市議選、今回は静かなのか

(2月27日)

 突き詰めれば能代市政に大いに関心があり、今は選挙に注目している後輩で、方言で評するところの何にでも首を出す「くされたまぐら」が聞いてきた。「市議選どうなりますか。実は…」と。
 4月8日の告示まで1カ月余となった能代市長選と市議選。今月19日の立候補届け出等説明会には、市長選は4選出馬を表明している現職の斉藤滋宣氏(64)=二ツ井町字下野=と、新人で市議の小野立氏(39)=栄町=の2陣営が顔をそろえ、一騎打ち濃厚となった。
 一方、市議選は20陣営の出席。報道によれば、内訳は現職が出馬を明言している13人と態度なお留保中の1人の14人。新人はすでに準備を進めている26歳の男性と53歳の女性の2人。ほかに元職2人と元旧町議1人、政党関係の1陣営という。
 市議会の定数は現行の22が2削減される20。とすると、説明会に出席した全部が立候補しても、定数通りで、無投票当選となる。加えて、今のところ出馬が明確なのは現職13人に新人2人と元職1人の16人で、定数を下回る。
 現職で説明会に出席しながら留保中の1人と、欠席した6人は、家族や後援者と相談したり、地盤や支持基盤が重なるライバルの動向を探りながら、揺れ動いていると思われる。仮に7人皆が再挑戦するとなれば、定数20に23人の争いとなるが、それぞれ事情を抱えていると解説する事情通もおり、全員とはいかないとみられ、定数を1人か2人上回るのではないか、との予想が早くも出ている。
 4年前の前回は、年末から年明けにかけて新人の立候補表明が相次ぎ、それが誘因となって現職が引退を明かし、世代交代の波が押し寄せた。結果、22の定数に対し30人が挑む、8人オーバーの近年にない激戦となった。
 その前哨戦と本番を知る後輩は、今回の市議選を思いもよらない静けさと受け止めるのだろう。彼の口からは、現職の出ないだろう、出られないだろうの噂(うわさ)や分析、新人が挑もうにも壁がある理由や若い人の意欲が衰えている話が出てきた。
 市議選の顔触れがそろうのはもう少し先。戦いは少数か多数か、それとも無風か(八)


 

ブナの植樹の思想と思い出

(2月22日)

 20年ほど前だったか。八峰町峰浜の水沢川源流部で写真を撮り感想を聞いていると、「記者さんも植えて」と声を掛けられ、へっぴり腰で鍬(くわ)を懸命に振って穴を掘り、ブナの苗木を丁寧に植え付けた。
 ここ数年は取材は若い人に任せ、自由参加で高峰山のブナ植樹。裏方役や能代市内から駆けつける人とは顔なじみとなり和気あいあい。時に九州や四国など県外からの家族連れ、秋田市内の大学生らと組んで汗を流した。
 植栽地の山から下りて集会施設で昼食。地域の女性たちが腕を振るった「だまこもち」は疲れた体を癒やし空腹を満足させた。ガッコ(漬物)も。向かいの人が見ず知らずでも、世界遺産の周辺部での取り組みと、自然の豊かさを語り合えた。
 それらがないまぜになって「また行こう」という思いが起きる。けれど、それは今年からなくなる。ブナの植樹活動を続けてきた同町の「海と川と空の塾」が、運営スタッフの高齢化と後継者の確保難から解散、23年にわたる活動に区切りをつけたのだ。
 今の塾代表の佐々木正憲さんが81歳。支えるスタッフのほとんどが60代以上、顔ぶれからして、山の仕事の難しさからして、やむ得ないと思う。ご苦労様。
 塾の構想が具体化したのは平成7年。初代塾長で旧峰浜村長を通算4期務めた故田村一郎さんが、村長選落選後まもなくしてだった。
 「自然と人間の共生社会を目標に『自ら小さな実践』をしようとする人々の集まり」との考えと、白神山地にブナの苗木を植える、都市と農村の交流を目指すグリーンツーリズムの住民レベルの実行という計画にはうなづいた。けれど、新聞記者は4年後の村長選の布石ではないのかとうがった見方もし、それを本人にぶつけたが、「行政ではできない共生思想提起の場をだ」と軽く一蹴された。政界引退を示唆し、余生の覚悟を披瀝(ひれき)しつつ。
 田村氏、佐々木氏らの願いや思想、住民のもてなしが県内はもとより全国からも賛同を広げ、約1万4000本が峰浜の山に育つ。
 自分が植えたブナはどれほど力強く成長しただろうか。いつか再会したいものだ。 (八)


 

危機管理の欠如、九州寒波でも

(2月18日)

 家を新築する時にもう少し間取りを考えるべきだったか。風呂と洗面所は西端に配置したが、外壁は北西からの雪を伴った冷たい季節風にさらされ、猛烈に冷え込むと、水道が出なくなることがあるからだ。
 水道管の水抜きをしたり対処もするが、極端な冷え込みはないだろうと油断した時に限って凍結してしまう。先月末もそうだった。反射式石油ストーブで室内を暖めるのだが、そう簡単に溶けるものでもない。風呂はなし、洗顔は台所で沸かした湯でとなる。
 我が家のような騒動は先月末に能代山本のあちこちで頻発。「配水管が凍って大変だが、業者に手配しても込んでいるらしく、すぐ来てくれない。風呂は近くの公共温泉でしたよ」などというぼやきを何人からか聞いた。 冬に鍛えられているはずの北国からしてこうなのだから、めったに雪の降らない暖かな南国の人が、異常な寒さに見舞われたらどうなるのだろう。
 九州地方は立春すぎて寒波に襲われ、福岡県筑豊地方の人口1万6000人余りの川崎町では8日に町営住宅の約150世帯が断水、役場には漏水などの連絡が約100件寄せられたという。そこで町は町長を本部長に災害対策本部を設置、全町的な状況の調査に当たったそうだ。当然の対応である。
 ところが、その夜、町長や副町長、教育長ら町幹部24人が約40㌔離れた隣県大分の日田市のホテルに集まり、退職予定の職員の送別会を開催、町長ら大半が宿泊して、翌朝まで町内に不在だったことが分かった。
 断水・漏水問題があらかた片付き、担当の水道課長らが役場に待機していたとはいえ、予想もしない寒さが続き住民が不安を抱いている中で、遠出の宴会、さらには宿泊。危機管理が乏しいと非難が上がった。
 その報道を知って、「あれ、似たようにことが秋田でもあったよな」と、昨年7月に豪雨災害が起きた日に、県外に部下らとゴルフに出掛け、宴会付き宿泊をした知事を思い出した。
 北国も南国もすでに決めたことはやめず、トップも部下も「まずいよ」「中止する」「引き返す」という常識がないらしい。  (八)


 

能代の現代史を学びたい人

(2月15日)

 今年満60歳を迎える知人が感慨深げに語っていた。「自分たちは昭和を30年生き、平成を30年過ごし、新しい時代を迎える」と。
 来年4月30日の天皇陛下の退位と、翌日の皇太子殿下の天皇即位・新元号のスタート。還暦を過ぎて歩む新時代を前に、昭和と平成の国内外、生まれ育った能代市・秋田県の出来事と家族・自分の来し方を振り返りたいの姿勢が伝わってきた。それを具体的に探るとき、何の資料を参考にするのだろう。
 今年は明治150年。昨秋の勉強会でノンフィクション作家は「改めて近代日本の歩んだ姿を確認してみることが大事だ。そのことで多くの視点・論点を失っていることに気づくはず」と節目の年の意義を説いた。
 日清、日露、第一次大戦、満州事変から太平洋戦争、敗戦、戦後復興、高度成長。地方に根を張る者としては、大上段の国家の視点ではなく住民の目線で、わが地域がどうであったのかを捉えるべきなのだと考えた。
 後輩からメール。「28日に、京橋のフィルムセンターで『能代港町全貌(ぜんぼう)』が上映されます。小学校の同級生からの誘いを受けて、映画を観に行って、帰りに一杯やることになりました」と。
 「能代港町全貌」は、戦前の能代の町並みや人々の暮らしを記録した無声映画。ナレーション付きで複製され、東京国立近代映画美術館で開催中の「発掘された映画たち」での上映日に駆け付け、能代にぎやかになりし頃に触れるというわけだ。
 そんなことが浮かんだのは、20日から始まる能代市の3月定例議会に提出される議案に「市史の編さんに関する条例廃止」があり、「旧能代市から取り組んできた市史編さん事業を30年度末で終了させる」とあったから。
 旧能代の市制50周年記念事業として平成2年から行われた事業は、「通史編近世」の刊行をもって終了することが5年前の議会で承認されているが、条例廃止案提出に慨嘆するものがある。
 明治以降の能代の政治経済や産業文化、災害の網羅的に分かりやすく記録解説し伝える書籍の出版は、もはやないのだろうか。「歴史に学びたい」市民は少なくない。(八)


 

 

地方選へ政党票を読み返す

(2月10日)

 沖縄県の米軍普天間飛行場の名護市辺野古への移転が争点となった4日の名護市長選で、新基地建設を推進する政府が推す新人が、建設阻止を訴えた現職を破って当選したことは、基地問題への関心の度合いが異なっても能代山本の多くの人々が注目した。
 社民、共産、社大、自由、民進推薦、立民支持で知事も応援した現職が優勢と伝えられたが、自民、公明、維新推薦の新人が予想外の票差で勝利したことの背景がさまざま分析されている。
 その中で、高名な在京の政治ジャーナリストが「公明党の票が大きかった」とコメントしていた。前回は自主投票だった公明党は今回、新人を推薦、強固な運動を展開したことで当落の帰趨(きすう)の一つとなったとの見方だ。
 それぞれの党の事情や方針、住民の思いや感情があるから、遠い秋田からあれこれ想像しても、上っ面をなぞる程度になってしまうけれど、創価学会を最大の支持母体とする公明党の票の影響力を改めて感じざるを得ない。
 昨年10月の衆院選。秋田2区は自民党前職の金田勝年氏が、希望の党新人の緑川貴士氏、共産党新人を退け当選したが、金田氏7万4835票、比例復活当選の緑川氏7万3163票で、1672票の小差だった。
 この時、2区の比例代表の政党別票は①自民5万9388②希望3万9645③立憲民主2万1087④公明2万0050⑤共産9983⑥維新4226⑦社民4060──の順。比例の票がまるまる小選挙区の推薦候補者に行くわけではないが、公明票なくして金田氏の当選はおぼつかなかったことは自明だ。
 一強といわれる自民も、批判にさらされれば票は漂流する。旧民主は3党に分裂、地方組織は見る影もない。共産、社民も低迷。公明が気を吐いている印象を受けるのである。沖縄も秋田も。
 さて、春には能代、八峰、三種の3市町の首長選、議員選。身近な地方選挙に政党を名乗るほどでもないと、無所属出馬が圧倒的だが、政党票は動向の目安であり、票の基礎を担うのだから軽視はできないはずだ。
 昨秋の衆院選の各市町の比例票をじっくり読み返す。   (八)


 

 

能代市長選に4度挑んだ人

(2月4日)

 4月の能代市長選が水面下から浮上して動き出すと、担当記者らが打ち合わせているの聞いて、過去の市長選を振り返り、先月28日に逝去した豊沢有兄さん(享年74)を思った。
 市長就任は合併前の1期3年だけであったが、通算4度の立候補は厚い保守基盤への挑戦の連続であり、そこに反骨と「開かれた市政」への熱があったとその顔が浮かんだ。
 豊沢さんは昭和30年代に市長を務めた豊沢勇治氏の長男。大学卒業後、地元で学習塾を経営していたが、その存在が広く知られたのは戦後最大と言われた市長選のあった昭和62年である。
 自民党を除名された宮腰洋逸氏と、圧倒的な権勢を誇っていた能代の自民党、県議会議長、現職市長が支援する国会議員秘書との一騎打ちで、豊沢氏は宮腰陣営に参画、草の根型選挙を担うとともに、論理的で舌鋒(ぜっぽう)鋭い応援演説を行い、一気に注目を浴び、政治家になりうると期待されたのだ。
 それから8年後。もともと保守の宮腰氏の政治手法に批判的になり、袂(たもと)を分けた51歳の豊沢氏は宮腰市政に飽き足らない市民グループに推され立候補するも遠く及ばず。さらに平成11年は票を上積みしたものの、またも宮腰氏に敗れた。
 宮腰氏勇退後の15年の選挙に三たび挑戦。県議を辞した能登祐一氏(故人)と事実上の一騎打ちとなった。保守陣営・経済界をバックにした厚い組織基盤の能登氏との戦いは、厳しいとも予想されたが、能登氏の宿痾(しゅくあ)であった能代産廃問題の全面解決や「新しい発想で新しいまちを」などを訴え、「3度目の正直」を果たした。
 当選後は合併に汗を流したが、「能代の冠を捨てる覚悟」発言が波紋を広げ、白神市名称問題も絡んで大合併が頓挫(とんざ)。その政治手腕も問われ、18年の選挙では自民党元参議院議員の斉藤滋宣氏に敗れ、新市の市長の座に就くことはできなかった。
 市長選1勝3敗。3期務めた父には及ばなかったが、困難な戦いを強いられながら、市政の変革を求め敢然と挑んだことは、能代の選挙史に燦然(さんぜん)とする。
 氏の好んだ言葉の一つ、「One for all, All for one(一人は皆のため、皆は一人のため)」を胸に刻む。(八)


 

仮想通貨、できぬ世代は安心

(2月1日)

 興味を覚えたが、とてもじゃないが自分には出来ないと分かって、結局何にもしないで今日に至り、むしろ安心している。というよりも「妙な時代になったものだ」と驚く。仮想通貨のことだ。
 昨年11月、息子を連れて帰省した幼なじみの女性と、同級生の友人と懇談した。すると、30代の息子は「ビットコイン、やった方がいいですよ。必ず値上がりします。保証します。これからは仮想通貨の時代。いろいろ使えるようになります」と話した。
 仮想通貨も、その代表格のビットコインも何となく知っていた。ただ、「仮想」という言葉に胡散(うさん)臭さを覚え、特に関心を持ってはいなかったが、強く勧められれば心が動いた。
 幼なじみの息子はIT産業にも詳しい若き起業家であり先見性もある。年を重ね引っ込み思案になり、新しい物事に斜に構えている自分と比較しながら、若い人の声に耳を傾けたいとも思った。
 彼の説明によると、年初に購入した1ビットコインは10万円そこそこだったのが、活発な取引で100万円台に。今後さらに価値が上がるので「買うのは今でしょ」。
 それから1カ月後、幼なじみからメール。「あの時、ビットコインを買ったのかな?、買っておけば40万円ぐらい儲(もう)かったと思うけど、と息子が話していた」との内容。
 こちらはパソコンで仮想通貨の始め方や売買の流れを一応調べたが、スマートフォンで取引所を選んで、メールアドレスとパスワードを登録して口座を開設、現金を口座に入金という手続きを目にして、一気に気分が萎えて諦めた。スマホ体験1年生には不安が大きすぎるから。すでに高値になっているから。
 その後、ビットコインは1ビット200万円台まで高騰、年明け後急落。友人は「身の丈に合わなかったし買い方も分からないよ。知らなくても良かった」と感想をよこした。
 仮想通貨取引所「コインチェック」から顧客資産の通貨約580億円が不正に流出された。若い世代がスマホで手軽に投資目的で取引していたことが浮かび上がっている。
 仮想の危険を察知すべきと知る。触れない、使えないわれらには関係ないけれど。(八)