コロナに飲食店の悲鳴と迷い

(3月25日)

 彼岸入りの少し前、たまに「飲み会」の会場に使う能代市内の居酒屋の店主が声を掛けてきた。「しなねばねぇ~」と。「死んでしまわなければならない」とは随分と物騒な物言いだが、切迫感があった。
 続いて出た言葉は「どうなるもんだぎゃにゃー」。「どうなることやら」と先を案じて表情も固かった。
 国内でも広がる新型コロナウイルスの感染を防ぐため密集・密閉・密接の「3つの密」を避けるよう求められ、人が密度を濃くして集まることの自粛ムードが地方にも浸透して、客の入りが悪くなっているそうだ。異動に伴う歓送迎会のシーズンというのに、客はポツリポツリ。
 回復する気配はなく、むしろさらに悪くなる感じがするという。長くこの商売をして不況の波も乗り越え、さまざまにあった苦さも酸っぱさもどうにか振り払ってきた気丈な人も、今回の新型コロナの影響はかつてないほどなのだろう。それが、冒頭の二つの嘆きの方言と知った。
 それから1週間後に立ち寄ると、忙しく料理をしていて、表情に明るさが戻っていた。自粛疲れした人なのか、憂さを晴らしたい仲間なのか、3連休前から少し客足が戻ってきたというが、今はどうだろう。
 別の飲食店。「潮時かしらねぇ」と70代前半の店主がしみじみと話した。ここもまた新型コロナウイルスの影響を受けていた。4~6人程度の集まりがほとんどなくなり、常連客が止まり木で飲むぐらいだそう。
 毎日の仕入れ、家賃に光熱費などの出費があり、「間に合わない」。つまり採算が合わないらしい。今のところどうにかしのいでいるものの、コロナの騒動が収束しなければ、店を畳まざるを得ないという思いが、「潮時」という言葉になったとみる。
 「この先、1カ月ぐらい様子を見る」とのことだが、もう少し頑張れる年齢であり、なじみの店がコロナで追い込まれるのは辛(つら)い。
 コロナで地域経済が大きな打撃を受けていると能代市の飲食、宿泊、タクシーなど5団体が23日、市に事業継続への支援を求める要望書を提出した。声なき声も地域の対策を急げと訴えている。(八)


 

寂しき春彼岸の墓参

(3月21日)

 昼休みを終えて、職場に戻る途中の女子社員が自転車を引きずりながら「寒~い、風で飛ばされそうになったぁ」と話していた。
 春彼岸の中日の20日。前日のぽかぽか陽気はどこへやら。能代山本は冷え込み風は強く、みぞれやあられが時折降る天候。知人が言っていた。「やっぱり彼岸は荒れるわね」と。 
 それで、小欄でも2度ほど取り上げた能代周辺の独特の方言である「彼岸じゃらくり」を思い出した。彼岸の頃の天気の荒れ模様のことで、降った雪がジャラジャラに解けて道路がぬかるみ悪路になった状態や、春彼岸を放り出すように突然吹き荒れる吹雪を指す。
 今年はそれほどの状態ではないが、それでもピューピューと鳴る風の音と寒さは、冬に戻った感があった。それゆえか、墓参りに行くと、墓地公園の人影は例年より少なかったし、新しい花が手向けれていない墓も目立った。
 先年亡くなった同級生が眠る墓にも花がなかった。「彼岸じゃらくり」に外出を避けたか、家族が忙しいのか、締め彼岸の23日までの天候のいい日に墓参しようという予定なのかもしれない。散乱する松の葉や暖冬少雪で伸びてきた雑草除去の墓掃除をしていない墓所もあちこちにあった。
 立派な墓は、去年の秋彼岸も供花はなかったが、今年もまだ。息子家族は市外に居を構え、実家には母親がいるはずだが、高齢で施設に入居しているのか、墓の管理に手が回っていないのだろうか。昔は栄華を極めた家の目立つ大きな墓にも供花はなかった。
 古びた墓に小さな掲示板が取り付けられていた。「このお墓をお守りしている方、ご縁のある方、お心当たりのある方はお寺までにご連絡下さい」の文字。すると別の墓にも、また別の墓にも。
 墓のある地に家族の誰もが住んでいなくて放置状態になっているらしい。兄弟姉妹や親戚もいるはずだが、さまざまな事情から墓を顧みることがないのかもしれない。寺にしてもいつまでもそのままにしておくにはいかないから、手がかりを求めているのだろう。
 増える空き家と同様に、構われない墓の増加。何やら寂しい彼岸の墓参だった。(八)


 

ラーメンブームあれこれで

(3月17日)

 所用で秋田市に向かう朝、能代市内の国道沿いのラーメン専門店の駐車場に何台もの車が止まり、店内で麺をすすったり、出来上がるのを待つ客の姿が見えた。朝からラーメンを食べる「朝ラー」が案外に多いのだと改めて気付かされた。
 かつては宴会やはしご酒の後に「締めのラーメン」をする若者や中年が結構いて、柳町の繁華街には人気店があった。それが下火になり、代わって朝ラーの時代なのだろうか。午前7時から営業を始める「朝ラーの店」は小欄の知る範囲では市内に3店舗。
 そうした店が現れて、「朝からラーメンかあ」と思っていた。爽やかな朝に重過ぎる印象を抱いたからだが、家で朝食を取れなかったので仕事前に、夜勤明けにと勤務形態に合わせてラーメンを欲する人は確実にいる。
 「朝ラー」も長く続くラーメンブームを表す一形態なのかもしれない。
 会話がいつの間にか「どの店が美味(おい)しいか」「自分のお気に入りの店は」のラーメン談議に移り、熱い議論を交わすグループに出くわすことも多い。インターネットでは県内のラーメン店情報を流す掲示板も多数あり、その「食べ歩き」の行動力に驚かされる。
 13日夜、AKT秋田テレビで「秋田ラーメン総選挙」が放送され、その結果を話題にする人に出会った。同テレビの開局50周年特別番組として昨年に続いての実施で、応募総数5000票以上の県民投票を基に、県内ラーメン店をランキング形式で紹介していた。
 秋田市に仕事に出掛けた際に立ち寄った「ちゃんぽんの店」や醤油(しょうゆ)スープが黒のように見える店、能代市では根強いファンのいる「十八番」、秋田市の店が取り上げられていたものの能代発祥の「吾作ラーメン」がランク入りしていたが、それ以外は行ったことがなかった。
 おそらく行列のできる店なのだろうけれど、それほどまでして行く気持ちはなく、地元の店を巡るのがせいぜいである。
 ラーメンの好みは人それぞれ、行く店さまざま。誰かが「昔のあっさり中華が懐かしいなあ」とつぶやいていた。今はないあの店この店が浮かんだ。(八)


 

映画「めぐみへの誓い」で思う

(3月12日)

 確か写真を撮り保存していたはず、とスマートフォンの写真アルバムを探すと、まだ残っていた。「情報提供のお願い!」と書かれた看板。
 「昭和52年11月15日、この付近で当時中学生であった横田めぐみさんが、北朝鮮に拉致される事件が発生しました。警察では、この事件の解決のため、捜査を進めています。どんなことでも結構ですので、お心当たりのある方は、情報をお寄せ下さい」と書かれ、新潟県警と新潟中央署の電話番号を記していた。
 約38万本の黒松林を取り込み、「日本の白砂青松100選」に選ばれている新潟市中央区の西海岸公園。そこに通ずる神社付近に設置されていた。
 ほど近いところに今は住居はないが、横田滋さんと早紀江さん夫婦、長女のめぐみさん、双子の弟の一家が住んでいた場所と、そこから200㍍ぐらいにめぐみさんが通っていた中学校を確認した。1年生でバドミントンの部活を終えた夕方、めぐみさんは、家までわずかのところでいなくなったという。
 拉致現場を見て、一刻も早い解決を願ってほしいと新潟の新聞社の人に一昨年6月に案内された。閑静な住宅街、そこから坂道を下っていけば松林に海岸。能代の海岸に共通するものがある。
 昭和38年4月に浅内浜に北朝鮮の工作員2人の遺体とゴムボートが漂着した「第一次能代事件」、同年5月に米代川河口に工作員1人が漂着した「第二次事件」があったこと、平成4年に能代市の落合浜から消えたとみられる旧合川町の松橋美恵子さん(当時26歳)、昭和48年に能代に行くと言ったまま戻っていない旧峰浜村の薩摩勝博さん(当時23歳)ら拉致の可能性を排除できない特定失踪者がいることにつなげた。
 冒頭の看板を思い出したのは、拉致問題を題材にした「めぐみへの誓い」が映画化されることになり、秋田県内もロケ地に選ばれ、能代市で12日と21日に横田さん夫婦が街頭演説する場面や工作船が海上を進む場面などの撮影が行われると本紙記事にあったから。
 横田さん夫婦をはじめ拉致被害者の家族は高齢化している。現状打開のためにも能代がロケ地の映画に期待する。      (八)


 

ネギを毎日1本食べる人

(3月6日)

 スーパーの地元産野菜の販売コーナーに品出ししている農家の友人が年末に、「さっとこ(少し)だけど」と言いつつ、くれたネギは大人の手に一抱えもある量だった。
 軟らかくて適度にゼリー状のぬめりのあるそれを、きりたんぽやタラの鍋物に入れたり、納豆の薬味、ピクルス風にしたりして食べているのだが、3月だというのにまだ消化し切れていない。
 市内の飲食店のメニューを真似(まね)て、千切りを豚のしゃぶしゃぶにに入れてポン酢で食べれば、ある程度の量が進むだろうが、しゃぶしゃぶを頻繁にとはいかず、「さて困った」。
 過日、別の農家の友人と懇談して、意外に元気だったことに驚いた。ストレスを抱えて胃腸や皮膚が悪かったのか、飲酒すると次の日は具合が悪くなると昨年暮れに話していたのに。彼は「風邪も全然引かない。ネギのおかげだろうか」とポツリ。
 年が明けて、1日に1回は温かいうどんを食べているそうだが、薬味ではなく、具にネギ1本分を使うという。3日で3本、1カ月たったら30本。
 いつか見たテレビの健康番組が説明していたように、栄養価のあるネギは疲労回復や肩凝りに効果があり、また殺菌作用と鎮静効果で風邪対策にもなることは広く知られているところだが、友人のように「1日1本」が長く続けば効能はさらに出るのかもしれない。
 この類いの効く効かないは人によって異なるし、誰にでも勧めるべき健康話ではないだろうけれど、新型コロナウイルスによる肺炎感染が国内で広がる事態と、能代山本がネギの一大産地であることをつなげれば、「ネギの消費をもっと」と叫びたくなる。
 そうでなくても、青果物が暖冬で量がだぶついているところに新型ウイルスで外食産業を中心に需要が低迷、ネギと同じく特産の山ウドの販売に苦戦が続いているというから、ここは地元が応援団にならなくてはと思う。
 というわけで、ネギをもっと食べることにする。お笑い芸人が全国各地の美味しい地場産品を食べる番組で先日、ネギを特集、ネギ味噌(みそ)、ネギ餃子(ギョーザ)、鴨(かも)ネギ鍋を紹介していたのを参考にして。(八)


 

トイレットペーパーの反省

(3月1日)

 テレビニュースで知って、知人の娘が少し反省していた。
 スマートフォンでSNSという通信サービスを駆使する彼女は、新型肺炎の感染拡大でマスクどころかトイレットペーパーも品不足との情報を得て、28日昼に夫婦で能代市内のスーパーに出掛け、「これみよがし」に購入したという。
 どれだけ買ったかは聞き漏らしたが、夫婦共に両手に持って、周りの買い物客が目を白黒させていたというから、おそらく1ダース12個入りを片手に2袋ずつ8袋以上を得たと思われる。
 同じ日の夕方、小欄は市内の中型スーパーに立ち寄った。買い物かごにトイレットペーパーを1袋あるいは2袋入れている30、40代の女性が目立ち、特売日で購入しているのかと思ったが、知人の娘の話を聞いて、爆買いには至らないものの、同様の買い物行動をしたのだと気付いた。
 彼女が自分の行いを省みたのは、日本で流通するトイレットペーパーの97%は国内産で、日本家庭紙工業会が「国内のメーカーは通常通りの生産を行っていて供給量は十分にあるため、トイレットペーパーの在庫がなくなることはない」と買いだめをしないように呼び掛けていると報じられたからだ。
 数年前に中国を視察旅行した時、夜行列車や観光地でのトイレットペーパーのごわごわした品質の悪さに閉口したことがあり、日本製の柔らかで繊細な紙質に勝るものはないと思っていただけに、また国内に製造工場があり国産品がほとんどとの印象を抱いていたので、「心配し過ぎ」とつぶやいた。
 夫婦の同年代の男性は「オイルショックのトイレットペーパーみたいなものか」と話していた。彼が生まれる前後の昭和48(1973)年、中東戦争を背景に原油価格が急騰、「紙の節約」が叫ばれ、各地でトイレットペーパーの買い占め騒動が起きた。その昔のニュースを見たのか親から聞かされたのか。言葉には心配と警戒感が漂っていた。
 連日の新型肺炎のあふれる情報に多くの人々が不安を感じている。その中には誤解を招く情報や偽物もある。だからこそ冷静でありたい。   (八)