吉幾三の方言ラップに挑戦

(1月17日)

 去年の秋、能代市内のカラオケのあるスナックに寄ると、なじみの先輩がラップ風の歌を十八番にしようと練習していた。津軽弁オンパレードで、滑稽に聞こえる曲。青森県五所川原市金木生まれの「俺は田舎のプレスーリー」の吉幾三の作詞作曲の「TSUGARU」だった。
 インターネットで吉がど派手な格好でアメリカの兄ちゃんばりにラップをしているのを視聴できると聞いて、検索すると、「おめだの爺(じ)コ婆々(ばば)どしてらば?俺(おら)えの爺コ婆々去年死んだネ」から始まる歌は津軽弁であるけれど、能代山本の人々が使う方言でもあり、秋田弁ラップでもあると思った。
 わらしコ(子ども)、ジェンコ(銭)、なじぎ(額)、よろた(太もも)、ひじゃかぶ(膝頭)、あば(嫁・家内)、ゆべな(夕べ)、こんにゃ(今夜)──などなど。都会や西日本の人には外国語のように聞こえ、ちんぷんかんぷんだろうが、彼の同年代(67)から上の世代は「うんうん」とうなずく方言にあふれている。
 ということで、忘年会でカラオケの出番に方言ラップに挑戦したのだが、滑舌が悪いうえにリズム感をとれないために、メロディーについていけず、歌にならなかった。
 わずかにリフレインの「喋(しゃべ)れば喋たって喋られる/喋ねば喋ねって喋られる/喋ればいいのが悪いのか/喋ねばいいのが悪いのか」は乗れて歌えたが。
 それはこのフレーズに妙に共感するからかもれない。喋りすぎは迷惑で問題を起こしかねない、かといって沈黙・無反応では物事がはかどらないし心が通わなくなるからで、「何事もほどほどに」の戒めである。
 新年の顔合わせでカラオケに移り、マイクを握らされて、また挑戦した。またしても調子外れであったが、ビデオに流れる歌詞を読んで、このラップには強いメッセージが込められていると知った。
 「俺ら東京さいぐだ」と都会に出ていった人に、たまに故郷の両親に顔を見せろ、親の老後を心配しろ、田舎暮らしは厳しいけれど、祭りや自然があり美味(おい)しい食べ物のある、ふるさとに背を向けるなと。「津軽をなめんじゃねえ」と叫ぶが、秋田も同様だ。(八)


 

さもありなん酒飲みランク

(1月11日)

 家飲みが多くなった友人とささやかに忘年会をすると、互いに加齢で酒に弱くなったのに酒量は変わらない、いやもしかしたら増えているのではないかと自戒した。
 重くはなかったものの大腸の病気をした古くからの友人は、昨秋の手術を機会に「酒は一生分飲んだからやめようかな?」とメールし、幼なじみから「んだな、いいゴドだ。やめられたら乾杯すっぺ」と混ぜ返しの返事をされていたが、退院後ほどなくしてビールを飲み始めた。
 観桜の宴席で空酒をし過ぎた知人は、帰り際に足元がおぼつかず転倒、けがをして家人にこっぴどく叱られ、以後酒を断ち、ノンアルコールビールで付き合っていたが、年末に再会すると復活していた。
 同級生は若い頃、東京のデパートの屋上のガーデンで生ビールの大を10杯飲んだ記録を持ち、社会人になってからもよく飲み、会社の幹部となってさまざまな酒席をこなした。
 しかし、数年前に内臓の数値が悪くなり、禁酒した。摂生と養生がよかったのか数値は回復し、飲酒できるまでになったが、再開はしていない。誘っても一次会も二次会もウーロン茶を注文、割りに合わない「割り勘」をする。
 彼のような人はまれ。「やめろ」と言われても、「やめる」と宣言しても、酒量と飲む機会を減らし自重する人は案外に少ないように思われる。
 その理由はさまざまであろう。憂さを晴らす、酒に慰めてもらいたい、楽しくなりたい、食事を豊かにするためになどと。だが、度を超してしまいがちで、日々反省するも、また。
 正月明けにスマートフォンに、順位付けのニュースが届いた。「酒飲みの多い都道府県ランキング」。週に4日以上(年間200日以上)の飲酒習慣のある人の割合を集計したもので、男性は秋田県がトップで35・2%、2位の山形県を4・9㌽も上回り断トツ。小欄を含め周辺の実態からしても「さもありなん」であった。女性は13・4%で3位。
 ラジオで女性シンガーソングライターが今年の目標に、自分の年齢と同じ数を年間の休肝日にすると言っていた。せめてもの参考にしようか。(八)


 

「見合いの時代」があった

(1月5日)

 初詣を終えた元日午後、やることもなくてリモコンでチャンネルをしばしば変えてテレビを眺めていると、NHKのBSプレミアムで1969(昭和44)年に公開された映画「男はつらいよ」が始まっていた。
 渥美清演じるフーテンの寅さんシリーズの第1作。テレビ上映とレンタルCDで見ているので3度目の観賞となったが、寅さんの妹のさくら(倍賞千恵子)と、団子屋のとらやの隣の印刷工場で働く博(前田吟)の結婚披露宴で、息子と長く疎遠であった博の父親(志村喬)の挨拶(あいさつ)が感動的でついほろりとなったこととマドンナが光本幸子であったこと以外は、あまり記憶にない。
 今回気付いたのは、さくらと博がゴールインする前に、さくらが会社の上司の紹介で取引業者の社長の息子と見合いし、その席に同席した寅次郎が「結構毛だらけ猫灰だらけ」などと言葉遊びを使ったり酔って羽目を外して、結局、相手家族から結婚話は断られたことである。
 その場面から、50年前は自由恋愛もあったけれど、見合いによる縁談が多かった時代だったと思い出した。先輩たちはもちろん、後の世代の自分の周辺、後輩の中にも見合い結婚したカップルがいたことも。
 自慢と言えるかはなはだ疑問だが、友人は「俺は2勝13敗だ」と酔えば語る。15回見合いして、13回は相手から気に入られないか、もしくは自分のタイプでなくて、成立せずであった。2勝のうち1勝は自分も相手も好意を抱き、いい線までいったそうだが、さまざまな事情で壁を乗り越えられなかったらしい。もう1勝は今の奥さんと相思相愛になって成就した。
 彼ほどではないにしても、釣書という自己紹介を載せた書面を用意して、何度か見合いして結婚という目標に達成した若い男女はいた。出雲の神よろしく縁を取り持つ世話役も結構いた。
 半世紀を経て、出会いと結婚、婚姻するかしないか、独身を貫くかどうか、考え方は多様になり社会の状況も変化した。そして婚姻率の低下、出生数の減少、人口減も続く。
 それらを踏まえ、わが地でも婚活や家族の在り方を考える令和2年としたい。

(八)