うるげる?三種町議会

(6月29日)

 「うるがした/あなたになぜか/あまやどり」(能代市・水無月)。
 NHK秋田放送局の26日夕方の「ニュースこまち」の「秋田弁de川柳」コーナー。6月のお題は「うるがす」、つまり「水などにものを浸しておくこと」「物事を保留にしておくこと」を意味する秋田弁で、その銀賞に選ばれたのが水無月さんだった。
 小紙に時折コラム掲載をお願いしている詩人のあゆかわのぼるさんが選者で、どんな情景を描いたのか説明していたが、聞き逃したので、改めて尋ねると、こう答えた。
 「たぶん水無月さんはプロポーズされたのだが、直ぐ返事せずにいた。だけどうまい具合に結ばれて、今は旦那さんの傘の中で過ごしている。寄り添うように。あの時、うるがしたこと(保留)を今、少し悔やんだのだろう」と。
 なるほど。方言を織り込んだことで、情感がいっそう伝わってくる素敵な一句だ。
 だが、当方が想像したのは、「うるがす」が過度になってふやけて、だらけてしまりのない「うるげる」で、そこから三種町議会が浮かんだ。
 町長選と同時に5月13日に町議選も行われ、新議員が決まったが、初議会はまだ開かれず、正副議長の選出や各委員会構成の決定は選挙2カ月後の7月6日の見込み。新人議員が勇んで一般質問できるのは9月までお預けとなる。今月12日から3日間開かれた6月定例会は改選前の議員が出席した。
 同町は町長の任期が5月15日、議員が6月30日。本来は別々の選挙となるが、特例措置によって同一で実施、そこで「間が空く」状態が生まれる。12年前の合併で新自治体に議員が一定期間残れる「在任特例」を適用したことがいびつの背景にある。
 この解消に向けて議会に決議案が出されたものの、反対多数で否決した経緯があるが、選挙を相前後して同町の経営者や団体職員、会社員と雑談すると、不自然な議会形態に疑問や不満が相次いだ。
 4年前に任期問題に対し、秋田弁の「あめる」「いんかぬけ」を使って揶揄(やゆ)する声が上がっていたけれど、「うるげる」を加えていいかもしれない。(八)


 

「大迫、おどげでねぇ~」

(6月24日)

 「半端ないって、と言うものだろうか」と知人に聞かれ、「われわれ世代とは違って、若い人はよく使うのでは」と答えた。
 テレビのバラエティー番組で途方もない技を見せる人が登場したり、度外れな行動を起こす集団が現れると、司会者のお笑い芸人が「半端ねえ~」と叫ぶことを見聞きするからである。
 彼が「半端ない」を口にしたのは、ロシアで開催中のサッカーワールドカップの日本の初戦、19日のコロンビア戦で決勝ゴールを決めたフォワードの大迫勇也選手の代名詞が「半端ない」であり、試合後盛んに取り上げられているためだ。
 「大迫、半端ないって~」の生みの親は、9年前の全国高校サッカー選手権の準々決勝で大迫選手のいる城西(鹿児島県)と対戦した滝川二(兵庫県)の主将。大迫に2ゴールを決められ敗退したが、その技術の高さを泣き笑いしながらたたえて出た言葉だそう。
 知人が「半端ない」の使用を問うた裏には、方言ではどう言うのかがあったと気付いた。
 「半端」を「はんくた」と言う人がいる。そこから、仕事を十分にできなかったり人間形成がまともでない人を「半人前」とみて、「はんくたもの、はぐたもの」と呼ぶことがある。
 県教委の「秋田のことば」では、「はぐたもの=半人前」とし、「『はぐれたもの』の音変化した形が、何かと揃(そろ)っていなければならないのに、その片方を失うということが『はぐれる』であるが、そうした状態にあれば、一人前ではなく、半端なものでしかない」と解説している。
 では、大迫選手のような「凄(すご)い、めっちゃくっちゃ、とんでもない、とてつもない」を言い表す方言は何がいいだろうかと考えた。そこで浮かんだのは「おどげでね」。
 語源については略すが、冨波良一著の「採録能代弁」では、①冗談事ではなくて生半可の事でない②ちょとやそっとの事でなく偉い大変な③分量きわめて大量の④とても手に負えない程の─とある。
 ニッポンが敵にとって「おじゃされねぇ(手に負えない)」で、「おどげでね」となる活躍を期待しつつ、きょう24日深夜のセネガル戦を観戦する。  (八)


 

人を誘う花。近場の現状は

(6月22日)

 若い女性から「男鹿のアジサイ寺に行ったことがありますか」と聞かれた。「まだない」と返すと、「これから見頃になるそうですよ。場所分かりますか」と再び問われ、「北浦に着けば何とかなるんじゃない」といい加減なアドバイスをした。
 曹洞宗「雲昌寺(うんしょうじ)」。「秋田のアジサイ寺」は梅雨時の人気観光スポットで、ここ数年大勢の見物客が訪れている。約1400株。去年は能代の夫婦2組から写真を見せられた。
 彼女が興味を示したのは、情報を得ていたアジサイ寺が小紙の14日付の「おでかけ日和」に紹介されたことが拍車をかけたよう。高台にある寺からのアジサイと日本海、そして空が織り成す青の眺望を「死ぬまでに行きたい世界の絶景、だそうですね」と記者が記した言葉をそのまま使って語るほど。
 続けて彼女は、「向能代のアジサイ。あれは手入れして育てているのでしょうか」とも聞いてきた。何年か前に下校の小学生と花開いた道路端のアジサイの写真を掲載したが、それを覚えていたらしく、花の育て方にも思いが及んだようだ。
 ふと、東日本大震災後にボランティア活動をしていた県内の僧侶との交流の際に、若いお坊さんがアジサイについて語っていたことが浮かんだ。花はきれいだが散り終えてからの始末が難儀だとか、挿し木して増やす栽培が難しいなどと。雲昌寺が今日に至るまでには相当の労苦があったのだと改めて理解した。
 花を愛(め)でるため人は近場はもちろん遠出してでも出掛ける。能代山本からも神奈川県鎌倉市のアジサイ寺に、福島県三春町の滝桜に、栃木県足利市の大藤棚に、北海道富良野のラベンダー園にと。
 八峰町峰浜の農産物直売所での買い物ついでにポンポコ山公園に立ち寄った人が「ちょっとしょぼかった」と話していた。ラベンダーのこと。以前は1万株が植栽され、ほかに40種のハーブが植えられていたが、今は半分ほどで、ラベンダー祭りも中止が続く。
 能代市の落合沼近くにあった菖蒲(しょうぶ)園もなくなってしばらく経(た)つ。
 花は多くの人を誘う。名所には及ばないが近場の現状を寂しく思う。(八)


 

身近に知った人生100年時代

(6月17日)

 街で出会った傘寿を迎えようとする知人男性が、こちらに縁あるの女性が元気でいるのかを尋ねてきた。「母が気に掛けていましてね」と。
 彼の母親は以前、100歳になり長寿祝い状と記念品が贈られたことが小紙に紹介されている。ヘルパーの介護は受けているものの達者らしい。女性とは3軒離れた近所。ほとんど外に出ることがなくどうしているのか分からないので、息子に聞かせたというわけだ。
 問い合わせのあった女性は93歳。その人も家族に囲まれ健勝だが、外出は美容院と病院に行くぐらいで、同じ町内でも顔を合わせることは何年もなかったと思われる。「腰がだいぶ曲がりましたけれど、いたって健康です」と教えた。
 80歳になろうとする息子が、100歳超の母親との会話の中から問われ、90代半ばの近所の人の様子を心配する。ほほ笑ましいと思ったけれど、わが地域は高齢社会から超の付く時代になりつつあり、老介護もさらに年を増している現実を突きつけられた。
 そして、政府肝煎りの構想会議で議論されたり、ベストセラー本もあって、最近よく耳にする「人生100年時代」が身近にあるのだと知った。
 昨年9月に発表された秋田県の100歳以上は613人で、約9割が女性。最高齢は北秋田市の女性で現在110歳。平成21年度に比べると277人も増えている。日本人の平均寿命は平均87歳で、男性84歳、女性90歳。医療の発達もあって寿命は今後さらに延びると見込まれている。
 先日の講演会で、ある経済ニュース解説者は「2007年生まれの日本人の半数は107歳まで生きる」との予測を紹介した。半数ということは107歳以上を生きる人も相当数いるということだ。どんな世の中になっているのだろう。想像がつかない。
 年を重ね同世代は亡くなる人が目立ってきたが、超長寿も出てくると思われる。定年60歳から、人手不足も絡んで65歳以上まで働く人が増えているが、働き方はさらに変わっていくのだろうか。
 今の常識とは異なる「長すぎる老後」、長い人生の生活設計──その備えは。(八)


 

「CCRC」とは何ですか

(6月13日)

 匿名の読者から小欄にお叱りのはがきが届いた。
 10日付の「地方定住のある実例と提案」で、知人が提案した「能代は年金付き移住の促進を」について、「大都市圏に住む活動的な中高年齢者に生活費が都会より安く自然に恵まれた田舎で暮らすように促す一種のCCRC構想だ」との評を加えたことに対してだった。
 「『CCRC』とは何ですか。新聞は小学生から100歳まで見ています。中央紙では本文の横に説明をつけます。記事を書く『おれたち』が分かればええでは困ります」と。
 最近、超高齢化社会を悲観的にとらえず地方創生のチャンスととらえる「日本版CCRC」という言葉が、国や地方自治体の施策としてよく使われる。しかし、能代山本では具体的な構想もないためか、広く理解されていないのは確かだ。それを解説も注釈もしないで、当たり前のように記するのは、指摘されるまでもなく不親切であり、反省する次第である。
 改めてCCRCを説明すると、「Continuing Care Retirement Community」(直訳は継続的な世話付きの高齢者たちの共同体)の略で、仕事を引退・退職した人たちを対象とするアメリカの医療・介護制度。
 日本版は、構想の有識者会議によると、「東京圏をはじめとする都市部で生活する高齢者が、自らの希望に応じて地方に移り住み、地域社会において健康でアクティブ(活動的)な生活を送るとともに、医療介護が必要な時には継続的なケアを受けることができるような地域づくりを目指すもの」だそう。
 住み慣れた土地を離れることへの家族の理解や地方の受け入れ態勢、介護の人手不足などさまざまな問題が横たわっており、すんなりと進むのは難しいが、秋田市では拠点整備として18階建ての複合施設の建設が7月から始まる。能代山本は空き家対策も兼ねて、すでに実例のある出身者や縁故者の移住を積極的に進めたいと、再び考える。
 いずれにしても、「まち・ひと・しごと」づくりに関連して「PDCAサイクル」(計画、実行、評価、改善)などと略語や外来語を安易に使わないように自戒する。(八)


 

地方定住のある実例と提案

(6月10日)

 話題が家族に及ぶと、東京に住む知人男性は、娘が京都府の丹後地方に住んでいることを明かした。
 父母の故郷でもなく、結婚によるものでもなく、およそ縁のない土地。東京で会社員をしていた頃に、天橋立や伊根の舟屋、古墳や遺跡、名刹(めいさつ)がある日本海に面した丹後に来て、四季に沿った生き方や古代からの歴史に興味を持ち、14年前に移住したという。
 やがてNPO法人を立ち上げ、地域にしっかりと根を張って「自然と暮らしている」人々と連携して事業をさまざまに展開。この度は、丹後各地の魅力を紹介したガイドブックを発行した。「丹後に行ってみたいと、思ってもらいたい」と2年がかりの製作だった。
 遠く離れてしまった娘だが、知人はその行動力を頼もしく感じているようだった。同時に都会の暮らしの息苦しさを吐露した。「東京は限界、都会は不快」と。
 生きるためにあくせく働かなければならないが、人ごみ、長い列に疲れてしまうという。ラッシュ時の電車では人やバッグに当たったりで少なくとも3回は口には出さないけれど怒りを覚えるという。それが「都会は不快」。一極集中の地で災害や大規模の事故が一度起きれば、その混乱は想像できない、ゆえに「東京は限界」なのだそう。
 「できれば地方に住みたいという人は案外に多い」を実感しているとも言う。けれど、地方の能代山本の現状をみれば、果たして若い人が働く場があるだろうか、受け入れる態勢が醸成できているだろうか、と考え込んでしまった。「地域おこし協力隊」の隊員として赴任しても、任期終了後に起業して定住したという例はあまり聞かず、むしろ都会に帰ってしまうケースがあるからだ。
 それを見透かしたのか、知人は「能代は年金付き移住を促進したらどうか」と提案してきた。大都市圏に住む活動的な中高年齢者に生活費が都会より安く、自然に恵まれた田舎で暮らすように促す一種のCCRC構想だ。
 空き家だった奥さんの実家に東京から移り住んだ夫婦、古里に新居を建て親の介護を続けた夫婦、ともに地域に溶け込んだ姿が重なった。(八)


 

曽我ひとみさんの訴えを聞いて

(6月5日)

 アメリカのトランプ大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長の首脳会談が、当初の予定通りシンガポールで行われるそうだ。
 また、はったりを掛け合って、中止になったりしないか。どのような結果になるのか専門外で分かりようがないが、順調に会談が終わって金体制の維持、非核化が決まって、北が軟化路線に入れば、次は日朝のトップ会談に進んで、拉致問題の解決に明るさが見えてくるのだろうか。
 展望が見えてほしいと、拉致被害者の曽我ひとみさん(60)の訴えを機会あって2日に聞いて思った。
 曽我さんは40年前の1978年8月に佐渡島で母親と買い物の帰り道に拉致された。当時19歳。元アメリカ兵のチャールズ・ジェンキンスさんと結婚、2人の娘を生み育て、平成14年に地村保志・富貴恵夫妻、蓮池薫・祐木子夫妻と日本に帰国、その後、夫と娘も帰国したが、母親のミヨシさんは87歳になった今も戻っていない。
 「帰国してから15年。大きな動きはありません。あの国では病気になっても、施設設備が整っていません。高齢者は生活するので精いっぱいです。母のことを思うと本当に心配で悲しいです。私がいた頃よりも厳しい暮らしでしょう。これ以上時間はかけられません。どうか家族が元気なうちに1日でも早く、1人でも多く日本人拉致被害者を取り戻してください。今まで以上の信念で解決してほしい」と切々と語った。
 曽我さんは、自分の事件の1年前に拉致された横田めぐみさんと北朝鮮の招待所で出会ったエピソードを教えた。底抜けに明るく、苦難を乗り越えた精神力を見て心強かったと。そして「今はなすすべもなく誰かの助けを待っているはず」と付け加えた。
 翌日朝、当時13歳のめぐみさんが10月に下校途中に自宅付近で失踪したとされた、通っていた新潟市の中学校から自宅のあった所まで、そして日本海を望める場所を歩いたが、北のめぐみさんと家族の人生をねじ曲げる非道に憤然とした。
 拉致の可能性のある特定失踪者は、能代山本関連で3人いる。その人たちを含め、拉致問題の解決を一刻も早くと願う。(八)