平均寿命、隣県青森とビリ争う

(12月25日)

 最新刊の週刊新潮の広告の刺激的な大見出しに引き寄せられて、さっそく特集記事を読んだ。「青森県はなぜ早死にするのか」。
 中見出しは「平均寿命最短で堂々のV9!」「病に倒れる生き方!!」とあり、▼早朝から行列!超濃厚スープが青森流「朝ラーメン屋」▼「野菜は食べてる」けど中身は漬物▼消費量全国1位!スーパーの「カップ麺」売り場は野菜の4倍▼塩じゃけに醤油(しょうゆ)、漬物に醤油、すじこにも醤油▼豪雪だから「外出しない」「運動しない」「病院に行かない」──などの文章が躍る。
 厚労省が13日発表した平成27年の都道府県別生命表で、青森県の平均寿命は男性は78・67歳、女性は85・93歳でともに全国最下位だった。この調査は5年に1度行われているが、同県は最下位記録を更新中で、男性は9回連続、女性は4回連続。
 そこで、新潮編集部は青森の現地リポートを交えながら特集を組んだよう。週刊誌らしい切り口に、やや大げさに、皮肉的に。最後には「リスクを負って、われわれが避けるべき見本を提供してくれる青森県民に、まずは感謝!」と。
 この記事を青森県内の知人や遠縁はどう思っているだろう。「その通りだからしょうがない」と諦めているか、「ちょっとひど過ぎ」と怒っているか。
 こちらは他人事(ひとごと)ではないと感じた。 
 朝から濃厚スープの朝ラーを食べるサラリーマンはいるし、塩焼き魚や漬物、筋子に醤油をかける客も、刺し身の両面にべっとり醤油をつける政治家も、カップ麺漬けの若者や一人暮らしもいるから。
 秋田市に鳴り物入りでオープンしたタニタ食堂が、濃い味を好む秋田県人に嗜好(しこう)が合わないらしく苦戦、来年3月末に閉店するぐらいだから。
 豪雪でなくても寒くなれば外出しなかったり、運動しない中高年も少なくない。
 秋田県の平均寿命は、男性が79・51歳で下から2番目で、ブービーは3回連続。女性は86・38歳で44位の下から4番目。寿命は確実に伸びてはいるが、全国的には下位低迷だ。
 順位にとらわれず、健康寿命をという声もある。されど順位は秋田県民に警告を発しているのだ。(八)

                        


 

師走の赤提灯で聞く「だぁ~」

(12月21日)

 関東圏に住む能代市生まれの友人が、「良いおとしを」と便りを寄越した。その中に、「風の松原のシベリア颪(おろし)の音を聞きながら、能代の赤提灯(ちょうちん)で飲みたい」とあった。
 親戚はいるが、実家はもうなくなった。ふるさとをいつも案じているけれど、なかなか能代を訪ねる機会もなく、まして冬となると寄る年波に勝てず、もう10年以上も足を運んでいない。
 しかし、いつかの厳寒の夜の一杯飲み屋へ向かう途中に出くわした強烈な吹雪とざわざと鳴る松籟(しょうらい)が鮮明な思い出となり、望郷の念と重なって、冒頭の言葉が出たと思われる。
 それに触発されたわけでもないが、荒天の夜になじみの居酒屋に一人ふらり。熱燗(あつかん)を注文、ちびりちびり杯を傾けていると、顔見知りの年金暮らしの男性が酔って入ってきて、焼酎水割りを頼んだ。
 ところが、彼は先客の自営業者と女店主の会話に割って入り、「だぁーそだてな」と話した。店主がテレビニュースに感想を述べると、再び「だぁーそだてな」。「んだなー」「そだな」と相槌を打つことはなく、とにかく「だぁー」であった。何かむしゃくしゃしたことがあったのだろうか。
 彼のような物事を素直に受け止めず否定的な反応が多い人を能代弁では「あいでごどね人」(そうだと言うことのない人)としてからかうが、それを補完する表現が「だぁ」だと気付いた。
 わが地域の中年以上は誰もが使うだろう「だぁ」が方言とは思っていなかったが、調べると、県教委の「秋田のことば」には記載されていないものの、工藤泰二著「読む方言辞典ー能代山本編」には「だぁー(感嘆詞)=駄目。いや違うと否定する時使う」とあり、「だれが?→だれ→だぁー」と音変化した考察している。
 冨波良一編の「採録能代弁」では語尾を長く伸ばした「だー」の意は①イエイエ(違うの意を込めて)②そうじゃなくて(逆に)③そりゃちがう、とんでもない④まるっきり、全然⑤そもそもはナー⑥それはダナー、とある。
 使い方によって微妙に違ってくる「だぁー」。なかなか妙味のある方言だが、使い過ぎると呆(あき)れられるかもしれない。(八)

                        


 

動ぜず、単独立町を貫いた人

(12月16日)

 能代山本の平成の市町村合併を振り返れば、曲折はあったものの収まるところに収まり、道を歩んできたと、14日に78歳で亡くなった前藤里町長の石岡錬一郎さんの訃報に接して思った。
 旧8市町村の大合併構想は平成15年4月、藤里の単独立町の表明で枠組みが崩れ、7市町村が仕切り直しして「白神市」誕生まで進んだが、新市の名称に対する住民の反対運動が巻き起こって、結局、能代市が離脱。平成18年3月に能代と二ツ井町が新能代市を、琴丘、山本、八竜の郡南部3町が三種町を、八森と峰浜の北部2町村が八峰町をスタートさせた。
 合併協議が本格化する前、住民側は大合併を強くは望んでおらず、南部は今の三種町、北部は八峰町の姿を求めていた。二ツ井は藤里との東部圏を描いていた。それが大合併に進もうとしたのは、「自主性を尊重する」とうたうものの、国や県、特に当時の寺田知事の強力なテコ入れに応じざるを得なかった側面もあった。
 そうした中で、藤里町があくまでも単独立町を貫こうとしたことは、異彩を放った。
 「合併すれば都市部への一極集中でますます寂れる」「大きいところにのみ込まれ、切り捨てられる」との住民の危機感、意向調査での「合併必要なし」の声の多さを背景に、健全財政構築のための構造改革の実施や町有林遺産の活用、白神山地を生かした産業おこしなどを掲げて、自立存続を決めた。
 後に石岡さんは、述懐していた。「経験したことのないほど苦しみ悩んで決断した。何せ町の将来がかかっているものだから。とにかく大変な苦難の道を歩むので、覚悟を決めてぶつからなければならなかった」と。再考を促す知事らの説得などにプレッシャーを感じたものの、「変えることはない」と動じなかった。
 同町は少子化高齢化による人口減が続いている。中山間地農業も厳しい。しかし、自殺予防や引きこもり対策に先進的に取り組み、持続可能な地域づくり、石岡さんが強調していた「町の資源を最大限活用した町づくり」に熱心で、元気なニュースも飛びだす。
 亡き人の願いは「小さくとも輝く町」だったと思い出した。(八)

                        


 

あちこちで誘導雷の被害

(12月13日)

 8日朝。目を覚まして居間兼台所に入ると、冷え冷えとし「寒(さ)びっ」。就寝前に石油ストーブのタイマーをセットしたはずなのに、燃えていない。タンクに灯油はまだ入っている。
 説明書を取り出して、エラーコードから故障の原因を調べればいいのだが、それすら忘れる慌てよう。なじみの業者に電話をするとすぐ来てくれ、あちこち点検すると、「雷で、タイマーが作動しなかったようです」との説明。手順を踏んでリセットすると、ストーブは燃え出した。別の部屋のストーブのリモコンもエラーを起こしており、それも直した。
 出勤すると、システム開発の担当者が「やられた。1台パーになった」とむくれていた。一部社員のパソコンがつながらないので調べたところ、24時間通電しているパソコンネットワークの中継機器のハブが壊れていた。原因は雷。急ぎ新品を購入、約1万円也。
 このところ夜遅くまで仕事している知人が、珍しく早々と居酒屋に顔を出した。ブラック企業を避けるための「ノー残業デーなのか」と問うと、「パソコンが使えないので暇」と返答。事業所のネットワークの点検が行われるためで、その理由は「落雷の被害調査」だった。
 我が家にも会社にも彼の事業所にも雷が落ちたわけではない。落雷の直撃だったら、もっと深刻だったろう。五城目町で先月末に発生した家族3人が死亡した火災は、落雷による出火の可能性もあるというほど。8日もまた驚くほどの音と閃光(せんこう)。送電線への落雷で、能代山本4市町で数十秒から2分程度の停電が発生した。
 今回の身近な事故の原因は、数㌔先に落ちた雷が電線や配管などを通って侵入する誘導雷によるものだそうで、最近の電化製品や電子機器は落雷に弱いと、システム開発担当者は教えた。
 雷が来たら、コンセントのプラグを抜けば一番いいのだろうが、電気なしでは何もできないのだからそうもいかない。高電圧を軽減する避雷器を内蔵した電源タップを用意するとしようか。
 「地震雷火事親父(おやじ)」。親父は弱くなったが、雷は特に怖い。また雷が鳴ってきた。  (八)

                        


 

年末年始あいさつを熱心に

(12月10日)

 有力な支持者からこの春、「あと1年。しっかりしろ」と発破をかけられていた議員が、雪のちらつく冬空を見上げながら、「あいさつ回りちゃんとしないと…」としみじみ語っていた。
 近所や知人・友人の冠婚葬祭に不義理をしているわけでもなく、会合にまめに顔を出しているよう。出会っても知らぬふりをしたり、憮然(ぶぜん)としたり、威張ったりするのではなく、気さくに言葉を交わす。
 議会への出席を怠ったり、質問や発言をしなかったりすることもない。地域の実情と問題点の把握に努め、言うべきことは言っているらしい。
 人の受け止め方はさまざまだが、議員活動に特に問題はないとみられ、それほど気合を入れなくてもいいのではと、その立場にない者は思う。
 それでも、年末年始に風雪の中を、これまでのお礼を兼ねながらあいさつ回りをしようとするのは、来春行われる議員選挙に再び立候補する意思を固め、それを何気なく伝えるためなのだろう。
 それは何も彼に限らない。来年4月15日は能代市と八峰町の首長と議員の選挙。日程はまだ決まっていないが、その後に三種町の首長と議員の選挙が行われる。まだ出馬の思いを明らかにしていないとはいえ、意欲のある現職や新人は、自分の存在を忘れないで、覚えていてと年末と年始に駆け巡り、顔を出すのだ。
 年が明ければ、選挙までわずか3カ月余である。盤石な後援組織のある政党人も、安定的な支持層のあるベテランも、期待を高めている若手も心理は同じと思われる。まして、ギリギリや万年下位の当選組は、いっそうの奮起が求められる。
 さらに、少子高齢化で有権者の絶対数が減り、現職の場合は旧来の支持者が亡くなっていることが多く、18、19歳を含めて新たな応援を求めざるを得ない。また能代と三種は議員定数が削減されるので、当選のハードルが高くなり、安穏と構えていられなくなる。
 引退を示唆する多選議員、挑戦を心に決めたという新人、「もう一度」を周囲に漏らしているベテラン、捲土重来(けんどちょうらい)の復活を目指す元職の噂(うわさ)が風の便りに。にぎやかになりそうである。(八)

                        


 

「決めていない」と言うけれど

(12月6日)

 「あれを読めば、出るっていうことなのでは」と地方政治に関心の高い先輩に質問された。能代市の斉藤滋宣市長が先月28日の定例記者会見で来春の市長選への対応を問われた際の発言である。
 小紙の記事によれば、「まだ、自分の中で決めていない」としつつも、「今後、後援会との話し合いを持つ。能代、二ツ井を合わせて50ほどの組織があるので、ある程度話し合いを持った上で態度を決めたい」「来年1月末か2月の初めまでには結論が出ると思う。対抗馬があるのかの動きを見極めながら考えたい」と語った、とある。
 先輩が「出る」と読んだのは、「後援会との話し合い」と「対抗馬の動き」という文言を指す。
 県議会議員、参議院議員を経て、市長になって現在3期目で、64歳。その経歴と年齢、マラソンに励む健康状態からして4期目に挑戦するのは、当然の流れと思われる。熱心な支持者で組織する後援会が勇退を迫ることは考えられず、「出馬要請」に意思統一されるだろう、と彼は推測するのだ。
 「対抗馬」という言葉を口に出すのは、「自分の中で決めていない」けれど、意識の底には立候補の思いが十分広がっていることを表しているのでは、と彼はぶつけてきた。
 過去の能代市長選の現職の立候補表明を思い起こすと、旧能代市時代、宮腰洋逸氏も豊沢有兄氏も12月議会で再出馬の意思を明確にした。
 しかし、斉藤氏は、合併後の平成18年の初出馬では2月19日に要請をしていた若手経済人や市議有志に対して、無競争で当選した2期目の22年は2月6日の後援会役員会で、若手新人との対決を制し3選を飾った26年は1月30日の能代地区後援会長・幹事長会議で要請を受けて、それぞれ表明した。
 50もの後援会もあれば組織基盤は厚い。年初、心を新たにして市長選に臨む決意をして、後援会の声を聞きながら1月末から2月初めに表明するのは、氏の既定路線なのかもしれない。
 それを見越して、対抗馬擁立の動きはあるのだろうか。斉藤市政に不満を抱いたり、否定的であったりする市民は少なくない。新しい風を求める動きもある。注目である。 (八)

                        


 

師走。やちゃくちゃね、にならず

(12月2日)

 「やちゃくちゃね、とよく言うじゃない。それって、どういうこと?」と、知人の奥さんが質問してきた。
 話題の論評が混乱してきた時に、当人から「やちゃくちゃねニャー」と時々飛び出すのだから、意味は理解していると思うのだが、別の使用例があったのだろうか。どういう場面で発せられたのか聞こうとしたけれど、やめた。というのも「やちゃくちゃね」には複雑な事柄が隠れていることがあり、詮索し過ぎになるからだ。
 「やちゃくちゃねぁ」は県教委の「秋田のことば」によると、「雑然としている」のこと。「やちゃくちゃ」は物事が紛糾しているさまを表す擬態語だそうで、「ねぁ」は「ない」という形から来た形容詞語尾であるが、無いの意味ではなく、甚だしい意を表す──と説明している。
 家の中や部屋を片付けられず乱雑になったり、机の上がごちゃごちゃになっていると、「やちゃくちゃね、なぁ」と自ら反省したり、周りから指摘されることはあるが、そういう場合とは限らない使い方もする。
 その点で、冨波良一著の「採録・能代弁」はストンと腑(ふ)に落ちる意味を示している。
 ①気持ちがおちつかず錯そうする様に②どうしていいのやらわからないほど混乱して③どうしたらいいのかとにかくもうどうにもこうにも気が散って──の時が、「やちゃくちゃね」に当たるとしている。冒頭の女性に何があったのだろうか。
 冨波氏は、使用例として「おわたばりで、やちゃくちゃねして」(終わったばかりで何がどうやら気持ちもおちつかなくて)を紹介している。家族に急に旅立たれて、心構えがないままに葬儀を終える遺族の心境を表現したのかもしれない。
 「やちゃくちゃね」の質問の際に、別の女性は「それは、ほでくてね、でしょう」と話した。工藤泰二著の「読む方言辞典・能代山本編」では「ほでくてね=どうすべきか混乱して判断できないさまを言う」とあり、「ほて(腹の意か)くろし=腹黒い、みっともない」が語源かと考察している。
 気ぜわしい師走。「やちゃくちゃね」も「ほでくてね」も多くなりそうだが、心落ち着けたいと思う。(八)