ハダハダ音頭を聴いて思う

(1月14日)

 カーラジオから、♫とれだえ、とれだえハダハダ大漁だ、よいしょ、よいしょよいしょ、えんやらホイ、ドン…とにぎやかな歌が流れてきた。12日昼のNHK東北地方FMの「民謡をどうぞ」。曲名は「ハダハダ音頭」で、唄い手は千葉美子。
 以前どこかで聴いたが、今回は強い印象を受けた。特にも2番の「白子の貝焼(かや)ぎだ、おどさん、おがさん、嫁コ、あんさん、仲えぐ食べれしゃ」と3番の「恋のハダハダ、孕(はら)み子ハダハダ、まんづ見事なしょっつる貝焼ぎだえ」の歌詞に。
 それは、去年の12月20日すぎに「しょっつる貝焼き」を1度食べたけれど、「まんづ見事」ではなく小ぶりで、孕みのどろりとした粘りのあるブリコの入った雌は2匹であったこと、精巣だけを集めてクリーミーを堪能する「白子貝焼ぎ」はなかったためで、音頭のように味わいたかったなあ、と思った。
 年明けの食卓がなんだか寂しい。ハタハタの三五八漬けも塩麹(しおこうじ)漬けも味噌(みそ)漬けも醤油(しょうゆ)漬けも仕込まなかったから、自家製の「焼き」で出てくるはずもないのだが、それぞれに味わいがあり、朝食に夕餉(ゆうげ)に何匹もぱくついたことを思い出して、恋しくなった。
 男の料理自慢でハタハタ寿司(すし)を毎年作る知人と出会うと、「いや~申し訳ない。今年は漬けれなかった」と平謝りされた。いつも貰(もら)うこちらが頭を下げるべきなのに、たまたまできなかったからといって、呉(く)れる側に平身低頭されては、戸惑うばかりだった。
 あれもこれも、沿岸季節ハタハタ漁の不振によるもの。初漁が遅くとも、そのうち揚がるだろうと買い控えているうちに、本当に不漁となり、高値もあって手当てできなかった家庭が多かったようだ。特に八森・岩館を中心とする県北部の黒光りを求めようとした場合に顕著だ。
 さて、件(くだん)のハタハタ音頭(ハダハダとも)は、秋田市土崎生まれのプロレタリア文学の小説家・金子洋文の作詞で、作曲は小松平五郎。昭和9(1934)年に発表された。踊りもあったようで、振り付けは三種町出身の舞踏家・石井漠。
 その時代のような大漁はもうないのだろうか。不漁の分析と対策を切に願う。(八)

 


 

甲子園ベストゲームと能代勢

(1月9日)

 朝日新聞の5日付15面のスポーツ特集に「能代商」を見つけ、あの感動を共有している人が全国にいると知り、うれしくなった。
 全国高校野球選手権大会。「夏の甲子園」は今年で100回を迎える。主催の朝日は力こぶが入っているようで、各種企画を組んでいる。「能代商」が出てきたのは、読者からインターネット投票を募った都道府県ごとの1915年からこれまでの「これぞベストゲーム」の広島県編。
 1位は2007年の第89回大会決勝で広陵が佐賀北に満塁本塁打を浴びて逆転負けした試合(6692票)。思い出して、何となく分かる気がした。3位に2011年の第93回大会の3回戦、如水館と能代商の戦いが914票を集めて入った。
 広島県側からみればこの試合は「如水館が3試合連続で延長戦を制した。延長12回に勝ち越されたが、その裏に2点を奪ってサヨナラ勝ち」。かつて広島商を全国優勝に導いた迫田穆成(よしあき)監督が率いるチームの粘り強さと劇的な勝利が印象強いのだろう。
 秋田県、能代側としては惜しい試合だったが、能代商の2度にわたる中継プレーによる本塁の死守、保坂祐樹投手の179球の熱投、能代勢では初めて秋田県勢では16年ぶりで2勝した能代商の成長が鮮烈によみがえる。
 さて、近日公開されるという秋田県の夏の甲子園ベストゲーム。1位は予想した通り、1984年の第66回大会準決勝の金足農と大阪はPL学園戦(2794票)。好投の水沢博文投手がPLの桑田真澄(後に巨人投手)に逆転本塁打を浴びた試合だった。
 3位(1728票)はあの第93回大会の能代商が1回戦で神村学園(鹿児島)を5─3で破り、県勢13年連続の初戦敗退を食い止めた試合。6位(477票)に1978年の第60回大会の能代─箕島(和歌山)の1回戦。豪快なフォームで「東北の星飛雄馬」と称された高松直志投手が完投するも0─1で惜敗した。
 夏の甲子園。能代勢の出場は能代4回、能代商(現能代松陽)3回。それも含めて誰にも心に残る熱戦があるだろう。思い出しつつ、能代勢が再び甲子園のグラウンドに立つことを夢見る。(八) 

 


 

第八十三番「大吉」を引いたけれど

(1月5日)

 小雨の元日昼すぎ、近くの神社に初詣に出掛け神妙に願掛けしてから、縁起物の売り場でおみくじを求め開いてみると、「第八十三番」だった。
 「破(八)産(三)」につながるとして、木材製品の競りでは値が折り合わず不落になると、競り人が誰も付けない荷主番号の「八十三番よ」と符丁で呼んで収めるように、日本人にはあまり好まれない番号だが、「豈(あに)図らんや」。意外にも「大吉」だった。
 「水平線に真っ赤な太陽が昇る海辺の朝の風景のように、愛情も信頼も加速度的にすべて好転していく盛運となります」と。「こいつぁ春から縁起がいいわえ」と歌舞伎の三人吉三のお嬢吉三の台詞(せりふ)を一人ごちた。
 その後、元日営業のスーパーに切らしてしまった青豆きな粉を購入しに行き、レジ精算すると、高校の同級生とばったり。こちらに気付いた彼は「やあ、久しぶり」と声を掛けてきた。
 続けて「じっちゃになったなぁ」と。混雑した店内で案外に大きく発したものだから、周りの客がわれらの方を振り返って、怪訝(けげん)そうな顔を見せる始末だ。
 孫を連れている祖父を指して「じっちゃ」と呼ぶならまだしも、彼は「お前も年を取ったものだ」「随分と年寄り臭くなってしまった」といった言い方であり、心の中で「え~っ」と驚いた。
 約10年ぶりの再会。還暦すぎて年齢を積み重ねているのだから年寄りではあるのだが、「じっちゃ」はないだろうと思った。せめて「年相応になったな」と言ってほしかった。「お前だってじっちゃ」と言い返したかったが、ぐっとこらえて、互いがなんとか生きていることを知りつつ、「いずれまた」と別れた。
 年初に出会った懐かしの人に「じっちゃ」と言われ、おみくじで大吉を引いたうれしさも一気に吹っ飛んでしまった。俺はそんなに爺(じじ)むさいのかと。
 お世辞におべっかに「若い」とは言われたくないが、せめて「変わらないなぁ」「少し若くなった?」などと語り掛けられたいもので、「心も体もフレッシュになるように」と新年を迎えて誓った。
 友人からの年賀状にあった、「健康第一」もである。(八)