「渡辺喜恵子と能代」を知って

(10月26日)

 苦悩を抱えつつ自由奔放に生きた放浪の作家を描いた自伝的小説「火宅の人」が代表作の檀一雄(1912─1976年)。長女ふみが女優であることでも知られる人が65年前の昭和30年ごろに能代市を訪れ、能代浜の松林でキノコの松露やキンダケを採ったエピソードを知った。
 檀と仲の良かった作家の渡辺喜恵子(1913─1997年)が誘ったのだという。初めて名前を知った洋画家で女流画家協会を結成した一人の桂ゆき(1913─1991年)と共に。
 風の松原はその頃、今のように藪(やぶ)化しておらず、まだ白砂青松で松露(しょうろ)もキンダケもたくさん採れていたと思われる。料理家でもあった檀は、大喜びして同年代の渡辺、桂と酒肴(しゅこう)を共にしただろうか。
 桧木内村(現仙北市西木町)に生まれた渡辺は、父親が鷹巣町(現北秋田市)で木材工場を始めたため幼少の頃に転居、能代北高(現能代松陽高)の前身である能代高等女学校に学び、卒業後に上京して文学活動に入った。
 能代高女時代は夏は汽車通学、冬は寮に入る生活で、多感な頃を能代で過ごした。
 冒頭の檀との逸話は、本紙22日既報の北秋田市文化会館で開かれている渡辺の「回顧展」で、ゆかりの作家の色紙の説明文で知った。能代来訪前に檀は「真説石川五右衛門」で第24回直木賞を、9年後には渡辺が「馬淵川」で第41回直木賞を受賞している。
 渡辺が能代に縁のある人だとは知っていたが、女流作家の作品は長く読むことがなく、渡辺本人にも強い関心はなかったが、気になって回顧展に出掛けると目から鱗(うろこ)が落ちる思いとなった。
 処女作の一つ「我もまた旅人」の舞台は能代高女の寄宿舎を思わせる設定、愛憎と相克を流麗な筆致で描いた短編小説集に所収されている「一羽の鳥」は能代を思わせる港町の老舗質店が舞台と紹介していた。
 渡辺の作品に触れたい。まずは、能代図書館から「馬淵川」を借りてきた。      

(八)


 

旅の計画もままならぬ

(10月22日)

 中高年が集まると、コロナ禍の観光業支援で県が発行した県内限定「プレミアム宿泊券」、全国どこでもの国の「Go Toトラベル」を使ったお得な旅が話題となる。「あそこに行って来た」「どこがいいかしら」などと。
 能代市内の70代半ばの男性は先日、仲間と湯沢市の秋の宮温泉郷へ。「秋ノ宮」は菅義偉総理の出身地。総理誕生のしばらく前から予定していたが、一躍有名となり驚くやら喜ぶやら。菅氏の実家も見てきた。「ちょっと分かりにくかった」と案内に不満を語りつつ。
 八峰町の知人の奥さんも友達と過日、秋の宮温泉と菅首相の実家を巡る旅をしてきたという。人気スポットのよう。
 紅葉の季節。仕事の都合で土曜午後から日曜しか休めない友人は十和田八幡平、もしくは奥入瀬渓流周辺の1泊旅行をしたいと思った。スマホやパソコンで予約するのは不得手で、旅行代理店に探してもらったが、土日はどこも予約でいっぱいで、入り込める余地はなかった。全国からのGo Toがあるらしい。
 別の友人は、仙北市の田沢湖奥の強酸性の温泉に一泊してきた。そこで、こちらがよく知らない、どこそこのどなたかと仲間がいた話をし、「能代の人会うなんて」と苦笑していた。
 それやこれやで、自分も近場の1泊旅行をしようと計画した。目的地は「弘前れんが倉庫美術館」と美味(おい)しいアップルパイ探し。美術館は明治・大正期に建設のシードル(リンゴ酒)工場を改修し重厚感がある。4月オープンがコロナで7月となり、行く機会を逃していたのだ。
 岩木山麓か奥入瀬周辺の温泉に泊まり、翌日弘前へが、これもGo Toと青森県の宿泊キャンペーンで予約満杯。ならば弘前市内のビジネスホテルで飲食は繁華街でと目論んだが、同市ではコロナの飲食店クラスター(感染者集団)が発生、感染者数は100人を超え、大変な事態に。行くのはやめざるを得ない。
 旅の計画もままならぬコロナの秋である。(八)


 

新米の季節と新品種の名称

(10月17日)

 知り合いの農家が収穫した「あきたこまち」の白米を料理人が炊き上げて「きりたんぽ」と「だまこもち」を作り、能代の白神ねぎや比内地鶏を使って醤油出汁(しょうゆだし)の鍋にして振る舞ってくれた。つぶされた米はつやつや輝いて、食感はもちもち。皆が「おいしい」「うまい」を連発、新米の季節を堪能した。
 友人が「朝飯のおかず、いつもは何だ」と聞いた。「ずずご(筋子)どが納豆、振り掛けだな」と答えると、彼は「俺も似だようなもんだ」と返した。そして納豆の薬味や振り掛けの種類に話題が及んだが、そんな他愛のない会話になったのも旨(うま)い「あきたこまち」の新米を食べている前提があるからだ。
 ふと、都会に住む能代出身の縁者や友人は秋田県産の新米を食べただろうか、もう少ししたら「故郷の味・きりたんぽ」を贈ってやろうか、などと思った。
 彼・彼女らは都市部にいて、全国各地の有名ブランド米を手に入れることができるが、なぜか秋田産の「あきたこまち」にこだわり、スーパーや米穀店、生協の宅配で購入。時には実家から送られてくる生産者の顔が見える米を嬉々(きき)としてもりもり食べている。
 「こまち」以外に秋田には「ゆめおばこ」や「めんこいな」「淡雪こまち」「つぶぞろい」といった品種もあるのに、「こまち」に執着するのは美味(おい)しさはもちろんだが、秋田らしいネーミングに引かれているためだろう。
 先日、神奈川県在住の人が便りを寄越した。「秋田米新品種はどういう名称になるかしら。俺は『べっぴん小雪』が可愛(かわい)らしさと秋田の匂いと一定のインパクトがあっていいと思うけど」と。
 来秋にデビューする「極良食味の新品種」の秋系821の名称は、全国から公募し、最終的に「べっぴん小雪」のほかに、「秋うらら」「あきてらす」「秋の八二一」「稲王(いなおう)」「サキホコレ」の計6つの候補に絞られた。
 今は佐竹知事が最終選考している段階で、11月中旬に発表される。知事のセンスが問われるところだ。(八)


 

「ママケ、ハライッペケ」の叫びに

(10月13日)

 先輩がしきりに「何だか気になるなぁ」と、8日付の本紙に載ったある人物のことを聞いてきた。縁があるわけではなく、年齢も自分の息子以上に離れているのだが、同姓のよしみなのか、興味を覚えるらしい。
 能代市二ツ井町出身で東京在住のソウル歌手の塚本タカセさん(34)のことで、新曲「MAMAKE」の配信を開始したと記事にあった。秋田弁の「まま」(ご飯)、「け」(食べなさい)を意味する曲名だという。子どもの頃に母親や祖母に食事時に言われた「はやぐ、ままけ」を思い出し、こちらもまた気に掛かった。
 塚本さんの生の歌は、昨年2月に三種町の山本ふるさと文化館で初めて聞いた。塚本さんはアメリカの黒人教会の福音唱歌から広がったゴスペルソングを単身渡米して修業、同町に立ち上がった「三種ゴスペル」を指導しており、その発表会に行く機会があったのだ。
 そこで耳にした「軽トラでゆこう」が心に響いて、ファンとなった。♫ふるさとの空気は久々に吸った/建て替えた実家/親父(おやじ)の軽トラ…若いシンガーソングライターのふるさとへの熱い思いが伝わってきたゆえに。この歌は、秋田スズキの軽トラックのコマーシャルでも使われており、テレビから流れるたびに、清々(すがすが)しくなる。
 そうしたことを先輩に話すと、曲を聞きたいような素振り。情報技術の弱者は「ユーチューブ」なるインターネット上の動画配信サービスは使えないらしく、自分のスマートフォンを取り出して配信を見せたところ、居合わせた皆が感心することしきりで、「いい曲ね」の声も上がった。
 ♫母さん教えてよ/味噌(みそ)汁の出汁(だし)は何…から始まる歌は、都会での自炊、田舎から送られてきた食料、彼女との食事などを綴(つづ)りながら、食の大切さを明るく歌い上げている。叫ぶ「ママケ、ケー、ハライッペケー」は「田舎の合言葉、家族の愛の言葉」だとも。
 コロナ禍の収穫の秋、なかなか帰省できない子に「あきたこまち」の新米を送ろうか。(八)


 

佐竹知事が日経の全面広告に

(10月8日)

 能代市内の知人から5日午後、日経新聞の同日付に佐竹知事の写真が載った全面広告が出ていたと教えられた。しかし、本社に届いた同紙を広げても、どこにも出ておらず、首都圏版なのだろうと推察した。
 知人は、東京近郊に住む娘からのメールで情報を得たという。娘の6歳の息子、つまり彼の孫が遊びながら新聞をめくって佐竹知事の全面広告を見つけたそうで、「この人、だれ~」というので、娘は「秋田県の知事だよ~」と教えたそうだ。
 すると、孫は「メガネとお洋服がかっこいいね」と話したとのことで、「そうかしら」と思った娘は苦笑したらしい。娘は広告に出た人を孫に冗談で「おじいさんの友達」と話したとのことで、そんな関係は微塵(みじん)もない知人は、大笑いしていた。
 夕方の県内テレビニュースで、日経新聞全面広告の話題が取り上げられていた。コロナ禍による働き方改革で導入が増えているリモートワーク、会社以外の遠隔の場所で業務を行うことを秋田で進めようという施策を訴えるための広告だった。
 伝手(つて)を頼りに広告の写真を送ってもらうと、スーツ姿の知事の写真にメッセージが書かれていた、「社長、社員の皆さんへ。秋田県知事の佐竹敬久です。仕事のために、暮らしを犠牲にするのは終わりにしませんか?」と。「リモートワークで秋田の暮らし」という選択─を掲げ、秋田での新しいライフスタイルを提案、「ぜひご検討ください」と。
 広告製作費と掲載料で1800万円の予算。経済紙・日経を読む首都圏の社長・社員に秋田県トップの強い思いを示すものと、県は説明するが、果たして。
 知人の娘の夫はコロナ禍で在宅勤務もしたそうだが、広告を見て「知事はこの前まで、県外から秋田に来ないでと言っていたのでは」と話したそうだ。
 こちらは今回の県事業を調べて、「県内のリモートワーク対応施設」に能代山本がないことが気に掛かった。(八)


 

キノコの季節に料理人を思う

(10月6日)

 庭の雑草取りをしていると、焦げ茶のかさを広げた小さなキノコがそこかしこに。赤褐色のキノコもちらほら。何の種類か、食用なのかも分からず、竹の熊手で取り払ったが、秋、キノコの季節がやって来たと感じた。
 農産物直売所をのぞくと、ハツタケが大小込みで1パック250円。お値打ちなので、買い求めて醤油(しょうゆ)煮に。モソモソとした食感を嫌う人もいるが、それがハツタケらしくていい。この季節に一度は味わいたい。食用菊のお浸(ひた)しに汁をかけて食べると、出汁(だし)もからんで美味だった。
 なじみの店に寄ると、お通しは「イグジ(アミタケ)の醤油煮」。少しぬめっとした味わいに、ピリ辛醤油がまとわりついて、これまた酒のあてにぴったし。添えられたダイコンおろしがさっぱりして、これまたよろし。
 店主が自分で取ってきたのではなく、仕入れたものを味付けしたらしいが、これからキノコ狩りを趣味とする常連客が持ち込むだろうから、キノコ料理で店に談笑が広がるだろう。
 そう想像を広げたところで、「キノコのあの味、あの料理にはもう出合えないのか」と感傷的になった。
 料理自慢の人が春に亡くなった。彼女は手料理を好む同級生や幼なじみに、タクアンやらいろいろお裾分けしてくれたが、その中のピカ一が「ナッツ」だった。
 細かく刻んだイグジにミョウガ、赤トウガラシ、シソの実を醤油とみりんで和えたもの。郷土の混然とした味はご飯のお供に最高だったが、もう味わえない。
 秋の初めには料理人が他界した。今頃店に顔を出すと、丁寧な仕事をする彼女は「いらっしゃい」と笑顔で迎え、カウンター越しに出すのは少しばかりの「キンダケのピリ辛醤油煮」。濃いめの味付けが燗酒(かんざけ)を進ませた。たまに「キンダケの土瓶蒸し」も出してくれ、キノコ話に花を咲かせた。
 2人の顔を思い浮かべ、能代の秋の滋味は忘れ難いと思い出し、誰かが伝えていってくれればと願った。(八)