ユニクロの能代撤退に慨嘆

(8月31日)

 7月の半ば、情報通の知人が教えてきた噂(うわさ)は、時期は1カ月違っていたが本当だった。ショッピングタウンのアクロス能代にあるユニクロ能代店が9月22日をもって閉店することである。
 インターネットの同社のホームページの店舗情報にも店の張り紙にも「閉店」が知らされており、それを見た人から1週間ほど前からさざ波のように「閉店」が広がっている。
 チェーン店の閉店はよくあることで、能代では5月にアクロスの「らあめん花月」、7月には国道7号沿いの「丸亀製麺」が撤退したが、概して外食に目立ち、小売店舗は少ない。そうした中でユニクロの閉店に驚きを覚える人、慨嘆する人もいる。
 それは、ユニクロが実用的で値ごろ感とファッション性のあるカジュアル衣料品の日本の代表的なメーカーで、能代に店舗があることは住む者にとって誇らしい存在であるからでもあろう。
 それに若い世代ばかりではなく、幅広い層にファンや購入者がいたからでもある。80歳を超えた大先輩は「これもユニクロ」と着ているジーンズやフリースのジャケットを見せびらかして、「若い」を強調していたぐらいだから。こちらは買い求めたチノパンツの股上が短くて、はき心地に違和感を覚えたが。
 さて閉店理由。やはり採算が合わなかったためと思われる。チェーン店の撤退は非情が常。ユニクロを運営するファーストリテイリングによる国内ユニクロ出退店情報によると、昨年9月から今年8月末までの開店28に対し、退店は36である。大都市部や地方の郊外型の店舗も含まれており、不採算店の見直しをしていることがうかがわれる。
 能代店の閉店情報には、近隣店舗として潟上市のメルシティ潟上店、秋田市御所野のイオンモール秋田店を示しているが、車社会で能代山本を商圏にする戦略も見える。同時にオンラインストアでの買い物も紹介、時代に応じた電子商法にも力を入れているよう。
 友と出会うと、「残念、能代どうなる」と話した。ユニクロが撤退する能代の少子高齢化と急速な人口減、経済の縮小、そして街のこれからを案じた言葉と受け止めた。(八)


 

聖火リレーのランナー応募

(8月28日)

 しばらく前に「聖火リレーに出たいな」と話していた能代市内の女性は、応募手続きを済ませただろうか。締め切りが今月31日に迫っている。
 来年夏に迫った東京オリンピック。市民が参加できる聖火リレーのランナーの公募が7月1日に始まったが、周りでそのことが話題になることがなかったので、少々驚いた。
 同席した男性は体力的に無理なのではと思ったのか、「どれぐらい走るの?」と質問、すると彼女は「200㍍よ」と答えた。皆が「なんだ、それぐらいかあ」と中高年でも走れる距離であることに、妙な安心をした。
 彼女は中年になって健康づくりにランニングに取り組み、近場のマラソン大会にチャレンジ、走る魅力に取りつかれたらしい。それで聖火ランナーを夢見たのだ。
 おぼろに記憶する昭和39(1964)年の前回東京五輪の能代市で行われた聖火リレーで印象的なのは、先輩の姉が走ったこと。高校の体操部で活躍、将来も嘱望されていたので選ばれたと思った。過日、「私も走ったわよ」と教えてくれた女性はその時、山本郡南部の町の中学3年生で陸上競技部の選手だったそう。彼女も町の期待を背負ったとみられる。
 そうした明日を担う若者や競技スポーツを重視する傾向が、今回の聖火ランナーの選考基準にあるとすれば、冒頭の女性が選ばれる可能性は果たしてあるのか。しかし、前回の五輪後に地域社会の中でのスポーツや生涯スポーツの必要性が説かれ、広く普及しているから、中高年が選ばれてもおかしくはない。
 それよりも、公募枠が少な過ぎるのが難関である。県内でリレーが行われるのは25市町村のうち14市町村、能代山本は6月10日の能代市だけ。県の公募人数は25人で、能代では1人か2人程度と推測される。日本コカ・コーラとトヨタ自動車、日本生命、NTTにも枠があり募集しているけれど、人数は公開していない。
 前回は能代市では11人が走ったが、今回はどれほどになるのか。そしてどう盛り上げていくのか。
 当選発表は12月以降。果たして彼女に満面の笑みが浮かぶ日はくるだろうか。(八)


 

軟式野球の応援よろしく

(8月24日)

 能代高の軟式野球部が1日、秋田市で行われた北東北大会で優勝、全国大会出場を決めたとの報を聞いて、彼らは応援に行ってくれるかな、いや必ず行くはずだと思った。
 1人は兵庫県たつの市に住む同期生である。高校時代取り立てて親しいわけではなかったが、7年ぐらい前にひょんな縁で連絡を取るようになり、実家に帰省の折には懇談するようになった。
 その彼が、能代勢の甲子園出場だけではなく、軟式野球の全国出場にも出掛けていることを知った。自宅から明石球場まで電車で1時間もかからないこともあるだろうが、甲子園に比べて応援が絶対的に少なく、ゆえに兵庫県に住む自分が母校のために足を運ばなければならないという使命感が起きるらしい。
 20日午後、電話が来た。「これから激励に行って来る」と。加えて「優勝したら号外を出すか?」と突拍子もないことを聞いてきたが、はやる気持ちの表れと受け止め、「もちろん」と答えた。近畿秋田県人会の12人が、能代高が宿泊する神戸市の旅館を訪ねると、選手らは自習をしていて驚きつつ、激励会で彼は「頑張って」と声を掛けたそうだ。
 もう1人は、「タイガー・ラグ」という高校野球の応援の定番曲が秋田から広がったという話題を本紙に寄稿した明石市の自営業の藤原伸介さん(58)。本人とは会ったことはないが、居酒屋と酒販店の店主から熱心な能代ファンであることを聞かされていた。
 その藤原さんから「読者のひろば」に投稿があったが、日付の関係でボツにならざるを得ず、本欄で一部を紹介する。
 「さあ、今度は軟式の能代の番です。縁あって毎年のように能代を訪問するようになり、居酒屋の大将からの『応援よろしく』のメッセージをきっかけに明石トーカロ球場に応援に出向くようになりましたが、野球観戦は大好きですので、能代の皆さんと気持ちを一つにして応援させていただきました」
 「数年前からは、吹奏楽部の皆さんと一緒にチューバを吹かせていただいてます。オーケストラも引退して、なかなか思うように吹けなくなってきましたが、精いっぱい能代の応援をしたいと思います」。
 能代の初戦はきょう24日。こちらからも「応援よろしく」とお願いします。

(八)


 

ミョウガ料理のオススメは

(8月20日)

 行きつけの店に寄ると、後輩がグラスを傾けていた。隣の席に座って残暑見舞いをして、彼のカウンターを横目にすると、小さな皿にミョウガが乗っていた。
 キムチ漬けだという。彼が随分とうまそうに食べるので、こちらもそれを注文、ビールのつまみにした。ころりとしたものではなく、やや細いミョウガだったが、漬かりが浅いらしく、案外に硬かった。それが逆にコリコリとした歯応えを残し、爽やかさを運んできた。もちろん、赤ナンバンの辛味も利いていて、胃を刺激した。
 店では秋冬にも「ミョウガキムチ」を出すが、それは十分漬かっていて熟成の味わい。それに比して今は浅漬けで、生を食べている感じがあり、ミョウガ好きには堪えられない美味(おい)しさだった。
 後輩は「ミョウガのおいしい料理を5つ挙げるとすれば、何があるだろう」と話したが、考え込んでいるうちに話題は佳境を迎えた甲子園の高校野球に移り、ミョウガ話は終わってしまった。けれど、「5つ」が頭に残り、何だろうかと思い巡らした。
 手元にある2冊を引っ張り出して調べた。県農山漁村生活研究グループ協議会が平成17年に40周年記念で刊行した「あきた郷味(きょうみ)風土記─ふるさとあきたの食百選」では、ミョウガの赤紫色が鮮やかな「甘酢漬け」と、太くて食べ応えのあるミョウガにぴったりの「田楽」の2品を選んでいる。
 能代市が3年前に発行した市地産地消レシピ集「じっぱり、け」では、ミョウガとオクラとクリームチーズを豚ロース薄切り肉で巻いたフライ、ミョウガと水菜にトマトとハムのフレンチサラダ、それに冷凍できて小分けにして保存しておくと便利という醤油(しょうゆ)漬けの3品を紹介してしていた。
 合わせて5品を用意できたが、もっとあってもいい。
 12日の小紙のミョウガ収穫の記事に農家太鼓判の料理が載っていた。「山盛りの千切りにして水にさらし、マヨネーズと醤油で食べると食感も風味も良く、体の熱がスッと抜ける」と。
 これをレシピに加えてもりもり食べよう。炎天下に難儀な収穫を続ける農家に感謝しつつ。(八)


 

直売所で見つけた「マンズナル」

(8月17日)

 「マンズナルってどういうこと?」と知り合いが聞いてきた。母親と農産物直売所で買い物していたところ、どうみてもインゲンが入っている袋の表示が「マンズナル」だったので疑問が湧いたらしい。
 メロンやスイカといった果実、今が盛りの枝豆はさまざまな品種があり、消費者に分かりやすいように品種名を表記したり、シールを貼ったりしているが、インゲンやササゲは種類が示されることはあまりない。 
 こちらも首を傾(かし)げざるを得ず、後日、お盆の直売所ににぎわいを探るべく出掛けると、確かにマンズナルが販売されていた。
 「まんつ」「まんち」という方言が浮んだ。「さよなら」「それじゃまず」と別れ際に発するのではなく、「いいからいいから」「何でもいいからひとまず」「ここのところはひとつどうか」と場を静めたり制したりすることでもなく、「あきれる」ように言う場合に。
 それに「ナル」が「成る」だとすれば、「まんつ+なる」は「驚くほど成る」ことを言い表す。それをインゲンの品種名にしたのだろうと推測した。
 調べると、マンズナルは岩手県の種苗業者が採種販売していることが分かった。
 秋田の「まんつ」と同様に、岩手も「まんず」と訛(なま)って使うようで、「とても・すごく・本当に」の意味もあるそう。「すごく成るインゲン」を強調する品種名にしたらしい。会社のホームページによると、「多収で作りやすい定番人気品種」とあった。
 直売所にはインゲンだけでなく、ナス、キュウリなどが所狭しと並んでいた。「まんず成った」のだと感じたが、成り過ぎのズッキーニもあって、栽培しているあれもこれも順調に育ち、収穫に手が回らなかったのかと思った。
 カボチャもずらり。友人からの苗を育てたわが家のカボチャは野球のボールぐらいに終わったが、プロの作るものは随分と立派だ。
 ふと久しく聞いたことのない「どふらカボチャ」なる言葉が浮んだ。「おめだば、どふらかぼちゃ、だおな」と相手を馬鹿にする時に使ったが、その由来は何なのか。「どてカボチャ」も思い出した。次の宿題に。(八)


 

久しぶりのビアガーデン

(8月11日)

 爽やかな風が吹き、雲間から茜(あかね)色が射(さ)す夕暮れ時、ビールを飲みながら、友人は「最高だな」と喜び、別の友は「こういうの何十年ぶりだろうか」と話した。
 9日夕刻、電話が入った。「これから、さくら庭に行くからこないか」と。一瞬、何のことだろうと戸惑ったが、能代市役所裏の広いベランダで屋台村のイベントが行われることを思い出し、仕事のノルマをこなしたこともあって、ホイホイと出掛けた。
 すると友人2人は、すでに生ビール片手に、テーブル席で懇談、こちらの姿を見るやビールを追加、乾杯と相成った。彼らは屋台から買った焼きイカとフライをつまみにしていたが、酎ハイや「じゃがバター」「焼きそば」を追加、酒のピッチを上げていた。
 この日始まった市内7業者が出店した「夏だ‼ビアガーデン&屋台村」は、退庁した市役所職員や仕事を終えた職場の仲間、家族連れらが次第に集まり、にぎわいを増していた。
 冒頭の「最高だな」は、初めて訪れる「さくら庭」のイベントが、ロケーションとして良いことを言い表し、彼は誰が設計したのかなどをこちらに質問してきた。
 もう1人の「何十年ぶりだろうか」は、ビアガーデンを楽しむことが久しくなかったことを指す。
 ビアガーデンは、暑気払いに適し、かつては人気だった。能代市内でも宴会施設の屋上、ホテルの敷地の一角などで営業されたが、いつの間に消え、室内のビアパーティーがたまに開かれている。屋外で行われないのは、天候に左右される、以前ほど客の入りがよくない、能代は七夕が終わる頃から肌寒い風が吹くなどの理由によるものとみられる。
 秋田市に常勤していた四半世紀前は、仕事仲間とホテルのビアガーデンによく行ったものである。バニーガール姿やテニスルックの若いスタッフが重い1㍑入りの生ビールジョッキを運んできていた。懐かしい。
 能代にもビアガーデンがあった頃よりも、今の方が暑く、猛暑の日も少なくない。ゆえに久しぶりのビアガーデンが心地いいのだ。
 イベントは12日まで。また行こう。そして来年もまた。(八)


 

「天空の不夜城」あれこれ

(8月6日)

 記憶にはないが、幼い頃に祖母が自分を連れて能代の役七夕の運行について回ったと親類がよく話す。祖母を回想すると「七夕好き」が浮んでくるのだ。
 80歳を超えた人の亡き妻も元気だった40歳代まで役七夕の灯籠と一緒に回っていた、夫はその「七夕好き」を呆(あき)れつつ笑っていた。  
 高さ日本一の城郭灯籠が夏の夜空を彩る能代七夕「天空の不夜城」の初日の3日夜、高さ24・1㍍の「愛季(ちかすえ)」がコースを折り返すと、その後を男女の老いも若きもぞろぞろと付いて、灯籠が集結して太鼓のそろい打ちが行われる最高潮の場面に向かっていた。人は次第に増えて数百人はいたかと思う。
 祖母や知人の妻と同じような行動をする人が、こんなにもいるのだと驚いた。巨大さの迫力、極彩色の華やかさに魅せられたこともあるだろうし、祭りにさらに浸りたい思いもあったかもしれない。
 先輩と出会うと、3年ぶりの見物だという。前回は灯籠の運行が間延びして、待ちわびて「飽きてしまった」そうだが、今回は灯籠と灯籠の間隔があまり開かず一体感を感じたとのこと。「観客も喜んだはず」と自分の感想と重ねて明かした。
 灯籠が休止してふれあいタイムになると、スマートフォンを取り出して、「愛季」をバックにして写真を撮り出す人であふれた。写真投稿して見栄えが良い「インスタ映え」になるからか。
 「カメラシャッター押します」のプラカードを持ったスタッフには、カップルや家族が入れ替わり立ち替わり頼んでいた。
 外国人の男女4人組がいた。「YOUはどこから」と聞くと、「ルーマニア」と答えたが、その後の会話は通じず、1人の女性が「イイネ」と話しただけに終わった。
 なじみの店に寄ると、友人一行6人が帰った後だった。能代山本以外のかつての仕事仲間を招待、不夜城見物と懇親会を用意したのだ。柳町、西通町の飲食店は満席の店が多かった。
 けれど2日目の4日は見物客の少なさが気になった。今年で7年、観光とにぎわい創出に効果はあったとみられたが、継続するには広く参加できる工夫が必要と思われる。(八)