たんぽ鍋風味の「おらだの煎餅」

(1月31日)

 山本リンダが歌った「食べちゃった、食べちゃった」のコマーシャルソングを思い出しながら、「オランダせんべい」をパリパリ、ポリポリとかじった。それも秋田限定の「きりたんぽ鍋風味」を。
 能代市内のスーパーの土産品売り場で見つけ、「こういうのもあるのか」と1袋18枚入り150円を二つ購入、ひとつは自分用に、もうひとつは東京の人に送る精米したばかりの「あきたこまち」の宅配便に入れた。
 オランダせんべいは、山形県酒田市の酒田米菓が昭和37年に商品開発、庄内地方のうるち米を100%使用している。販売開始当時、煎餅(せんべい)は醤油(しょうゆ)味が主流だったが、それと異なる薄くて軽い食感で塩味ほどよいそれは新鮮で、人気が一気に広まり、子どもの頃は何かと食べた。
 東京の金融機関に勤めた同級生は、職場へのふるさとの土産として、能代市や秋田県内の菓子ではなく、オランダせんべいを段ボール箱ごと買って配ったほどであった。
 秋田限定のきりたんぽ鍋風味は、県産の「あきたこまち」を使用、比内地鶏の鶏ガラスープの旨味(うまみ)とゴボウの香りが煎餅に凝縮した味との触れ込みで、北秋田市の業者が販売者だった。
 ほのかにきりたんぱの味がしていながら、オランダせんべいの薄く軽い食感があって、それなりに美味(おい)しいと感じた。やはり、秋田はきりたんぽなのか。
 今は販売されていないが、以前食べたサンヨー食品のインスタントカップ麺「サッポロ一番」の「和ラー秋田きりたんぽ鍋風」の醤油スープの味がよみがえった。鶏と野菜の旨味があったような。それにきりたんぽもどきの微小のアラレと鶏つくねやゴボウが入っていたことも。
 知人に「煎餅がなぜオランダなのか」と聞かれた。何十年もそのことを知ろうともしなかったが、酒田米菓のホームページには欧風のイメージがあるからであり、庄内地方では「私たち」のことを方言で「おらだ」とよぶことから、「おらだのせんべい」も由来になっているとあった。
 米の国・秋田にあるにはあるけれど、新潟や山形に負けぬ「おらだ」の米菓子の全国ヒットとロングセラーが欲しい。(八)
 


 

デイアンドナイトと海辺の風車

(1月26日)

 全国各地に「浜辺に大きな風車が連なるあの場所はいったいどこなのだろう、機会あれば旅に出て見たいものだ」と思う人がいるはずだと推測した。
 三種町でもロケが行われた映画「デイアンドナイト」は、きょう26日から全国公開。それを前に先行上映が三種町の山本ふるさと文化館で19日から25日まで行われ、吹雪の日に遅まきながら観賞した。
 人気俳優の山田孝之さんがプロデューサーに専念し脚本にも参加、同世代の阿部進之介さんが主人公を演じるとともに企画・原案を手掛け、藤井道人さんが監督した作品は、「人間の善と悪」がテーマとのことだった。
 物語は、青年の明石幸次(阿部)が秋北バスに乗って海岸沿いに風車が並ぶ地方の街の実家に帰って来るところから始まる。
 父親が大手企業の不正を内部告発し、後に自殺したためだった。父親の遺した負債の金策に走りながら、死の真相を探る明石のもとにある日、児童養護施設のオーナーの北村(安藤政信)が救いの手を差し伸べ施設で働き始めるが、北村は「子どもたちを生かすためなら犯罪もいとわない」という考えを持っていた。明石は北村の裏の仕事にも手を染め、やがて復讐(ふくしゅう)心を増幅させて善悪の境界を見失っていく、という展開だった。
 重く深い内容で、息苦しさがあったが、謎解きのように悲しい真実が明らかになっていくと、家族とは、人を守るとは、正義とは、を考えさせられた。どう評論されるかは予想できないが、重量感のある佳作だと思った。
 三種町の釜谷浜の17基の巨大風車の連なりが何度も映し出されるのは、ストーリーの明と暗の転換を予兆させるためのように思われた。ゆっくり回る、力強く回転する、止まっている、荒涼たる荒波の先に立つ、見通しにくい靄(もや)に包まれる、陽光を浴びる、などと。
 そこに山田さんら製作を主導した人が、ロケ地に選んだ理由があったと理解した。風車をそのように映像にした映画はこれまで見たことがなかった。
 上映公開となって、「海辺の風車」は観客に強い印象を与えると見た。最近はロケ地巡りの旅をする人も増えている。波及効果を期待したい。(八)
 


 

粗料理小説を読んでジャッパ汁

(1月23日)

 漁師の家に生まれた物語の主人公・粗屋(あらや)五郎は中学2年になったばかりのある日、母がパート先の魚加工所からもらってきた真鯛(まだい)の頭の塩焼きを丸ごと食べる。その場面の描写は次の通りだった。
 「いよいよ鼓動高ならせて、先(ま)ず丸い玉の見える目玉の凹(へこ)み辺りに箸先を入れ、その部位をごそっと取って口に含んだ。すると口の中には、トロトロ、プヨプヨとした粘膜状の滑らかな感覚が広がり、そこからペナペナとした脂肪やゼラチン質のコクが湧き出てきて、さらに耽美なほどの微(かす)かな甘味も流れてきた」「そして次に頭を手で掴(つか)んで両方の鰓(えら)を剥がし取り、中にある骨に付いている肉片や脂肪をペロペロとしゃぶり取り、軟骨までもコリコリと噛(か)み砕いて味わった」
 昨年12月に刊行された小泉武夫さん(75)の小説「骨まで愛して 粗屋五郎の築地物語」(新潮社)だ。築地の有名なマグロ解体人の五郎が、日本で唯一の粗料理専門店を開店、繁盛するという人情物語。魚の粗とは頭や目玉、鰭(ひれ)、血や血合い、浮袋、胃袋、肝臓、腎臓、心臓、腸(わた)、砂ずり、中落ち、腸の下、白子、卵巣などで、概して捨てられる部位。五郎は40年間の魚河岸人生で磨いてきた粗料理を魅惑の一品にして提供する。
 小泉さんは「発酵仮面」や「味覚人飛行物体」を自称する発酵学の権威にして東京農大名誉教授で、「賢者の非常食」「絶倫食」など著書多数。その人の小説だから蘊蓄(うんちく)にあふれて、本当に魚の骨まで愛したくなる。
 それを正月に読んで「我れも粗を」と、地魚の直売店に寄ると、八森産のタラのジャッパ(雑把)が少しのダダミ(白子)入りで格安で売っており、さっそく夜に白神ねぎと峰浜産のシイタケ入りの「味噌貝焼(みそかや)ぎ」にした。
 小泉先生のように涎(よだれ)を垂れさせる表現はできないけれど、胃袋はシコシコ、鰓と皮からはコラーゲンがジュルジュル、ダダミはフワトロリ、肝はねっとり。ネギからはぬめり。汁は粗のエキスが渾然(こんぜん)とし美味この上なし。
 そのことを、「能代はタラがシラコを含めおいしいはず。うんと楽しんで」と便りを寄越した首都圏に住む能代出身者に教えると、「よだれがでますね」と返信があった。(八)
 


 

夜中に何度起きる?昼寝は?

(1月19日)

 会食をすると、話題は昼寝に。立ち仕事に従事しているので、午前中の疲れを取るため昼休みに必ず10分でも午睡する人がいた。別の人も同様で相づちを打っていた。
 昼寝の効果は、言われて久しい。エネルギーと集中力の回復効果がある、判断力や注意力が向上するなどと。うとうとしなくても、目を閉じるだけでもいいとも。因果関係は学者の説明に任せるとしても、この頃は集中力も注意力も欠けているので、昼寝を取り入れてみようかと思った。
 ところが、知人が「昼寝をしたのはいいけれど、怖い夢を見た」と話した。どんな夢なのかは聞き漏らしたが、悩み事や不安が重なって、それが脳を刺激して悪夢につながったのかと想像した。それで、昼寝の実行には至っていない。
 年齢を重ねれば、同期生や気心の知れた先輩・後輩の集まりでは、親の介護や自分の病気・生活習慣、年金にしばしば話題が及ぶ。
 先日のとある新年会では、「何時に寝て、何時に起きるか」であった。定年を過ぎて自適の人は、晩酌を終えれば早々と寝て、起きるのは午前3時だとか4時だと言う、NHKのラジオ深夜便を聞いている人がいたことも分かった。
 さらに、夜中にトイレに何回起きるかの質問が出た。寒い今の季節は「おしっこが近い」と頻尿に悩みがちとなるが、「夜中2回、それに明け方」という人もいれば、「夜中に起きてそれから眠れない」の悩みの吐露も。
 東京在住の能代出身の先輩が2年前によこした月半ばのメールを思い出した。「おはよう。昨夜はアルコールを抜いたので、トイレには行かなかったです!今月2勝13敗ですが…。朝から下世話な話で失礼、健康を考えないと」と。
 1月12日の日経新聞の歌壇に載った1首も浮かんだ。仙台市の男性の作で「冬となり三本立ての夢を見る真夜中に二度トイレに起きて」。選んだ三枝昂之さんは「頻尿の悩みだが『三本立て』に自嘲(じちょう)を込めたユーモアがある」と評していた。
 われら仲間は何本立ての夢を見ているだろうか。それは楽しい夢か、怖い夢か。
 昼寝すべきか、夜中のトイレは何回か、悩む厳寒である。(八)
 


 

新春に拾った方言は「けがじ」

(1月14日)

 今年初めて顔を合わせた後輩が「けがじ」とは、どういう意味なのかと問うてきた。
 彼の知人の母親が、息子のことを「けがじ」と腐したそうだ。どうしてそう言うのかと聞くと、「けちで甲斐(かい)性がないから」との答えだったという。
 いつも持ち歩いているコンピューターのタブレット端末で、「けがじ」を検索すると、「飢饉(ききん)」を指す青森県の下北・八戸地方の方言と分かったが、それがなぜ「けち」や「甲斐性なし」につながるか理解できないので、こちらに話を振ったのだ。
 青森県の太平洋側は、春から夏にかけて冷たく湿った東寄りの風が吹き、水稲をはじめ農作物に悪影響をもたらす。山背(やませ)と呼ばれる凶作風・餓死風で飢饉がたびたび起きた歴史がある。
 飢えと渇き、食物や飲み物がない苦しみのことを「飢渇」と言うが、キカツの中世以来の通用の読みは「ケカツ・ケカチ」であったそうで、それが訛(なま)ってケガジになったようだ。青森の方言とされるものの、能代山本、秋田県でも使われ続けてきており、各種方言辞典にも載っている。
 それがどうして、こき下ろすような言い方にもつながるのか。工藤泰二著の「読む方言辞典・能代山本編」では「罵声(ばせい)にも使う」とあり、冨波良二著「再録・能代弁」では飢饉のほかに「けちけちする」「相手をなじる時に」使用するとも説明、例に「けがじだナー」(ゲルピンだナー、いいことなしだよ)をあげている。
 ゲルピンは、ドイツ語の金銭をいうゲルトにピンチがくっついた略語で、お金に窮していることを旧制の高校生がそう読んでいたことに由来する。若い人は聞いたことがないだろうから、蛇足ながら付記する。
 「再録・能代弁」では「けがじほいど」なる方言も載せている。意は①(飢饉の時は皆ガツガツなることから)飢餓の状態②そのような状態の人③ガツガツむさぼり食べる様④貪欲な⑤徹底したケチン坊──とある。
 飢饉のケガジは抑揚のない言い方だが、罵声語の場合はガに力を入れるので、聞き分けできる。
 何にしても、農作物に被害のない穏やかな年であってほしいものだ。人もまた。(八)
 


 

「お知り合いの皆様へ」と手紙

(1月9日)

 正月明け、1通の手紙が届いた。白神山地の自然と人々の暮らしを広く伝え、能代市にも懇意にする人のいた神奈川県の70代男性の妻からだった。
 彼とは出版の話で昨春、2度ほど相談を受けてやりとりをしていたが、その後、音信が途絶え、事情あって計画が沙汰やみになってしまったのかと推測、連絡を取らないでいた。
 手紙には、彼が昨年8月に自宅で倒れ、救急車で運ばれ手術を受けたものの障害が残り、現在はリハビリを受けていることを、時系列で詳しく記していた。本人は無念であろうと推察、先が見えない状態であるけれども、希望を捨てずに本人に寄り添って安らかに思える状況をつくっていきたい、と綴(つづ)っていた。
 彼が発症する前に、小欄とのやりとりを奥さんに話していたのを聞いたか、ノートか何かに書き残していたのを見つけたか、それを気に掛けて手紙をよこしたらしい。
 このような「病と治療、家族の思い」を詳述した手紙をもらったのは初めて。戸惑いの一方で、こちらの想像を押しのけて、しっかり事実を教えてくれたことはありがたかった。
 住所録に載っている人には手紙を出したが、スマートフォンの電話帳に載っていても住所の分からない人には教えることができていないという。そこで、彼の知り合いに「お知らせ頂けたら幸いです」と。求めに応じることとする。
 手紙を読んだ前日の夕、顔なじみの男性から声を掛けられた。昨年夏に死去した独り暮らしの親類男性のことだった。どんな病気だったのか、看取りはどうだったのか、同期生ゆえに気になっていたが、死去の風の便りだけだったよう。
 都会に暮らす喪主の意向で、入院を教えず限られた親族だけで見送り、近所や世話をした人、親しい友人に逝去を伝えずにいたからである。葬儀1カ月後に隣人に、4カ月後に自治会長に「亡くなったそうですね」と聞かれ、説明せざるを得なかった。最小の範囲で連絡すべきだったと今にして思う。
 病気も死去も「伝える」は人それぞれだが、こまやかな情があっていい(八)
 


 

「吉」へ猪っとずつ猛進

(1月5日)

 どうしたものか、スマートフォンで無料のメールや通話ができるLINEなるところから元日の昼に、新春おみくじが届いた。
 「自分のおみおくじをひく」との表記に指を押すと、両目が炎になったイラストのウサギとウオオオオオの赤い文字が飛び込んできた。占いは「吉」で、「風向きがいきなり前向き」とのこと。「ほんとかいね」とつぶやいた。自分で直接ひいたわけでもないし、ネットワークサービスに勝手に吉凶を定められても、ありがたみもないし。
 その後、近くの神社に初詣。本社のほかに神輿(みこし)やお稲荷様など拝める社あらかたに、小銭を賽銭(さいせん)にして神妙にあれもこれも願掛けしてから、縁起物の売り場でおみくじ箱に手を入れて、ひとつ取り出した。
 「第十番」で、ラインみくじと同じ「吉」。何事も心配するほどではないといううれしいお告げで、運勢の項には「信頼できる経験者のことばをよく聞き、参考にすることがこの際は大切。笑顔を忘れずに全力をあげて事に当たるとよい」と記されていた。
 近ごろ苦虫を潰した顔をしていると誰かに言われたし、人の話を上の空で聞いていると注意されることもあるので、新年の戒めとすることにした。
 学業・技芸の欄では「着実にいまの努力を続ければかなり難しいと思われる目標でも到達できる」と。年齢を重ねて奮闘は辛(つら)いところだ。今年は亥年(いどし)で、猪(いのしし)から浮かぶ言葉として「猪突(ちょとつ)猛進」が盛んに取り上げられるが、なかなかそうもいかない。
 健康・病気の欄では「無理は禁物」と忠告しているぐらいだが、届いた年賀状の中に、「猪っとずつ猛進」と記した人がおり、それを参考に少しでも努力を重ねるべきなのだと気を引き締めた。
 ふと、去年のおみくじを思い出した。十数年ぶりかの大吉で、希望を抱いて大いに喜んだのだが、引いた時点の歓喜が1番の吉で、その後は風邪を引いたり、けがをしたり。披露宴に呼ばれる慶事はまったくなく、永遠の別れとなる葬祭が相次いで、果たして良い年であったか。
 今年はどんな年になるのか。小欄も地域も「吉」となるよう立ち向かいたい。(八)