暗黙の了解で山菜採り中止

(4月29日)

 どうするのだろうかと案じていたところに、電話が入った。2年前に心臓の手術をし、仕事を完全引退した人から1年ぶりに。存外に元気な声で「今年はやめることにしたけど、いいか」と話した。
 「昭和の日」の4月29日が「みどりの日」(1989─2006年)だった時代に始まった仲間たちの恒例の遊びは、車で30分ほどの里山での小一時間の山菜採り。急斜面や渓流沿いを探して爽やかな汗を流しながら身近な自然を満喫、ボンナやシドケ、山ウド、アイコ、細竹、タラの芽、山ワサビなどの「山の恵み」を得ることの幸せを感じてきた。
 山を荒らさないように、翌年につなげるようにと指導と注意を受けながら、抱えきれないほどで驚かれる「ひとたなぎ」(一抱え)ではなく、家族が下処理にしかめっ面しないで喜んで味わえる少量の「ひとがだき」(一炊ぐ)を心に刻んで、採ってきた。
 元々のリーダーのアウトドアの師匠が6年前に癌で亡くなり、一端消え掛かりそうになったレジャーだが、彼を思い出し追悼を兼ねようと3人で継続してきた。年を重ねれば皆ガタが来て、一昨年は電話してきた人が病後でもあり、こちらもケガのリハビリ中、もう一人は腰の具合がよくなく、中止したが、昨年は復活。白神山地の麓で渓流のせせらぎの音と野鳥のさえずりを聞き、新緑の始まりを楽しんだ。
 今年中止となったのは、新型コロナウイルスの感染拡大の防止対策で本県でも不要不急の行動の自粛が求められているため。能代山本の里山には人がほとんどおらず、密閉・密集・密接の「3密」にはなりようがなく、出掛けても特段の批判も出ないと思われる。
 しかし、コロナ禍で人が閑散とした田舎の自然の中でも人と人の接触はなるべく避けたい、避けるべきなのではと思いが募り、山菜取りへの気分が乗らなくなったのが共通した意識で、「了解です」と返事した。コロナで「暗黙の了解」が生まれていたのだ。(八)


 

「んかニャー」に「んだ、んだ」

(4月23日)

 能代市内の街角で知人と出会うと、「コロナ、んかニャー」と叫ぶように話しかけてきた。
 新型コロナウイルスの国内での感染の急激な広がりとその対策、緊急事態宣言の全国都道府県への拡大をテレビや新聞で見聞きして、気分が塞(ふさ)ぎがちとなったためだろうか、買い物に行くにも家にいても気を使わざるを得なくなって疲れているのか、いや感染の不安が高まって心の中がざわざわしているためなのかもしれない、と瞬時、頭の中がぐるぐるした。
 まったくもってであり、「んだ、んだ」と返した。
 そこから元同僚が先日話したことを思い出した。女子会でランチをしたところ、自分たちが「ん」の付く言葉を結構話していることに気付き、あれこれ拾い出して盛り上がったそうで、「秋田県って『ん』の付く方言が多くないですか」と聞いてきたのだ。
 冒頭の「んか」は「いやだ、嫌い、いらない」で、「否(いな)」からきたものか。
 返された「んだ」は「そうだ、その通りだ」で、類語・派生語も多く、「んだけ=そうしたら」「んだごたば=そのようなことなら」「んだたて=そうだけれども」「んだばて=そうだけれども」などがある。どうやら「そう」が「ん」に訛(なま)ったらしい。
 先輩は同級生の「梅田さん」を「んめ」と呼ぶ。美味(うま)い・旨(うま)いは「うまい」ではなく「んめ」と発する。「うまそうにない」は「んまたらね」。「馬」は「んま」。「う」が「ん」に訛った言い方である。
 そのほかに「ん」の方言で浮ぶのは、あまり使いたくない相手を見下して言うような「んが=お前」、「アレマー、よくもまた」の意味の「んにゃ」、「知ったかぶり」を指す「んべたふり」や「んな=皆」である。
 「ん」の言葉は岩波書店の国語辞典の「広辞苑」では10しか出てこない。ところが、工藤泰二著の「読む方言辞典─能代山本編」では50、冨波良一著の「採録・能代弁」では43もあり、改めてわが地域の「ん」の方言の多さに驚かされた。  (八)


 

こんな時だから五感で春を

(4月18日)

 目覚めると、「ケキョケキョ」と鳴き声が聞こえてきた。ウグイスと分かったが、あまりにか細く、それに「ケキョ」の前に出るはずの「ホーホ」がない。しばらくすると、また「ケキョケキョ」。4度目でようやく「ホーホケキョ」となったけれど、弱々しい。
 近所の梅の木が薄紅の花を8分咲き。そこに小学生ぐらいのウグイスが飛んできて、初鳴きしたようだ。これから毎日練習して、やがては美声を聞かせてくれるだろう。その前に早起きして、鴬(うぐいす)色の春告鳥の姿を見つけ、そっと近づいてみよう。
 先輩がスマートフォンを開いて、撮ってきたばかりの写真を2枚見せた。ほぼ満開のソメイヨシノがライトアップされていた。能代市役所庁舎南側にある「さくら庭」だった。旧渟城第二小学校を囲むようにして植えられたソメイヨシノが残され、「さくら庭」はその一部。
 「今年もきれいに咲いたのだ」と知り、昼すぎに出掛けた。日当たりが良く庭に伸びている桜は、眼前でじっくり見ることができ、薄いピンクの中から淡い芳香を漂わせていた。庁舎3階のテラスから見る桜は、上からのアングルとなり妙味があった。
 新型コロナウイルスの感染拡大防止で緊急事態宣言が全国に広がり、移動の自粛が要請された。これから満開を迎える秋田の観桜のイベントは中止され、花見の行動も制限されるかもしれないが、近場の公園や学校の桜を見るぐらいは可能だろう。
 ふと、研究者の知人女性の「私たちは自分の五感を通じて集まった情報から『春』を感じ取っているとも言えるでしょう」との3年前の言葉を思い出した。
 具体的には、木々の芽吹きの観察、鳥のさえずり、花の甘い香り、晩ご飯に食べた菜の花のおひたし、干した布団のフカフカさと温かさ──を挙げていた。
 コロナ禍と緊急事態宣言で誰もが気分が落ち込みがちだろう。だからこそ、五感で家の周りから春を探したい。 (八)


 

春の味、イイダコが運ぶ

(4月14日)

 新型コロナウイルスの感染拡大防止で政府は、「繁華街の接客を伴う飲食店」の利用自粛の要請を全国に拡大、その求めに応じるべきなのだが、ひんしゅくを買いつつもクラスター(感染者集団)発生が懸念されなそうな地元の固定客ばかりの飲食店の本音を探るため12日夜、日曜日で閑散とし休業の店舗も目立つ能代市内のとある店に寄った。
 すると、カウンターに置かれたボウルに何やらぬるぬるとしたものがどっさり。「ちょっと待ってて。今、お通しを作るから」と女性店主は、急ぎ鍋を用意し清酒やら醤油(しょうゆ)を入れて煮立たせて、軟体を放り込んだ。しばらくして出てきたのはイイダコであった。
 口に入れると小さな頭にぎっしりと卵が詰まっていて、プチプチとした歯触りが何とも楽しく、かわいい足もしゃぶってかじるとタコ独特の味が広がった。
 なじみの客の漁師が持ち込んだそうで、彼女は「手と爪が墨だらけになったわよ」と笑った。作ったはいいが、果たして客は来るのか来ないのか。イイダコは下処理が面倒なので、美味(おい)しいけれど料理にしない家庭も多い。秋田の、能代の、春の味なのに。
 そういえば、いつだったか早春に能代を訪れた東京の有名人を囲んだ懇談会でイイダコの醤油煮が出てきて、誰かが「能代ではイッペダゴと呼ぶのよ」と教えた。
 この場合の「イッペ」は、一口で食べることができるのでの「イッパイダコ」からきたとされるが、イイダコを酒の肴に「いっぺ、やっか」と一献傾けよう、あるいは「いっぺ(たくさん)飲もう」にも使えると勝手な解釈をする。
 知人が「サクラマスを食いて~」とうなっていた。米代川では1日にサクラマス釣りが解禁、初日はそれなりの釣果の人もいたが、その後は不振らしく、まだ口に入らないらしい。「シラヨはまだか」とも。
 コロナ禍だからか、せめてもは美味しい物を食べたくなるらしく、地場の「春の味」を待ち焦がれるのだ。(八)


 

コロナ、都会の家族を案ず

(4月8日)

 能代市内の知人が東京都内に住む息子を案じていた。
 インターネットメディア事業とソフトウエア開発事業の会社に勤めていて、新型コロナによって出社せずに自宅でコンピューターを操作して働くテレワークを行っているそうだが、そうした勤務形態がいつまで続くのかと思うらしい。
 会社が展開するデジタルアート空間での事業も密閉・密集・密接の「三つの密」に抵触し閉鎖となったそうで、会社の存続ひいては息子の雇用に影響するのでは、と心配は尽きないのだ。
 別の夫婦は先日、東京圏に住む娘に「あきたこまち」を5㌔と市内の菓子店でパック詰めしてもらった花見団子を宅配便で送った。
 娘は子育てに忙しく、外にあまり買い物に出掛けられず、何でも購入できる生協の宅配を利用しているそうで、米も「あきたこまち」は秋田県産は大潟村産と横手市産を求めることができるので、不自由はしていないらしい。
 しかし、親は新型コロナウイルスの感染拡大の対策としての「行動の自粛」、それに乗じたかのスーパーでの買いだめ騒動のニュースを見るにつけ心配を募らせ、秋田では容易に手に入る米だけは切らしてほしくないと思ったという。そこで、玄米を手当てして、自ら精米した「故郷のあきたこまち」を送ったというわけだ。娘が子どもの頃に一緒に食べた懐かしいであろう花見団子とともに。
 宅配便の営業所に持ち込んだところ、物流が混んでいて、指定の時間に配達ができない場合があると言われたそうだが、無事届いたようで、「先が見えない自粛ムードの中、地元の美味(おい)しいものを食べられてほっと一息つけました」と孫が団子を頬張る写真付きのメールが送られてきたという。
 政府は新型コロナで7日緊急事態宣言、東京はじめ7都府県で効力を発生させた。「どうなる」の声をあちこちで聞く。
 都会に暮らす子や孫、きょうだい、能代山本の縁の人を思い、声を掛けてみる。(八)


 

コロナの春に花と山菜

(4月2日)

 1軒隣の民家の4本の梅がつぼみを日に日に膨らませ、快晴の2日前に日当たりのいい場所の1本が数輪の花を咲かせた。
 新型コロナウイルスの感染拡大のニュースに落ち着かず、能代山本では感染者は出ていないけれど、これからどうなることかと心配し、手洗いやうがいの習慣化を心掛ける毎日で、近所の風景を分からずにいたが、梅の花から「もう春」を教えられた。
 それで、わが家の庭を見渡すと、知人から球根を譲り受けたスイセンが開花し四つほど黄色い花。植木市で求めた中国由来のサンシュユ(山茱萸)が木一面に黄色の花。日本名の別名は春黄金花。春を告げていたのを気付かなかった。
 趣味のバラの手入れに忙しい家の前庭に、鉢植えがずらり並べられていた。その中の1鉢に一輪だけ内側が白っぽく外側がピンクの花。「ジーン・バーナ」という品種名が表示されていた。
 垣根のように植えられたサザンカが紅色満開で、その下に濃紫のクロッカスが咲く家。花の名前を知らず思わず聞いたのだが、細く伸びた先に淡いピンクの花がかれんなユキノシタ(雪の下)や細い筒状でラッパのようなエキゾチックな花が黄色のキルタンサス(笛吹水仙)の咲く家も。
 年がら年中、花はあるけれど、庭に軒下にと身近に育ち、冬を乗り越えて開花。それを愛(め)でることはコロナで塞(ふさ)ぎがちな心を穏やかにさせ、いつかコロナを克服する希望にもつながった。
 少雪暖冬で早い春の訪れの能代山本。バッケことフキノトウの天ぷらやバッケ味噌(みそ)はすでに楽しんだが、農産物直売所に寄ると、サワアザミが。購入して味噌汁の具に。フワーとした野草の香りが漂った。お浸(ひた)しに。独特の苦味が春を感じさせ、根っこのシャキシャキ感が味わい深かった。
 後輩の先日の言葉を思い出した。「今年は山菜が早いはず。楽しみだなあ。ボンナ、アイコ、シドケ…」。コロナ渦から逃れたいのだろう。当方もまた。

(八)