知事の露出と来春の選挙

(11月25日)

 秋田米の新品種の名称「サキホコレ」を、佐竹敬久知事と秋田市出身の女優の佐々木希さんが東京都内で華々しく発表した翌日の18日、日経新聞首都圏版の全面広告に、「またも佐竹知事の写真が載っていた」と東京近郊に住む能代市出身の女性が広告の写真付きでメールを送ってきた。
 同新聞主催の「地方創生~アフターコロナの新しい形~」をテーマにした12月10日の無観客のライブ中継イベントの案内広告で、佐竹知事は「新しいライフスタイルの提案『リモートワークで秋田ぐらし』」と題して基調講演するとあった。
 彼女は「佐竹知事、ご活躍だね」と言い添えていた。「またも」とは、10月5日の日経新聞に知事が全身写真付きで首都圏版全面広告にも出ていたからだ。県が国の補助事業を活用して東京圏の社長や社員向けに秋田で在宅勤務のリモートワークを呼び掛ける内容で、12月の講演に通底する。
 全面広告に、サキホコレの発表、講演予告と露出が相次いだことで、彼女は「ご活躍」と受け止めたが、こちらは知事がコロナ禍の中で「自分が先頭になって秋田の諸課題に取り組みたい」、あるいは「秋田再生・地方創生のチャンス」と意欲を高ぶらせているのではないかと感じ、メールでこう返した。
 「佐竹さん、来年の知事選にまた出そうだね」
 73歳の佐竹知事は、任期満了(来年4月19日)に伴う知事選に4選を目指して立候補の意向を固めたようで、26日開会の12月議会で表明する見通しだ。
 知事選が具体的に動き出すが、多選批判や世代交代が絡んで対抗馬が注目となろう。
 過日、能代市のある集まりに参加してあいさつした前衆議院議員の村岡敏英氏(60)は秋田の明日を心配し地域づくりを熱く語っていたが、現職の出馬で慎重にならざるを得ないのか。立憲民主党の寺田学衆議院議員(44)を推す声が出てくるのか。
 県北からの擁立の可能性はあり得るのか。能代山本ではどのような動きとなるのか。(八)


 

コロナ不安、田舎から声掛けを

(11月19日)

 大都市部で新型コロナウイルスの第3波とみられる感染拡大で、誰もが再び不安を増幅させていると思われる。
 マスク着用、小まめな手洗い、密閉・密集・密接の3密回避、社会的距離を取るソーシャルディスタンスなど「新しい生活様式」をきちんと進めているのに、収束どころか広がりが大きくなっているのだから、これから寒い冬、年末年始はどうなるのかしら、とおどおどしている人がいた。
 その人の心配には、首都圏で暮らす子ども、といっても立派な大人なのだが、固定電話をかけてもスマートフォンでメールをやりとりしても、どことなく元気がないことがあるようだ。もちろん、子どもとてコロナで気分が塞(ふさ)ぎがちになっているのだから、電話に声を弾ませることも、メールに笑いの絵文字を添付することも、しばしばとはいかないのだろう。
 親の子への憂いの底には、コロナ禍での残念なニュースが続いていることが横たわっている。春先からテレビ出演していた女子プロレスラーや女優、男優らの自殺、あるいは自殺とみられる状況の死が相次いでいることだ。亡くなった事情はその人その人によって異なるし、本人でなければ分かりようのないことがあるが、華やかな舞台にいる人たちも、深い悩みを抱えていること、そして自殺の連鎖が不安を増幅させているようだ。
 先日のニュースにも心を痛めていた。10月の全国の自殺者が2153人に上り、昨年同月より614人、40%も増加したことだ。男性1302人、女性851人だが、増加率は男性21%に対し、女性は83%の大幅増。東京、埼玉、神奈川、愛知が多いと報じられた。自殺の前年比の増加は4カ月連続。
 長期化するコロナの影響が雇用や生活に厳しさを、人間関係に悪化をもたらしたことが背景にあるとの分析もあった。
 とすれば、都会に出て寂しい思いをしている地方出身者はどうだろうか。田舎の親や友人が相談に応ずる声掛けも大事だ。(八)


 

佐藤敬夫氏の訃報と能代山本

(11月13日)

 政治の表舞台から去って15年、秋田市在住であり、「過去の人」になっていたが、訃報に触れて、能代山本での激しい選挙、甘いマスクで歯切れのいい弁舌の本人、熱烈に応援する支持者の顔がよみがえった。
 9日に亡くなった元衆院議員の佐藤敬夫さんである。享年85。
 佐藤氏の存在を知ったのは1977年。参院選の全国区に新自由クラブから出馬したことで。日本青年会議所会頭を務めた人物で、能代山本に知己も少なくなかった。選挙は残念ながら次点に泣いた。
 その3年後、中選挙区制の衆院秋田1区に無所属で初出馬するも落選、能代市で1415票、山本郡で2346票、浸透しなかった。1983年に自民党公認で再び立候補したが、参院からくら替えした能代市出身の野呂田芳成氏の旋風にはじかれ、またも落選。能代市1582票、山本郡3737票にとどまった。
 しかし、その3年後の衆院選では野呂田氏に後塵(こうじん)を拝するも2位で初当選。苦節10年の悲願を達成した。能代市4792票、山本郡5959票で、票を大幅に伸ばした。平成5年には能代市で5845票。
 「豊かな社会」への挑戦、秋田の発展を掲げ、理想と現実を熱っぽく訴える人が、野呂田氏の牙城で「敬夫ファン」「敬夫信者」を増やし、支持を広げたことを票が物語る。
 佐藤氏はその人脈で、杏林製薬が能代市に誘致されるきっかけをつくり、また運輸政務次官として大館能代空港の実現に尽力したことでも知られるが、「我田引水」のような物言いはなかったと記憶する。
 しかし、改革や大志を掲げるあまりか、新しい政治集団の結成に参画、自民党の後に新党みらい、新進党、国民の声、民政党、民主党、保守新党など政党を渡り歩き、最後は自民党に復党するという政治遍歴をし、かつての支持者に失望感をもたらした。
 けれども、氏が持ち続けた若かりし頃からの政治への情熱と行動力は、今の秋田に求められるものだ。 (八)


 

晩秋、寂しき柿の木の風景

(11月10日)

 晩秋。青空が広がった午前、遅まきながら紅葉狩りドライブに2時間ほど出掛けた。
 山あいの地域では葉を落とした木々が多く、里山でも鮮やかさを失って終わりの感があったが、それでもはっとする1本の紅に出合ったり、日を浴びて錦繍(きんしゅう)で彩られた場所もあったりで、それなりに楽しめた。川の土手に200㍍ほど赤く色付いたドウダンツツジの連なりを見付けた時には、集落の人々が手塩をかけているのだと想像、うれしくなった。
 けれど、人里や住宅地に入ると寂しさを感じた。実が収穫されていない柿の木が目立つこと。葉が全部落ち実の朱色が青空に映えるのだが、人の手が掛けられない木がなんとなくかわいそうに見えるのだ。
 その光景は何も今に始まったことではない。数年前に知人の農家が、集落で柿の実がなったのはいいものの取る家がほとんどなくなったことをこぼしていたことを思い出し、彼の住む周辺も通ったが、以前よりも手付かずの状態が増したように感じられた。競って植えて育てたこの家もあの家も。
 少子高齢化が頭をよぎった。皆で渋抜きした生を食べ、冬には甘味を増した干し柿をおやつにした大家族時代は遠い昔。夫婦2人あるいは独り暮らしの高齢世帯には、柿をもぐことも渋を抜くことも皮をむいて干すことも難儀な作業。だから、低くて取りやすいところだけに手を付け、後は放置なのかもしれない。空き家で誰も管理していない状態もあるだろう。
 農産物直売所に寄ると、段ボール箱に入った柿が10㌔800円で売られていた。スーパーにも柿が並ぶ。旬を求めて一定の需要はあるようだ。取りたくても取れない高齢者世帯には「収穫代行」のサービスやボランティアがあってもいいかもしれない。
 わが家の柿は大不作だったが、大豊作の友人が分けてくれた。免疫力向上や風邪予防に肌荒れ防止、二日酔いに効果があると聞いて、せっせと食べる日々だ。(八)


 

大原省三絵画展を前にして

(11月6日)

 わが家の和室に、額に入った書画が飾られている。絵は水彩画で濃淡ある茶色の茶碗と土瓶。そこに墨書きの詩が添えられている。
 「一本道一本道コノ一本道ヲミツケテ行キマショウ/コノ道ハドコデ倒レテモ倒レタトコロガ目的地/コノ一本道ハ自分ガ超エラレル道/人間ガ超エラレル道」。
 詩は竹部勝之進の作で、大原省三が写したとある。書いたのは昭和53年夏。
 大原省三とは、能代市出身の洋画家。大正9年に生まれ、小学校の時に病気で耳が聞こえなくなり、県立盲唖学校に入り、卒業後は東京聾唖(ろうあ)学校西洋画科へ進学、若い頃から数々の美術展で入選。母校の教師となって生徒の指導にあたり、その功績で昭和59年にヘレン・ケラー教育賞を受賞している。
 詩の作者の竹部は福井県鯖江市出身で、念仏詩人と評されたという。2人がどうつながりあったのかは分からないが、大原が作品にしたのは、困難を乗り越えてきた自分と重ね合わせて詩に共鳴するものがあったからだと推測する。
 作品は、大原の親戚で子どもの頃から可愛(かわ)いがってくれた人が、30代の頃に「飾ってくれるならどうぞ」とくれたもので、額装して大事にしてきたが、年を重ねて絵の何とも言えない味わい深さと文字の力強さ、詩が語りかける意味を理解できるようになり、時々眺めている。
 小社の応接室にも購入の経緯は判然としないが、大原の書いた色紙が飾られている。大きな茶碗の中に、ユズだろうか黄色い果物が1個入った絵に、「なにも知らなかった日のあの素直さにかえりたい/一ぱいのお茶にも手をあわせていただいた日のあの初めの日にかえりたい」とやさしい文字。昔日を回想しながら感謝の意を伝えているように思えた。
 その大原の生誕100周年を記念した絵画展が7日から故郷能代の文化会館中ホールで開かれる。絵の魅力と功績に触れたい。大原の絵をこよなく大切にした今は亡き人を思い出しつつ。(八)


 

コロナ禍での種苗交換会

(11月1日)

 マスクを着用してシャトルバスの乗り場に着くと、係の男性から手を出すように促され、消毒液をかけられ、指や甲に擦り込んだ。次に検温器の前に立ち、36度台だったので「大丈夫です」とOKをもらい、「検温済」と印刷された丸いシールを上着の左肩に貼られた。それがあると、どこの会場にもすんなり入れるのだという。
 30日に横手市で始まった県種苗交換会の新型コロナウイルス対策である。農協女性部の食堂や横手やきそばの屋台近くのテントを張った食事コーナーは、対面で座るのではなく、横に間隔をあけて食べる形式でソーシャルディスタンスなる密を避けた社会的距離を取ることに配慮していた。
 各会場は混雑した場合は入場制限がかかるそうだが、農産物展示の主会場の体育館、ご当地グルメを集めた協賛第1会場、植木・苗木市や物産販売などの協賛第2会場はそれなりの人出だったものの、平日の初日とあって混み合うほどではなくすんなり入れ、余裕をもって見物し、買い物もできた。しかし、土日はどうなるのだろうか。人出の確認を急ぐ会場のスタッフの気遣いは大変なものだろうと推察した。
 農業機械化ショーは中止に。農業の未来を担うと期待されているGPS(全地球測位システム)を導入し人が乗らずに作業を行うトラクターや田植え機、コンバインなどの実演を期待していたのだが、残念であった。
 屋台も出店もいつもの年より大幅に減っており、あれもこれもと探す楽しみも半減、寂しい思いもした。けれども、植木市でお目当ての山椒(さんしょう)の苗木を購入できたし、横手市の特産「いものこ汁」をホッカホッカで味わえ、コロナで縮小であっても交換会を喜んだ。
 何よりも、農産物展示会場でダリアを愛でていた中年女性が「ダリアは秋田の宝」と話すと、別の誰かが「交換会は秋田の宝」と言ったのがうれしかった。
 来年は、能代で開催の見通し。コロナが収束し盛大であってほしい。(八)