ホエールズの稲川さんと田辺さん

(12月27日)

 後輩が「稲川誠さんを知ってますか」と聞いてきた。
 11月下旬の大館樹海ドームでの硬式野球東北地区高校1年生交流戦。山形中央が3─2で能代松陽を下した決勝をバックネット裏で観戦しているところ、試合を熱心に見詰める老紳士がいた。学生野球指導の資格回復者の元プロ野球選手で、神奈川県から能代に時折来ていると知った。
 経歴を調べると、往年の名選手と分かり、面識があるのかを尋ねたのだ。「ある」と答えた。もっとも甲子園予選が始まる7月に一度会っただけだが。
 稲川さんは80歳。立教大、富士鉄室蘭を経て昭和37年に大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)入団。7年間に304試合登板、83勝70敗、50完投18完封の成績。引退後は同球団でコーチを21年、スカウトを14年、合宿所寮長を7年勤めた。
 その稲川さんが当方にポツリと漏らした。「田辺さんが亡くなって、残念だね」と。
 田辺さんとは、能代山本出身のプロ野球選手第1号の田辺修さんのこと。5年前に脳梗塞を患い闘病生活を送っていたが、1月14日に死去。74歳だった。
 能代高を経て立教大に。2年で中退、ノンプロの立正佼成会に入り投手から内野手に転向、打力が買われ昭和38年秋に大洋に入団した。背番号68。
 入団時身長186㌢、体重94㌔。巨漢選手は豪快なスイングで「ホームランか三振」といわれた。公式記録は探せなかったが、能代市万町の自宅には「1964年イースタンリーグ本塁打王10本」と刻印されたトロフィーがある。「未完の大器」となったのかプロ生活は2年、家業の鉄工所を継いだ。
 母校・能代高が気掛かりでよく練習や試合に出掛けていたことを思い出す。元プロ選手の指導は禁止の時代で、もどかしい表情を見せていたが、大投手となった山田久志さんに「横から投げてみろ」と言い、アンダースローのきっかけをつくったのが田辺さんだと、山田さんは著書で紹介している。
 大学、球団の先輩・後輩のつながりで田辺さんが稲川さんを能代に結び付け、その先に能代の野球の発展、甲子園出場の夢があると、年の瀬に思う。
                                (八)

 


 

 

つなげたい「正月の作法」

(12月24日)

 クリスマスが終われば、いよいよ年越し準備。机に積まれた資料や雑誌を片付けて、掃除機をかけて清々しく新年を迎えるべきなのだが、毎年おざなりに終わる。
 年末年始の意識が薄れ、日々は続くのだという感覚が強くなっているからかもしれない。街に出れば、コンビニはもちろんスーパーも大型店も外食チェーンも元日からいつもどおりの営業、とりたてて正月気分が湧かないことに通底しているとも思われる。初詣には行くけれど。
 神奈川県の大都市に住む能代市出身者から、便りが届いた。奥さんが秋田ではなく青森県産のハタハタを買って来て、それが「ちっこくて」と嘆き、秋田は芳しい漁ではなかったことを心配していた。
 そして、近頃の年始の風景を綴(つづ)っていた。
「関東の正月は、門松を出す家やしめ飾りを吊るす家も少なくなり、何か、旅か、ただただ休むだけのようになってきました」と。
 ふと、都会だけのことだろうかと思った。「正月の作法」が続いているはずの地方、田舎でも、門松を出すのは宴会場や小料理店などに限られ、一般家庭ではごくわずか。注連縄(しめなわ)を吊るす家庭、マイカーに飾る人はまだまだ多いが、それでもひと頃ほどではない。空き家が増えて、殺風景な地域もある。
 餅も自宅でつく家は30年以上見たことはなく、賃餅店でついてもらうようになったが、それさえもしなくなり、メーカーの市販品を買うケースが増えている。それどころか鏡餅は、餅の入らないプラスチックの模造品まで出てきて、代替で使う場合も。それでは鏡開きはできない。
 おせち料理は仕出し業者、スーパー、料理店が競って販売、新年を祝う縁起物の品を味わえるが、我が家の正月の一品・逸品は減っている。お屠蘇(とそ)、祝い箸は用意はどうか。
 そもそも、正月と縁起物、おせち料理のいわれを伝え、教えている家庭はどれほどいるものだろう。と指摘しながら、自分もだいぶ分からなかったり忘れたりだが。
 そんな時代なのだ、と言っては味気ない。ここは心機一転。新しい門出を祝う準備をして「正月のこころ」とつなぎたい。   (八) 

 


 

ネギの香りパワーにガッテン

(12月18日)

 マスクをした風邪引きが、職場に街に増えてきた。
 知人は鼻水が止まらず、声もガラガラにもかかわらず大事な会議に出席、その後の懇親会にも顔を出した。周りから「熱燗(あつかん)をグイッと飲んで寝て汗をかいたら治る」と珍妙なる対策を奨められたが、アルコールなしのホットウーロン茶で乾杯した。
 風邪の民間療法はいろいろあるが、能代山本向きはこれだ、というものが14日夜のNHK総合テレビ「ガッテン!」で紹介されていた。「インフル・肺炎・がんに効く 世界で発見!驚異のネギパワーSP(スペシャル)」。
 13年前、中国発で猛威を振るった新型肺炎のSARS(サーズ)。人口約100万人の山東省章丘ではほとんど被害を受けなかったという。
 章丘はネギの産地で、住民の健康の秘訣(ひけつ)は「ネギの生丸かじり」。ネギを切ると細胞が崩れ、香り成分のアリシンが生まれ、それが血管拡張・血流アップに効果があり、抵抗力も高めるそうで、丸かじりで口の中にアリシンを多発生させて、SARSを撃退させたと考えられる、と説明した。
 次の紹介は、エエーッと驚かされた「ネギの首巻き」。生の白ネギにたくさんの切り込みを入れ、それを手拭いやタオルで包み、首に巻くもので、アリシンの血流促進効果によって、風邪予防になるとのこと。
 ネギの生の丸かじりも首巻きもしたことはない。ただ、風邪に効果があるとは子どもの頃から聞かされ、成人になって風邪気味のときに、清酒のかなりの熱燗に焼いたネギを入れて飲んだことはある。効いたかというと、そうでもあるような、そうでもないような。生のネギをよく噛(か)んでアリシンを多く作り、そこに熱々の酒を流し込めば、バッチリだったかもしれない。
 能代山本はネギの一大産地。JAあきた白神のネギの販売額は10億円を超え、ことしは13億円台の見込み。来年は能代市で全国ネギサミットが行われる。
 消費拡大に向けてさまざまな機会に白神ねぎを宣伝しているけれど、病気を寄せ付けないネギの香りパワーも付け加えてもいい。地域の住民がネギをたくさん食べて健康であれば、それも。(八) 

 


 

年末の「閉店のお知らせ」

(12月15日)

 会社員や公務員は大概は60代半ばで仕事からリタイアする。対して、自営業者はしっかりした後継でもいれば別だが、一人親方・店主の場合は零細ということもあって、頑張れるところまで働く。
 それがいつまでなのか。病気になった、家族の介護が必要になった、節目の年・歳を迎えた、景気が悪く客足も途絶えたなど、それぞれ事情を抱えた時の判断と思われるが、いずれにしてもむずかしく悩むらしい。
 10年前、ある「夜の社交場」が休業した。ママさんの年齢、客の入りからしてまだまだやれるはずだったが、「『継続は力なり』というけれど、力が衰えた」といったん休むことにしたという。
 気力が戻れば再開かと期待したが、6カ月後に閉店(廃業)した。
「開店から35年余、修業時代も含めて45年の長きにわたり、皆様からは温かいお引き立てと叱咤(しった)激励をいただき深く感謝申し上げます」と小紙の広告欄に「お知らせ」を掲載して、別れを告げた。
 少子高齢化と人口減、地方経済の縮小化、後継者難などで事業所の廃業、商店・飲食店の閉店は能代山本でもずっと続いており、珍しいことでなくなったが、先月末から今月初めに小紙の広告欄に三つの「お酒の場」の閉店が掲載され、感慨を深くした人も少なくない。
 能代市柳町の酒蔵は「30年前、知らない土地でお店を開き、これまでたくさんの皆さんに愛して頂きました。私も80歳を超えて体にガタがくるようになり、閉店することに致しました。街で私に出会ったら『かあさん元気か!』と声をかけて頂けらうれしいです」と。
 かつて住吉町にあり、後に郊外に移った居酒屋は「皆様には長い間、かわいがっていただきましたが…」と開店20年を機に幕を降ろすことにした。西通町のスナックも「32年の永きにわたり格別なるご愛顧いただき深く感謝」と閉店を決めた。
 3店ともに女性店主で、引退の潮時と判断したのだろうと、顔を思い出しながら推測した。
 飲食業界に若い女性・男性の参入はある。だが、80代で営む店主もおり全体として高齢化は否めない。寂しい「潮時の閉店」は続くとみるが。(八) 

 


 

「しめのまぐに」の「まるくたもんでね」

(12月8日)

 わが地方の女性、それも年を重ねた方々が案外にきつい方言を放つものだと、二つの場面で改めて感じた。
 一つ目。年に一度の楽しい懇談会がお開きになる段になって、主催者が「来年はどうしますか」と皆に問い掛けた。中止か継続か、あるいは別の形式にしたらいいのか、と。すると80代の人が「わい~、しめのまぐにギャァ」と素(す)っ頓狂(とんきょう)な声を上げたのだ。
 「しめのまぐに」は、各種の秋田弁辞典によれば「お終(しま)いの幕に」で、「結局のところ、最後に、とことんのところ」を表す。「わい~」と発した彼女は、大切な問題を最後に問うとはいかがなものか、もっと早めに説明してくれれば、いい提案も出ていただろうし、話し合いも中身が濃くて有意義であったはず、と思ったようだ。
 二つ目は、あるグループの二次会に遭遇した時のこと。見知った70代が「まるくたもんでね」とつぶやいた。何に対してそう言っているのかは分からないが、怒っているような、嘆いているような。
 「まるくた」について、県教委の「秋田のことば」は「ろくな」であるとし、「連対詞『ろくな』に接頭辞『ま』を冠した後の音変化したもの」と説明。「ろくな」は「まっとうな。しっかり。満足な。完全な」の意味だが、秋田弁は「もんでね」と否定語を付ける。
 シンガーソングライターの長渕剛が♫大嫌いだぜ、大嫌いだぜ、ぴいぴいぴいぴい♫と歌ってヒットさせた「ろくなもんじゃねえ」と同義語である。彼女が「まるくたもんでね」と言ったのは、仲間の誰かがあきれた行動をして不快に思ったためか、満足のいくご馳走(ちそう)ではなかったためか。
 「しめのまぐに」の使用例文に「ひしげあらげで、しめのまぐに、くてかがた=さんざん暴れておいて、挙句の果てにこっちに食ってかかった」があった。
 友人の話。肩書きのある男性が二次会のスナックで仲間に難癖を付け、「やめろ」と諭されても聴かなかったという。別の友人。酔いつぶれてから目を覚ますと、仲間2人が口喧嘩していて、「あど、帰れ」と叫んで懇親会を解散させた。
 忘年会シーズン。「しめのまぐに、まるくたもんでね」と言われないように。(八)

 


 

子どもと大人が交わすあいさつ

(12月5日)

 朝、ごみ出しに行くと、通学の小学生と出会った。高学年の女児2人が期せずして「おはようございま~す」と元気な声。
 こちらは見掛けたときに朝のあいさつぐらいはしないとと思いつつも、見知った子でないのでためらっていたのだが、児童の方からの積極的な声掛けに、しゃきっとさせられ、「おはよう」と返した。
 なんとなくうれしくなったところで、次に低学年の男児。これまた明るく「おはようございます」。またタイミング遅れで「おはよ」と返答した。
 ここ数年は、こんな朝の風景。学校で家庭で、地域の人に会ったらきちんとあいさつを、と教えられて、実行しているのだろうか。近頃の大人は職場でも家庭でも「おはよう」を交わさないのに、小学生はしっかりしているなあ、と思う。
 高校生からは「(こんに)ちわッス」と力強くあいさつされる。小紙の本社は能代市西通町で100㍍西に能代工業高がある。下校や、近くのスーパーへ買い出しの行き帰りのバスケットボール部員に出会うと、必ずといっていいほどだ。
 こちらはロートル。現場へ走るバリバリではなく、まして能代工バスケを取材したのは30年以上も前で、顔は知られていないはずなのに、彼らはいつものおじさんだ、とでもいったように気軽にあいさつする。で、「オウ」と返す。
 それが10年どころではなく20年、30年と続いている。新聞社に出入りする人だからでもなさそうで、学校近くの坂道でも校門周辺でも礼儀正しい。高校生にもなると、あいさつもいい加減になり、無言を貫くことが多いが、彼ら全員は違う。それが能代工バスケの伝統の一つと感ずる。
 最近は坊主頭の中高校生からも「ちわッス」とよく言われる。地域の野球などスポーツ部員にも広がっているのだろう。
 兵庫県神戸市のマンションの管理組合が「マンション内はあいさつ禁止」を決めたことが話題に。小学生の子を持つ親が「知らない人にあいさつされたら逃げるように教えているので」と提案があったそうだ。
 子どもと大人があいさつを交わせるわが地はぎすぎすせず、おおらかでいい。(八)