夏太りに「おにぎりダイエット」

(8月29日)

 出会うといつも笑顔で陽気なママさんが、「太ってしまって。2㌔もよ」と少々しおれ気味だった。ぽっちゃり体形なので2㌔増量でも変わらない印象だったが、彼女にとっては大ごとのようで、気にかけていた。
 旧盆が過ぎても涼しくならず、というよりも残暑が厳しくて、夏バテして食欲が低下、「夏痩せ」になる人が多いのではと思うのだが、その逆の「夏太り」とは…。
 男性の場合は、暑気払いと称して生ビールだ酎ハイだと飲み、枝豆や冷や奴(やっこ)を味わうから、腹が出っ張ったり、太りがちになるのは、自分も経験したので分かる。しかし、常にダイエットを心掛けているはずの女性が、汗をかく夏に肥えるとは意外だ。
 女性に体重が増えた理由を質問するのはレッドカード、はばかられるので、聞かなかったが、目にした「夏太り」の企画特集を参考に勝手に推測した。
 暑いし忙しいし料理するのは面倒で、菓子パンやサンドイッチなどパン類を食べることが多かった、喉越しの良さと清涼感を求めて素麺(そうめん)や冷や麦など麺類をよく食べ、その量が結構あった、小麦系の炭水化物のみを摂取しがちで、栄養バランスが崩れた──などと。
 いや、仕事や趣味で思うようにいかなかったり、壁にぶつかって、むしゃくしゃして、知らずにやけ食いしたのかもしれない。
 何にしても、ダイエットに挑戦か。だが間もなく9月。ナシやリンゴなど果物の収穫が続き、稲刈りが始まって新米の時期に。「食欲の秋」が待っている。「秋痩せ」という言葉は聞いたことがなく、「秋太り」の心配が高まる。減量はそう簡単ではないと思われる。
 そこで、彼女にオススメを。JAあきた白神の広報誌「しらかみ」の8月号に特集されていた「おにぎりダイエット」だ。
 「『お米を食べると太る』と考えている人は多いようです。実はこれは間違い。お米はダイエットの味方なのです。お米を食べて、健康でスリムな体を目指しましょう」と、その理由や摂取カロリーを抑える方法・食べ方を紹介している。
 秋田の女性に、いや男性にも適した減量方法を広めたい。(八
 


 

葬儀で聴いたあの曲この歌

(8月25日)

 お盆が終わってから、何人かが新盆を迎えたことに気付き、その顔を思い浮かべた。すると、世話になった人との「別れの曲」が心の中にしんみりと流れ、最初のフレーズを口ずさんだ。
 彼の葬儀の会場に着席すると、聞き覚えのあるメロディーが式が始まるまで音量低くかかっていた。式が終わって、遺族が焼香した人々を見送る準備が整うまでの間も同じ曲。「グリーンスリーヴス」であった。
 そのイングランドの伝統的な民謡は、クラシック音楽として演奏され、また欧米はじめ日本人の多くの歌手が歌い、映画音楽にも使われ、広く聴かれている。彼の葬儀になぜ?。長い付き合いの中で「グリーンスリーヴス」の話は出なかったし、失礼ながら外国の古い曲と彼のイメージがつながらなかった。
 奥さんによると、彼は「グリーンスリーヴス」のさまざまなパターンの演奏を1枚にしたCDを持っており、生前、冗談交じりに「葬式のときはこの曲を流して」と話していたという。ゆっくりと沁(し)みてくる旋律や美しい歌声に深く安らぎ、旅したことのない国の歴史や風景に思いを寄せたのかもしれない。
 あるいはCDに添付された歌詞の和訳に感情移入したのだろうか。「愛する喜び/別れの悲しみ/輝いたあの日/帰らないしあわせよ/グリーンスリーヴス/思い出…」(海野洋司訳)。
 去年亡くなった先輩の葬儀でも式の前と後に、音楽が流れていた。シンガーソングライターのさだまさしの「Birhday(バースデイ)」、NHKテレビの「鶴瓶の家族に乾杯」のオープニングテーマ曲。「一番好きだった歌」と紹介された。
 「幸せをありがとう/ぬくもり届きました/なによりあなたが元気でよかった/宝物をありがとう/思い出届きました…」
 しばらく前に亡くなった知人の葬儀・法要の後の御斎(おとき)。「父が好きだった曲です。聴いてください」と長女が話すと、吉田拓郎らの歌が続いた。
 故人の愛したあの曲、この歌で、その人の知らなかった一面を知り、在りし日を思い出す。音楽の力だ。自分に、あなたに、あるだろうか。(八)


 

葉っぱのおやつにミョウガ

(8月20日)

 農産物直売所の食堂でソバを食べていたところ、後から来た70代後半の男性が注文を待っている間に、買ってきたばかりの何かを取り出した。数個連なった笹巻き。その一つの紐(ひも)をほどいて笹を広げると、白い餅。それを人目もはばからずぱくついた。
 よほどお腹が空いていたのかと思ったが、「うんうんこの味だ」とでもいった美味(おい)しそうな表情をしたので、この人は笹巻きを早く食べたかったのだと理解した。
 家では作らなくなった、だから直売所で農家女性の手作りを、ということなのか。もちっとして硬すぎず柔らかすぎず程よい弾力、そしてほんのりとした甘さだったのだろう。満足気な笑みには、懐かしい味をかみしめた喜びがあった。
 わが家も6月に笹巻きを直売所で買い求めた。ただし、自分が好む黒砂糖を使った「黒」は原価が高くなり作っていないのか、人気があって売り切れてしまったのか、今のところ見つけれず、食べていない。 
 家人に頼めばいいのだが、その場合、濃緑で大きな笹を用意しなければならない。しかし、今年はクマが各地に出没、山には取りに行く気分にはとてもなれない。子どもの頃に母や祖母が作ってくれた「黒砂糖の笹餅」との再会は難しい状況である。
 そんなことを思っていると、初めて知る「葉っぱのおやつ」を雑誌で見つけた。「おいしい郷土食(夏の巻)」を特集している季刊「うかたま」(農山漁村文化協会)にあった「みょうがもち」と「みょうが焼き」である。ミョウガの一大産地・能代の1人として大きな関心を抱いた。
 愛知県稲沢市の「みょうがもち」は、もち米を使わず、生地は小麦粉で、中の餡(あん)はそら豆。それをミョウガの葉でくるんで蒸して作るそうだ。
 宮城県東和町(現・登米市)のミョウガ焼きは、「小麦粉を水で練り、ミョウガの葉の上にのばし、油味噌(みそ)などを塗って二つ折りにして、焼き網で焼く」とある。
 ミョウガの香りがついて、おいしいのだそう。わが地域にありあまるほどのミョウガの葉っぱ。それを生かした「おやつ」、できないだろうか。(八)


 

懐かしい再会の場を作れるか

(8月15日)

 互いが「生ビール会をやろう」と約束したのに、なかなか実現しないでいる友人から「どしてら〜」と携帯電話。内容は、小紙の死亡広告欄に中学校の同期生の訃報が女性、男性と2日続けて載ったことの驚きと悲嘆であった。
 男性とは人生の節目の年の同期会で何十年ぶりかで再会した。クラスも部活も異なっていたので、交わす会話も少なかったが、その後、彼は親の介護のためかふるさとに戻って来たようで、街で出会うことがあり、「よお」と声を掛ける仲になった。最近見掛けないのは、病気療養中であったと、新聞で知った。
 その数日前、七夕祭りに参加するため帰省した東京在住の昔は悪友で今は良友が、「来年あだり、やらたがぁ」と能代弁丸出しで聞いてきた。節目の年の冬と夏以来、途絶えている同期会の開催のことだった。「さあ、どんだべが」と返したが、それは学年全体の同期会を再開するとなると、案外に面倒と予想されるからだ。
 遠い地に移住、仕事の都合や家族の病気などと、それぞれの事情や人間関係があって、同窓会・同期会・同級会に出席できない、参加したくない人も少なくないが、大方は「あれば行きたい」だと思う。
 しかし、「やれ」と言うは易し、「開く」と行うは難し。会場の手配、参加の呼び掛け、名簿の作成、予算編成などといろいろ煩雑で、「ごくろうさん」と労われても幹事の負担は大きい。「参加はするけど、幹事は勘弁を」が多いのである。
 諸事を厭(いと)わず積極的にこなす人が名乗り出るか、名幹事を育てるのか、あるいは役割分担をしっかりして個々の負担を軽減するかして、開催にこぎ着けなければならないのだろう。都会では幹事代行ビジネスなるものがあるそうだが。
 この夏、古希を迎えることを記念して同期会を開いた中学校の期があった。その下の期はここ数年、毎年のように開催、夏の恒例行事になった。帰省の参加者は心の里帰り、地元組は気心が知れ合い、年を重ねてなお友情を育んでいた。
 各地で成人式。遠い昔の同期会を思い出しながら、われらは懐かしい再会の場を作れるのかと案じた。(八)


 

お盆の再会、偏食の返上を

(8月12日)

 生ビールを注文すると、お通しは「焼きナス」。翡翠(ひすい)色がしっかり、冷やし具合はきっちり、その上にすったショウガ。醤油(しょうゆ)を少し垂らして口に入れると、さっぱり、ひんやりで「これぞ夏の味」と喜んだ。
 ところが、隣の席の若者は「ナスはだめなんです」と渋い表情。女主人は「焼きナス」の独特の風味が嫌いなのかと思ったらしく、「じゃあ、麻婆(マーボー)ナスはどう?」と若い人が好む中華料理を口にしたが、彼は「それもだめです。ナスは全然」と返した。
 引退した地方政治家を思い出した。彼もナス嫌い。今のように野菜が多種多様でなかった学生時代、下宿先の夏の料理は炒め物や漬物などのナス。もともと好まなかったらしいが、それが毎日毎日出されるものだから、飽きるどころか嫌悪を覚えるようになったと語ってた。
 食材・料理の好みは人さまざま。だから、ナス嫌いがいるのは当然だが、「口から余るものがない」と自負するこちらは、「おいしいのになぁ」と残念に思うのである。
 知人夫婦は、そろってトマトを食べない。冷やして生で、サラダでと今が一番なのだが、食卓にトマト色がないのは寂しい感じ。奥さんは、メロンもだめというから、果実の内側のジュクジュクした食感か刺激する味が合わないのかもしれない。
 さらに、別の60代女性は、メロンにスイカが不得手。中高年にベジタリアンが増えているのに、彼女は野菜をあまり摂取しないそうで、それが高じて果物にまで及んでいるのか。孫と一緒にメロンとスイカ。格別な味になるはずなのに。
 冒頭お店では、別の客が「鮎(あゆ)の塩焼き」を出されて、「俺だめだ」。川魚は遠慮すると。今が旬、香りもいいのだが。
 去年を思い出した。「ミョウガはどうも…」という人が何人かいたことを。それもミョウガの育つ農村部の人までも。
 旧盆帰省が始まった。家族や仲間と食事しながら再会を楽しむ人も多いだろう。ここは地元の海、川、山の恵みを、地域の農家が丹精込めて作った果物・野菜を、手作りの赤ずしやカスベ煮などの総菜を味わいたい。偏食を返上して。(八)


 

「天空の不夜城」にやってきた人

(8月6日)

 4日夕、「天空の不夜城」の運行を前日に引き続いて見物すると、幼なじみが4人を引き連れ、高齢の女性を簡易の椅子に座らせていた。神奈川県の叔母(おば)家族だという。
 今年86歳の叔母は、昨年、何十年ぶりかで古里能代を訪れた際、能代火力発電所のエナジアムパークのねぶながし館を案内された。二つの城郭灯籠を見、館内に流れる道中囃子(ばやし)を聞き、郷愁をそそられたらしく、「来年は本物を見たい」と話したそうだ。
 そして、ついに実現。天空の不夜城を目の当たりにしたのだ。そびえ立ち夜空に映える美しさに「びっくり」「素晴らしい」の感嘆の声を上げ、笛太鼓に合わせて手を動かしていたという。6日は役七夕を見物する。
 竹を編んだ背負いかごに3歳ぐらいの子どもを乗せた外国人男性がいた。女児はかごの中に立って不夜城を見ており、危なっかしいと感じていると、そばに母親。家族はカメラを向けるとにっこりしたが、すぐに移動してしまった。
 今度、外国人と会ったら、テレビ番組の「YOUは何しに日本へ」よろしく、「YOUはどうして天空の不夜城に」と聞こうと思っていると、中年の外国人夫婦。ところが「ホエア(Where)」も「カムフロム(come from)」も出てこない。それで「どこから来ましたか」と日本語で質問すると、「スペインです」。
 「エッー、スペイン?」と驚いたら、夫は流暢(りゅうちょう)な日本語で「今は秋田に住んでいます」と教えた。建築家ガウディのいまだ完成しない教会のサグラダ・ファミリアのある国の人は、巨大な灯籠に魅せられて、能代にやってきたと理解した。
 カメラを構え、盛んにシャッターを切る青年がいた。「どこから来たんですか」と問うと、「広島県」。1月にたまたま東京ドームのイベントに出かけたところ、「天空の不夜城」が出演。感動を覚え現地の本物に触れたいと「東北夏祭りの旅」に出た。「明日は青森ねぶたです」と。
 見終えて、ふらりと居酒屋に。東京にいるはずの多忙な後輩が「天空見てきました」とあいさつ。家族5人でこの日に合わせて帰省、祭りの余韻を楽しんでいた。(八)


 

青虫、セミの抜け殻、かなとこ雲

(8月3日)

  家境の雑草採りをしていたら、青虫が出てきた。体いっぱい伸びをすると4㌢ぐらいで、その濃緑が鮮やか。子が幼児だった頃に読み聞かせた絵本の「はらぺこあおむし」を思い出した。
 青虫くんはコンクリートの土台をもぞもぞと上に上に。1時間後に見回ると、いなくなっていた。
半月後、庭を2匹の蝶が競うように舞っていた。モンシロチョウと黒に黄が混じったアゲハチョウ。どちらかがあの青虫くんで、成長して羽化したと推測した。もう少し青虫くんのその後を観察しておけばよかった。
 先日、従妹の小学生の孫2人が遊びにやって、帰り際、「ジッ」と羽音を立てて何かが飛び跳ねた。セミだった。すると、お兄ちゃんが「僕、セミの抜け殻を見つけ、車に置いているんだ」と教えた。昆虫嫌いの母親は「エッー、やだぁ」とおかんむりだったが、彼はティッシュに包んだそれを嬉々として見せてくれた。
 兄弟は、カブトムシやクワガタもきっと探しているだろう。もう少したったら、トンボにも興味を寄せるはずだ。
 テレビの天気予報で、秋田市の空が映し出されると、店主は「あ、カナトコグモ、だ」と声を上げた。続けて「『カナトコ』に本当によく似ているなあ。金属を打つための道具だすヨ」と教えた。
 各地の山を踏破してきた彼は、天気それも雲の様子に詳しいらしい。こちらは映像の大きな雲は積乱雲だと思ったが、積乱雲の変種だという。
 「カナトコ」は、鍛造や板金を行う際に、加工物を乗せて作業をする鋳鋼・鋼鉄製の台の「鉄床」のこと。発達した積乱雲の衰弱期に見られる雲が、頭部が平らで、全体が鉄床のような形をしているため「かなとこ雲」と呼ばれているそうだ。
 漫然と雲を見ているのではなく、興味を持てば雲の形状は面白いし、種類をもっと覚えておくべきだったと、後悔する。
 子どもたちは夏休みの宿題もあって、自然の学習に懸命。親も祖父母も中高年も、「暑い」と文句を連発せず、子らにならって「夏の観察」を楽しみたい。
 とりあえずは、涼みがてら「夏の星座」といこう。(八)