能代の花火に「復興」の歴史

(7月19日)

 「花火大会をテレビで見るほどつまらないものはない」という人がいた。面白くない、取るに足らないかどうかは人それぞれだが、ついうなずいた。
 たぶん壮観だろうな、音と光の競演はさぞかし大迫力のはず、と想像を膨らませるけれど、自分の目で耳で直接触れるのとは大違いだからである。花火は会場に出掛けて、行けなくても夜空に輝く光りの芸術を見てこそなのだ。
 と思いつつも、昨年は日本三大花火大会である新潟県長岡市の「長岡まつり」と大仙市の「大曲の花火」のテレビ中継を何となく見てしまった。
 長岡まつりの中継で、その歴史が語られたことに深い感慨を覚えた。8月1日から3日まで花火を中心に華やかに繰り広げられるが、その起源は「最も痛ましいあの夏の日」に発しているという。
 昭和20年8月1日夜、米軍のB29大型爆撃機の来襲で、市街地の約8割が焼け野原となり1500人近い尊い命が奪われた。その悲しい日を復興への意義ある日とするため翌年「長岡復興祭」が開催され、現在のまつりへと続いている。市民は花火に鎮魂を込め、誰もが励まされ、街の再興を誓ったはずだと思った。
 「港まつり能代の花火」があす20日に迫って、能代の花火も復興を願って始まったのだと、今は亡き先輩記者から教えられた。
 能代で最初に花火大会があったのは昭和23年9月7日。東北市長会の能代開催に合わせて、能代港修築の出発を祝って「港まつり花火大会」と銘打った。
 次に行われたのは10年後の昭和33年8月5日。24年に第1次、31年に第2次の大火があって市民の気持ちは滅入りがちだったので、気分一新できるものがないかとの声が上がり、米代川河畔での第1回全国花火大会にこぎ着け、昭和54年まで続いた。
 戦後の復興、大火からの復興が花火に託されたのである。そして復活した今の花火は、今年で17回目。昭和23年と奇(く)しくも港から地域の発展の願いを共通にしている。
 能代の花火もまた人々の思いが込められていることを歴史から学んだ。長岡と同じ3尺玉が打ち上がる。大輪を見よう。(八)


 

「たでれ」と「こまれ」の笑い話

(7月13日)

 シニアスポーツをしていた70代の男性が、対戦相手の女性に「後の戸、たでれ」と叫んだ。運動場の扉が開いていて、強い風が吹いてくるからだった。
 ところが、女性は「たでれ、ってどういうこと」と周りに聞いていた。男性は意味がどうして通じないのか不思議そうな表情をしていたが、「いいがら早くたでれ」と繰り返した。すると、女性は「どうやって戸を立てるの」と首を傾(かし)げるばかりであった。
 「たでる」は能代山本の方言辞典に出てくる。意味は「戸を閉める、閉じる」「塞(ふさ)ぐ」。国語辞典を調べると「立てる」には多様な意があるが、広辞苑では「『閉てる』とも書く=戸・襖(ふすま)・扉などをとざす」ともある。
 つまり、「たてる」が「たでる」と訛(なま)った濁音化で方言となったのだが、長年にわたって使ってきた70代半ばと、ほとんど触れたことのないようやく60代では理解が異なり、珍妙な問答となったのだ。
 とかく噂(うわさ)は防ぎ切れないことを「人の口に戸は立てられず」と表現するが、能代弁の使用例として「口さ戸ただらね」(口をふさぐわけにはいかない)があった。
 「たでる」と同様のちんぷんかんぷんを先輩が先日、能代を再訪した夫婦との懇談の席で面白おかしく話していた。
 世話になっている人がやって来たので、娘に「こまれ」と言ったが、娘は困惑した表情で「こまれ、ってどういうこと」と聞き返したそうだ。
 娘が「こまれ」からイメージしたのは「困れ」。どうしてこの場面で理解に苦しんだり、迷惑したようにしなければならないのか、と疑問が湧いたのだろう。一方、父親は、「こまれ」は標準語で、きちんと挨拶(あいさつ)しなさいの意を含んで言ったのだが、それが分からないことに?だったそう。
 「こまる」は、背中を丸めてしゃがむ、かがまるを表す「こごまる」が語源。「身をかがめて挨拶するところからお辞儀をする意にも用いる」(県教委刊・秋田のことば)とある。「こまれ」と強い言い方すれば「敬礼する」の意になる。
 「たでれ」「こまれ」から方言理解の年代差を知らされたが、笑い話になるのは楽しいものだ。(八)


 

七夕の夜に星を眺める

(7月9日)

 「昨日の夜の星はきれいだった」と声を掛けられた。梅雨入りしたものの、ここのところ雲がほとんどない好天続き。夕暮れに西の空に三日月が輝いているのは気付いていたが、星までには関心は向かなかった。
 「きれいだった」という6日夜は、独り暮らしの母親の様子をうかがいに帰省した東京在住の同期生と懇談したので、夜空を見る暇もなかったし、見たにしても酔いで星空がぐるぐるしていたはずだ。 
 冒頭の人はどうして「夜の星」を求めたのだろう。次の日7日は七夕。年に1度デートする織り姫と彦星の物語を思い出したのか、家族のことを案じ「星に願い」をしたのか。たまたま玄関を閉めるに当たって外に出てみると満天の星で、感動したのかもしれない。
 ということで、「今夜は星を眺めてみよう」と考えていたところ、小紙の情報コーナー「みんなのひろば」の「きょうの行事」が目に付いた。「星のおねえさんと七夕の夜空をみよう!イン柳町」が能代市の柳町児童公園で行われるとのことだ。 
 「星のおねえさん」とは昨年から能代市の地域おこし協力隊の隊員となった岐阜県出身の八巻枝美さん。長野県阿智村で「星空ナイトツアー」の星空ガイドを務めた経験があり、能代では「宇宙のまちづくり」に取り組み、星空の魅力を伝えるイベントも開催しているそうだ。
 小学生を主体とした親子連れが多く、ジジババ世代は浮いた存在になると懸念しつつ会場に到着すると、30人ほどの中に先輩のジジや後輩のババもいて、年を重ねても星を探したい人がいるのだとうれしくなった。
 望遠鏡で鮮明な月を捉え、クレーターを見つけて50年前にアポロ11号のアームストロング船長が人類で初めて月面に降り立ったことがよみがえった。
 夜の帳(とばり)が下りると星は一つまた一つと輝き、八巻さんの案内でベガ(織り姫)、アルタイル(彦星)の位置を知り、その二つとデネブが描く「夏の大三角形」を確認、さらには木星、北斗七星、北極星を見つけ、星座の数々を教えてもらった。
 星空が広がる能代。星空のイベントがある能代。今度は天の川を探そう。(八)


 

七夕 短冊から伝わる思い

(7月7日)

 商店街を歩いていたところ、何やら文字を書いた細い紙が落ちていた。拾って見ると、「宝くじが当たりますように」。アーケードの柱に7月7日の七夕に合わせて笹(ささ)飾りが取り付けられており、そこから一枚の短冊が落ちたらしい。
 宝くじは本当に当たらない。なじみの店主が主宰する「宝くじ組合」でジャンボを一口3000円、総計20口、200枚、年間3回ぐらいを実に30年以上も購入し続けたが、最高は1等組違い賞10万円。スーパージャンボが当たれば前後賞を含め1人最大5000万円を皆が期待してきたが、遠い夢に終わり、ついに組合も高齢化と死亡・病欠もあって休止となってしまった。
 「当たりますように」と書いた人の気持ちは察するにあまりある。まして人生100年時代を迎え、暮らしていくには年金だけでは不足が生じ、その総額は2000万円になると不安をあおられるものだから。そこで、運再びと落ちていた短冊を笹飾りに戻した。
 同時に、みんな何を短冊に書いているのだろうかと、のぞいてみた。記入者は幼稚園児や小学生から大人までさまざまで、「健康」や「家族の幸せ」「勉学・スポーツの向上」などが多かった。
 「農家に恵みの雨を」を見つけた。水不足が農産物の生育に打撃となれば、農家の収入が減って消費が落ち込み、商店街に影響が及ぶ。地域経済が回るためにも当面は「恵みの雨を」の求めにつながったと推測した。
 複合施設に立ち寄ると、ホールに何本もの七夕飾りがあった。周辺住民や小学生、保育園児が短冊に思いを認(したた)めていた。
 「家族が健康で元気ですごせますように」「みんな仲良く暮らせますように」「健康一番」「おだやかで幸せな毎日が続きますように」。思いは切実である。「お月さま教えてください。私何になったらいいですか」。いつかきっと分かるはずと言(ご)ちた。
 思わず「いいね」とつぶやいた。「孫達よ!輝く星になれ!!」。去年の甲子園で準優勝した金足農高のエースで、今はプロ野球日本ハムの吉田輝星(こうせい)選手の名前に重ね、子らの成長と活躍を願ったらしい。「地域を元気に」。短冊から教えられた。(八)