未知の県議補選が迫る

(3月29日)

 県議会の前議長だった能登祐一氏の死去に伴って行われる県議補欠選挙は、これまで能代山本で行われたどの選挙とも異なる〝未知〟を抱えていると気付いた。
 能代山本の県議選は旧来、能代市と山本郡が別々でそれぞれ定数2を争ってきた。それが、10年前から合区となり定数4に。広くなった選挙区を平成19年は7人、23年は7人、27年は6人が訴え回り、最下位当選は19年8779票、23年7893票、27年は7500票だった。
 今回、補選に立候補を予定しているのは能登祐一氏の長女の能登孝子氏=同市御指南町、会社員=と、5度目の挑戦となる吉方清彦氏=同市豊祥岱、寺院住職=で、一騎打ちの公算が大きい。能登氏は自民党公認で公明党推薦。吉方氏は無所属の出馬。
 欠員1の補選であるのだから当然なのだが、当日投票者の半分を1票でも上回らなければ当選できない厳しさがある。
 能代山本の有権者数は今月22日現在で7万3807人。投票日が4月9日と同じ知事選も県議補選も盛り上がるかは、見通しが付けにくいが、仮に2年前の県議選の投票率63・68%だとすると、2万3500票を超えなければならない。これが未知の一つだ。
 一騎打ちの選挙は、能代山本では首長選挙でしばしばあった。しかし、今回の県議補選は能代市、三種町、八峰町、藤里町の能代山本全域を束ねて1人を選ぶ。4市町が仮に合併すれば、そのトップを選択するような選挙。それも未知だ。
 前回の県議選は、①佐藤信喜氏8515票②能登祐一氏8285票③高橋武浩8037票④薄井司氏7500票の順で当選、次点の吉方清彦氏7155票、次いで中田潤氏7145票。
 佐藤、能登、高橋の3氏は自民公認、薄井、吉方、中田各氏は無所属。自民の3人の得票合計は2万4837票、非自民の3人の計は2万1800票で、約3000票の差。それが、今回どう動くのか。単純にいかない要因が多分に隠れており、これもまた未知である。
 ともに46歳、高校の同級生だったとも聞く。若い2人の未知への熱い戦いは、告示が31日に迫った。(八)
                               


 

赤面の勘違い。何事も慎重に

(3月24日)

 「高橋優は紅白歌合戦には出ていない、との指摘が読者からありました」と報告が上がってきた。
 「え〜っ」と驚いたが、電話連絡を受けた記者らが調べたところ、紅白に出場しておらず、筆者の誤りだということが分かり、何の番組と勘違いしたのか責められた。あわせて訂正を出すことも。
 23日付本紙1面のコラム「渟城雑記」に「いい日になるのか」と題して、横手市山内出身のシンガーソングライターの高橋優さんのヒット曲「明日はきっといい日になる」が、22日の秋田新幹線「こまち」の開業20周年を機に、秋田駅の発車メロディーになったことを紹介した。
 その前段で、昨年の大晦日(みそか)の紅白歌合戦に高橋さんが出場して歌ったと記し、過去の秋田県出身の紅白出演歌手まで示した。ところが、それは筆者の全くの勘違い。コラム全体の信頼性を失った。
 確認しないまま原稿を提出、ゲラ校正の段階でもチェックできず、誤報が生じた。赤面の至り。編集局の誰も誤りを気付かないで見過ごしたことも恥じる。改めて読者に、高橋さんのファンにおわびして訂正します。
 ところで、ではなぜ高橋さんが紅白に出たと誤認したのだろうか、と自問した。酔って見た紅白歌合戦と、年明け前後のNHKの歌謡番組に出た高橋さんがごっちゃになったうえ、「明日はきっと─」の元気な歌に感動し、県出身でふるさと思いの高橋さんを応援したくなったことが、大舞台の紅白につながってしまったと思う。釈明にもならないけれど。
 紅白に付け加えると、能代市出身の演歌歌手で「おんなの宿」のヒットのある大下八郎さんも出場したはずと長く思っていたが、それも違っていて、作詞の星野哲郎さん、作曲の船村徹さんが亡くなった時にも調べて再確認したことがある。
 本欄ではしばらく前に、プロ野球本県出身のヤクルトの石川雅規投手の出身大学を誤った。当時同じヤクルトにいた鎌田祐哉投手と混同したためだった。
 年を重ねると、誤解や勘違いが知らずに増える。忘れることも。国会や東京都議会で証人喚問された人のようにはなりたくないもの。慎重にだ。(八)
                               


 

山野草で一足早く春を楽しむ

(3月22日)

 毎年3月になると、「小っこい集まりをするからおいでよ」と能代市出身の古い友人から誘われて、「そのうちに」と生返事してきたが、もう10年以上になった。
 互いに年を重ね、いつ再会できるかも分からないのだから、そろそろ約束を果たそうかと迷ったところに、所用が重なって、思い切って彼の働く神奈川県の南西部にある町を、訪れた。
 その前に連絡を取ると、彼はバッケ(フキノトウ)が欲しいという。帰省の折りに見つけた場所の地図のファックスまでよこして。鉄道沿いの斜面。要望に応えようと出掛けたが、除排雪の山に埋もれて探すどころではなく、手ぶらとなってしまったが。
 駅前に5人が集合すると、彼はなじみの魚屋に向かい、地元で獲れた新鮮な魚介を注文。その足で近くの川に案内した。清流というほどではないが、きれいな小河川。土手には満開の菜の花が100㍍ほど広がっていた。
 そこで、山野草を探そうという。キャリーバッグを土手に置いて、指示に従いクレソンと野セリを摘んだ。住宅地も近いというのに誰も採らないのだろうか、岸のあちこちにそれなりの量がまとまっていて、30分もしないうちにスーパーのポリ袋いっぱいとなった。
 彼は土手でヨモギやツクシ、ハコベなども少量採っていた。
 食堂に集まると、大皿に取ってきた山野草がきれいに盛り付けられていた。メイン料理はクレソンとセリ、それに金目鯛の薄造りの「しゃぶしゃぶ鍋」。彼自前の特製ポン酢に付けて食べると、クレソンは独特の辛さと苦さがうまく調和、セリはシャキシャキして爽やかな香りを運び、脂の乗ったキンメと絶妙の味を醸し出した。
 他の山野草は、いずれも天ぷらに。アツアツはそれだけで美味(おい)しいのだが、それぞれに香りと味があり、楽しかった。ただし、何十年ぶりかで食べたツクシはうまいとは言えなかった。バッケがあればなおよかったか。
 翌朝、町をぶらついて、緋寒(ひかん)桜や梅を愛(め)でた。秋田との気候の違いを感じた一足早い春の旅となった。
 わが地方はこれからが春。山野草も楽しむとしよう。(八)
                               


 

得票予測にずれが生じるのは

(3月17日)

 長らく能代山本の選挙を取材したり分析してきて、自分なりの票読みをするようになったが、ずれが生じるようになってきた。
 例えば県議選。前回、前々回と過去の選挙のデータを基本に、各候補への有権者への期待度、陣営の布陣・熱の具合など今の状況を加味し、自分の経験値を絡めてコンピューターではなく「勘ピューター」にかける。
 さらに詳細を説明すれば、衆院選と参院選での政党別得票から見える保守票・革新票、右にも左にも行く浮動票、市町村別の得票動向を把握しつつ、旧山本郡東部(旧二ツ井町と藤里町)や同南部(三種町)、同北部(八峰町)の過去の票の流れ、地元候補が出馬した場合の結集度を見て、推し量る。
 ところが、推測したトップ当選のだいたいこれぐらいだろうという予想得票数も、激戦で誰が入るのか落ちるか微妙な最下位の当落ラインも、正直に話せば1000票前後低いのである。
 能代市と山本郡が一つの選挙区(定数4)となった最初の平成19年の県議選では7人の争いでトップが1万2669票、4位当選が9456票。23年は同じく6人が競いトップが1万2835票、4位7893票、前回の27年は6人の戦いで最高が8515票、最下位当選が7500票。
 選挙分析と予想に「前回踏襲」は避けるべきだが、おおよそは前回の範囲の前後に収まると見てしまいがち。そこにズレというべきか落とし穴があった。
 その一つは、急速な人口減に伴う有権者の絶対数の減少だ。もう一つは、投票率の低下。地方政治に関心が高まらないこともあるだろうが、投票所に足の運べない高齢者の増加もあるとみられる。
 能代山本の当日有権者と投票率は19年が8万1498人の73・89%、23年が7万7901人の65・91%、27年が7万3845人の63・68%。結果、投票者数は19年6万221人、23年5万1347人、27年は4万7027人と雪崩を打つように減っている。当然、各候補者の票は簡単には伸びず、頑張っても減るという図式となる。
 選挙が秋田の能代山本の人口減、高齢化の現実を突きつける。争点である。
                               (八)


 

♫もうすぐ春ですねえ、と歌う人

(3月12日)

 3月に入って日中が長くなったと知り、日が差すと暖かさを感ずる。けれど、朝目覚めると外はうっすら雪化粧。「雪を見ると憂鬱ゆううつになってくる」と春の足音が遅いことを嘆く人がいた。そんな人に贈る歌に気付かされた。
 70歳となった先輩が「あの歌はいいよなあ。この時期になると必ずカラオケで歌う」と。そして、♫もうすぐ春ですねえ…と口ずさんだ。キャンディーズの「春一番」だった。
 カラオケ好きの彼は、気持ちが若いのか自分より下の世代の歌を好み、ポップス調の歌謡曲を披露するが、1970年代に活躍したランちゃん、ミキちゃん、スーちゃんのアイドルグループの歌まで十八番(おはこ)にするとはちょっと意外。自民党幹事長として能代に来たことのある大ファンの石破茂さんの60歳ぐらいだと理解できるけど。
 改めて「春一番」(作詞作曲・穂口雄右)を思い出し、インターネットで聞くと、ノリのいい曲の歌詞は1番が「雪が溶けて川になって流れていきます/つくしの子がはずかしげに顔を出します」、2番が「日だまりには雀たちが楽しそうです/雪をはねて猫柳が顔をだします」で、まさに今の能代山本の様子だ。
 だから、1番2番の出だしの次に来る「もうすぐ春ですねえ/ちょっと気取ってみませんか」と、あのころ20代のキャンディーズに負けず、歳を重ねても先輩のように元気にいたいものだ。
 そんなことを思った日、カラオケのある店で、居合わせた客が聞いたことのない曲を歌い出した。なんじゃこりゃと驚いた。
 スナックのママらしき人が主人公。立て替え払いの月末がまたやってきて嫌な気分になっていたが、辛さの分かるお客に相談したところ、お金を振り込んでくれたという内容で、♫さっそく振り込みありがとう/あなた好き好きお金はもっと好き…と音頭風に。
 順弘子の「さっそく振り込みありがとう」(いではく作詞・遠藤実作曲)。1984年のレコード化。順は八郎潟町出身で根強いファンがおり、母親は三種町の出だそう。
 あの手この手の振り込み詐欺が横行する今の時代にこそ、警戒を込めて歌いたい。(八)


 

市議会をパソコンで視聴して

(3月7日)

 四半世紀も前、後に国登録有形文化財に指定される能代市議事堂で、議会を取材した。その前は、先輩記者が議場内で必死に書いた原稿取りに走り、傍聴もした。だが、担当からはずれてからは、後任を邪魔しては悪いし、足を運ぶことはほとんどなくなった。
 その議会を、今はパソコンで瞬時に見られるようになった。新庁舎で開かれる3月定例会からインターネットの動画サービスのYouTube(ユーチューブ)を使って生中継を始めたからである。
 初日の28日の斉藤市長の提案説明は、検索しても画面に出てこなかった。開会時間を勘違いしていて、すでに終わっていたのだ。
 そこで6日の一般質問は満を持して。編集局にある大画面のテレビで国会中継ばりに視聴しようと準備したのだが、対応できないことが分かり、結局パソコンで小さく見ることに。この日は5人が登壇し、何事もなく粛々と進んで終わった。
 大会議室となった旧議事堂が議場だった時代。建物の風格と同様、市長と議員の質疑は当然、格調が高いものだと思った。なるほどと考えさせられる提案、切々たる訴え、当意即妙の答え、議長の裁きのうまさなどからそう感じたこともあった。
 一方で、議員からは調査不足や誤解に基づく質問があったり、市当局の答弁が弁解に終始したり、だらだらと長かったり。常任委員長が質疑に窮し辞任に追い込まれたり、質問をめぐって紛糾し本会議がストップして、傍聴者が狐につままれたこともあった。
 当時の記者席は、当局席と議員席の中間に位置し、双方の表情を見て取ることができた。色をなす市長、慌てふためく幹部、激しく詰め寄る議員、午後にのんびり船を漕ぐベテランがいた。ヤジやため息も聞こえてきた。それらを紙面で伝えてきたかというと十分ではなかった。
 即時中継は、今をさらす。新聞や広報紙では読み解けない雰囲気、市長や議員の顔や素振りが表れる。議会をより身近に感ずることができた。カメラアングルを工夫してもう少し全体を映せばなおいい。議員も当局もあまり緊張せずにだ。
 視聴中の最高表示は32人であった。  (八)
 


 

どうぞ大事に使ってください

(3月4日)

 何十年も使われないままどこかに仕舞われているはずの生家の和食器を案じ、さらに母方の実家の蔵に眠る道具類の行く末を心配する女性がいた。なぜ今になってと思ったが、本紙に掲載された記事が呼び水であった。
 能代市を舞台に「持続可能な食と農の未来を考えるワークショップ」を昨年から開いているグループが、先月21日に同市柳町の旧料亭「金勇」で行った郷土料理を味わうイベントで、一の膳、二の膳に能代春慶が使われ、九谷焼の皿、輪島塗の椀(わん)が並んだ。
 同市上町の平山家の所有で、用意されたのは20人分。能代春慶の膳が収められていた箱には明治24年の新聞が入っており、それ以前に作られたものとみられている。色がどちらかというと濃い飛騨春慶とは異なる淡黄色で、126年を経ても褪(あ)せない特有の艶と透明感があった。さらに一の膳は菱(ひし)形の格子が施された現代にこそぴったりな意匠。
 九谷焼、輪島塗は石川県の伝統工芸品。日本海交易や北前船のつながりをうかがわせた。
 その報道から冒頭の女性は、半世紀も前の子どもの頃の記憶がよみがえったらしい。正月や祭典などの〝ハレの日〟に子どもまでも御膳が付き、立派な器にご馳走(ちそう)があったことを。わが家にも春慶塗があったはず、母の実家でも九谷焼や輪島塗といった食器を見たような気がする、と。
 二度の大火に見舞われて、能代には書画骨董(こっとう)や工芸品はほとんど失われたとよく言われるが、消失を免れて案外に残っているものである。
 昭和24年の第一次大火の前に購入して難を逃れたものか、大火後に買い求めたものかは判然としないが、自分の実家にも手持ちのついた木箱に皿が残っている。高級とは思えないけれど、絵付けは味わいがある。きれいに洗って、料理を盛りつければ、古き良き時代の祝膳や、にぎやかだった家族の一コマが浮かんできて、懐かしいだろうと思う。そして天然秋田杉で作った桶(おけ)樽(たる)を処分してしまったことを悔やむ。
 食器も道具も使ってこそ。テレビの「開運!なんでも鑑定団」じゃないけれど、「どうぞ大事に使ってください」である。  (八)