ふるさとに帰って「よげしゃべり」

(9月16日)

 おなごりフェスティバルを見物がてらに久しぶりに能代の実家に帰省した女性が、各地の祭りに触れることができる興奮からか前日も、実際に見てきて感動した当日も、東京に戻る名残惜しい翌日も、よくしゃべり、次第に声が大きくなり、早口になっていた。
 もともと、おしゃべりな人ではあったが、この度は言葉が次から次へと途切れることなく出てくる「マシンガントーク」。同行した娘が「年を取り次第、ひどくなっている」と嘆くほど。居合わせた母親や集まったきょうだいも「こんなだったっけ」と驚いていた。
 こうしたおしゃべりを秋田弁では何というだろうか。
 小欄では過去に、「ちょぺ」と「おがさべり」を紹介している。ただし、「ちょぺ」は、いらないことまで言い触らす、告げ口するといった意味が込められる場合があり、適していない。
 「おがさべり」は、ひどい、大げさなどの意のある「仰」からきた「ぎょうが」が訛り、それに「喋る」が転訛した「さべり」が付いた方言で、だとすればこれもニュアンスが違う。
 そこで、県教委の「秋田のことば」を調べると、「おしゃべり」の方言で能代山本地方で使われているものとして、「ちょぺ」「おがさべり」のほかに、「けられ」「へちゃ」「しゃべちょ」があった。
 「けられ」は「『口繰り合い』で、愚痴を主としたおしゃべりのことをいった」とあるが、聞いたことはない。
 「へちゃ」は擬態語の「ぺちゃくちゃ」の下を略したものからきたらしく、「口数が多いだけでなく、内緒話を軽々しく触れ歩いたり、勝手な憶測で噂(うわさ)を言い触らしたりする迷惑な人でもある」と説明。確かにそういう人が思いのほかいると同意しつつも、これも件(くだん)の女性には当てはまらないと思った。
 ちなみに、県内では「へちゃむぐれ」を「おしゃべり」の方言で使っているところもある。よく聞く「へちょむぐれ=へそまがり」と違うのだろうか。
 先日、知人のことを「よげしゃべり、だぁ〜」と気付く人がいた。「よげ=余計に、殊更(ことさら)に、沢山(たくさん)、余分に」。ふるさとに帰ってハイテンションになった彼女にふさわしい。(八)

   


乱暴発言でまたまたお騒がせ

(9月8日)

 県内が記録的な大雨に見舞われたのに、県庁の部長やOBを伴って宮城県にゴルフ旅行に出掛け批判を浴びた佐竹知事が、またまたお騒がせ。今度は乱暴な発言である。
 佐竹知事は、先月末に青森県弘前市で開かれた北海道・東北知事サミットで、葉たばこの生産について、「たばこはもう10年ぐらいでなくなる。衰退するものは早くつぶした方がいい」と発言したという。
 サミットは健康づくりがテーマで、受動喫煙対策に話題が及んだ時、持論を展開したが、乱暴な物言いにはたと気付いたのか、直後に「不適切だった」と訂正したそうだ。
 たばこは成長産業ではなく、葉たばこ生産の営農はさらに厳しくなると予想されるので、「行政が指点して別の成長品目に変えていく必要がある」との意味での発言だと釈明した。その意図するところは分かるが、「つぶす」という言い方はいかがなものか。
 かつて葉たばこ生産が盛んだった能代山本でも、需要減や担い手不足などから栽培農家は少なくなっている。それでもなお踏ん張っている農家はどんな思いで、知事発言を受け止めただろうか。
 6日の県議会県政協議会で、この問題が取り上げられ、苦言を呈された知事は「乱暴な言い方で、申し訳ない」と陳謝した。
 知事の乱暴発言は今に始まったことではない。講演会や議会で「秋田の人口減少の原因は米だ」「改革のない企業には退場を願う」とか、「市町村はさぼるんですよ」などと。後にその理由を丁寧に説明されれば、納得できる部分もあるのだが、本音を断定的に強く言うものだから、誤解を招き、物議を醸すのだ。
 そういえば、こんな騒動もあった。保守系無所属議員のパーティーで県政与党の自民党について、「(議席が)多くなると鼻に付いて…」と語り、同党県連から抗議を受け、平謝りしたことを。
 厳しい秋田の現状を打破するために強いリーダーシップを示す必要があり、「物言う知事」となったはいいものの、それがつい失言となるのか。寡黙で慎重な首長は面白みがないが、かといって過激では温厚な県民の顰蹙(ひんしゅく)を買う。(八)                       


輝く踊りの輪、消えた盆踊り

(9月5日)

 ズン、ズン、ズンドコ…と氷川きよしのテンポのいい「きよしのズンドコ節」に乗って、浴衣の女性や子ども、ラフな格好の男性が行く夏の惜しむかのように盆踊りを楽しんでいた。
 2日夜、能代市上町のけやき公園で行われた「のしろ日本語学習会」の盆踊り会。詳細は記事に譲るが、中国やロシア、フィリピン、パキスタン、ネパールの学習者や地元住民が交じって、やぐらの周りに踊りの輪を広げた。
 今年で21回目だという。学習会そのものが発足25年を迎えているが、このイベントをよくぞこれほど継続してきたものだと、生ビール片手に踊りを見ながら敬意を表するとともに、中心市街地で行われてきた盆踊りがほとんど消えたことに寂しさを覚えた。
 7月下旬、関東に住む能代市出身の女性が義姉の夫の趣味が「意外にも」であったことを教えた。夏に阿波踊りを踊ることが趣味だったという。東京では杉並区の高円寺を代表格に各地で、四国徳島市の本場にあやかって阿波踊りを盛大に踊っているそうだ。その人は世田谷区の経堂まつりに出演、親族が応援がてらに見物したとのことだった。
 その話を聞いて、能代駅前でも阿波踊りが行われたことを思い出した。33年前の昭和59年8月のお盆すぎ、駅前商店会がそれまで開いていた手踊り大会がマンネリ化していたため、徳島からの移入に成功した高円寺を先進地視察、練習を重ねて、「踊らにゃソン、ソン」と手と足を軽やかにしてお披露目した。
 昭和50年代から平成初期にかけて、能代市では農村部の伝統的な盆踊りや伝統芸能披露が終わると、商店街や市街地で〝新興盆踊り〟がにぎやかに繰り広げられた。新柳町、大町、東町、中和通り、西大通りなどが、地域の核となる大型店やスーパーやホームセンターとともに。
 いずれも市民には好評だったが、いつ間にか行われなくなった。
 市街地の人口の空洞化、廃業や移転による商店の減少、それに伴う予算不足、商店会の活動の低下などが絡んだためだ。それは能代の今の力不足を如実に表している。
 それゆえ、国際色豊かな盆踊りが時代を反映させて輝く。(八)                        


石原裕次郎記念館の閉館から

(9月1日)

 30年前の夏に能代市内の40代から50代の主婦や飲食店のママさんたちが、ひどく落胆して、「私の青春も終わったのね」と語っていたことを思い出した。
 1987年7月17日以降、テレビをつけると「赤いハンカチ」が上映され、有線放送の歌謡曲のチャンネルはいつ果てるともなく「二人の世界」や「夜霧よ今夜も有難う」を流し続けていた。若い世代は、七曲警察署の藤堂係長がマカロニ刑事のショーケンとラストでずっこける「太陽にほえろ!」や、戦車のような装甲車が市街地でドンパチする「西部警察」を笑いころげながら話していた。
 俳優にして歌手の石原裕次郎が52歳で亡くなったことを偲んでいたのだった。
 そのことがよみがえったのは、没後4年目に北海道小樽市に開館した石原裕次郎記念館が31日で、26年の歴史に幕を閉じたとのニュースが報じられたためだ。
 小欄は、ギターを背負って馬に乗る荒唐無稽(こうとうむけい)な出番で、脳天を突き抜ける甲高い声で歌う小林旭が好きで、役柄が格好良過ぎて歌は渋い裕次郎のファンではなかったが、その死から能代山本でも絶大な人気、ある年代の女性には憧れのスターだったことを強く知った。
 裕次郎記念館には、小樽観光で能代山本から訪れた人も多いだろう。小欄は9年前に札幌市で開催された業界の大会に参加した折、小旅行で立ち寄り、三船敏郎と共演した「黒部の太陽」のセットの再現、衣装や車、レコードなどゆかりの品の数々を見学。まき子夫人(元女優の北原三枝)の話も聞くことができ、思い出深い。
 今回閉館となったのは、ピーク時に年間126万人もあった来館者が近年は約20万人に減っていることや、施設の老朽化。まだまだ使えると思うが、館長は「裕次郎さんらしく、惜しまれて終わりたい」という。
 存命であれば82歳。熱烈なファンも70代から80代と高齢化しているはずだから、やむを得ないことかもしれない。裕次郎の歌をこよなく愛し「覚えておいてくれ」と話し、4年前に72歳で亡くなった能代市生まれの人の顔が浮かんだ。そして、名曲「わが人生に悔いはなし」も。(八)