童心に帰って思い出す雪遊び

(1月28日)

 関東地方が大雪と寒波に見舞われた騒動を報ずる情報番組で、東京都心の住宅街の夜の坂道で若者たちがスキーやスノーボード、さらには段ボールを尻に敷いて滑る「けつじょり」を楽しんでいる映像が流れていた。
 リポーターは「危ないですよ」とやめるように促していたが、坂道は車両通行止め、坂下の道路も車が通れる状態ではなく、若者たちは馬耳東風のようだった。
 それを見て、寒さが増し雪が降る今月中旬の夜に、知り合いの能代市内の70代の男女が子どもの頃に竹スキーを楽しんだのを懐かしそうに語っていたことが浮かんだ。
 男性は能代公園東側の「五智(ごち)の坂」、女性は畠町から柳町に降りる「たっぺの坂」と旧市街地を代表する急な坂で滑ったという。彼・彼女の少年少女時代はもう60年以上も前。当時は自動車が街を走るのはまだ珍しく、除雪も行き届いていない時代だから、日中でも竹スキーで滑っても危険性は極めて低いはず。彼らの後の世代でも街なかをスキーで漕いでいた。
 彼女は「がっぱ、もあったわよね」と話した。「がっぱ」は女児の底が平らな下駄だが、ここで言ったのは底金を付けた雪滑り用のこと。すると、彼は「おらがだは、どっこ」と。こちらは男用の下駄スケートのこと。それも使ったらしい。もちろん、段ボールや古くなったホーロー看板板を転用しソリ遊びをしただろう。
 彼らの子どもの頃は、運搬にはまだ馬車が使われていた。竹スキー、どっこのほかに、長靴にバンドで巻くスケートで馬車の後ろにつかまって滑る遊びがあって、馬が闊歩(かっぽ)するときに噴出するフンを避けるのが面白かったという人もいた。
 中高年になると雪かき、雪捨てを行う冬は辛くなる。けれど、どこかにほっとするものが欲しくなるのだろうか、冬の遊びを思い出すのかもしれない。陣地取り、雪合戦、かまくら、てんが(硬い氷玉)づくり…など。子どもの多い時代に雪は多く、遊びも多様だったと思い出す。
 そんな風景は遠い昔。だが、少子化にあって能代山本の各地で冬のイベントが大小続く。中高年も童心に帰って応援を参加を。(八)

 


 

大雪大混乱と東京限界説

(1月24日)

 北関東出身で東京都内に住む70歳の会社経営者と、都内であるいは能代で懇談すると、地方の厳しい現実と首都の繁栄が話題に上る。
 彼は誰も住んでいない実家をどうしたらいいのか、別家筋が難色を示している「墓じまい」を何としたらいいのか、などと地方出身者ゆえの悩みを明かす。その一方で、東京は人口の面でも経済・観光の都市機能の面でも「限界にきている」とし、何かの拍子に綻(ほころ)びが大きくなり、瓦解(がかい)していくと気掛かりな予想を語る。
 「東京限界説」は昨年11月の都内での懇親でも吐露。自分たち夫婦は年も重ねて老い先は短いので、その時は諦めるけれど、未来のある息子家族はどうなるのだろうか、と心配そうに言葉を続けた。
 ふと、2年前に公開された怪獣映画の「シン・ゴジラ」で東京が破壊されていくシーンが浮かんだ。
 そのうえで、彼は地方は見直されるべきだ、いや見直されるというような結論に向けた。同席した秘書の女性も「最近は特にそう感じますね」と相づちを打った。
 東北の田舎にどっぷりと漬かり、自然や食の豊かさを享受し、のんびりと暮らしながらも、少子高齢化と急激な人口減、地域経済の縮小を憂い、わが地の将来を案ずるこちらに対して、気休めを言っているのか、本当に「地方の時代」を思っているのか。そこは判断付きかねるが、首都圏在住者に潜む恐れと不安が、会話に隠れていた。
 そのことを思い出したのは、関東地方の大雪、東京都心で4年ぶりの積雪20㌢超で、大混乱が起きたからだ。
 交通機関は運休や遅延で、人も道路も鉄道も右往左往、駅周辺は帰宅を待つ人々であふれかえり、転倒や車のスリップ事故が相次ぎ、コンビニやスーパーには食品を買い求める人が殺到。寒さで一斉に電気の暖房を使うものだから、電力会社は節電も呼び掛けた。
 雪国からみれば、わずか1日の高々20㌢の積雪でこの大騒動。数日続けば大パニック必至だった。あまりにも雪に脆(もろ)い一極集中の東京。子やきょうだい親類に、いらぬお世話かもしれないが、万一に向けてしっかりと備えよと叫ぶ。(八)

 


 

「あばふたあわね」より「あびあう」に

(1月19日)

 知人が「あばふたあわねェ、あど構わね」と愚痴をこぼしていた。
 健康状態があまり芳しくなく食生活が乱れている年下の仲間を心配して、気遣いの言葉をよく掛けて、時には差し入れもしたのに反応がない、というよりも近頃は当たり前のように受け止めているのか、「どうも」とか「世話なるな」などの言葉が返ってこなかったそうだ。
 見返りを求めているわけではないが、こちらの思いやりに対し、感謝ぐらいあってもいいはず。それがこんなでは、厚意の無駄、「あばふたあわね」だというわけである。
 それを思い出したのは、過日、隣席で食事をしていた中年女性3人組が、「あばふたあわね、ってどういう意味なのかしら」とああでもないこうでもないと話していたから。
 案外に使う方言の「あばふたあわね」は、冨波良一著の「採録・能代弁」では①どうにもこうにも辻つまが合わない②収支つぐなわない③とんでもない大変な程の④比較にもならない程⑤てんで問題にならない⑥ハナシにもなにもならない──の意とある。
 使用例として「とにがく、あばふたあうもでねでば」(とてもじゃないが、てんで間にも尺にも合いやしないのさ)を紹介しているが、語源には触れていなかった。
 工藤泰二著の「読む方言辞典──能代山本編」では、「あばふた」は「勘定、具合、調子」で、「あば=網端」「ふた=蓋?」とし、次のように考察している。
 「ボラはよく跳ねるのでボラ網には、あば(網端)に蓋網を付けて網の外に跳ねて逃げるの防ぐ。この網端と蓋が良く合わないと目的は達せられない。そこで具合が良く行くことを『アバフタ合う』、うまく行かないことを『アバフタ合わない』というようになった?」と疑問符をつけながら説明している。
 「あばふたあう」という言い方はほとんど聞かない。「あばふたあわね」はしばしば耳にする。それだけ世の中は、間尺に合わないことが多いということなのか。
 勘定も具合も調子もうまく折り合いたいもの。「ちょうど合致する、歩み合う、間に合う」の方言の「あびあう」にだ。(八)

 


 

ハダハダ音頭を聴いて思う

(1月14日)

 カーラジオから、♫とれだえ、とれだえハダハダ大漁だ、よいしょ、よいしょよいしょ、えんやらホイ、ドン…とにぎやかな歌が流れてきた。12日昼のNHK東北地方FMの「民謡をどうぞ」。曲名は「ハダハダ音頭」で、唄い手は千葉美子。
 以前どこかで聴いたが、今回は強い印象を受けた。特にも2番の「白子の貝焼(かや)ぎだ、おどさん、おがさん、嫁コ、あんさん、仲えぐ食べれしゃ」と3番の「恋のハダハダ、孕(はら)み子ハダハダ、まんづ見事なしょっつる貝焼ぎだえ」の歌詞に。
 それは、去年の12月20日すぎに「しょっつる貝焼き」を1度食べたけれど、「まんづ見事」ではなく小ぶりで、孕みのどろりとした粘りのあるブリコの入った雌は2匹であったこと、精巣だけを集めてクリーミーを堪能する「白子貝焼ぎ」はなかったためで、音頭のように味わいたかったなあ、と思った。
 年明けの食卓がなんだか寂しい。ハタハタの三五八漬けも塩麹(しおこうじ)漬けも味噌(みそ)漬けも醤油(しょうゆ)漬けも仕込まなかったから、自家製の「焼き」で出てくるはずもないのだが、それぞれに味わいがあり、朝食に夕餉(ゆうげ)に何匹もぱくついたことを思い出して、恋しくなった。
 男の料理自慢でハタハタ寿司(すし)を毎年作る知人と出会うと、「いや~申し訳ない。今年は漬けれなかった」と平謝りされた。いつも貰(もら)うこちらが頭を下げるべきなのに、たまたまできなかったからといって、呉(く)れる側に平身低頭されては、戸惑うばかりだった。
 あれもこれも、沿岸季節ハタハタ漁の不振によるもの。初漁が遅くとも、そのうち揚がるだろうと買い控えているうちに、本当に不漁となり、高値もあって手当てできなかった家庭が多かったようだ。特に八森・岩館を中心とする県北部の黒光りを求めようとした場合に顕著だ。
 さて、件(くだん)のハタハタ音頭(ハダハダとも)は、秋田市土崎生まれのプロレタリア文学の小説家・金子洋文の作詞で、作曲は小松平五郎。昭和9(1934)年に発表された。踊りもあったようで、振り付けは三種町出身の舞踏家・石井漠。
 その時代のような大漁はもうないのだろうか。不漁の分析と対策を切に願う。(八)

 


 

甲子園ベストゲームと能代勢

(1月9日)

 朝日新聞の5日付15面のスポーツ特集に「能代商」を見つけ、あの感動を共有している人が全国にいると知り、うれしくなった。
 全国高校野球選手権大会。「夏の甲子園」は今年で100回を迎える。主催の朝日は力こぶが入っているようで、各種企画を組んでいる。「能代商」が出てきたのは、読者からインターネット投票を募った都道府県ごとの1915年からこれまでの「これぞベストゲーム」の広島県編。
 1位は2007年の第89回大会決勝で広陵が佐賀北に満塁本塁打を浴びて逆転負けした試合(6692票)。思い出して、何となく分かる気がした。3位に2011年の第93回大会の3回戦、如水館と能代商の戦いが914票を集めて入った。
 広島県側からみればこの試合は「如水館が3試合連続で延長戦を制した。延長12回に勝ち越されたが、その裏に2点を奪ってサヨナラ勝ち」。かつて広島商を全国優勝に導いた迫田穆成(よしあき)監督が率いるチームの粘り強さと劇的な勝利が印象強いのだろう。
 秋田県、能代側としては惜しい試合だったが、能代商の2度にわたる中継プレーによる本塁の死守、保坂祐樹投手の179球の熱投、能代勢では初めて秋田県勢では16年ぶりで2勝した能代商の成長が鮮烈によみがえる。
 さて、近日公開されるという秋田県の夏の甲子園ベストゲーム。1位は予想した通り、1984年の第66回大会準決勝の金足農と大阪はPL学園戦(2794票)。好投の水沢博文投手がPLの桑田真澄(後に巨人投手)に逆転本塁打を浴びた試合だった。
 3位(1728票)はあの第93回大会の能代商が1回戦で神村学園(鹿児島)を5─3で破り、県勢13年連続の初戦敗退を食い止めた試合。6位(477票)に1978年の第60回大会の能代─箕島(和歌山)の1回戦。豪快なフォームで「東北の星飛雄馬」と称された高松直志投手が完投するも0─1で惜敗した。
 夏の甲子園。能代勢の出場は能代4回、能代商(現能代松陽)3回。それも含めて誰にも心に残る熱戦があるだろう。思い出しつつ、能代勢が再び甲子園のグラウンドに立つことを夢見る。(八) 

 


 

第八十三番「大吉」を引いたけれど

(1月5日)

 小雨の元日昼すぎ、近くの神社に初詣に出掛け神妙に願掛けしてから、縁起物の売り場でおみくじを求め開いてみると、「第八十三番」だった。
 「破(八)産(三)」につながるとして、木材製品の競りでは値が折り合わず不落になると、競り人が誰も付けない荷主番号の「八十三番よ」と符丁で呼んで収めるように、日本人にはあまり好まれない番号だが、「豈(あに)図らんや」。意外にも「大吉」だった。
 「水平線に真っ赤な太陽が昇る海辺の朝の風景のように、愛情も信頼も加速度的にすべて好転していく盛運となります」と。「こいつぁ春から縁起がいいわえ」と歌舞伎の三人吉三のお嬢吉三の台詞(せりふ)を一人ごちた。
 その後、元日営業のスーパーに切らしてしまった青豆きな粉を購入しに行き、レジ精算すると、高校の同級生とばったり。こちらに気付いた彼は「やあ、久しぶり」と声を掛けてきた。
 続けて「じっちゃになったなぁ」と。混雑した店内で案外に大きく発したものだから、周りの客がわれらの方を振り返って、怪訝(けげん)そうな顔を見せる始末だ。
 孫を連れている祖父を指して「じっちゃ」と呼ぶならまだしも、彼は「お前も年を取ったものだ」「随分と年寄り臭くなってしまった」といった言い方であり、心の中で「え~っ」と驚いた。
 約10年ぶりの再会。還暦すぎて年齢を積み重ねているのだから年寄りではあるのだが、「じっちゃ」はないだろうと思った。せめて「年相応になったな」と言ってほしかった。「お前だってじっちゃ」と言い返したかったが、ぐっとこらえて、互いがなんとか生きていることを知りつつ、「いずれまた」と別れた。
 年初に出会った懐かしの人に「じっちゃ」と言われ、おみくじで大吉を引いたうれしさも一気に吹っ飛んでしまった。俺はそんなに爺(じじ)むさいのかと。
 お世辞におべっかに「若い」とは言われたくないが、せめて「変わらないなぁ」「少し若くなった?」などと語り掛けられたいもので、「心も体もフレッシュになるように」と新年を迎えて誓った。
 友人からの年賀状にあった、「健康第一」もである。(八)