生き方の道標をくれた日野原さん

(7月19日)

 東京の聖路加(せいるか)国際病院名誉院長の日野原重明さん(105歳)が18日死去したとの報に接し、日野原さんが少なくとも能代山本を3回訪れ、「命の大切さ」や「生き方」を語ったことを思い出した。
 直接取材したわけでないが、記者の報告、記事と写真から「すごい人」と感じ、語った言葉にうなずいた。
 平成23年8月18日。当時99歳だった日野原さんは八峰町峰浜の旧岩子小体育館で講演。町が招き、八森、水沢、塙川の3小学校の4、5、6年生に「いのちの授業」を行った。「ことぶき大学」で学ぶお年寄りを含め約500人が聴講した。
 児童が歌う3校の校歌を指揮したり、サッカーが好きな子、野球選手になりたい子とユーモラスなやりとりをしたりした上で、こう語った。
 「命は触ることも見ることもできないが、誰もが持っているもの。命とはあなたたちが使える時間ということでもある。自分のためだけではなく、困っている人、苦しんでいる人のために使うことができる。人のために使う時間こそが君たちの命となる」
 八峰町の授業から3日後、能代市文化会館大ホールで「人間の生き方を決定する体(Body)とこころ(Mind)の働き」と題して講演。当時の山本組合総合病院の市民公開講座で、ユーモラスで快活な語りに約1000人が聞き入った。
 翌平成24年の8月30日には能代市の総合体育館で「逆風にめげず凛々(りり)しく生きる」を講演した。日野原さんが設立した「新老人の会」の秋田支部の主催で、会場を1500人が埋めた。
 自殺予防対策が求められ、高齢化社会の存り方を模索する能代山本にとって、日野原さんの言葉は道標(みちしるべ)であったと思う。ゆえに多くの住民が「聞きたい」と思ったのだ。わが地に足を運んでくれたことに感謝する。
 書棚に15年前から眠っている日野原さん著の「いのちの器」を取り出し、読み返すと、人の体は朽ちる土の器であるとした上で、こう認(したた)めていた。
 「若い時から、一生をかけて盛る、土でできたいのちの器を、いのちゆえに器も大切にしたいと思う」。そうありたい。(八)

                        


美郷町で川瀬巴水の木版画鑑賞

(7月16日)

 何年か前、東京に出張の折に老舗の大型書店に立ち寄ると、店内のギャラリーに木版画が飾られており、何となくのぞいた。その中の一つ、夜景に浮かぶ松の後方に月が輝く作品に郷愁を覚え、引きつけられた。
 大正・昭和に全国を旅して大量の風景版画を残した川瀬巴水(かわせはすい)(1883─1957年)の作。他の展示品も叙情にあふれていた。
 その後、NHKのEテレの「日曜美術館」で特集、「浮世絵の常識を打ち破り、新時代の版画を生み出そうとした人だった」と分かった。静かなブームを呼んでいることも紹介され、「あの時、もっとじっくりと鑑賞しておくべきだった」と悔いた。そして、版画の門外漢ではあるけれど、いつか本格的な展示会に行きたいものだと思った。
 その川瀬の展示会が秋田県の美郷町で開かれていると知って、出掛けた。同町六郷の学友館という町立図書館と展示館と役場の出張所の複合施設が会場で、1階の三つの展示室全部を使って100点の版画と写生帖が展示されていた(23日まで)。
 「東日本を旅する」の副題にあるように、大正・昭和に3度旅した東北の風景、秋田の作品を中心にした展示。残念ながら能代山本には足を運ばなかったようだが、男鹿半島、八郎潟、土崎、十和田湖、平泉、弘前などが美しく、懐かしく描かれていた。芝増上寺、歌舞伎座、桜田門など東京の代表作も。
 「なぜ美郷町で」と疑問が湧いたが、説明文によれば、同町と東京都大田区にともに六郷という地名があり、それを縁に友好都市となって交流を続けているそうで、川瀬のゆかりの地である大田区の区立郷土博物館が作品を数多く所蔵、それを借り受けて特別展を開催する運びとなったという。
 友好都市のつながりが美郷町の小さな施設に、ファン垂涎(すいぜん)のコレクションが飾られるとは驚きであった。ちなみに学友館では2年前に栃木県那珂川町馬頭広重美術館から歌川広重の版画を借りて、「広重の『東海道五拾三次』と風景画の名品」を開いたと知り、二重のびっくり。10月には「タイ王国文化展」も。
 美術への町の熱を感じた。能代山本はどうだろうか。(八)

                        


「むしぇ」に方言変化の妙味

(7月12日)

 中高年スポーツに汗を流し、一休みしていた70代の知人が、飴(あめ)をなめてからしばらくして「ん〜、むしぇ、なぁ」と発した。すると周囲にいた仲間は皆、きょとんとした顔。
 「むしぇ、ってここいら辺で使う?」と疑問の声が出ると、彼は首を傾(かし)げた。県南出身なので、県北と方言が異なるのではないか、ということでその場は収まった。
 彼は飴玉がなかなか小さくならないことを「むしぇ」と表現したらしい。こちらに語源を質問してきたが、つながりそうな言葉は「むさい」。そこで、「むさくるしい」からきた方言ではないかと話したところ、ニュアンスが違うとのこと。
 「むさくるしい」は広辞苑によれば「ごちゃごちゃときたならしい。だらしなく不潔である」で、「むさい」は「むさぼり欲する心が強い。卑しい。下品である」。飴玉が溶けるのに時間がかかることとは結び付かない。
 県教委の「秋田のことば」で調べると、「むせぁ・むさえ・むしぇ=①付きにくい②たやすく消費されず長持ちする」で、県内全域で使用とあった。
 具体的には「①は炭などが硬くて火が付きにくいこと。もとは意地汚い、不潔の意で用いられた語であるが、一筋縄では行かない、面倒な、捗(はかど)らないなどの状態をいうようになった」とし、「②は、炭の場合に一旦(いったん)燃え出すと尽きにくい(=長持ちする)状態のことを指すことから、すぐに消費されず経済的であることを意味するもの」と説明している。
 工藤泰二著の「読む方言辞典・能代山本編」では「むひ・むしぇ=消耗しにくく長持ちすること」とし、「かだずみだばムシェしてとぐだ」(堅炭は長持ちして経済的だ)を紹介。さらに「無済。なかなか尽きない、無尽蔵などの意」で、使用例に「たのくさふとりで、ムシェしてまえんづだ」(田の草一人で取れば、なかなか尽きず毎日だ)。
 方言の妙味に触れた。知人の飴玉は経済的だが、雑草取りの尽きない毎日は辛(つら)い。けれど家の周りが草ボーボーとなっては、もともとの語源の意味の一つの、「むさくるしい」になる。何事も語調の強い「むしぇ」と叫ばれぬように。(八)

                        


水害の歴史を振り返り、願う

(7月7日)

 記録的な大雨による河川の氾濫に土砂崩れで、死者行方不明者が出て、避難者44万人以上となった九州豪雨のテレビの即時中継は、水害の恐ろしさを改めて教えた。その一方で、「秋田は大きな災害がなくていい」と語る人がいた。
 確かに、今回の九州、2年前の茨城県常総市を襲った鬼怒川のような大水害はこのところ秋田県では起きていないから、その対比で安心感が生まれるのは分からないでもないが、最近では「50年に1度」の大雨が全国各地で発生しているのだから、気を許してはいけないはずだ。
 きょう7月7日。琴座のベガの織姫(おりひめ)星と、鷲座のアルタイルの牽牛(けんぎゅう)星が天の川を挟んで最も輝き、1年に1度めぐりあうロマンチックな日だが、能代山本の歴史にとっては辛い災害の始まりだった。
 46年前の1972年。秋田県北部では7月7日から停滞した梅雨前線の影響で雨が降り出し、国土交通省などの記録では、9日朝まで米代川流域では多いところで雨量が568㍉に達した。
 8日から各河川で出水が始まり、米代川では二ツ井町薄井の右岸堤防が決壊、同町の大部分が浸水・水没。9日午後1時18分には能代市中川原の左岸堤防が破れた。県内の被害は家屋の全壊流出4215戸、床上浸水4711戸、被害総額は公共土木施設を含め120億円に。
 当時は都会に出ており、その緊張・緊迫感は体験していないが、多くの住民が不安に陥ったと想像する。氾濫の後に帰省、被災現場を目の当たりにして、「これが水害というものか」と驚いた。
 家屋に事業所に堆積した泥、押し流された樹木、散乱する家財道具、工場の物資。異臭の中で、来る日も来る日も泥寄せと洗浄に追われていた。多くの人々が家の再建、会社の復興のための借金を背負わされ、長い年月をかけて返済した。
 47・7水害のほかに規模は違えども、平成に入ってから米代川とその支流、三種川などで氾濫が起きている。「わが地域は水害がなくていい」とのほほんとはしていられない。
 過去の災害の歴史を振り返りつつ、七夕の短冊に願い事。「安心・安全」を。(八)

                        


自民党は自壊党に、民進党は民沈党に

(7月4日)

 東京都議選の告示から間もない日、旧知の能代市内の社長と出会うと、「民主党は民進党に代わったが、どうやら『みんちん党』になったね」と話した。「みんちん?」。首をかしげたところ、社長は「『進む』どころではなくて、『沈む』だから」と。
 東京都議会で民進党系会派は18議席あり、4月段階では36人の公認候補がいたが、現状のままでは当選が見込めないと現職を含め次々と離党、小池百合子知事が代表となった「都民ファースト」にくら替えするなど混乱が続いた。さらに党の方針や執行部の運営をめぐって国会議員の離党や役職辞任が相次ぎ、それらをもって件の社長はからかうように「民沈党」と造語したのだった。
 言い得て妙で感心したが、では社長が各種選挙で応援する自民党はどうなのかと思ったけれど、それについては特に触れず、こちらもオヤジギャグのような造語はすぐ出てこなかった。
 ただ、いまさら説明せずとも、首相夫人との密接な関係が問われた森友学園の国有地の格安払い下げや、首相の友人が理事長の加計(かけ)学園の獣医学部の設置など忖度(そんたく)問題に、「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ改正組織犯罪処罰法の強引な成立、閣僚の暴言と議員のスキャンダルの続出で、安倍政権批判が高まり、国政への評価が投票結果に反映されやすい都議選で、自民党が厳しい戦いを強いられることは予想されていた。
 結果、自民党は改選前の57の半分以下の23人の当選で歴史的大惨敗。民進党は7議席から5議席に。
 殊勝にも首相も、自民党幹部も深い反省を示した。社長は「自滅党」もしくは「自爆党」と言いかけたかったのではと推測した。
 都会に出た能代山本出身者や縁者の自民党不信が晴れるどころか、選挙に入ってからも問題発言が出ては、しばしば使われてきた「真摯(しんし)に」「謙虚に」も虚飾にまみれ、「自壊党」に。本当は「自戒党」になるべきだった。そして、新しい風を「都民ファースト」に求めたと理解する。
 都議選の潮流は、次の国政選挙にどう及ぶだろうか。秋田は「自壊党」も「民沈党」も立ち直れるのか。険しい道とみる。(八)