「昵懇の仲」より「じゅっこのなが」

(10月22日)

 何の選挙になるか予想もつかないが、捲土(けんど)重来を期していると見える政治家がある席で、「昵懇(じっこん)の仲」という言葉を使っていた。
 彼の父親と能代の人の父親が、年は離れているものの県議会議員の初当選が同じで、父が後に国政選挙に出ることを後押し、その後も深い親交があったという。そのことが「昵懇」というわけである。
 辞典の「漢字源」によれば、「昵」は「ちかづく、なじむ、ねっとりとくっつく、そばにちかづいて慣れ親しむ」で、「懇」は「ねんごろ、まめまめしく心をこめるさま」。つまり「懇意」や「親しいこと」の最大級である。
 選挙という戦いや人事と競争の裏に義理人情が絡む政治の世界では、昵懇の間柄になりやすいのだと改めて思った。もっとも造反や離散も生まれるが。
 「昵懇」から「じゅっこのなが」を思い出した。
 友人は3年前に、スマートフォンのLINE(ライン)機能を使って、小中学校の同級生でもある幼なじみの能代在住の男性と東京と東南アジアを行き来する女性と3人でメールのやり取りをしている。そのグループ名は「じゅっこのともだち」。
 女性から「じゅっこって何だ?」と質問され、「昔っからの知り合いとかいうこと」、使い方は「おいど、あいだば、じゅっこだもの」と教えると、「じゅっこの仲てが。あー思い出した」と返事がきたそうだ。
 「じゅっこ」は「昵懇」が訛(なま)った方言であるが、そこまでは理解していなかったらしい。「親しき仲」「仲良し」を「じゅっこ」というやさしい響きから好んで使ったようだ。
 ところが、大都市に住む能代出身者から先日届いたメールは意外な内容だった。好きな能代弁の一つに「じゅっこのなが」を挙げていたのだが、「重箱を一緒につつく、とても仲のいい友達」と解釈していた。
 重箱を縮めて「じゅう」、それに秋田弁の「コ」を付けて「じゅっコ」と言う。それと「仲がいいこと」が重なっている。誤用ではあるが、好感する。重箱の料理をつつき合う友人関係もまたうれしいものであるから。
 「昵懇」よりも「じゅっこ」を使い続ける。(八)


 

台風19号にさまざまな思い

(10月14日)

 記録的な大雨と暴風で洪水や土砂崩れなどの被害を各地に拡大させた台風19号の緊迫する映像を見て、能代山本の誰もが現地の人々を心配し、心を痛めたことだろう。
 大雨特別警報の出された都県に子や兄弟姉妹、親類が住む人は安否確認や状況を知るため、電話やメールをしたはずだ。
 神奈川に住む人に12日夜に連絡を取ると、風雨は落ち着いたとのことで、対応は「避難勧告も出たけれど、避難所が遠いので自宅にいました」であった。マンション暮らしの東京の人は「ただじっとしている」だった。
 一方で、能代の友人の祝い事にどうしても出席しなければなかった人は、飛行機の手配を何度も変更して当初の予定より1日早く帰省していた。
 河川の氾濫、堤防の決壊の様子をテレビで見た人は、昭和47年7月9日の米代川洪水の二ツ井町の中心部、能代市中川原一帯の住宅や工場の水没を思い出し、復旧作業が辛(つら)く長く続くことの労苦を思いやっていた。
 「19号がよくないね」と言う人がいた。平成3年9月28日に能代山本に最接近し能代市で瞬間最大風速44㍍を記録、建物や農林水産業に大きな被害を与えた台風が19号だったことを思い出したらしい。災害の記憶がそれぞれに残っていることを表す。
 今回の台風の犠牲者の冥福を祈るとともに、被災地・者にお見舞いを申し上げ、同時に河川が鎮静し一刻も早い復旧となることを願わざるを得ない。
 令和の時代も日本は災害列島で、今回の台風は過去に例をみないような広範囲な被害。この先も不安である。災害は避けられないにしても、被害を減らす「減災」や「縮災」が必要と改めて思った。
 幸いにして、本県、能代山本はどうしたわけか台風は避けて、被害はほとんどなかった。なじみの店の主人のこの頃の口癖は「おらホ、何も起ごらねしていナー」であるが、今回もそう言うだろう。先輩は「安心安全は気象から」なる言葉を教えたが、意を強くしたかもしれない。
 13日は朝から晴れ。雨が心配できりたんぽ会を室内で予定していたグループが、急きょ公園でにぎやかに開いていた。(八)


 

秋、さあにぎやかいただく

(10月11日)

 仲間との会食で出てきた魚介のムニエルをメインとしたワンプレートランチは少々量が足りなかったためか、参加者の大概は完食したが、ある女性の皿はサラダがほぼ丸々残っていた。野菜嫌いなのか、生野菜を好まないのか。
 数年前に先輩がぼやいていた。世話になっている人と懇談しようとしても、ほとんど参加しないという。肉や魚介の動物性食品を食べず、野菜や芋類、豆類などの植物性食品を中心にとるベジタリアンで、人気のちゃんこ料理店の予約を取れたにもかかわらず、鶏出汁もだめだとかで断ったそうだ。徹底的な菜食主義に周辺も当惑し心配していた。
 能代山本を3度訪れ講演したこともある医師の日野原重明さんは一昨年105歳で亡くなったが、生前、健康長寿の秘訣(ひけつ)を聞かれると、「週に2、3回はステーキを食べる」と話しており、驚いた。魚はだいたい毎日食べるとも言い、高齢者になってもたんぱく質を積極的に摂(と)ることを勧めていた。
 食べ物の好き嫌いが激しかった知り合いの独り暮らし80代半ばと、酒ばかり飲んでいたまだ若いはずの60代後半の高齢男性がそれぞれ入院した時、栄養失調状態であったことを考え合わせると、日野原さんの言葉の意味は重いと思った。
 医学的・栄養学的なことはよく分からないけれど、結局は「バランスの良い食事をすること」に行き着くと勝手に理解、旬の物を優先してあれもこれも食べているが、そのことが案外に正しいと教える合言葉を、テレビの情報番組から拾った。
 「さあにぎやかいただく」。魚のさ、脂のあ、肉のに、牛乳のぎ、野菜のや、海藻のか、芋のい、卵のた、大豆のだ、果物のく。
 東京都健康長寿医療センター研究所が開発した食品摂取の多様性スコアを構成する10の食品の頭文字をとったもので、「ロコモチャレンジ!推進協議会」が考案したそうだ。低栄養状態となってロコモティブシンドローム(運動器症候群)にならないように、健康寿命を延ばそうということのようである。
 いっぱい食べなくてもいい、ただし少食・粗食は避けたい。「食欲の秋」。さあにぎやかにいただこう。  (八)


 

奥羽線秋田以北、渋沢栄一の反撃

(10月6日)

 通信社から送られてくる文化・家庭・生活面用の記事をチェックしていて、文庫・新書の短い書評に「能代」の文字を見つけた。
 地図や近現代史をライフワークに取材・執筆活動をしている竹内正浩さんの「ふしぎな鉄道路線」(NHK出版新書)で、次のように記していた。
 「明治以降、全国に延びた日本の鉄道。その路線決定の理由は地形だけではなかった。秋田─能代は海岸線近くを走る奥羽線。内陸を主張する陸軍と、経済効果をもくろむ実業家の渋沢栄一らの攻防が面白い」
 渋沢栄一(1840ー1931年)は、500社を超える企業の設立や運営に携わった実業家で、福祉・教育・国際親善の公益事業に力を尽くした慈善家。5年後に刷新される新紙幣の1万円札の図柄になる偉人だ。
 能代山本を通る奥羽線の開通とその経緯については、昭和43年から小紙が能代市在住の少壮の歴史学徒に依頼して掲載、後に刊行した「能代のあゆみ─ふるさとの近代」にも詳述している。
 当時、奥羽本線が市街地を通らなかったことを悔む声がしばしば聞かれ、「馬車組合が反対したからだ」などと真(まこと)しやかに語られたが、それは俗説で、「能代のあゆみ」には能代の先人たちの努力や政治的駆け引きを報じている。
 竹内さんは秋田以北の路線は、内陸を通って鷹巣につなげる仁別線、鹿渡から鶴形に出る檜山線が最有力案で、ほかに五城目から内陸に入る五十目(ごじゅうめ)線、鹿渡から鵜川、浅内、能代市街を通る能代線があったとした上で、渋沢ら経済人は檜山線もしくは能代線、後に陸軍大将となる児玉源太郎は軍事上から沿岸部を避けた仁別線を主張、鉄道会議の資料を基に児玉の大演説と、渋沢の理詰めの反撃を分かりやすく解き明かしている。
 会議は翌日に持ち越され、仁別線と檜山線とで投票、檜山12、仁別11と民間人が推す檜山線に決まった、その後、能代郊外まで北行する案に変更されたが、大した議論もされず全会一致で承認されたと説明している。
 本の副題は「戦争と地形で解き明かす」、帯には「レールの下に、『歴史』が広がる」。なるほどである。(八)


 

タイムの表紙に保坂さんのアート

(10月2日)

 アメリカの週刊ニュース誌に「タイム」がある。周囲に世界情勢を英文で読んで理解しようとしている人はおらず、また日本の読者向けのアジア版の定期購読者は見当たらず、何年も触れたことはないが、時の人や話題の人物を取り上げる表紙は印象的で時折関心を注ぐ。
 1923年創刊で現在の発行部数は368万部、世界200カ国で2000万人が読む世界を代表する雑誌の表紙に取り上げられることは、その人物が注目されるからである。
 創刊以来、日本人が取り上げられたのは元帥海軍大将の東郷平八郎に始まって、昭和天皇、近衛文麿や東條英機ら歴代の主要な総理大臣、ソニー創業者の盛田昭夫など39回だそう。女性は正田美智子さん(現上皇后)や歌手の宇多田ヒカルさん。
 そのタイムの9月23日号の表紙に、能代市出身者が関わっていることを1週間ほど前のテレビの夜のニュース番組が紹介、びっくりするやら驚くやらして、喜んだ。
 その人は、保坂俊彦さん(45)。
 東京芸大彫刻科に在学中の平成9年に旧八竜町の釜谷浜で行われたサンドクラフトに参加して砂像制作に取り組み、その後、現在まで制作・指導に当たってきた。現在はプロの砂像彫刻家として国内外で活躍、世界大会で優勝もしている。
 タイムの表紙となったのは、保坂さんのサンドアートのドローンによる上空撮影の写真。千葉県旭市の東日本大震災で津波被害を受けた旧飯岡中学校跡地に8月に2週間かけて制作した、気候変動に関した作品は縦30㍍、横20㍍の平面で、上部にTIMEのロゴ、中央に地球のデザインを配している。
 人が点在して写っていた。保坂さんによると、声を掛けた地元の人で、人が道具を持っている、何も持っていない、道具のみを置くなどパターンを少しずつ変えて写した数百枚からタイム側に選んでもらったという。
 「人々が水を撒いたり掃除をしたり整備したりして地球を労っている様子を表している」と保坂さん。
 能代の人の思いを込めたアートが世界に。うれしい。(八)