伝説と信仰の山登る

(2018.10.25)
 

 三種町と能代市二ツ井町にまたがる房住山(409・2㍍)で21日、三種町山の会(近藤久規会長)主催の紅葉登山が行われた。勢い頂上まで同行取材しながら、「伝説と信仰の山」で心洗われるひとときを過ごした。
 房住山には、その昔、この地に住んでいた蝦夷の猛者・長面3兄弟と、蝦夷征伐にやって来た坂上田村麻呂との戦いの伝説が残る。紅葉登山には町内外から25人が参加。祖父母と一緒に参加した優しい顔の小中学生の3人きょうだいが、励まし合って頂上を目指す姿が一行を和ませた。
 登山道には、江戸時代末期に地元の人たちによって建立された石仏群「三十三観音」(町指定文化財)があり、登山客を迎えてくれることもこの山の大きな魅力となっている。この日の登山は33体と番外9体を全て巡るコースを設定。1番観音から順に、通り掛かるたびに参加者は手を合わせ、先人の信仰心に触れた。
 石仏の多くは、地元の琴丘中の生徒たちが9月末に全校登山を行った際にクリーンアップを実施し、鉄べらやワイヤーブラシなどを使って汚れを落とした。人出がいる清掃作業までは町も手が回らなかったのが現状で、以前のこけむした状況を知る登山客は口々に「おーきれいだ」「良かったね」と喜んだ。
 この日、登山に参加した男子中学生も清掃したうちの1人。大人たちの称賛を一身に浴びた生徒は「頑張ったかいがあった。機会があればまた清掃したい」と頼もしかった。
 生徒たちの作業はできる範囲で行ったため、まだ手付かずの石仏も残るというものの、きれいにしてもらった観音様がほほ笑んで見えたのは自分だけではなかったはず。琴丘中と同様、地域貢献活動に取り組む子どもたちに、住民の感謝の声が届いてほしいと思った。
 頂上に到着して間もなく、次の取材に向かうため1人引き返し下山した。急に、飲み物一つの軽装で来たことを後悔。再び通り掛かった石仏に「クマが出ませんように」と必死に願った。

   (菊地 健太郎)


 

地元に大きな〝効果〟

(2018.8.28)
 

 全国の大学生や大学院生らが集う「能代宇宙イベント」。14回目を迎えた今年は500人余りの学生が能代市を訪れ、17日から7日間にわたって同市浅内の第3鉱さい堆積場や落合浜でハイブリッドロケットの打ち上げ、模擬人工衛星の缶サット競技に挑んだ。
 ここ数年取材を担当している私にとって、夏といえば祭りやスポーツではなく、能代宇宙イベントが真っ先に頭に浮かぶ。学生との交流を楽しみにしながら現場に向かい、悪天候に見舞われながらもチャンスを見極めて研究成果を試す学生たちを追った。
 今年は北海道や宮城県、新潟県、千葉県、東京都、鳥取県、福岡県、大分県といった全国各地の計40近い大学などから学生が集まった。長期間宿泊する団体が多いほか、夜は居酒屋などに繰り出す姿も見られ、一体どれだけの金額を掛けて参加しているのか気になり学生に質問してみた。
 日程最終日のハイブリッドロケット海打ちを成功させた東海大TSRP。メンバー24人は14日に能代入りし、市内の温泉宿に24日まで宿泊。長期の滞在ということで宿泊費の合計は約140万円に上り、交通費やレンタカー代なども含めると200万円ほどになったとする。
 また、宿泊先は食事付きだが作業の関係で食事時間に間に合わないメンバーもおり、付近のスーパーやコンビニへ食料品の買い出しに行き、1万円ほど使うこともあった。
 宇宙イベントに向けてアルバイトで費用を稼ぐメンバーもいるといい、旅費などの管理を担当した菅原一真さん(工学部2年)は「ハイブリッドロケットを打ち上げる機会はなかなかなく、多くの団体との交流もできる能代宇宙イベントは、お金がたくさん掛かっても参加する意義がある。ありがたみを感じている取り組み」と話した。
 彼らの話を聞き、学生たちは大きな費用負担がありながらも、それに見合う価値を感じて毎年能代を訪れていることを改めて知った。「能代でまた会おう」は、参加学生たちの合言葉になっており、このまちに住む私たちにとってはありがたく、誇らしいことだ。
 また、能代の地域経済にもたらす効果も決して小さくないはずで、学生たちの参加人数と滞在期間を考えると、祭りイベントをしのぐものがあるのではないかと思ってしまう。
 宇宙イベントは毎年新しい取り組みを模索しながら年々規模が拡大し、来年は15回の節目を迎える。一方で、全国から大勢の学生が参集するイベントの会場があのままでいいのかという会場整備の在り方、アクセスの悪さといった問題も抱えている。「宇宙のまち」をうたう市をはじめ、地元の団体が宇宙イベントを捉え直し、受け入れ態勢を積極的に整えていくべきではないだろうか。

(小林 佑斗)


 

「こまくさ」 懐しく

(2018.8.20)
 

 秋田市金足の県立博物館で、同館とJR秋田支社による特別展「あきた大鉄道展HE─30系」が開かれている。自分はいわゆる「○○鉄」とかではないが、秋田市勤務となった先月以降、大鉄道展の情報に何度か触れる機会があり、興味を覚えるようになっていたところ、14日に来場者が1万人を突破したと聞き、「よし、行こう」と足を向けた。
 大鉄道展では、第2会場の県立美術館(同市中通)と合わせて、鉄道に関する約600点に上る資料を展示。本県と首都圏がレールで本格的に結ばれた明治38(1905)年9月14日の奥羽線全線開通から現在に至る秋田の鉄道史を学び、振り返ることができる。
 会場には実際に使われていた列車のヘッドマークやポスター、車両の模型、手書きのダイヤ表、実物のパンタグラフ、電車の車軸、昭和天皇の特別列車をけん引した蒸気機関車に取り付けられた「菊のご紋章」など、貴重な資料が満載。「鉄道ファンなら、きっとたまらないんだろうな」と思いつつ各コーナーを巡り歩いていると、ある特急列車の資料に目が止まった。かつて奥羽線の秋田—山形間を走っていた「こまくさ」の名前が入った方向幕だ。
 こまくさとの“出会い”は今から25年前、山形の大学に進学した時。以後4年間、夏休みや年末年始の帰省のたびに、ほぼこの列車を利用した。片道4時間、山形を発つ時は家族や旧友らに久々に会えるうれしさを、秋田からの帰りは再び一人暮らしに戻る心細さを抱えながら、時折ぼんやりと、車窓の外を眺めていたなあ…。1点の資料にそんな記憶が呼び起こされ、つかの間ノスタルジーに浸ってしまった。
 来場者に目をやると、子どもからお年寄りまで年代は幅広く、女性もたくさん。資料を見ながら、それぞれにある鉄道への思い出・思い入れを、熱く口にしている人も少なくなかった。今特別展の盛況の理由が、何となく分かる気がした。
 大鉄道展は26日まで。共通観覧券(大人800円など)で両会場に入場できる。    

(平川 貢)


 

名古屋の気温40度

(2018.8.11)
 

 東海インターハイの取材で訪れた愛知県は、1週間の滞在中、猛暑が続いていた。名古屋市では3日、最高気温が明治23年の観測開始以来初めて40度を超えた。外にいるだけで汗が流れ、熱戦を繰り広げる競技会場では熱中症への注意を盛んにアナウンス。まさに歴史的な暑さだった。
 名古屋市が40・3度を観測した日は、バスケットボール男子2回戦で能代工が前橋育英と戦っていた。エアコンが効いた体育館での取材のため、暑さを体感するのは気分転換で外に出た時だが、灼熱の太陽の下で立っているだけでも汗がだらだらと流れた。 
 宿泊先のホテルに戻ると、夕方のテレビニュースで「名古屋市で観測史上初めて40度を超えました」とアナウンサーの声。耳を疑った。体温どころか40度も超えていたとは知らず、屋外競技で熱戦を繰り広げた高校生はどれだけ大変だっただろうかと気の毒に思った。
 6日は取材の空き時間に名古屋城へと足を延ばした。この日の最高気温は39・4度で、天守の両端にそびえる2匹のきらびやかな金シャチが光を浴びてぎらぎらと輝く。青空の下、初めて訪れる三名城の一つを散策。カフェオレのペットボトルを持って歩いていると、くらっとした。
 頭も痛くなってきた。これが熱中症か。木陰のベンチに座り一休みした。カフェオレ以外のものをと自動販売機できんきんに冷えた緑茶を購入し、首や脇の下にペットボトルを当ててから一飲みしてクールダウンを図ろうとしたが、体は熱を帯びたままだった。
 約10年かけて全ての部屋を復元した本丸御殿などを見学したが、エアコンが効いていたのが何よりありがたかった。しばらくして外に出ると太陽がまぶしい。暑さに負けて足早にホテルに戻った。
 熱中症対策にと水分はこまめに補給したつもりだが、利尿作用が強いカフェオレを持って歩いたことは反省点で、塩分の摂取もできていなかった。塩分摂取はいざという時に忘れがちになり、名古屋の酷暑に熱中症対策の大切さを痛感した。能代山本でもこれから残暑は続くとみられる。熱中症には引き続き注意が必要だ。

(山田 直弥)


2022 想風

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