2013 風

知られたくない過去

2012.12.23

 三種町の12月定例議会は公共下水道、農業集落排水事業分担金の不納欠損が3千万円近くになることへの追及とその対応に多くの時間が費やされた。責任は誰にある?どう責任を取る?
 法令を根拠にした住民サービスが存在価値である行政マンが、「法令を理解せず、職務を果たすことなく放置」し、気付いたら「時効」になっていた揚げ句に、時効を知らずに徴収していた分に金利をつけてお返しする。それを「法令、規則に従って処理した。ご理解ください」と説明されて、どれだけの人が「ご理解」するのだろうか。「法令に従ってないじゃないか」とツッコミが入るというものだ。
 個人的な思いを正直に言えば、三浦町長をはじめとする現担当者には同情するしかない。旧町が残したツケを一身に背負い、まさに不条理の一言。三浦町長も同じ考えと思う。だからか過去の責任うんぬんには触れず「今後、職務を徹底することでその責任を取る」と未来における職務の遂行で埋め合わせると言うが、過去の清算を無視したままでいられるだろうか。
 例えば、税であれ使用料であれ支払いが遅れれば「延滞金」などが加算される。つまり懲罰、ペナルティーを受けるわけだ。しかし行政に瑕疵があった場合、住民にとっての延滞金に相当する懲罰から無縁でいられるのだろうか。無縁でいられる根拠は?「前の人たちがやったことだから私たちには責任の取りようがない」と言うなら、三種町には政治の連続性がないということにならないか。
 推測だが、ある時点で職員のうちの誰かは気付いていたと思う。地方自治のプロが、それも一つの町の担当者だけならまだしも、琴丘、山本、八竜、旧3町そろいもそろって「知らなかった」方が不自然だ。ではなぜこれまで放置されたのか?問題を引っ張り出してきた者が責められることが目に見えていたからだろう。慧眼だ。
 議会も、行政の責任を追及する前に、まずは「知られたくない過去」を明らかにした現在の担当者をねぎらう一言があってもいいのではないだろうか。でなければ、しらばっくれている人が得をして、正直者が責めを受ける構図は変わらない。議会側も不適切な決算を認定し続けてきた責任はないのか。 
 この件を歴代の首長、担当職員はどう見ているだろうか。「難を逃れてよかった」と胸をなで下ろしているのだろうか。本管に接続してるにもかかわらず分担金を払わないまま時効になった人たちは、「払わなくて良かった」と喜んでいるのだろうか。 (岡本 泰)


 

鼻が黒くなったSL初体験

2012.10.21

 もくもくと煙を上げながら、ゆっくりとホームに近づいてくるSL。その速度がひどく遅く感じるのは、乗車が待ち遠しいからだろうか―。
 SLあきた路号が秋田・東能代間で運行、初めてSLに乗車した。立派なカメラを構える鉄道ファンや、機関車のアニメが好きだという子どもたちとともに待っていると現れたのが「C6120」のプレートを掲げた黒光りする車体。目の前に見る機関車は思っていたよりも大きく迫力があった。
 何しろ初乗車のため、すべてが珍しくて面白い。動輪と部品が複雑に組み合わさる様子は美しく、皆がのぞき込むのも納得。機関車の周囲は、石炭を燃やす熱で暖かいことも初めて知った。スコップで石炭をくべる様子に、さぞ大変な作業なのだろうとJR職員に聞いてみると「パワーを上げたい時は釜の奥の方に、通常時は手前に石炭をまんべんなく入れる。坂が多い場合は大変だね」との説明だった。
 さて客車の中は、両端のつまみを持って開閉する窓に、背もたれのまっすぐなボックス席、窓際の壁にくっついた小さなテーブルと懐かしい構造。最近の電車は窓が開かないが、子どもの頃に車窓から外を見ながら風に吹かれた記憶がある。それを思い出してうれしくなった。
 実はSLの試運転の汽笛を何度か聞いていた。遠くから聞こえるそれはどこか物悲しいような気がしたが、間近に聞くと音の大きさにびっくり。いざ出発という時に響いた長く力強い汽笛には、映画が始まる時のブザーのようにわくわくするものがあった。
 動き出しても思ったより揺れなかったが、座席に体を預けると機関車が「引っ張っている」のを感じた。
 石炭のにおいを嗅ぎながら車外に目を向けると、緑の木々に色を添える秋の花やたわわに実る柿、風に揺れるススキが美しく、自然豊かであることの良さを再認識した。
 また、沿線に集まった人々の笑顔が良かった。歓迎の旗を持つ子どもたち、畑や仕事の手を休めて手を振る人々、SLを見物に来た人が笑顔で手を振り、乗客も笑顔で手を振る。SLが珍しくなったための注目ではあろうが、ほのぼのとした楽しさがあった。
 歴史が染み込んだ車両は、かつてSLを利用した世代にも、見たことさえないという世代にも元気を与えたのではないだろうか。
 時折、景色を覆う煙を見ていて、窓を開けると顔や鼻が黒くなると聞いたのを思い出した。ティッシュでそっと鼻をぬぐってみたら、やっぱり黒くなっていた。(田村 文乃)


 

あきた路号に手を振ろう

2012.10.20

 旅情を誘い、かつての青春を呼び起こすとうわさの乗り物・SLに、生まれて初めて乗車した。
 農村部で生まれ中学校からすでに奥羽線を電車通学したが、SLは見るのも初めて。D―51とC―61の違いも分からないまま18日、県とJR秋田支社企画の「SLあきた路号試乗会」に参加した。
 汽笛は「ポー」といういかにもな音を想像していたが、そんなほのぼのした音ではなく、短い「ボッ」にびくっとし、長い「ボーッ」に会話が遮られる。白・黒煙の大量噴射で、窓を開けた車内には煙の匂いが入り込み、停車前には微妙に前後に揺さぶられた。
 乗車前に使った電車は、煙がなければ揺れも汽笛も小さなもの。しかし、スコップで火に石炭をくべる運転室の光景を含め、匂い、音、外観の全てが旅の気分を高揚させた。車窓からのいつもの田園風景が、より美しく見えた気さえした。
 各駅では園児が手を振り、郷土芸能団体が踊りを披露して乗客を歓迎した。そして、普段着のお母さん、農作業中の農家、福祉施設のお年寄りまで、多くの住民が路上や田んぼ、施設からSLに手を振った。車内ではSLでデパートに出掛けたことや、学生時代に初恋の人とSLで通学したことなど、かつての青春を振り返る中高年の姿があり、それぞれに思い入れがある乗り物だと実感できた。
 その一方で、重厚な外観と煙、音で五感を刺激するSLは、私のように思い出がない若者や子どもたちにとっても、わくわく感をかき立てる存在でもある。だから、手を振りたくなるし、出迎えたくなる。乗客は歓迎の雰囲気に包まれ、人と関わりたくなる。
 SL運行はわずか2日間。一過性のイベントかもしれないが、人と人との距離を近づける作用があるSLは、観光客と地域を結び付けるのに良いツールになるだろう。本番の20、21日の乗車券は即日完売、全国各地の鉄道ファンや家族連れが本県に足を運ぶ。東能代駅では、県観光キャンペーン推進協議会が歓迎イベントを行い、ご当地グルメの屋台村や流しジュンサイなどで乗客を出迎える。
 心尽くしの歓迎で、秋田と能代山本を乗客に印象づけよう。田んぼからもどんどん手を振ろう。(山谷 俊平)


 

「最大級の台風」

2012.8.31

 天気予報を見るたび、嫌な予感はしていた。外れてくれ、外れてくれと心の中で祈っていた。しかし、誰も止めることができないのが、自然の威力だ。
 沖縄気象台が「記録的な雨や風が予想される」と異例の記者会見を開き、県民に最大級の警戒を呼び掛けた台風15号。沖縄本島地方を暴風域に巻き込んだ26、27日、私は「夏のバカンスを楽しもう」と沖縄観光の真っただ中だった。
 「史上最強クラス」の勢力と呼ばれた台風15号は、最大瞬間風速70㍍と予測。これは電柱が次々になぎ倒され、人や軽自動車が吹き飛ぶほどの威力だという。大学4年間を沖縄で暮らしたが、沖縄での台風は「台風銀座」と呼ばれるほど、日常茶飯事。バスなどの公共交通機関がストップし、会社や学校が自宅待機と称して休みになる。直接の被害に遭ったことがないため、私にとって台風のイメージはどこか“お気楽”なものだった。
 しかし、今回は様子が違った。記録的な暴風雨に備え、県民はスーパーやコンビニに走り、水や食料などを調達。コンクリート構造のアパート1階の柱には原付バイクがこれでもかと、ひもでぐるぐるに巻き付けられ、多くの県民が公民館などに自主避難した。
 暴風域に入った26日は那覇市内のホテルに滞在したが、27日未明から徐々に風雨が強くなり、朝になると、街の様子が一変した。数時間前まで観光客やら家族連れやらでにぎわっていた街に人がいない。最も交通量の多い国道58号も行き交う車はまばら、タクシーだけが目立った。大型商業施設やスーパーをはじめ、観光施設は軒並み臨時休業。陸海空の交通機関もすべてストップした。
 雨風の弱まりを見計らって外に出ると、風向きによって時折、息が詰まりそうになった。たまらず風に背を向けると、嫌でも体が押され、融通が効かない。南国特有の街路樹が不気味なほどに左右に激しく揺れ動き、生温かい風と雨が、不快感と不安感を募らせた。
 那覇市などがある中南部地域は、27日未明に最大瞬間風速38・5㍍を観測し、幸いにも大きな被害はなかった。私自身も安全に過ごすことができたが、今回の経験から台風への認識が少し変わった。私を含め、台風慣れしている県民を「備え」に走らせた気象台の注意喚起が、すべてだったと思う。
 沖縄での夏休みの計画は半分潰れ、飛行機の欠航により1日遅れて帰能した。これまで見たことのない“異様”な沖縄を経験できたのは良かったが、台風が過ぎ去った沖縄の映像を見ると、やっぱり南の島は灼熱(しゃくねつ)の太陽が似合う。「雨女」ならぬ「台風女」には、もうなりたくない。(大柄 沙織)

 


 

夏イチ押しのドラマ

2012.8.26

 発射5秒前からカウントダウンが始まる。「5、4、3、2、1」。赤い炎が見えたかと思うと、「ゴォー」という大きな音を響かせながらロケットは勢い良く打ち上がり、あっという間に300㍍ほどの上空に輝いた。
 24日に閉幕した第8回能代宇宙イベントで何度も目にした光景だ。イベントは今月17日から8日間、30度を超える炎天下で連日行われ、学生たちも、日に日に日焼けしてたくましさが増していく姿が印象的だった。
 毎年全国から集まって来るのは、主に将来宇宙開発に携わるという夢を持つ工学部の学生で、いわば日本の宇宙開発の将来を担うエンジニアの卵たち。「充填確認」や「コールドロケット」「ペイロード」など文系学部出身の私にはなじみのない用語を巧みに操り、打ち上げ前にはピリピリとした空気の中で作業する学生たちに圧倒された。
 それでも、打ち上げが成功すると「これまでの努力が報われた」「やっと肩の力が抜けた」と、打ち上げ前に感じた空気とは違う、笑顔や安どの表情を見ることができてこちらも安心した。
 取材の際に「能代市の北羽新報ですが」と声を掛けると、「毎年新聞に載せてもらってうれしい」「今朝、コンビニで10部買ってみんなで読みました」などと答えてくれる。その言葉に、自分も「努力が報われた」という気持ちにさせてもらった。 
 また、ロケット甲子園に出場し、初優勝を飾った能代高のメンバーの一人の山田侑杜君(2年)には、一昨年10月に能代南中で行われたモデルロケットの体験活動の取材で話を聞いていた。当時「宇宙への興味が深まった」と語っていた山田君が、「あの時の経験が今生きている」と話し、高校でもロケットに関わっている姿を見ることができてうれしくなった。
 今年は一般公開日もそれ以外の日も昨年より多くの人が見学に来ていた。「海打ち」の打ち上げ予定時刻には、子どもからお年寄りまで50人以上の市民らが続々と集まった。打ち上げが順延された23日も、中止を知らない市民らが予定時刻に会場を訪れ、「あれ、ロケットはやってないのか」「楽しみにしてきたのに」と肩を落として引き返す姿を何人も見掛け、市民の宇宙イベントの注目度も年々高まっているのを感じた。
 真夏の太陽の下での学生たちの夢をかけた青春ストーリーは、来年、再来年も続いていく。このまちでしか見られない「能代宇宙イベント」というドラマは、夏のイチ押しだ。(浅野 結子)


 

鳥追いの伝統実感

2012.4.22

 少々季節外れだが、今冬、取材に出掛け三種町は上岩川地区の伝統行事、「鳥追い」を見た。何年もこの仕事をしていて実際に目にするのは初めてだったことに驚きながらも、いてつく真冬のまちを歌いながら練り歩く行列に随行、その歌詞は野鳥愛護の精神の対極にあるな、その理由は…などと考えてみたり。
 歌詞を改めてみると、
 「夜鳥ホーイホイ(朝鳥ホーイホイ) ドデジのかぐじで 鳥もねば ジャホーイ、ジャホーイ いつも憎い鳥 かしら(頭)もんで そ(塩)つけで ぞだら(塩俵)サ ぶちこんで 男鹿の島 近けがら 佐渡の島サ ぼやれぼやれ 能代のおがコ 鳥ぼってたもれ なにどり(何鳥)ぼ(追)うげぇ 稲食う鳥コど 粟食う鳥コど 白雪すずめ ホーイホイ」
 文章にすると、すごくワイルド。特に「頭もんで、塩つけて、塩俵にぶちこんで…」などのあたりには「鳥が憎い」という強い思いが伝わってくる。凶作の年が重なれば「飢え」があっという間にやってくる昔、せっかく作ったコメを始めとする農作物を食い荒らす鳥を人々がどうとらえていたのかよく分かる。
 ただ、飽食の時代、そうした歌詞にはもはや現実味はなく伝統行事を彩るただの「コトバ」にすぎないものだと思っていたが、どうやら少なくともわが家では今でも鳥害が深刻なことが判明した。
 今年も家庭菜園に挑戦すべく先日、直売所で初めてイチゴの苗を買い求めた。苗にはすでに赤く色づいた小さな実がなり、これがそのまま大きくなるわけではないとしても収穫の季節を楽しみにさせる。その希望を胸にせっせと土を耕し肥料を混ぜ、「大きくなれよ」と愛おしみながら定植。たくさん収穫できたら隣近所にも配ろうか、いやジャムにしよう…などと早くも皮算用だ。
 ところが、次の日の早朝、水やりに行ってみてがく然。実がない。よ~く見ると土には鳥の足跡が。苗はこれからもっと実を付けるだろうからまぁいっか、と強がってみるのだが実際はかなりショック。うろ覚えの鳥追い歌の歌詞も頭の中で鳴り響く。来年は気合を入れて鳥追いに参加しようか。(岡本 泰)


 

語訳だらけの観光PR

2012.4.13

 誤訳でウワサの東北観光博のホームページをのぞいてみた。日・英・中・韓の4カ国語(中国語は簡体字と繁体字の2種類)あり、見比べると…不謹慎とは思いつつ、思わず笑ってしまう。語学は極めて不得手で文法上の間違いがあっても分からないのが情けないが、名詞の類を拾い読みするだけでも結構、ある。
 きみまち阪桜まつり。「きみまち阪から続く桜づつみ公園の900㍍の桜並木も見ごたえがあります」のくだりの英訳に「we watch by cherry tree which you wait, and…」。「you wait」――「徯后阪」のいわれを表現しようと頑張ったのだろうか。ちなみに中国語訳は「君待阪」。
 八峰町八森地区の地名「本館(もとだて)」。御所の台にある「あきた白神体験センター」の紹介文に本館の「そば打ち体験館」の写真を掲載するのもいかがなものか、と思わないわけではないけれど、体験場所は「main building」なんだそうだ。中国語版は「主馆」。別館はない、はずだが。使用する「本館産のそば」は「It is side of main building product」で、「主馆产的旁边」。峰浜地区ご自慢の特産「石川そば」も、「石川旁边」に「Ishikawa side」。確かに「そば」だが…。
 白瀑神社は「瀑」が読めなかったのか「Haku*shinsha」、御所の台は「皇宮的台」。藤里町の素波里湖は「Lake bare Hari」で、直売施設の白神街道ふじさとは、どうしたことか「When it is Shirakami highway wisteria」。三種町の「じゅんさい摘み取り体験」の紹介は原文が秋田弁なだけにハチャメチャなのは致し方ない気もするが、三種は「3种」、国指定重要文化財の大山家住宅は「Large Yamaga house」。
 きみまち阪は、能代市役所の指摘を受け「Kimimachisaka」に修正された。見出しが「Kimimachi-zaka」で、文中は「saka」なのはさておき、ほかにも、ちょこちょこと修正されてきてはいるようだが、御関係の方々、見出しや本文から所在地、アクセス、駐車場の台数まで、一度、御覧になった方が良いのではないでしょうか。訂正を申し入れないとそのまんま、放置されると思われます。なにぶんにも、〝お役所仕事〟ですから――。(渡部 祐木子)

 


 

若い世代の政治参画を

2012.4.1

 人の話を文章にまとめることを仕事としているので〝聞き上手〟だという自負は多少あるが、議論はあまり得意ではない。ただ、20日に開かれた「能代山本オープン政治塾・ど本気」では、取材そっちのけで討議に熱中していた。
 「ど本気」は、市内在住の若手経営者である佐藤智一さん(34)と清水靖さん(39)が20~40代を対象に立ち上げた。閉塞(へいそく)感が漂う能代山本の10、20年後を真剣に考え、〝住み続けたい街〟にするために必要な行動は――。2人が地域を多様な角度から見詰める中で導き出した答えは、若い世代の政参画だった。
 会場には、能代山本を中心に約20人が集まった(女性は1人)。スーツ姿の会社員や、サイドを刈り上げたヘアスタイルがオシャレな若者までさまざまだが、それぞれの自己紹介からは閉塞感を打破するために行動を起こしたいという思いがにじんだ。
 私が参加したグループ(5人)では、最年少の男性(23)が「何かしようとしても〝若造のすること〟と切り捨てられそう。でも、このままでいいとは思えない」と、緊張で声を詰まらせながら語った。終了後は「現状を変えるために行動するきっかけが欲しかった。また参加したい」と晴れやかな表情を見せたのが印象的だった。
 発起人の2人は、選挙への参加意識の高揚だけでなく、若い世代が積極的に政治の担い手を目指せるような機運の醸成ももくろんでいる。
 私が取材を担当していた八峰町の議員の年齢層は50代3人、60代10人、70代1人。旧八森町、旧峰浜村の時代を含めれば連続4、5期目も少なくない。町の状況と同じく、議会も若返りがないまま高齢化している状態ともいえる。傍聴者のほとんどいない定例会を取材していると、「このままでいいのだろうか」という思いを抱かざるを得ない。
 「ど本気」は今後も月に1、2度のペースで開催される。次回は4月11日にシャトー赤坂で予定。今はまだ手探り状態かもしれない。しかし、能代山本の現職議員が「うかうかしていられない」と感じるような刺激的な活動に成長することを期待する。(川尻 昭吾)


 

福島を孤立させるな

2012.1.23

 「福島ナンバー」を取り換えること。福島県から能代山本に自主避難してきた人たちが、避難先のこの地で真っ先に考えたことはそのことだったと、取材した人たちは答えた。
 なぜ、車のナンバープレートを?。合点がいかなかったので聞き返すと、福島ナンバーの車は県外でいたずらされるからだという。「兄の先輩の車が茨城に行った時、ぼこぼこにされた」「知り合いの車が傷をつけられた」。原発事故の放射能汚染による福島バッシング。何とも理不尽な仕打ちに傷つき、秋田に来ても、そうなるんじゃないかと心配していたのだ。
 「実はまだ替えていません。何もなくて、良かったです」。子ども3人と能代で暮らす女性が真顔で言うので、こちらもつい、そんなの当たり前じゃないですか、心配しないでくださいと言ったものの、改めて福島の実情を思い知らされた気がした。
 福島の人たちにとって、原発事故で、当たり前のことがそうじゃなくなってしまった。食べることも、飲むことも、外を歩くことにも気を遣わなければならず、何を信じたらよいのか分からなくなっていた。事故以来、放射能に翻弄され、この先も不安が尽きないのだ。
 「福島はだめかもな。もう住めないんじゃないの」。そう言われることに、何ともやりきれない気持ちを抱いている。「もう住めない」と思われている場所には自分の親やきょうだい、親類、友人、知人が暮らしている。自分だけがふるさとを捨ててきたという気持ちにさいなまれているところに、「もう住めないんじゃないの」と追い討ちをかけられるからだ。
 「秋田のコメを福島の知り合いに送ったんですよ。そしたら、お礼に送れるものは何にもない、送っても迷惑がられるだけだからと、知り合いが言うんです。それがつらくってね」。目に涙をためてそう話す人もいた。
 原発で福島はいい思いをしてきたんでしょ。賠償金がもらえるじゃないか…。福島の人たちは、そんな見方をされることにも深く傷つく。いい思いをした覚えはないし、自主避難者には賠償金がもらえる見通しすらたっていない。一方的な被害者でしかない。なのに、原発事故の惨事を対価として受け入れなさいと言われているような気がしてならないからだ。
 原発事故や福島の人たちのことは、連日、大量に報道されている。でも、改めて思わされたのは、福島の人たちの置かれている状況を私はほとんど知らなかったということだ。福島を孤立させてはならない。(伊藤 仁)


 

演奏と歌に思いのせ

2012.1.7

 「武人さん頑張ってー」。大勢の仲間の声援を受けながらハーモニカで奏でた曲はザ・ブロードサイド・フォーの「若者たち」。か細い音色は徐々に力強さを増し、最後は大合唱となった。
 藤里町矢坂の障害者支援施設・虹のいえ(桜田星宏施設長)で先月16日に開かれたクリスマス会。町民合唱団のボランティア訪問で施設利用者の原田武人さん(44)は、合唱団の仲間らに囲まれながら得意のハーモニカ演奏を披露した。
 原田さんは軽度の知的障害者。毎日何をするわけでもなく、ただたばこを吸う。そんな無気力の毎日で、虹のいえでは日々の作業活動も休みがちだった。しかし、仲間にライターでいたずらをしたことをきっかけに、1カ月間の「禁煙」のペナルティーを受けてから休みはゼロになり、意欲的な毎日を過ごすようになった。ペナルティー期間が過ぎた今もたばこは吸わず、作業に励んでいるという。
 桜田施設長は「原田さんには行なったことへの対価ではなく、逆のことをしてあげようと思った」と話す。原田さんの気持ちを受容しながらその努力を褒め、励まし続ける。それが奏功したとみている。そして、与えられるだけでなく、自ら何かしたいと思ったのが、クリスマス会でのハーモニカ演奏だった。さらには、今後はグループホームという生活の場で新たな一歩を踏み出すつもりだという。
 「障害のあるなしに関わらず、ここにいる利用者にはいろんなドラマがある」と桜田施設長は話す。合唱団の明るい歌声とともに歌を口ずさんでいた精神障害の女性は、最愛の兄を亡くしたばかり。物思いにふけるように「ふるさと」を歌う姿が印象的だった。
 父親の病気を心配しながらも自身の病に立ち向かう女性、さまざまな事情から自宅に帰れなかったり、帰る場所がない利用者。はつらつとした歌声には利用者のさまざまな思いが交錯していた。桜田施設長は「私たちは支援することしかできないんです」と話した。
 取材を終えると、玄関先まで送り届けてくれた大勢の利用者。その笑顔は温かく、外の空気が一層冷たく感じた。(大柄 沙織)


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