春を探す、春を求める

(3月30日)

 タクシーで顔なじみの運転手と世間話に花を咲かせると、彼は「先日、マンサクの花を見てきましたよ。いいもんだスナ」と、白神山地の麓に出掛けてきたことを教えた。黄色で細長い花が「先(ま)んず咲く」だったらしい。
 「オラホだっけ、まだ雪もっこりある」と山間部の農家のおかあさんはぼやき、北国はまだ残雪が残るところもあるが、それでも「春を探す」が待ちきれない人も少なくないことを知った。
 気温が15度を超えた日に、こちらも春を探そうかと思っていたところ、近所の東側の門近くにクロッカスの花が咲いていた。黄、白、濃い紫、薄紫の絞りが小さくてもまばゆい。雪に耐え、寒さに負けず育ち、早春の日差しを受けて一気に花を開かせたようだ。
 丈夫な植物なのだろうか。植えっぱなしが春到来を告げようと毎年咲くのだから。何だか元気をもらった。
 仏壇が残されている空き家の実家の見回りに行くと、一番日当たりが良くて熱を持つ南側に面した庭の道路際でもクロッカスが愛くるしく10本ほど開花しようとしていた。丹精込めて植えた人はもういないのに、健気(けなげ)だ。
 柄(がら)にもなく花言葉を調べると、クロッカスは全般では「青春の喜び」「切望」で、春を待ち望むことと、開花がもたらす嬉しさを表しているよう。紫は「愛の悔恨」、黄色は「私を信じて」。実家とどう結びつけるべきか。「孝行したい時分に親はなし」の言葉が浮かんだ。
 なじみの店に寄ると、カウンターのザルにバッケ(蕗〈ふき〉の薹〈とう〉)が入っていた。「食べる?」と聞かれたので、「さっとコ」と話すと、二つほど天ぷらにしてくれた。軽く塩を振って頬張ると、独特の苦味と香りが広がった。
 別の店では、店主の奥さんが川の土手で摘んだものを甘みそで和えた「バッケ味噌(みそ)」がおまけに。これもまたほどよい苦さだった。
 冬の間に体内に停滞した老廃物を排出してくれるかはわからないが、「春の生命力」を感じた。
 青年期まで、バッケを口にすることはほとんどなかった。先輩も店主もそう言う。しかし、今では春一番を告げる食材。「食の老人力」が付いてきたことを楽しく思う。 (八)


 

春彼岸に学んだ「愛敬」

(3月26日)

 回忌の卒塔婆を雪に埋もれた2月の墓の後ろに立てることができなかったので菩提寺に預け、春分の日に受け取りに行き、改めて供養した。その折、寺に宗派の新聞の春彼岸号が重ね置かれており、頂戴してきた。
 「愛嬌(あいきょう)と愛敬」と題するコラムに目が行った。「男は度胸、女は愛嬌、坊主はお経」ご存知でしたか?──と冒頭で問いかけていたのだ。
 今の時代、物怖(お)じせず、肝っ玉が据わっていて、かつ決断力がある「度胸男」がどれほどいるのか。むしろ女性の方が困難な場面で落ち着いていることが少なくない。
 にこやかでかわいらしい「愛嬌」は子どもにふさわしいが、女性の場合はそうした振る舞いをしないことがままあるし、人の受けを得ようとやたらとお世辞を言い、愛想を振りまく男性をよく見かけるので、「女は愛嬌」は必ずしも当てはまらないようにも思える昨今である。
 何にしても、「男は度胸、女は愛嬌」は「男女それぞれに必要とされる特性を対句的に言ったことば」(広辞苑)で、下の「きょう」の語呂合わせ。それに続く「坊主はお経」はどこかで聞いたようでもあるが、記憶に残っていなかった。
 コラムによれば、元々「愛敬」と書き、「あいぎょう」と読む仏教用語が近世になって「愛嬌」として使われるようになったそうで、「敬」は他人をうやまうこと、謹んで物事を行うこと、身を引き締めてうやうやしくなどの意味があるという。
 その上で、男性も仕事の鬼になるよりも、人びとに愛されて、皆の心を惹(ひ)く愛敬が必要かもしれないと説いていた。「坊主もまた世の中に愛敬されるようにもっと精進と積みなさい」と。なるほど。
 春彼岸に一つ教えられた。
 調べると「坊主はお経」の後に、さらに「きょう」の語呂合わせがあり、「子どもは勉強」とか「牧師は説教」など。感じ入ったのが「ここは東京、帰れぬ故郷」である。
 墓地公園をめぐると、花が手向けられなかったり、何年も手入れされていない墓が目に付いた。「帰れぬ故郷」ではなく、「薄れる愛郷」ではないのかと胸が塞(ふさ)いだ。(八)


 

能代市議選、木材の次は労組

(3月20日)

 4年前の能代市議選。新旧交代の波が激しく、若手新人が台頭したことが大きな話題となったが、一方で、時代の流れにしてはあまりにも寂しい現実に憂い嘆きの声が上がったことも忘れ難い。
 木都能代、林材業のまち二ツ井が合併した新能代市に、木材業界出身の議員がついにいなくなったことだ。
 能代山本は、木材関連業に身を置いたり、出身の地方政治家がいた。旧能代市は過去に市長2人、県議2人。市会議員は常に5人前後が議席を有した。経営者、個人事業主、業界団体の専従者、業界新聞記者、労働組合幹部、森林組合長など。旧二ツ井町は県議を輩出したほか、町議は複数いたことがある。
 しかし前回、旧能代市は業界人3人が引退、立候補はゼロに。旧二ツ井町からは木工業の1人が出馬するも落選。好況と栄華、長い不況と低迷・縮小を凝視してきた知人の「わが業界から市議会に誰もいなくなるのか」の言葉は、その通りとなった。
 4月8日告示の今回は、定数が2削減された20に対し、今のところ現職17人、元職2人、新人2人の21人が名乗りを上げているが、木材業界関連はいない。
 その顔触れを見ていて、もう一つ感慨深いものがあった。労組出身者、あるいは労組と深い縁があって強力な支援を得る立候補予定者が、旧国鉄・現JR出身が1人いるだけとなったことである。
 旧能代市の場合、国鉄系の国労、動労、郵政系の全逓、電電公社(NTT)の全電通、民間の県木労、秋木労組、東北電力労組、地域労組の集合体の能代地方労の出身者がおり、また林野庁系の全林野のバックアップを受けて上位当選する事業主もいた。定数が36と多かった時代は6人前後。
 今回、国労出と動労出の2人のベテラン議員が引退を表明。その出身労組から後を継ぐ若手がいないこと、また別の労組からも動きがないことが、沈滞を招いている。
 労働組合運動が低迷、若い世代の労組離れが進んでいることが背景にある。合わせて凋落(ちょうらく)した社民党、実態の見えない民進党、能代で結集できていない立憲民主党の力不足を露呈している。
 能代市議選、隔世の感だ。(八)


 

故郷の人口減を案じ提言

(3月15日)

 1カ月前、宮城県仙台市在住の同期生からメールが届いた。
 「ネットの北羽ニュースを拝読していて、なんだか閉塞(へいそく)感を感じるのが能代市の人口動態の推移。その度(たび)に何人減った、世帯数が減ったと減少ベクトルの記事ばかり。事実は事実として配信すべきでしょうが、付加価値を付けてポジティブ発信をされてみては」と。
 小社のインターネット上のホームページの短い記事を毎日のように読んでくれて、うれしいやらありがたいやら。そして故郷を気にかけていていることに対しても。
 指摘の人口動態調査。増加した、減少に歯止めがかかったとの内容であれば、地元に住む人も、離れた人も元気が出るが、毎月毎月「減った」と報告しなければならないのは、書く側・配信する側としても辛(つら)い。
 しかし、現実からは逃れられず載せる。そこから読者1人ひとりが政治や行政が何を感じ、何をするのかが問われると思うから。たとえ胸がふさがれる閉塞感をもたらしたとしてもだ。
 彼は、「付加価値を付けてポジティブに」という内容の記事を求めたが、それは別の視点、切り口で掲載すべきと考え、返答をためらっていた。すると、2月20日付に「能代市の人口、66カ月連続減少」の記事が出て、「また載りましたね」と再びのメール。
 その記事は、東京都に住む能代出身の50代男性も読んだらしく、本紙に「地方の人口減少と『地域人』の育成」と題して投書、3月4日付の「読者のひろば」欄で紹介した。
 高校生段階から生まれ育った地域に残りたい、帰りたいと思う「地域人」の育成することによって、人口減問題の解決の一つになるのでは、との訴えだった。
 冒頭の同期生も提案。「町を活性化するために、定期的に起業アイデアコンテストを開催したらどうでしょうか。有望なアイデアには何らかのバックアップをしてあげると応募する側の励みにもなります」と。一例として懐しい味の復活を期待してヤツメウナギの養殖を挙げた。
 急速に進む人口減の先を誰もが案ずる。ふるさとを思う人のさまざまな提案も受け止め、論じたい。近づく選挙に合わせて。(八)


 

八峰町の選挙に「寂しスナ」

(3月11日)

 何カ月ぶりかで出会った八峰町の男性が、「選挙なんだか寂しスナ。まあ、一休みというごどになるスベガ」と話し掛けてきた。
 若い頃、八森町と峰浜村が合併する前の熾烈(しれつ)な首長選である陣営を手伝ってきたそう。合併後は、少数激戦の町議選で自分より若い候補を応援、気勢を上げる集まりにも参加してきたという。それに比べれば、このたびは静かであり、冒頭の言葉になったようだ。
 4月8日に能代市長選と市議選、2日後の10日に八峰町長選と町議選、5月8日には三種町長選と町議選が告示される。
 能代、八峰は1カ月後、三種は2カ月後。戦いの構図はまだ流動的だが、能代と三種の首長選は現職と新人の一騎打ちが濃厚。議員選も能代は定数20を、三種は同じく16を超える立候補があるとみられ、定数削減に新人の挑戦もあって少数であっても激戦となることが予想され、選挙ムードが高まっていくとみられている。
 しかし、冒頭の人の八峰町。町長選は、今のところ新人の元県職員(66)が立候補を表明しているだけ。通常、現職勇退の選挙は、出馬の門戸を広げるだけに複数の挑戦があるのだが、「われも」という気概ある人物が続いていない。
 能代山本の過去の首長選で無投票当選は是非は論じられても、平成の合併前も合併後もあり、珍しいことではない。しかし、新人がいきなり無競争で座を射止めるとなると、過去50年間ない。記録としては、旧峰浜村に59年前の昭和34年に元県職員の若狭林蔵氏の当選が残る。八峰町はそれ以来となるのか。
 もっとも、対抗馬の表明が平成12年の八竜町長選で1週間前、7年八森町長選で5日前、3年の峰浜村長選は10日前にあったが。
 議員選の無競争は、なり手不足から各地で起きている。定数12を割る立候補も想像されていた八峰の町議選は、旧峰浜村長が9日に出馬表明して定数通りとなったが、このまま状態が続けば、前回の三種町のように首長も議員もダブルの無投票となる。町民はどう受け止めるだろうか。
 昭和62年の能代市議選で、告示日の朝に立候補を決断した新人が滑り込み当選したことを付記する。  (八)


 

どんぶぐの見直しをする?

(3月7日)

 東京五輪・パラリンピックの大会マスコットが先日決まった。全国の小学生が1学級単位で投票する総選挙方式。参加した能代市の児童は、公式エンブレムの市松模様に桜のデザインで伝統と近未来を融合したようなマスコットをどう受け止めているだろうか。
 作者の43歳のデザイナーが、真ん丸顏に丸刈り頭で濃いヒゲ、それに赤地に白や黄色の花柄をあしらって仕立てられた着心地のよさそうな和装風の姿で、マスコットに負けず劣らないキャラクターだったことから、よけいに親しみを覚えたかもしれない。
 テレビニュースや情報番組では男性のカラフルで簡易な着物風を「どてら姿」と紹介していたが、それを話題にすると、周囲は「あれはどんぶぐよね」とか「派手だどんぶぐだごと」などと、「どてら」ではなく「どんぶぐ」だと指摘した。
 不確かだが、「どてら」は「丹前」のような、そうではなくてつぎはぎしたような着物の記憶がある。
 広辞苑で調べると、「どてら=普通の着物よりやや長く大きく仕立て、綿を入れた広袖の着物。防寒用・寝具用。丹前」。また、「どてら」は「褞袍」と書き、「おんぽう」とも読むそうで、「褞」は「木綿の綿入れ」、「袍」は「からだをすっぽり包む衣服、束帯の上着」。丹前を短くして冬に着やすくしたのが「どてら」となったのだろうか。
 一方、「どんぶぐ」は綿入れの短い着物、綿入り羽織を指す「道服」が訛(なま)ったものと方言辞典。「ドンブグきてらんて、なもさびぐね」(道服を着ているので、なんにも寒くない)の使用例が紹介されていた。
 「昔は外出のオーバーに準じた」との説明もあった。確かに、かつては「どんぶぐ」を着てちょっと出掛けるという年配者が多く、下地も紺だけでなくさまざまで、柄も色彩豊かだった。
 「どんぶぐ」の袖無しが「ちゃんちゃんこ」。これは全国共通だが、子ども用は何とも可愛(かわ)いいが、少子化のためか着ている幼子を見る機会はほとんどないのは残念なところ。 
 件(くだん)のデザイナーに触発されていい。北国は「どんぶぐ」「ちゃんちゃんちゃんこ」の見直しをだ。(八)


 

チーム「んだにゃーノシロ」は

(3月2日)

 閉幕した平昌(ピョンチャン)オリンピックの感動の余韻は続き、テレビでは帰国したメダリスト・チームの凱旋(がいせん)の光景や秘話を連日のように報じていた。特に取り上げられたのが、銅メダルに輝いたカーリング女子、北海道のLS北見だ。
 LSはロコ・ソラーレ(Loco Solare)の略だそうで、その由来は「ローカル」と北見市常呂(ところ)の「常呂っ子」を重ねたロコに、太陽を意味するイタリア語「ソラーレ」をプラス。地域に根を張り、地元に愛されクラブチームにふさわしいと思う。
 そのLS北見は、「そだねージャパン」とも呼ばれていると、紹介されていた。戦術を話し合う際に「そうだね」と言うところを北海道弁というか北海道訛(なま)りで「そだねー」と発するからという。「ねー」を尻上がりに高くしたり、逆に下げた声にしたりと抑揚を付けてコミュニケーションを取っていた。
 若い女性がごく自然に使うそこに、標準語世界の都会人は面白さを感じ、方言を多用する全国の地方の人々はなんとなく親しみを覚え、にわかに名付けられた愛称ににこりとするのだろう。
 その「そだねー」に対して、秋田県生まれの情報番組キャスターの小倉智昭さんは「じゃあ、秋田は『んだねー』だね」とコメント。能代の女性たちも「んだねー」説に同調していた。
 確かに秋田弁では「そうだ」と肯定する場合に「んだ」と言う。だから、少し柔らかい言い回しで、標準語っぽく「んだねー」と話すのは十分ありなのだが、ちょっと違和感も感ずる。
 自分の周辺の女性だったら大概は「んだにゃー」を使うから。能代周辺では、女性に独特の〝猫言葉〟がある。自分の考えに同意を求める際に「にゃあ~」と、それに賛成したり理解を示したりする場合に「んだにゃー」と。
 「ねー」と同義の能代周辺の女性語方言・訛りは「にゃー」なのである。そして、LS北見の選手のように抑揚を付けて場面場面で微妙に使い分けることもできる。
 カーリングは無理として、何かのスポーツに「んだにゃーノシロ」があっていいかも。ただし、若い女性が使うかどうか。せめて中高年チームに。   (八)