出羽丘陵と白神山地

(2月24日)

 国道101号を車で北上、八峰町八森の温泉に向かうと、峰浜地区の田んぼの上を20数羽の群れのハクチョウが飛んでいた。その背後には雪をかぶった白神の山々。
 北帰行のハクチョウと白神山地。実に絵になる光景と思った。車をゆっくり走らせて、心の中で「窓は夜露に濡れて…北へ帰る旅人ひとり」と森繁久弥や小林旭が歌った「北帰行」(作詞作曲・宇田博)を口ずさんだ。
 そして、宿題を思い出した。小欄にハクチョウをはじめ渡り鳥の中継地の「小友沼」を昔は「小友の堤」と言ったものだと問うた80代半ばの読者の男性がその時、「白神山地とはいつごろから呼ぶようになったものか」とも質問したのだ。
 彼と仲間は、能代から北に望む山々は今でこそ世界自然遺産の白神山地であるが、少年の頃は「奥羽山脈に連なる出羽丘陵(きゅうりょう)」と習ったとのことで、長くそう呼んでいたという。
 小欄が白神山地と強く認識したのは、旧八森町から県境を越えて青森県西目屋村につなげる広域基幹林道の青秋線が、ブナの原生林の中を通ることで自然保護団体が反対の声を上げた昭和57(1982)年。
 その前、青秋林道の計画が持ち上がった時点の小紙の報道では、白神山地の記述は見られず、40年前までは一般的に使われていなかったと推測される。
 出羽丘陵と白神山地─それを「能代市史・特別編自然」が解き明かしていた。
 東西約60㌔、南北約40㌔の白神山地は、「1955年頃までは出羽丘陵または出羽山地と呼ばれていたが、1954年発行の国土地理院地勢図に初めて『白神山地』と書かれていた」とある。
 一方、出羽山地は「北から順に津軽・白神・太平・笹森・丁岳(ひとのだけ)の5地塊であるので、白神山地は北から2番目の地塊(ちかい)ということになる」としている。総称して青森、秋田、山形の3県にまたがり南北に連なる丘陵性の山地の一つが白神山地というわけである。
 冬の峠を越したかのような快晴の日、遠望する白神山地は青空の下に白く大きく広がり輝いていた。能代山本に住んでいるからこそ得られる自然の美しさをありがたく思う。大切にしたい。(八)
 


 

ネット社会の「はんかくさい」

(2月19日)

 この頃、「はんかくさい」なる方言をしばしば聞く。能代山本の50代以上が、心底あきれたようにして発するのだ。
 回転寿司大手チェーンのバイト店員が魚をゴミ箱に捨てた後すぐに拾ってまな板に置き直した、大手コンビニの店員がおでんのシラタキを口に出し入れした、中華レストランで調理中の従業員が鍋から上がった炎を口にくわえたたばこの火種にした、などなど。
 それらの動画がインターネットに投稿され、炎上という非難の嵐となって、会社側が対応に追われていることが報道されている。
 前述の例は、いずれも男性だが、若い女性2人が焼き肉店でタレを容器ごと一気飲みして吐き出したり、サワーをロースターに流し込んだりと大暴れしている動画もあった。
 そうした多くの人々の目にさらされ、いずればれそうな悪さをする傍若無人を、インターネットの俗語では「バカッター」と呼ぶそうだ。「馬鹿」と投稿情報サービスの「ツイッター」を重ねた語。
 その「バカッター」は若い世代には広まっているが、田舎の秋田の中高年にはなじみが薄く、騒動が報道されるや「はんかくしぇ」とか「はんかくしゃたおな」が飛び出してくるのだ。「ばがけ」もまた。
 小欄も「はんかくさい」を口にはあまり出さず、心の中でよく吐く。馬鹿な行為をする人、常識とかけ離れた行動をする変人と出会った時にだ。
 その方言の意味を、12年前に介護施設の若い女性職員から質問され、載せた。「『半可臭い』が語源で、『生半可(中途半端)からきた言葉』とされ、▽非常識だ▽馬鹿みたい▽すっとんきょうな▽突拍子もない──などを表す。東北・北海道で使われている」と。
 そして、秋田のご当地ヒーロー・超神ネイガーが戦う悪役加盟の「だじゃく組合」には、怪人ハンカクサイがいることも紹介した。顔にアネコムシ(不快害虫)がへばり付いていて、臭いおならをブーブー出して人を気絶させ、周囲の人をあきれさせる行為をする。
 悪ふざけは昔からあった。けれどネット社会の今は、それを見逃さない。「はんかくさい」であってはならないのだ。(八)
 


 

あや子のヒップホップ秋田音頭

(2月16日)

 「凄(すご)ぐね。5つのうぢ3つがオラホだれ」と仲間が話し掛けてきた。何のことかと怪訝(けげん)な顔をすると、秋田音頭だと説明を始めた。
 ♪ヤートセー、コラ秋田音頭です(ハイ、キタカサッサ、コイサッサ、コイナー)。コラ、いずれこれより御免こうむり音頭の無駄をいう(アーソレソレ)。お耳障りもあろうけれども、さっさと出しかける(ハイ、キタカサッサー)─の次にくる具体的な歌詞を指していた。
 ♪秋田名物、八森ハタハタ、男鹿で男鹿ブリコ(アーソレソレ)、能代春慶、桧山納豆、大館曲げわっぱ──誇らしく歌われる5つの名物に八峰町の八森ハタハタと能代市の春慶塗、桧山納豆、能代山本の3つが選ばれていると改めて気付いて、「凄くね」と思ったそうだ。
 桧山納豆は脈々と受け継がれ製造販売されている。しかし、八森ハタハタは水揚げが減ってきており、県全体の漁獲高は都道府県別では全国5番目に落ちていて、資源回復が求められる事態にある。能代春慶は日本三大春慶塗の一つで国の無形文化財であったが、一子相伝の家が後継者がおらず9年前に途絶え、復活に向けて模索が続いている。
 それゆえに彼は、先行きを案じつつ、歌にふさわしく名物が名物であり続けてほしいものだと、訴えた。
 彼が秋田音頭を話題にしたのは、先月29日のNHK総合テレビの音楽番組「うたコン」で仙北市角館町出身の演歌歌手の藤あや子が歌ったからだった。
 小欄もたまたま見ていて、艶っぽい人につい「あや子」と声を掛けたくなり、そのテンポが良くてノリノリの踊り、のびやかな歌声に心の中で「いいね」を連発した。確かに八森ハダハダ、能代春慶、桧山納豆と若い人が好むラップのように歌唱していた。
 平成最後の幕開けとなった1月1日に発売された藤あや子の「秋田音頭─AKITA・ONDO─」は、男性のダンスとボーカルグループDAPUMP(ダパンプ)のTOMO(トモ)が振り付けした「ヤクヨケダンス」も話題のヒップホップ民謡だそう。
 あちこちのステージや歌謡番組で歌われ、名物の宣伝効果は大きいとの彼の託宣に、同感であり、ヒットを期待する。    (八)
 


 

「おどものちぢみ」と小友沼

(2月11日)

 雪の街で顔見知りの80代半ばの男性に声を掛けられた。1月19日付本紙のトピック欄が仲間の集まりで話題となったとのこと。
 記事は、国内有数の渡り鳥の中継地として知られる能代市の小友沼で、飛来数が激減している要因を探った内容。男性は「いつから小友沼と呼ぶようになったのだろうか。我々は『おどものつづみ』と習い、長くそう使ってきたのだが…」と質問してきたのだ。
 自分も子どもの頃に周囲の大人が「小友の堤」と言っていたので、堤だとばかり思ってきたが、入社してからは記事を扱うたびに小友沼と表記してきた。
 沼と堤のことは、今月9日付の書評欄で紹介した愛知県東海市の画家の猪口公子さんの画文集「水の行方」にも載っていた。猪口さんは東能代生まれで、創作の原点は小友沼といい、次の文章を綴(つづ)っていた。
 「沼の名前は小友沼というのですが、子どもの頃は誰もが『小友の堤』と呼んでいました。土地の言葉で発音しますと『おどものちぢみ』となります。500年ほど前に、田に水を引くための灌がい用水として、沢の水を引いて人工的に造られた沼ということで堤という呼び名が通っていたのでしょう」と。
 56㌶の沼は、秋田藩主の佐竹義宜の重臣、梅津政景・忠雄の親子が江戸時代初期の1617年から58年をかけて造った農業用水源で、現在も約230㌶の水田に配水されている。扇形の分水路は大正後期に築造され、全国でも珍しいそうだ。9年前には農林水産省の「ため池百選」に選定された。
 能代の多くの住民は、田を潤すために水を溜(た)めておく人工の池が、先人の労苦によって造られた歴史を知っており、そこに畏敬の念をもって沼ではなく、「小友の堤」と呼んだと思われる。
 やがて、ガンやカモなど渡り鳥の飛来地として注目され、国際的にも重要と認められ、観察活動も盛んとなり、人工の堤よりも自然の沼のイメージが強くなったと推測する。
 歴史や農業遺産を重視するなら「堤」、自然価値の高さを評する場合は「沼」、使い分けてもいいのでは、と冒頭の男性に答えるが、どうだろうか。(八)
 


 

失われた買い物の風景

(2月8日)

 空洞化した市街地で手作りの総菜がある食料品店に寄ると、歩きが頼りなくなった高齢女性が買い物をしていた。漬物が欲しいと話し掛け、店主がコーナーに案内し、試食を勧めていた。
 女性は、漬物以外も何点かカゴに入れ、レジで支払いをしたが、バッグから財布を探し、そこから千円札を抜き取り、小銭入れから硬貨を出すのに随分と時間がかかっていた。別の客が後にいれば、イライラやぶつぶつが出そうな場面。
 しかし、急(せ)かされることもなく、ゆっくりと精算。帰り際、店主は「足元気をつけてくださいね。凍っているから」と声を掛けていた。それを見ていて、なぜか心が安らいだ。
 かつてはあちこちで見られた光景だが、いまは中心市街地はシャッター通り化し、青果店や鮮魚店、米屋、総菜店といった店主と従業員の顔が見えて、買い物の会話が弾んでいた商店が激減したためである。
 ふと、昨年80歳を前に亡くなった女性を思い出した。小欄の子どもの頃をよく知っていると、ある集まりで話したことがあった。
 彼女は結婚前に能代市内の青果店で働いていたそうで、そこに親に頼まれた自分がたびたび「お使い」に来ていたそうだ。遠足の前におにぎりに使う板海苔(のり)を買いに行った記憶がある。おまけをくれたかは覚えていないが。
 彼女は近所の家の事情を知り、子どもの存在も分かっていたのだろう。それは、地域の、商店や商店街の、「子どもの見守り」であったはずだ。そのことを暗に言いたかったのかもしれないと思った。
 昭和の時代は遠くなり、今年は平成が終わる。新聞もテレビも雑誌も「平成回顧」を特集しているが、冒頭の場面からは「失われた買い物の風景」がよみがえった。
 そして、スーパーマーケットが登場、やがて大型ショッピングセンターや郊外型量販店、コンビニが誕生、それらが複合して今の街の姿と商業・流通があるのだと理解する。
 新しい時代はどんな買い物か。キャッシュレス、機械に使われる精算、買い手と売り手の会話の皆無。それに対応できても、いずれは高齢となる。その時どうするべきか。(八)
 


 

ギリヤーク尼ケ崎さんと能代

(2月2日)

 国内外の路上や広場で独特の踊りを披露し続け、伝説の大道芸人と呼ばれている舞踏家のギリヤーク尼ケ崎さん(88)の名前が、1日の全国紙に躍った。それを読んで、能代に縁があって能代でも演じたことがあったと思い出した。
 ギリヤークさんが話題となったのは、朝日新聞社が31日に、北海道版の連載記事に事実上の盗用があったと発表、おわびしたからだ。
 朝日は「ひと模様 大道芸人 ギリヤーク尼ケ崎」を1月12日と19日に掲載。しかし、北海道新聞社(道新)が2016年に出版した「ギリヤーク尼ケ崎 『鬼の踊り』から『祈りへの踊り』へ」がタイトルの写真集からの引き写しが多数あると指摘され、調査の結果、重なる表現が相当数あった。
 ギリヤークさんが能代に来たのがいつだったかは、すぐに浮んでこなかったが、職場の古い書棚を探すと今は亡き先輩記者にギリヤークさんが贈った「祈りの踊り」と題したビデオテープがあり、その中に手紙が入っていた。
 「先日の講演では色々とお世話になりました。八月十九日は午前中に墓参りをし、又私も満七十の年を迎えました。夕方の映画上映会の時は澤山(たくさん)の人が集まり、上映後、会館の外で力一杯踊りました。『念仏じょんがら』で涙を流して熱心にみて下さった方もおり、有り難かったです。これからも力一杯踊っていきます」。
 日付は2001年8月31日。その月の20日に能代工業団地交流会館でギリヤークさんのドキュメント映画の上映会、その後、会館前で青空舞踊公演が行われたのだ。その様子を本紙は「〝情念の踊り〟鬼気迫る/『第二の故郷』で熱演」と報じた。
 ギリヤークさんは北海道函館市出身。祖母のリュウさんが能代市出身で、尼ケ崎家の菩提寺(ぼだいじ)が能代にあることや、自身が大館市に3年住んでいた縁で県内公演が実現した。
 今回の盗用問題で朝日が公表した文章の対照表でさらに能代のことが分かった。道新写真集に「父の幸吉は秋田県能代市出身。大館市で修業を積んでから函館市に渡り、小さなまんじゅう屋から身を立てた」と。
 能代が「第二の故郷」たる由縁である。 (八)