。(八)

 


 

トランプ当選から秋田に想像飛ぶ

(11月11日)

 9日昼。能代市内の体育施設で出会った知人が「大統領選挙どうなっている」と聞いてきた。スポーツに汗をかいていてもアメリカの選挙が気になったのだ。
 「まだ決まっていません」と返すと、米国の大統領選の仕組み、全米の選挙人の過半数を獲得すれば当選で、その選挙人は州ごとの勝敗で総取りとなるということを「面白いよなぁ」と話した。
 その夜。共和党候補のドナルド・トランプ氏が当選したニュースを見ていた飲食店主が「どうなっているんだ」とつぶやくと、客が語り始めた。「あの暴言は、大衆に興味を持たせるためにやったのでは」「女癖の悪い男だが、それはうっちゃられたのだろう」などと。
 日本の国政、秋田の県政、能代の市政には冷ややかな人たちなのに、遠い米国の大統領選にこんなにも関心が及んでいるとは。
 歯に衣(きぬ)着せぬ物言いが批判を浴び、世界のマスコミをにぎわせ、本国では「トランプ旋風」を巻き起こす。あふれる報道に、刺激を受けたとみた。同時に、米大統領に誰がなるのか、それは日本に、能代という地方にも少なからず影響をもたらすのではないのか、特にトランプ氏が当選した場合に、と考えをめぐらしたと思われる。
 店主に「トランプ大逆転」がなぜ起きたかの説明を求められた。彼の国の事情には詳しいはずもなく、また米国民の感情を分かりもしないので、感覚的なことを答えた。「ヒラリーは飽きられたのでは」と。
 初の女性大統領が期待され優勢が伝えられた民主党候補のヒラリー・クリントン氏は、夫ビル氏の大統領夫人として1993年から8年、その後上院議員、国務長官。陽のあたる舞台に立ち続けてきた人である。対する大富豪のトランプ氏は言動や思想に問題があると指摘されても、70歳にしてなお新鮮であり、既存政治批判が加わって、ヒラリー氏を押しのけたと思った。退任するオバマ大統領が当選時に訴えた「チェンジ」である。
 それは、日本の数多(あまた)の首長選挙、能代山本でも見られた現象であるからだ。
 来年の知事選、その先の市長・町長選に想像が飛んだ。(八)

 


 

やつげとつげ、家事に仕事に

(11月5日)

 世の中には片付けが苦手な人がいる。自分もまた机の周辺に資料が乱雑になっているから、その部類に入るだろう。11月。年末までに整理整頓を実行しようと心に決めたが、果たして実行に移せるか。
 そんなことを考えていると、ある会社の会長が数年前に語った方言が浮かんだ。「やつげとつげ」。
 「互い違い・交互・反対方向」の意味で、人によっては「やちげとちげ」という表現は、「やりちがいとりちがい」が語源のよう。造作や片付けの時によく使うが、若い人が上手でないことをその方言でぼやいていた。
 雑誌をごみに出す場合、同じ方向に重ねれば一方が高くなる。交互にして均(なら)せば、結びやすい。何枚かのワイシャツを収納する際に互い違いにすればケースに収まりがいい。
 県教委の「秋田のことば」では使用例として「かやあむどぎやちげとちげにくまひる」(カヤを葺(ふ)くときには互い違いに組ませる)を能代市から拾っている。工藤泰二著の「読む方言辞典─能代山本編」は「ヤツゲトツゲネまろげばたばとげね」(互い違いにまるめ結わえれば束は解けない)を紹介している。
 誰もが、やつげとつげの工夫をして家事や仕事をこなしているだろう。件(くだん)の会長は若い人に作業上必要な方言を知ってほしいと願っているようだった。
 「くるむ」と「まぐる」も思い出した。60代の女性が使った。「片付けられない女」ではないとでも言うように。
 「しっかりくるんできた」と。「くるむ」は「物を包む・包装する」「布状・紙状のものでおおって巻く。巻いて包む」のことで、当面使わない何かを整理したことを言いたかったらしい。
 「読む方言辞典」には、「ちゃんとクルマねばくまがてしまうで」(キチンと包まねば引っ絡まってしまうぞ)があった。
 「布団まぐってきた」とも。「まぐる」は「捲る=覆いなどをまくようにして上げる」のこと。忙しくても敷きっ放しにしてはいないことを強調したのか。
 ただ、「くるむ」「まぐる」には、その場しのぎの当座の印象もあるのだが。何にしても、片付けは大事だと、方言は教える。(八)