歌い継ぎたい高校の校歌

(7月28日)

 県高校野球大会の準々決勝、準決勝で勝利した能代松陽の校歌が秋田市のこまちスタジアムに響いた。無観客であったがゆえか、テレビ中継から流れる校歌は清明に聞こえた。
 ♪明けゆく空に 白神の 連なる峰を 仰ぎ見て 光漲(みなぎ)る わが瞳…(森谷茂作詞・川口洋一郎作曲)
 能代松陽は7年前に能代北と能代商業が統合して開校したが、校歌をじっくり聞くのは初めて。統合の前年に能代商が甲子園に出場し、1回戦、2回戦を勝利して甲子園に校歌が流れ応援席も大合唱、「豊かに流るる米代川を」から始まる曲(芳賀忠正作詞・大山会三郎作曲)は微(かす)かに覚えている。
 そのことを後輩に話すと、彼は「松陽の校歌の方が親しみが湧く」と話した。高校野球のファンそれも松陽がひいきで試合を熱心に観戦、息子が松陽に学んだことで校歌がより身近になったらしい。
 すると、先輩が「統合してなくなるんだろうけれど、能代工業の校歌はどうなる。相馬御風の作詞で、作曲はうーんと古関裕而じゃなくて、山田耕筰。すごいよ」と話に加わってきた。
 相馬は詩人・歌人で国文学者、山田は「この道」や「赤とんぼ」などの名曲や数々の交響曲を残した。能代工の校歌がどのような経緯で依頼されたかは分からないが、確かに「すごい」。歌詞は「朔風(さくふう)雪を吹き捲(ま)きて 怒濤(どとう)巌(いわお)に吼(ほ)ゆるとも」から始まり、力強い。
 能代工と統合する能代西の校歌は竹内瑛二郎作詞・小松平五郎作曲で、導入部は「奥羽の山山はるかにそびえ」だが、「東雲台地」や「汗なす鍬(くわ)に」などもあり、前身が農業校であったことをうかがわせる。
 さらに付け加えると、能代商と統合した女子校の能代北の校歌は作詞が鎌田春雄で夏の制服を思い出させる「山紫にあけそめて」から始まり、作曲は「浜辺の歌」で知られる秋田が生んだ成田為三である。
 消え行く高校の校歌を歌い継ぎたい、残したい。(八)


 

能代松陽、来年にも期待

(7月23日)

 新型コロナウイルスの感染が4月段階でほぼ終息していて、普通に行われていれば、能代はどんな熱狂になっていただろうかと、テレビ中継を観戦して思った。
 中止となった全国高校野球選手権秋田大会の代わりの2020県高校野球大会は22日、秋田市のこまちスタジアムで決勝が行われた。通常の大会であれば、甲子園出場の県代表を決める戦いとなる能代松陽と明桜の対戦。
 前評判どおりの実力のある両校は一試合ごとに力を発揮、準決勝を勝ち抜いたことで、「甲子園まであと一勝」と選手と指導者は奮い立ち、全校生徒や保護者、同窓会は沸き立っただろう。野球熱の高い能代は、明桜のある秋田市よりも地域全体で。
 代替大会はコロナの3密を避けるため、応援はベンチに入れなかった部員と保護者だけに限定されたが、通常大会であれば能代松陽は全校応援となり、OBやファンも駆け付け、応援席はブラスバンドも加わってにぎやかであり、朗報を待つ市民も多かったはずだ。
 能代松陽は女子校の能代北と男女共学校の能代商業の統合校で、能代商業は昭和60(1985)年、平成22(2010)年、翌23(2011)年と過去3回甲子園に出場している。特に平成23年は甲子園で全国の強豪校と渡り合い秋田県勢として14年ぶり夏1勝、さらに16年ぶり夏2勝を果たし、3回戦敗退もベスト8にあと一歩と迫った。
 昨年秋の県大会では優勝。チームは能代商時代を含め9年ぶり、松陽となってから初の甲子園出場に期するものがあったと推測するし、ファンの待望も大きかったと思われる。
 本紙は、代替大会で甲子園につながらなくても優勝した場合には、電子号外とA3判のカラープリントの号外を出す準備をしていた。
 残念ながら結果は2─7の敗退だが、コロナ禍によるさまざまなハンディを乗り越えながらの準優勝は健闘であり、たたえたい。来年こそ甲子園を、と期待する。 (八)


 

帰りたい、帰るのよそうかな

(7月18日)

 この頃、歌詞に「帰る」「帰らない」の入った昭和の歌を思い出し、しみじみとしたメロディーをユーチューブの音楽配信サービスで聞いては、令和の今と重ねて辛(つら)くなる。
 〽淋(さび)しくて言うんじゃないが/帰ろかな帰ろかな/故郷(くに)のおふくろ便りじゃ元気/だけど気になるやっぱり親子/帰ろかな帰るのよそうかな…。
 まずは北島三郎の「帰ろかな」。1965(昭和40)年発売。永六輔作詞・中村八大作曲でNHKテレビの「夢であいましょう」の「今月の歌」でもあった。望郷の念を暗くならずに朗々と歌い上げ、親子の情愛が胸に迫ってくる。
 〽そりゃ死ぬほど恋しくて/とんで行きたい俺だけど/秋田へ帰る汽車賃が/あれば一月(ひとつき)生きられる/だからよだからよ帰れないんだよ…。
 星野哲郎作詞・臼井孝次作曲の「帰れないんだよ」(昭和44年)。オリジナル歌手は三船英夫だそうだが、後にちあきなおみがカバー曲として歌い、広く知られるようになった。
 集団就職をはじめとして、秋田の能代山本の若者たちが大勢首都圏に働きに出た時代。帰省するお金があれば、かつかつの生活も何とかしのげるのだから、帰るのを我慢する、でも初恋の君に会いたい。そんな思いをちあきなおみがしんみり歌うのだから、ぐっとくる。
 〽淋しかったら帰っておいでと/手紙をくれた母さん元気/帰りたい帰れない/帰りたい帰れない…。
 シンガーソングライターの加藤登紀子の1970(昭和45)年発売の「帰りたい帰れない」。学生運動が盛んな頃、挫折したり疎外感を抱えた都会の若者たちの迷子状態、ひとりぼっちの心情、母への思いが伝わってきて切ない。
 この3曲が浮かんだのは、新型コロナウイルスの感染が首都圏をはじめ再び拡大して、また移動の自粛が叫ばれているからだ。多くの能代山本出身者が予定していた夏の帰省をどうすべきか悩んでいる。待つ親やきょうだいもまた。  

(八)


 

イオン新能代SCの工事本格化

(7月14日)

 東能代地区に住む男性と懇談すると「ようやく動き出した。待ち望んできたし、わが地域の活性化にもなるはず」と声を弾ませていた。
 一方で、柳町近くに住む女性は「こっちはどうなるのかしらね。もしなくなってしまうと、困るし、街はますます寂れてしまう」と心配そうに語っていた。
 8日付本紙1面のトップ記事は「秋田自動車道能代東インターチェンジ近くで、イオンモール(本社・千葉市)の大型商業施設『イオン新能代ショッピングセンター(SC)』の建設工事が本格化してきた」と伝え、大型クレーンやバックホーなどの重機が杭(くい)打ち工事をしている写真を掲載した。
 冒頭の男性の言葉は、その記事を読んでの待望久しい地元住民としての感想。女性の声は、本紙の記事から東能代の新能代SCが来年12月に開業予定と知ったけれども、その先に柳町にあるショッピングビルの「イオン能代店」の閉店があるのではないかとの不安である。
 イオン新能代SCの構想が浮上したのは2003年。2年後に出店予定地の開発手続きを開始、さらに2年後に計画概要が発表されたが、大きな反対運動が起き、さらに着工時期や店舗規模などをめぐって二転三転、3年前に造成工事に入ったものの、軟弱地盤のため対策工事に迫られ、開業がさらに遅れるという経緯をたどってきた。
 長い時間を経て槌音(つちおと)が高くなった現実に、土地を貸す地権者や地域住民や消費者、商業者、行政にさまざまな思いが交錯しているだろう。商圏とする能代山本の地域の現状と商業の明日にも思いが及ぶはずだ。
 当初計画の店舗面積3万5000平方㍍、専門店100で2階建てモール型は、大幅に見直し縮小され、1階建て1棟にホームセンターが一体型に付くという。
 少子高齢化に急速な人口減と地域経済の縮小、コロナ禍による小売業の先行き、イオンモール自体の経営などが絡む中で、どのような戦略を立て、店舗づくりをするのだろうか。(八)


 

プレミアム飲食券を手にして

(7月9日)

 届かないのでやきもきしていた秋田県のプレミアム飲食券の購入引換券がようやく郵送されてきたので、近くの銀行で交換してきた。
 知人は届くのが遅いのではと事務局に電話で確認を兼ねて問い合わせたところ、申し込みの専用用紙の住所に番号の記入にちょっとしたミスがあったそうで、訂正をお願いしたところ、数日後に引換券が届いたという。いずれにしろ、申し込みが殺到、事務作業が混雑しているようだ。
 プレミアム飲食券は、新型コロナウイルス感染症によって外食機会が減っていることで、県内の飲食業が大きな影響を受けていることの対策として発行している。県内で飲食し、地元の消費を拡大しようという応援だ。1シート2800円(700円×4枚)で最大4000円分の飲食費に利用できる。1人3シート8400円で、12000円分の飲食、都合3600円の特典となる。
 それで、「どこで何を食べるか」が仲間内で話題となり、「土用丑(うし)の日」も近づいてきたからか、プレミアムで若干気がおおきくなったのか「うなぎ!」との声が出て、能代市内のあの店この店を語り、秋田市の名店をあげる人もいた。
 能代からの客もいるという県北の割烹(かっぽう)も出たが、情報通が「廃業した」と報告、コロナ禍を潮時にしたのかと思った。ふと、中華料理の豪華版もいいかもと考えたが、浮かんだ店は先月末で閉店したことを思い出した。飲食券を使うにしても、店舗情報を確認しないといけない今なのだ。
 いち早くプレミアム飲食券を手に入れた友人は、夫婦2人分24000円分を使い果たした。家族や親類が集まった小さな会食の弁当代、近場の旅での「道の駅」のレストランの昼食代。あっと言う間に消えたと残念そうだったが、県内飲食業を「食べて応援」を率先したのだから褒められるべきだ。
 さて、こちらはどうするか。なじみの店の奥さんが「使えますよ」とニッコリと誘ってきた。(八)


 

帰省で、ひんじぇど、やぐやぐ

(7月4日)

 東京から帰省した後輩と2時間ほど懇談した。しかし、彼はマスクをずっと着けていた。その日に乗用車で到着したが、翌朝に上京してしまった。
 新型コロナウイルスの感染拡大防止で求められた外出自粛が先月19日、全国を対象に解かれ、県をまたぐ移動ができるようになって、遅まきに父親の法事を行うため独り暮らしの母親のいる実家に戻ってきた。6月いっぱい滞在、少しゆっくりしようとしたのだが、早々に帰ったのは、気まずさを感じたからのよう。
 車両は品川ナンバー。駐車すれば、「東京から来ている」と知られる。街に出て飲食するにしても「東京の人」は警戒される。そんな気配を察知したのだろう。
 「ひんじぇど、さいねがったナー」と思った。「ひんじぇど」は「せいせいと・のびのびと」を言い表す秋田弁で、「さいね」は「できない」の意。
 工藤泰二著「読む方言辞典・能代山本編」では、①精々と。できるだけ。力の及ぶかぎり。腹一杯。思う存分②清々(晴々)と。さっぱりして気持ちのよいさま。心にわだかまりがなくすがすがしいさま─と解説。後輩にはふるさとでのんびりと②の気分になってほしかったのだが。
 知人女性が、7月末に東京在住の娘夫婦と孫が遊びに来ると喜んでいた。昨秋、女の子の孫が誕生したが、コロナで行き来ができなくなってしまった。孫を含めた里帰り、花火もお祭りも夜店も七夕もないけれど、避暑を兼ねてとにかく実家に戻りたいそうだ。
 その話を聞いて、「みんな、やぐやぐ、したいんだなぁ」と思った。「やぐやぐ」は「伸び伸びと・何の気兼ねもなく」の方言。「楽々」を「薬々」と書き誤り、それを「やくやく」と呼んだのが語源の説がある。
 密な状態の首都圏に住む人々は、密とは反対のまばらな疎のふるさとに帰省して「やぐやぐ」したいのだ。しかし、東京をはじめ感染者がまた増え出している心配と悩み尽きない。(八)