キャッシュレス決済の時代だが

(1月26日)

 何年か前に、知人が顔なじみの客の支払い方法はお釣りが細かくならないようにすることだと教えた。それが徹底しているそうだ。
 例えば税込み837円の食事をすると1337円を出して500円硬貨が戻ってくるようにする、398円の商品を買って財布に小銭が少ない場合は403円を渡し5円玉を受け取る、という具合らしい。
 頭の中で面倒な計算をせずとも1000円札、500円硬貨をぱっと出して精算を済ませてしまえばいいのにと思うが、性格によるものなのか、そんな人は案外に多い。ある日、それはもしかしたら、加齢による物忘れの予防策の一つなのではないのかと推測、それをなるべく真似(まね)るようにしている。
 そうした現金支払いにこだわってきた人は、キャッシュレス社会の到来にどのように対応しているだろうか。
 後輩は消費税が10%にアップした昨年10月1日から半月後、情報技術に精通した人のアドバイス受け、スマートフォンを使って支払いができる「○○ペイ」を申し込み、審査や設定をして利用を始めた。
 そのペイが取り扱いできるラーメン店やドラッグストアで銀行口座とつながったスマートフォンをかざして支払い、消費税還元で買い上げ金額の最大5ポイントを得ており、それなりにこなしている。
 しかし、周囲には彼のようにスマホを使った本格的なキャッシュレス決済をする人は少ない。その理由はさまざまと考えられる。
 スーパーでの支払いは前払いのプリペイド型の電子カードで対応できる。大都市に行ってはJR東日本のICカードのSuica(スイカ)などを使えば交通料金は切符いらずで支払える上、ちょっとした買い物もできる。それに後払いになるけれど通帳にしっかりお金があればクレジットカードが使える──。つまり、スマホ決済をしなくても不自由ではないということである。
 あるいは、現金を持っている方がいざという時に安心できること、財布の減り具合を気にしながら節約という工夫が生まれることもあるだろう。
 それに小さな暗算を忘れる、できなくなることもない。  (八)


 

冬、秋田の発酵文化を味わって

(1月22日)

 近所の女性に声を掛けられた。「いぶりがっこ、食べる?」と。県南の特産のダイコンのいぶり漬けは大好物ではないが、たまには食べるので「食ッス」と返事をすると、「私が漬けたの。美味(おい)しいわよ」と話した。
 この人は料理上手で、去年の夏に頂いた赤寿司(ずし)もなかなかの味であったから、期待が膨らんだ。すると農産物直売所かで購入したいぶりダイコンを独自にタクワンのように漬けたものを持ってきて、家人にクリームチーズを載せて食べるといいと教えたそうで、さっそくそれを真似(まね)ると、なるほど薫製の風味としょっぱさとチーズのまろやかさが混然となって「いけるじゃないの」と晩酌がはかどった。
 その翌日夜の料理は、「ハタハタ寿司の鍋」にした。寿司は70歳になる能代市内の男性が漬けたもの。
 手作りの自慢も一昨年はハタハタの不漁と漁期の遅れで、「漬けっぱずし」をしたそうで、豊漁の昨年は12月早々に仕入れ、漬け込んだという。年明けに「わんずかですが」と持ってきてくれ、早速食べたのだが、少し残っていたのを忘れて、醤油(しょうゆ)鍋にしたのだ。
 煮込んだハタハタは、寿司状態とは違って軟らかく酸味の具合もほどよかった。それより米と麹(こうじ)のトロトロが甘酸っぱくて何ともいえず、仕込まれていたユズが一層味わい深くした。「んめごど」とつい発した。
 あわせて作った料理は、三五八(さごはち)漬けハタハタの焼物。八峰町八森海岸で昨年12月初旬の獲れたものを頭と内臓を取って処理、それに塩3、米麹5、米8の割合の市販の「三五八漬けの素」をまぶして冷凍していたものを、解凍して焼いたのだ。
 ブームの塩麹の元ともいわれる三五八は何とも言えない甘味としょっぱさがあり、それに南蛮も入っていてピリ辛で、われながら実に旨(うま)かった。冷やの地元の日本酒がすすんだのは言うまでもない。
 いぶりダイコンもハタハタ寿司も三五八も地酒も秋田の発酵文化が成せる技である。
 中高年の情報雑誌の1月号が「秋田の発酵文化を味わう」を特集していた。三種町では発酵食品を味わうツアーに県外女性6人が参加した。もっと発信をだ。(八)


 

吉幾三の方言ラップに挑戦

(1月17日)

 去年の秋、能代市内のカラオケのあるスナックに寄ると、なじみの先輩がラップ風の歌を十八番にしようと練習していた。津軽弁オンパレードで、滑稽に聞こえる曲。青森県五所川原市金木生まれの「俺は田舎のプレスーリー」の吉幾三の作詞作曲の「TSUGARU」だった。
 インターネットで吉がど派手な格好でアメリカの兄ちゃんばりにラップをしているのを視聴できると聞いて、検索すると、「おめだの爺(じ)コ婆々(ばば)どしてらば?俺(おら)えの爺コ婆々去年死んだネ」から始まる歌は津軽弁であるけれど、能代山本の人々が使う方言でもあり、秋田弁ラップでもあると思った。
 わらしコ(子ども)、ジェンコ(銭)、なじぎ(額)、よろた(太もも)、ひじゃかぶ(膝頭)、あば(嫁・家内)、ゆべな(夕べ)、こんにゃ(今夜)──などなど。都会や西日本の人には外国語のように聞こえ、ちんぷんかんぷんだろうが、彼の同年代(67)から上の世代は「うんうん」とうなずく方言にあふれている。
 ということで、忘年会でカラオケの出番に方言ラップに挑戦したのだが、滑舌が悪いうえにリズム感をとれないために、メロディーについていけず、歌にならなかった。
 わずかにリフレインの「喋(しゃべ)れば喋たって喋られる/喋ねば喋ねって喋られる/喋ればいいのが悪いのか/喋ねばいいのが悪いのか」は乗れて歌えたが。
 それはこのフレーズに妙に共感するからかもれない。喋りすぎは迷惑で問題を起こしかねない、かといって沈黙・無反応では物事がはかどらないし心が通わなくなるからで、「何事もほどほどに」の戒めである。
 新年の顔合わせでカラオケに移り、マイクを握らされて、また挑戦した。またしても調子外れであったが、ビデオに流れる歌詞を読んで、このラップには強いメッセージが込められていると知った。
 「俺ら東京さいぐだ」と都会に出ていった人に、たまに故郷の両親に顔を見せろ、親の老後を心配しろ、田舎暮らしは厳しいけれど、祭りや自然があり美味(おい)しい食べ物のある、ふるさとに背を向けるなと。「津軽をなめんじゃねえ」と叫ぶが、秋田も同様だ。(八)


 

さもありなん酒飲みランク

(1月11日)

 家飲みが多くなった友人とささやかに忘年会をすると、互いに加齢で酒に弱くなったのに酒量は変わらない、いやもしかしたら増えているのではないかと自戒した。
 重くはなかったものの大腸の病気をした古くからの友人は、昨秋の手術を機会に「酒は一生分飲んだからやめようかな?」とメールし、幼なじみから「んだな、いいゴドだ。やめられたら乾杯すっぺ」と混ぜ返しの返事をされていたが、退院後ほどなくしてビールを飲み始めた。
 観桜の宴席で空酒をし過ぎた知人は、帰り際に足元がおぼつかず転倒、けがをして家人にこっぴどく叱られ、以後酒を断ち、ノンアルコールビールで付き合っていたが、年末に再会すると復活していた。
 同級生は若い頃、東京のデパートの屋上のガーデンで生ビールの大を10杯飲んだ記録を持ち、社会人になってからもよく飲み、会社の幹部となってさまざまな酒席をこなした。
 しかし、数年前に内臓の数値が悪くなり、禁酒した。摂生と養生がよかったのか数値は回復し、飲酒できるまでになったが、再開はしていない。誘っても一次会も二次会もウーロン茶を注文、割りに合わない「割り勘」をする。
 彼のような人はまれ。「やめろ」と言われても、「やめる」と宣言しても、酒量と飲む機会を減らし自重する人は案外に少ないように思われる。
 その理由はさまざまであろう。憂さを晴らす、酒に慰めてもらいたい、楽しくなりたい、食事を豊かにするためになどと。だが、度を超してしまいがちで、日々反省するも、また。
 正月明けにスマートフォンに、順位付けのニュースが届いた。「酒飲みの多い都道府県ランキング」。週に4日以上(年間200日以上)の飲酒習慣のある人の割合を集計したもので、男性は秋田県がトップで35・2%、2位の山形県を4・9㌽も上回り断トツ。小欄を含め周辺の実態からしても「さもありなん」であった。女性は13・4%で3位。
 ラジオで女性シンガーソングライターが今年の目標に、自分の年齢と同じ数を年間の休肝日にすると言っていた。せめてもの参考にしようか。(八)


 

「見合いの時代」があった

(1月5日)

 初詣を終えた元日午後、やることもなくてリモコンでチャンネルをしばしば変えてテレビを眺めていると、NHKのBSプレミアムで1969(昭和44)年に公開された映画「男はつらいよ」が始まっていた。
 渥美清演じるフーテンの寅さんシリーズの第1作。テレビ上映とレンタルCDで見ているので3度目の観賞となったが、寅さんの妹のさくら(倍賞千恵子)と、団子屋のとらやの隣の印刷工場で働く博(前田吟)の結婚披露宴で、息子と長く疎遠であった博の父親(志村喬)の挨拶(あいさつ)が感動的でついほろりとなったこととマドンナが光本幸子であったこと以外は、あまり記憶にない。
 今回気付いたのは、さくらと博がゴールインする前に、さくらが会社の上司の紹介で取引業者の社長の息子と見合いし、その席に同席した寅次郎が「結構毛だらけ猫灰だらけ」などと言葉遊びを使ったり酔って羽目を外して、結局、相手家族から結婚話は断られたことである。
 その場面から、50年前は自由恋愛もあったけれど、見合いによる縁談が多かった時代だったと思い出した。先輩たちはもちろん、後の世代の自分の周辺、後輩の中にも見合い結婚したカップルがいたことも。
 自慢と言えるかはなはだ疑問だが、友人は「俺は2勝13敗だ」と酔えば語る。15回見合いして、13回は相手から気に入られないか、もしくは自分のタイプでなくて、成立せずであった。2勝のうち1勝は自分も相手も好意を抱き、いい線までいったそうだが、さまざまな事情で壁を乗り越えられなかったらしい。もう1勝は今の奥さんと相思相愛になって成就した。
 彼ほどではないにしても、釣書という自己紹介を載せた書面を用意して、何度か見合いして結婚という目標に達成した若い男女はいた。出雲の神よろしく縁を取り持つ世話役も結構いた。
 半世紀を経て、出会いと結婚、婚姻するかしないか、独身を貫くかどうか、考え方は多様になり社会の状況も変化した。そして婚姻率の低下、出生数の減少、人口減も続く。
 それらを踏まえ、わが地でも婚活や家族の在り方を考える令和2年としたい。

(八)