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古都で思う観光戦略

(2013.11.28)

 先日、個人的に京都に行ってきた。さすが古都、見どころに事欠かず、またハイシーズンだけあって観光客の多いこと。同時に秋田、三種町の観光の現状と思わず対比してしまう。
 京都駅には特に九州、北海道をPRする観光ポスターはあっても東北、ましてや秋田は一見したところ皆無。JR東と西という別組織なれど、秋田デスティネーションキャンペーンの文字すらない。
 先日、テレビ番組で京都を紹介していた内容が印象的だった。明治期に天皇が新たな都、東京へと移り住むにあたり京都の人たちは「天皇はん、行かんといて!」と懇願したが、願いは届かず。そこで考えた苦肉の策が観光地として外国人を呼び込もうという、今で言う「観光立地戦略」。京都はつまり、100年以上にわたって観光戦略のノウハウを蓄積してきた超先進地だということだ。それと比べて最近になってようやく観光戦略を考え始めたわが三種は、歩き始めたばかりと言える。
 同町は町長自ら、そして担当部署の職員らが県外へ出向き、三種町をPRしている。これを「効果があるのか」と冷ややかに受け止める向きもあるが、京都の例をみるまでもなく、観光地として成熟するまでには相当の時間と地道な努力の積み重ねが求められることは明白。10年20年どころの話ではない。ゆえに走り出したからにはその「継続」を望みたい。
 ただ、その際に自ら何らかの目標を設定してはどうだろうか。よく言われることだが、どこに行きたいか分からなければどこにもたどり着けない。ジュンサイを無料で振る舞うならコトは単純だが、例えば1日あたり「10㌔売る」「50パック」売るという具体的な目標を設けてはどうだろうか。加えて生産者も同様に直接の当事者として今以上に積極的に関与しないと、いつまでたっても追い付けないとも感じた。
 国内の各地が競って自らをあの手この手で売り込もうとしている。ライバルは多いのだ。

(岡本 泰)


消費者への心配り

(2013.10.30)

 ホテルのレストランなどでメニュー表示と異なる食材を使っていた責任を取り、社長が辞任に至った。問題が発覚した当初の記者会見で「意図したのでなく、連絡ミス。偽装でなく誤表示」と弁明。テレビ報道を見る限り反省は伝わらず、何より消費者への心配りが足りないことに不快感を抱いた。
 芝海老としてバナメイエビ、九条ネギの表示で一般のネギ、うたった産地と違う豚肉、手作りのはずの既製品ソースなどを提供。厳しい批判が集中し、社長は引責辞任に追い込まれ、最後は「偽装といわれても仕方ない」と述べた。
 大館に勤務していた数年前、比内地鶏の食品偽装表示事件があった。卵を産みにくくなった「廃鶏」を安く仕入れて「比内地鶏」と表示し薫製商品などを販売、逮捕された社長は実刑判決を受けた。
 全国的にブランドとして人気を呼んでいた比内地鶏の信用は失墜、地元業界は大打撃を被った。県が認証制度を設けるなど、業界一体の対応に乗り出したが、信頼回復には時間を要した。同社の社員らが再起を期し商号を変えて事業を続けてきた会社は厳しい経営を強いられ、今月上旬、裁判所から破産手続開始決定を受けた。
 食品の偽装はこれまで生産地、消費・賞味期限、原材料、あげくは料亭での食べ残しの再提供などと数え切れないほどあった。大館の問題の社長が「比内地鶏とすれば高く売れる」と考えたように、どれもが利益を追求しての愚行だった。それは「消費者に分からなければ」との安易な発想だ。
 能代山本地域は全国に誇れる産品が数多く、ブランドを確立しているものもある。産地として安心・安全に努めることはもちろん、信頼確保には生産から流通、販売まで消費者を大事にする「意思統一」が必要だ。一つの心無い行動が、全体に大きな影響を与えることになる。
 真心を込めた素朴さが、高級品以上の付加価値につながる。

(池端 雅彦)


地域医療を見直して

(2013.10.16)

 春から医療関係の取材を担当している。記者になって十数年、これまでほぼ縁のなかった世界。不勉強もあり、知らない用語や聞いたことはあってもそれが何かはよく分からない言葉に出くわすこともしばしばだ。「腹腔鏡下(ふくくうきょうか)手術」も、この分野をかじらなければ目の前を通り過ぎただけの言葉だったかも知れない。
 腹腔鏡下手術(Laparoscopic surgery=LS)は腹部に開けた数カ所の小さな穴からカメラと手術器具(鉗子(かんし))を挿入、モニターを見ながら患部を切除、摘出する術式。最大の利点は「体への優しさ」。従来の開腹術に比べて傷が小さいため痛みが少なく、離床も早い。傷が目立たないから「美観」にも優れる。日本には約20年前に導入され、能代山本では現在山本組合総合、能代山本医師会両病院が取り組んでいる。
 その山本組合病院で先月下旬、LSで膵臓(すいぞう)の悪性腫瘍を取り除く県内でも珍しい術例があったと聞き、取材した。同院では4月にも高難度とされるLSによる肝臓切除が東北で初めて行われたが、大量出血の恐れがある膵臓もLSでは「最後の領域」と呼ばれてきた臓器。しかし執刀医の大山健一外科科長(42)の下、ここ5年ほどで飛躍的に実績を伸ばしてきた外科チームは、培った経験を駆使して完璧にこなし、出血量も数㏄に抑えてみせた。
 手術を終え1週間経(た)った患者の女性(78)に直接話を聞く機会も得た。「(術後の炎症で)まだ少し痛いが、傷が小さくてうれしい」と語る女性の明るいこと。同席した大山科長には「先生、ありがとう」と何度も頭を下げ、感謝してもし切れない様子だった。
 その大山科長の目下の悩みは、自身も現時点で最良と確信するLSの実績を一生懸命重ねても、「腹腔鏡下手術を受けたいからここに来るという人はほとんどいない」こと。この地域で、しかも傷が小さくて済む手術を受入れたはずが、離れて暮らす家族ら周囲の情報などで東京の病院や大学病院を選択、結果的にお腹に大きな傷を付けて帰って来るのはよくある話という。「こういう情報って、どうしたら地域に伝わるかな…」と嘆く先生を前に、LSの取り組みを何度か記事にしてきた弊紙の一員として、何だか申し訳ない気分になった。
 術後の患者が見せた心からの笑顔に、LSがいかに優れた手術かは素人目にも分かった。こうした最先端医療が能代山本に居ながらにして享受できることを、住民はもっと誇りに感じていい。そして来年不惑の年を迎える身には、何とも心強いのである。

(平川 貢)


初心に返り安全運転

(2013.10.9)

 運転免許を取得して2年。教習で覚えているのは、教官が怖かったことと、卒業検定で赤信号なのに不運が重なって信号無視、その場で補助ブレーキを踏まれたことくらいだ。
 先日、能代山本地区安全運転管理者協会などが主催する若年運転者対象体験型交通安全講習会に参加した。はじめに能代署員から最近の交通情勢を聞いた。先月26日現在、今年に県内で発生した交通事故の死者は34人、30歳未満の若者が関係する死亡事故件数は5件だという。事故全体では65歳以上の高齢者が関わる事故が多いが、「若者が起こす事故は大事故につながりやすい。運転に慣れたと思ったときが危ない」と話していた。
 路上運転では、教官が助手席に同乗し能代市内を回ったが、教官が隣にいるといつも運転している道路でも緊張する。普段よりも気を遣って運転してみたが、合格点には程遠い結果に。教官からは、発進時の周囲確認や左折時の幅寄せを指摘された。「発進時、前方確認しかしていなかったな」と反省。今後の運転に生かそうと決意を新たにした。
 高校卒業直後、友人を交通事故で亡くした。事故現場は直線道路だった。友人は免許を取ったばかりで運転には十分気を付けていたはず。当時は運転の怖さと危険性を実感したが、それから約10年。関東で免許を取得したこともあり「あっち(関東)に比べれば能代は交通量も少なく運転しやすい」と思っていた。しかし、その油断が命取りになるのだろう。
 私たちが暮らす能代山本は車社会。車を運転しなければ行動範囲が狭まり非常に不便。この地域で生活するには車は必要不可欠だ。講習での体験をこれからの運転に生かすとともに、家族や友人、同僚に学んだことを伝え、この地域の事故を少しでも減らす一助になりたい。

(山田 直弥)


若者にとっての「地元」

(2013.9.23)

 近年、地元から出ても、また戻ってきたい若者が増えているらしい。人口減少はどの地方でも大きな課題になっているが、地元を離れる人にとっても動機はさまざまある。「若者の流出」などという言葉を受けて、県外へ行くことを悲観的にみてはいけないと感じる。
 この夏、風の松原で音楽、ダンス、アートを楽しむイベントを企画した山口美都さん(32)=能代市=が言っていた「若者が外に出ていくことは決して悪いことではない。また戻ってきたいと思える魅力をつくればいい」という言葉に共感した。山口さん自身も高校卒業後、東京に行き、3年前に帰郷した。
 能代市の成人式で北羽新報社が行った新成人アンケートで、私が気になっている項目のひとつが「定住志向」だ。今年は「すぐにでも帰りたい」「近い将来帰りたい」「いずれ帰りたい」という帰郷願望を持つ新成人が74・0%で2年ぶりに7割台となった。
 私も高校卒業後は大学に進学し、県外でひとり暮らしを4年間経験した。全国各地から集まった同年代の友人や先輩、後輩らとは互いの出身地について紹介したり、語り合うことも多かった。その結果、高校生の頃までは身近にあった全てのものが当たり前過ぎて「何もない」と思いながら過ごしていた地元にも、さまざまな魅力や好きなところがあることに気づいた。県外での日々は、改めて地元を見つめ直す貴重な時間だった。
 大学卒業後、私は地元に戻って来られた。しかし、就職活動中はまだ「就職氷河期」と呼ばれていて、勤務地を選べず、手当たり次第に数十社と東北から関西まで面接のために走り回る人もいた。それでも多くの友人から聞かれたのは「地元から離れたくない」という言葉だった。距離が離れていても空港があったり地元までのアクセスがしやすい土地を選んでいる人もいた。
 就職先が地元ではなかった人たちは、必ずしも地元を嫌って離れていったわけではない。帰省などの際には笑顔で迎え入れたい、迎えてほしいと地元に戻ってきた若者の1人として思う。
 もちろん地元に残ることを選択した人たちが暮らしやすい環境であることも大切だ。そして、外へ出ていった人たちがいずれ戻ってきたいと思える居心地のよい古里を今いる私たちが保ち、より良くしていかなくてはいけない。
 帰郷願望を持つ新成人の声の中には「これから発展できる街であるため、その発展に携わりたい」という声があった。「自然の豊かさ」など今ある姿に満足するだけでなく、これからの未来をつくることが魅力だと感じた若者の言葉がとても頼もしく、うれしい気持ちになった。

(佐藤 詩織)


設問にもっと工夫を

(2013.7.13)

 先月、能代市の市民意識調査の調査票が私宛てに送られてきた。市内の18歳以上の中から無作為に選ばれた2千人のうちの1人である。初めてのことでちょっぴりうれしかったが、計59問、8㌻に及ぶ調査票に少々げんなりし、机に積んだままにしていた。先日、思い出して回答を書き始めたが、途中で締め切り日を過ぎていたことに気が付いた。残念。選んでくれたのに、ごめんなさい。
 調査票を読んでいて、引っかかったのが『図書館について』という設問。1問目で市立図書館をどの程度利用しているのかを尋ね、ほとんど利用していないと答えた人に2問目で理由を尋ねていた。図書館関係はこの2問だけで、なぜ、この時期にこんな問いをわざわざ設けたのか不思議でならなかった。
 市立図書館は、指定管理者制度の導入をめぐり、市民の間に賛否両論があり、図書館協議会では慎重に議論が交わされている。利用の頻度や利用しない理由を尋ねるよりは、指定管理者導入の是非を問うた方が良かったのにと思ったからだ。
 そこで、市民意識調査の担当課に問い合わせてみると、次のような説明が返ってきた。
 まず利用頻度や利用していない理由を尋ねたのは、その傾向を把握して指定管理者導入を検討する上での参考にしたいとのことだった。そして、賛否両論がある問題について、市の政策を左右するような問いを市民意識調査に盛り込むのは、好ましい在り方ではないということだった。
 確かに、計59問もある中で、2問だけでは設問自体が舌足らずになってしまいかねず、そもそも、ついでに回答を求めるのは適切じゃないと言われればそうかもしれない。だからといって、なぜにわざわざこの設問なのか。指定管理者の導入を前提にしたとしか見えず、質問する側にあまりに都合が良すぎると思ってしまった。せっかくの民意をくみ上げる機会である。問うべき内容にもっと工夫が必要なのではないか。

(伊藤 仁)


被写体の向こう側

(2013.6.24)

  この春、米代川に現れた“アザラシ・ヨネちゃん”の一件以来、動物の可愛らしさを写真に収めることの楽しさに目覚め、休日に水族館や動物園に行ったり、友人の愛犬の散歩に同行するなど、とにかくファインダー越しに動物の姿を追い掛けるようになった。
 動物たちは水族館のガラス越しや動物園のおりの向こうから、好奇心旺盛にカメラを構える私に向き合う。彼らの持つかわいらしさや目と目が合うと心にそっと寄り添ってくれるような優しさに日頃の疲れが癒やされ、ほっと一息つくことができる。
 先日、横手市の県立近代美術館で開かれている動物写真家・岩合光昭さんの写真展に足を運んだ。「家族」や「つながり」をテーマに、アフリカで狩りをするライオンやオーストラリアの広大な原野を駆けるカンガルー、南極の氷上のペンギンなど、大自然を舞台に野生動物の迫力ある姿や雄大さを切り取った作品が並んでいた。
 動物の姿に癒やされた反面、狩りのため子どものそばを離れなければならないライオンの母親の背中、死にゆくゾウの母親を見詰める子どもたちなど「かわいい」だけでは言い表せない自然の厳しさを伝える写真もあった。 
 一枚一枚にコメントが添えられていた中で目に止まったのは「生きていけるかどうかは母親についていけるかどうかで決まる。しかし、自ら目覚めなければ何も変わらない」という言葉だ。動物の生涯は人間に比べて短く、成長過程の一瞬一瞬が強くたくましく、そして美しく映し出されているのだと感じた。
 その一瞬の姿を捉えた写真は、動物が生きる背景や詳しい観察があってこそ撮影できたものだろう。
 日常の取材でも同じことが言える。記事の背景には取材によるしっかりとした裏付けが必要で、一枚の写真からは集めた情報がにじみ出るような取材の仕方が求められる。表面的な事実だけでなく、その奥にある深層を表現できるようになりたい、と気持ちを新たにした。 

(浅野 結子) 


裁判員の経験談

(2013.6.14)

 「想像していたよりも話が分かりやすく進み、無事に終えることができた」。裁判員を務めた男性は安堵(あんど)の表情でそう語った。
 今春、秋田支局に転勤し、初めて裁判員裁判の公判を取材した。自宅を全焼させた放火事件の被告の裁判で、起訴事実に争いはなく、争点は「量刑」だった。量刑の判断について検察官はこう説明した。「被告人を刑務所に入れるのか、入れないのか。入れるとすれば、どのくらいの期間にするべきかを決めるということです」。
 先に記した男性の言葉にあるように、裁判員の緊張と不安を払拭(ふっしょく)した要因の一つに検察官と弁護人の説明の分かりやすさがある。裁判取材自体が初めてだった私にとっても、かみ砕かれた法律用語とゆっくりとした口調は非常にありがたかった。
 裁判員裁判は今年5月で4年目。秋田地裁によると、6月7日現在、109人が裁判員、37人が補充裁判員として参加している。全国的にも制度が定着しつつある一方、元裁判員の女性がストレス障害と診断されるなど、負担の軽減も課題にもなっている。
 秋田地裁では、今後の裁判員裁判の運用に生かそうと裁判員経験者と法曹関係者、報道各社との意見交換会を開催している。私が出席した意見交換会では、発言した裁判員経験者が「経験して良かった」と肯定的に受け止めていた。中には「人生観が変わった」という意見もあった。
 そんな経験談を聞きながら、私だったら迷いなく引き受けられるだろうかと考えた。人の人生を左右することになる判決を出すのには、やはり不安がある。だが、誰でも裁判員になる可能性がある。裁判員裁判が繰り返されることによって、もはや裁判は他人事ではなくなってきているのが現実だ。
 「経験して良かった」というのは制度の実績として重要だが、それ以前に「裁判員になるかもしれない」という意識を頭の片隅に持っていかなければならない。そう強く思った。 

(大柄 沙織) 


「あの日」を受け継ぐ

(2013.6.7)

 「あの時のことは今でも鮮明に覚えている」。日本海中部地震30年の連載企画の取材でお会いした被災者の皆さんは、そう口をそろえた。
 八森漁港の事務所のテレビで津波警報を知り、放送設備で注意を呼び掛けていた最中に波にのまれた女性、能代港でコンクリートミキサー船に乗って作業をしていて津波に襲われ「地獄絵図」を見たと語った男性、壊滅した沿岸集落で流された母親を助け出した男性…。九死に一生を得た体験はすさまじく、場面は具体的なイメージとなって迫ってきた。
 「船上では地震の揺れに気付かなかったが、突然、海面が真っ白になって泡立ち、魚が浮いてきた」。淡々と語る不気味な光景に肌寒さを覚えた。「あの人はどうしたんだろうと今でもふと思い出す」と話す女性は避難した高台から見た雄島で手を振り、途中で姿を消した人が気になって仕方がない。鮮明な記憶は、忘れたくても忘れられない、心の奥底に刻まれた傷にほかならなかった。
 「長い年月がすぎて、もう解放されたいと思うのに、こうして語ることでまた掘り起こされる。正直もうそっとしておいてほしい」。そう語る体験者もいた。あの日を境に何かが変わり、目の前で亡くなった人たちの無念も受け止めながら懸命に生きてきたのだろう。申し訳ないと思いつつ、質問を重ねた。あの地震と津波を私たちこそ忘れてはならず、教訓を受け継いでいかなければならないからだ。
 弊社報道部の記者たちも、当時はまだ生まれてなかったり、小さくて記憶にない記者たちが半数を占める。「あの日」は確実に現実感のないものになっている。
 取材を進めながら、実はこうも思った。東日本大震災があったからこそ、日本海中部地震30年に向き合う姿勢も真剣だったんだと。「3・11」がないまま迎えた30年であったなら、「風化」の現実だけを突き付けられた日になっていたのではないか。 

(伊藤 仁) 


白神山地に抱かれて

(2013.5.30)

 山に足を運ぶようになったのは、ここ数年のこと。縄文杉を見ようと、大して山歩きの経験がないのに、一人で屋久島(鹿児島県)に出掛けたことが始まりだ。登山靴は持っておらず、スニーカーで長寿の杉を目的に往復約8時間歩いた。
 ただただ疲れたことが印象に残っている。しかし、山中の水場に恵みを感じ、目に映る緑に日常生活では得られない気分の高揚があったのは確かだ。疲労感を背負っていたからこそ、自然のありがたさに敏感だったのかもしれない。
 数日間滞在した屋久島で、自分が暮らす地域にある白神山地を思った。白神山地と屋久島は、平成5年12月11日に国内で初めての世界自然遺産にそろって登録された間柄だ。
 それまで白神山地を特段意識して生活したことはなかったが、以来、山に足を運ぶようになってからは自然が与えてくれる恩恵、生き物たちの営みについて考え、四季折々の姿を写真に収めることが有意義と思えるようになった。
 登山靴を履き、ザックを背負い始めると、白神の森や自然環境について教えてくれる先輩たちとの出会いにも恵まれた。
 水を育む森林を守ろうと住民が結束し、白神山地で進められていた青秋林道の建設工事が中止に至ったこと。白神を生かし、地域の活性化に取り組もうという動きがあること。白神は森をすみかとしている動植物だけでなく、麓の人々の暮らし、農地や漁場をも潤していること──。
 学ぶほどに、白神山地の存在に希薄だったことに気付かされた。
 「白神山地から流れる水を飲み、白神の森がきれいにした空気を吸い、森の恵みの山菜を食べ、数え切れない自然に囲まれている」。26日に藤里町で行われた遺産登録20周年を記念したイベントの中で、「白神宣言」と題して子どもたちが発した言葉だ。
 より多くの人が白神の森に耳を澄まし、思いを寄せる年になればと願う。(宮腰 友治)


まいた種を育てて

(2013.5.22)

 能代市内の若者が開いているノシロックフェスティバル。昨年と今年の3月に市文化会館で開かれたフェスで、実行委員長を務めた塚本尚夫さん(同市若松町)が4月、病気でこの世を去った。36歳の若さだった。
 各地の野外フェスに出向き、音で満たされた屋外空間の楽しさや、街が活気づく様子を体感したのだろう。文化会館での経験をステップに、近い将来は能代で本格的な野外フェスをやろうと夢見た塚本さん。昨年8月から東京都内の病院に入院、今年のフェスには来られなかったが、実行委とメールでやり取りしながら、病室から来場者への熱いメッセージを届けるなど、最期までノシロックに思いを寄せた。
 今年のフェスはサブステージでの演奏やクラブイベントの併催、飲食、バスケの街ブースの設置など、野外フェスにそのまま生かせるような要素を昨年以上に取り入れた。塚本さんがまいた種は志を共にした仲間が引き継ぎ、今夏のおなごりフェスティバルの日中イベントとしてノシロック初の野外ライブ開催を検討するなど、単独の野外フェス開催という夢の実現が少しずつ近づいている。
 また今年度は、八峰町でも若者有志がポンポコ山音楽祭を5年ぶりに復活させようと準備を進めている。以前の音楽祭の運営に関わらなかった人が実行委の多数を占め、手探りの状況が続いているが、「継続させなければ復活する意味がない」と、資金の集め方やステージの内容について毎回活発な意見を交わしている。まだ認知度は高まっていないが、ノシロックに負けない盛り上がりを見せてほしい。
 能代山本にも、種をまく若者たちがいる。音楽に限らず、政治塾や夢会議など、方向はさまざまだが、少子高齢化や人口減少で活力が失われつつある地域を変えたいという思いは共通しているように見える。地域にとって何より心強いその姿を伝えること。それが私の種だと思えば、自然と胸が熱くなる。

(山谷 俊平)


県内一の梅産地

(2013.5.16)

 桜は期待外れだった今春だが、梅の花が美しく咲いている。特に、三種町鹿渡の金仏梅公園で。
 開花時期を迎えた同公園で大型連休に合わせて観梅会が開かれた。といっても、それを知っていた人は多くはないと思う。何度か足を運んでも園内にいたのは自分だけだったから。期間中はあいにく雨続きだった上、開花も一部だけで楽しみにしていた夜間のライトアップも少々残念だったが、後日再訪した際には、見応えのある梅公園の姿だった。
 梅の一大産地に——。そんな夢を描いて梅公園を整備し始めたのが旧琴丘町時代の平成4年。町直営と農家自身の経営と合わせて50㌶の梅公園とする計画だったが、必ずしも思惑通りには進まず現在は5・3㌶にとどまる。参画した当の農家でさえ多くが早々と見切りをつけた現実を見れば、「梅プロジェクト」は成功だったとは言い難い。失望の大きさゆえか、町民の金仏梅公園に向ける視線も冷めている。以前、農業関連の会議で「閉園を」という意見すらあった。
 ところが、県内の他の梅産地も事情は同様なようで、次々と撤退、縮小を重ねるうちに何と今では三種町が県内最大規模の梅産地になっているという。産地間競争に打ち勝って確立した地位ではなく、タナボタな感はぬぐえないし、だから何ができるかと問われれば答えられないが、たとえ県内に限った話であっても「一番」であることの優位性は捨て難い。
 形はどうあれ、関係者は梅を守ってきた。今後も名高い紀州梅や群馬産にはかなわないにしても、それら大産地の隙間を埋めるニッチ戦略を目指すならどうだろうか。せっかく転がり込んできた機会であり、守ってきた遺産だ。
 拡大戦略はすでに頓挫したからには、今後は「ゼロ成長戦略」でそこから得られる収益をもっと増やすための道を探るのもいいのでは。今一度、目の前にある梅の花を違った目線で見たらまた新たな可能性の芽が秘んでいるのかもしれない。(岡本 泰)


チャレンジデー参加を

 

(2013.5.10)

 「スポーツの力で日本を元気に!チャレンジデー」(笹川スポーツ財団、実施自治体主催)が29日、能代市など全国57市34町10村で一斉に行われる。
 チャレンジデーは、当日午前0時から午後9時までの間、15分以上継続して運動した住民の参加率を同規模の自治体同士で競い合う。敗れた自治体は、相手の旗を庁舎のメーンポールに1週間掲揚するのがルール。
 初めて行う能代市の目標は「全国平均を上回る」こと。昨年の全国平均は54・2%で、この数値に到達しようとした場合、人口5万8919人(1月末)では3万1935人が参加しなければならない。実行委員会は市民への広報活動を徹底して本番に臨む。
 斉藤市長が「大変な強豪」と評する対戦相手は広島県三次市。中国地方のほぼ真ん中に位置する内陸の自治体で人口は5万6656人(2月1日)。16年4月に1市4町3村が合併して現在の市になった。全市での実施は初めてだが、過去に地区(旧町村)単位で行った経験が何度もある。昨年は三和町地区が大館市の比内町扇田地区と対戦、敗れたものの参加率は70%に上り、22年には76%を記録している。
 その三次市の担当者は、、「バスケットボールが有名なところで、運動に関しても真剣に取り組まれていると思う」と能代市をイメージする。同じく実行委を立ち上げて準備を進めている段階だが、地区から全市に規模が拡大した今回は、「市民個人にどこまで浸透するかが課題」と参加率には未知数な部分もあるようで接戦も予想される。
 決して勝負にこだわったイベントではない。しかし、全市を挙げて運動に汗した結果、皆で勝利を喜べるならば市民の一体感はより一層深まるはず。「チャレンジデーに参加しようではありませんか」。(工藤 剛起)

 


いま古里は

 

(2013.5.3)

 帰省客の皆さん、お帰りなさい。
 能代山本は4月に入ってからの冷え込みで季節が足踏み。気象機関の予想では桜前線はとっくに過ぎ去っているはずが、各地の桜の名所はまだ咲き始めから7分咲きで、これからが見頃。ぜひ時間を見つけ、この春「二度目の花見」を古里で楽しんでください。
 大型連休後半は、こちらでは何と言っても高校バスケの能代カップ。今年も5日までの日程できょう、幕を開けます。注目はやはり地元・能代工が、全国3大大会で優勝を争うであろう強豪相手にどんな戦いを見せるか。10年ぶりのV奪還劇に期待し、どっぷり観戦に浸るのもいいですね。
 リフレッシュも兼ねたせっかくの里帰り、うまい物を食べずに帰る手はありません。近年流行のB級・ご当地グルメでは、「能代豚なんこつ」「石川蕎麦焼きそば」「三種じゅんさい丼」などが売り出し中。最近では、八峰町でのアワビの新メニュー開発がホットな話題。提供店も増えているので、この機会に一度ご賞味を。
 うわさには聞いていると思いますが、8月3、4日には能代でどデカい七夕が運行されます。名付けて「天空の不夜城」。江戸〜明治期に存在した大型城郭灯籠を、170年余前の文献に残る5丈8尺(約17.6㍍)の高さで復元するもので、将来は青森・五所川原の立佞武多のスケールを目指す観光イベント。ご声援をお願いします。
 いま古里は、あの手この手で地域興しに必死です。それは人口が減少し、地域経済が衰退しているからに他なりません。このほど厚労省の関係機関が公表した人口推計では、現在約9万の能代山本の人口は2040年には約5万にまで減ってしまいます。「だから帰って来て…」と言うつもりはありません。が、いつまでも古里を思い続ける「応援団」であってほしい、そう願う一人です。
 皆さんに会える連休などは、この地域が最も元気づくとき。ヒマワリが咲き誇る頃、またいらっしゃい。 (平川 貢)


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